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2013年8月5日

2013年8月 5日 (月)

今日もあん誰当たったけど・・・

9番で並んで、椅子は無理でしたが38番に呼ばれました。

今日は150人以上が並んでいて40人当選ですから、なかなかの引きです。
平均して1/3の確率としても、1/3x1/3x1/3=1/27 なので、相当の引きの強さです。

仮に1/2の確率としても、1/2x1/2x1/2=1/8 で、12.5%です。
そう考えると如何に引きが強いか分かります。


しかし、今日はそうは行きませんでした。

並んで待っていると、後ろから見知らぬヒトに肩を叩かれました。
誰かは分からなかったのですが、某生誕委員長で、そのメンバーのトップヲタでした。

なんでも、ワタシの画像を見たことがあるから分かったとか。(→ 有名人はツラいねえw)

で、要件は、どうしても見たいから代わって欲しい、とのことでした。
というか、有無を言わさずチケットをぶんどられました。

まあ、トップヲタならいいか・・・とも思ったのですが、
後から考えると、私はそのメンバー含めて4人全員チェックするつもりでしたし、
あん誰の制作方針まで含めて観てやろうと思っていましたので、
私のほうが彼よりも目的があったとも言えます。

少なくとも、ゆかるんとぽんみゆは、ワタシが観ていれば後で会話のネタにできたと思うのですが。

とはいえ、ヲタに強くも言えません。

このお返しは高いぞ。


【追伸】

ワタシだって、ワタシが引くだけで大した問題でなければスグ引きます。

日立製作所の個人情報保護法違反案件は、ワタシが引くと問題だから一歩も引かないのです。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その48 岳物語 宮澤佐江

これはなかなか良く書けていると思う。
本の内容を導入部とし、そこから自分や家族に話題を広げている。

佐江は舞台監督のような仕事もやってみたいと言っており、それがSNHへの移籍を希望した理由のひとつと認識しているが、この文章は舞台監督を志す者として、大きな構成も、詳細な内容としても纏まっており、さらに舞台監督への筋道までをも見通せる立派な内容と思うのである。

その上で、
"今昔の自分が送っていた生活を振り返ると、家族からは常に沢山の愛をもらっていたけど、自分は家族への愛が少し欠けていたなと思います。" 
なんて書くのは謙遜で、もっと自由にどんどんやりたいことをやればいいと思うのである。

もう何十年前であろうか、確か私が高校生くらいの時に、なにかの作文で確か新聞に載っていたのであるが、同年代の子が、
"自分は親の脛をかじって生きているだけであり恥ずかしい"
みたいなことを書いていて、非常に違和感を感じたことを覚えている。

子供は親の脛をかじったっていいのである。そうやって親から子へ、親から子へ、人生の先輩から後輩へとバトンを渡していくものなのである。
これは人間に限らず、他の哺乳類だけにも限らず、動物にも植物にも、いや細菌だってバクテリアだって全てに当てはまる真理である。

言い換えれば親孝行よりも、子供孝行、孫孝行、後輩孝行をするのが、生き物の道理なのである。

しかし人間の多くはこれとは逆に、親を敬うことを強要し、人生の先輩を敬うことを強要し、会社の上役を敬うことを強要し、宗教は死人までをも敬うことを強要し、生きる者の人生ががんじがらめにされてしまっている。

人間の親というものは、自分の未熟なエゴから、子供に対して様々な要望をしがちである。まるで子供の時に貯めてやった貯金の元手を、元本割れしないように返してもらうかのように。
子供を一人の人間としてではなく、都合の良い銀行程度にしか見ていないのである。

親のエゴを見極める為には、自分が親になったら子供にどういうことを要求するかを考えてみればよい。

私は、子供になにひとつとして要求するつもりはない。
だからこそ、実母大西弘子による私への要求を、50年間1冊の本からも学んで来なかった田舎者の、未熟なエゴと論破できるのである。


佐江は、意図的に親孝行をしようとするよりも、SNHで成功を収めて欲しい。
私が佐江の親であれば、それこそが誇り高い、最高の親孝行であると思う。

そして、将来生まれる自分の子供はもとより、SNHやAKBの後輩を指導し、さらに夢を叶えて舞台監督となり、より大勢の後輩に対して貪欲に孝行して欲しいと思う。


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岳物語 宮澤佐江
http://kansoubun.shueisha.co.jp/miyazawa_sae/

 みなさんは、自分の家族について考えたことがありますか? また、家族の事について人にお話しをすることができますか?
 私が読ませていただいた「岳物語」は、作者である、椎名誠さんの実話であり、その椎名さんの息子さんの幼稚園から小学校高学年までの様子を父親の目線から描かれた作品となっています。
 日々旅をしている椎名さんにとって、我が家へ帰って来て家族と共に過ごせる時間は、本当に貴重であり、本当に楽しみで大事な時間だったと思います。
 私は旅をしてみたことはありませんが、中学校を卒業し、AKB48に入り、ずっと自分のことだけを考え行動にうつし、家族と過ごす時間について深く考えることがありませんでした。仕事を終えて当り前のように家に帰り、当り前のように母の作るご飯を食べ、その日にあった出来事を話す時もあれば、話さない時もあって、今昔の自分が送っていた生活を振り返ると、家族からは常に沢山の愛をもらっていたけど、自分は家族への愛が少し欠けていたなと思います。
 去年、SNH48への移籍の発表がされたことをきっかけに、今まで以上に家族の一人一人と向き合う時間も増え、AKB48として活動してきた約7年間、どれだけ家族の皆が自分の事を考えてくれていたのかということをすごく実感させられました。私はとにかく自分のことでいっぱいでガムシャラに突っ走ってきていましたが、家族の皆はそんな私の姿を見て、外見だけではなく中身の成長もしっかりと見ていてくれたんだなぁと思いました。岳物語を読んで、私は「岳」、そして私の家族は「椎名さん」と同じ気持ちだったんだろうなと思いました。今までどんな私のワガママにも付き合ってきてくれた家族に、今度は私が恩返しをしたいです。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その47 娼年を読んで 倉持明日香

もっちぃはやたら難しいことを書いている。
やたら難しいことを書いている人間には2つのパターンがある。
それはもちろん、本当に分かっている人と、分かってもないのに分かったフリをしている人である。
そして、分かってもないのに分かったフリをしている人が圧倒的に多いのはご存知の通りである。

しかし、本当に分かっている人が説明したところで、受け取り手が信じなければ伝わらない。どんな人間が説明しようが、伝わらないことには変わらないのである。

だからこそ、本当に分かっている人というのは、受け取り手が信じてくれるように、あの手この手を尽くして説明するのである。
その結果、ものごとの真理が分かっている人は、説明の名人となるのである。

その逆を取れば、説明をあやふやに誤魔化してしまう人間は、実のところ真理がよく分かっていない。これもまた真理である。
会社のお偉いさんには、説明をあやふやに誤魔化してしまう人間がなんと多いことか。

そう考えると、もっちぃは、あやふやに誤魔化してまではいないが、キチンと説明しているとも言えない。
ココは是非、説明し切って欲しいと思うのである。

たとえば、
" 人間とかつて人間だった者が隣り合わせで存在しているのがこの世界で、その者を隣にに感じ、影を追いかけ生きていくのが人間なのだと思います。"
などとあるが、死者はお墓におり、隣合わせでなど生きてはいない。
もっちぃは、心霊学者が言うように、守護霊や地縛霊が浮遊しているとでも言いたいのか?

何かのメタファーとして肯定的に捉えると、たとえば、葬式、法事、お盆、彼岸など、その都度死者に対して気を遣い、人によっては宗教に莫大なお金を費やしてしまう人間さえ存在する。
そういうことを言っているのであろうか?
また他のものを意図しているのであろうか?

さらに、これらのものに対して、もっちぃはどのように考えているのであろうか?
その観点が提示されていないとも思う。

ちなみに私は、もっちぃのこの文章に反対して、
" 人間は宗教上の理由からか、死者に気を使いすぎている。死者を敬うことは大事かも知れないが、心で思うに留め、死者に対して使っている労力やお金は、子孫に対して使うべきである。死者からできるだけ決別し、子孫により良い世界を残していくことが、これから人間に与えられた課題だと思う。"

というような意見を持っている。

もっちぃの意見に対して、間違っていると糾弾したいわけではない。単に私の意見をぶつけてみたいのである。
だからこそ、もっちぃの真意が深く知りたいと思う。

もっちぃはなかなかいい感性を持っていると思うので、合っている間違っているを抜きにして、ぜんぶ説明し切って欲しい。
ぜんぶ説明できるだけ肝っ玉が据われば、もっちぃの個性がよりクッキリと浮かび上がるために、もうワンランク人気が上がるはずである。


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娼年を読んで 倉持明日香
http://kansoubun.shueisha.co.jp/kuramochi_asuka/

 初体験でした。
 今まで、スポーツや泣ける友情・儚い恋・趣味の紅茶の本しか読んだことがなかった私にとって、とても新鮮で自分の新しい扉を開いたような本でした。
 自分の知らない世界だけれど身近にある話。その中で、誰にも言ったことはないけれど私がずっと感じていたことが書いてありました。「死はとても遠いもの、それは昼と夜のようにはっきりと別の世界の出来事」
これは音楽家のナミコさんが言った言葉です。数年前まで私自身もそう思っていました。例えば、駅前に出ているお葬式の○○家という案内看板も私にとっては、○日にオープンしますというパチンコ屋さんのポスターと同じ感覚で見ていました。そのくらい自分や家族には関係のないことであると。でも、身近な存在の死を目で理解したとき今までの考えや感じ方・風景がある意味鮮やかに見えてきました。
 人間とかつて人間だった者が隣り合わせで存在しているのがこの世界で、その者を隣にに感じ、影を追いかけ生きていくのが人間なのだと思います。
 この本の主人公リョウ君。いや、主人公は多くの女性の方なのかもしれないけれど、一人一人に先入観なく向き合っている姿は今を生きる人々が見習うべき点だと思います。娼年を通し改めて、人と人との繋がりの連鎖を大切にしながら生きていこうと思いました。

みぃちゃんのご両親が営む、高島平のティールーム タネ に行ってきました

14:00ごろ訪問。

まあ、喫茶店ってカンジかな。
四つ角の一角にあるので、けっこう明るいイメージではある。

お客さんは、AKBヲタばっかw

オトコ2人組、1人x4(ワタシ含む)、女性の親子連れ1組。子供は小学校高学年くらい。
あとから、ハタチくらいの女性1人が来た。このヒトはヲタみたいな風貌。
50歳くらいの男性1人も来たが、買い物品や本、新聞を持参で、地元の人っぽかった。

1人x2 が別のテーブルに横に座って話していたのが、まるでメイドカフェのノリそのものだった。

店員さんは、マスターと、バイトの女性が2人。
さすがにみぃちゃんについて話せる雰囲気ではない。
いやココで話すくらいに強く出てもいいのだろうが・・・

まあ、ワタシの場合は、10~12期あたりの親がお店を開いていれば、もっと突っ込んだことも聞けるだろうが。
そういえば、わかにゃんのお母さんが、お寿司やだか割烹だかをやっているはずであるが、どこにあるかは知らされていないなあ。
裏活やっているヤツらならば知っているかもであるが。


店内にはみぃちゃんはじめAKBの写真やサイン、CD、本がいくつか置いてあった。
なかやんの本とかも置いてあって、みぃちゃんだけに限定しているわけではないっぽい。
但し、いまの研究生仲間のものはないみたい。やはり3期くらいまでのメンバーのほうが仲がいいのだろう。

あと、岩手県山田町のジオラマに、みぃちゃんがティールーム タネを入れた縁からか、ジオラマに関するファイルが置いてあって、ジオラマ製作の経緯が読めて興味深かった。

ちなみに、私はケーキセットを頼んだ。
本日の、レモンヨーグルトケーキ¥400、アイスコーヒーがセット料金で¥200。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その46 不安の力を読んで 片山陽加

はーちゃんは、いろいろ考えたらしいことを書いていて、考えたのは良いのであるが、私が何度も言っているように、どういうことを考えたのかを書いてくれなかったのが残念である。

結果を出すことと、キチンとした過程を踏むこと、そのどちらが重要かは、仕事における評価基準として、昔からつねに議論される問題である。

結果さえ出せれば過程はなんだっていい、というヒトだっているが、私は、結果と過程はちょうど鶏と卵の関係であると言いたい。
結果を重視するからと言って、あこぎな方法で結果を出せたとしても、いずれは関係がおかしくなるから、その方法は何度も使えるわけではない。5年10年と結果を出し続けるためには、いいかげんな過程でいいはずがない。キチンとした過程を固めることは、いい結果を出すためには重要なのである。

しかし、たとえばミュージシャンがなかなか芽が出なかったり、芽が出ず諦めたりするのを考えてもらえば分かるように、その苦労した過程が結果に繋がることは難しいのもまた事実である。

過程を自力で作り上げるのは難しいからこそ、大部分の人々は、自分の考えた過程ー仕組みではなく、ヒトが考えた仕組みの中で働く人生を選ぶのである。

はーちゃんも、芸能人とは言っても、誰かが考えたテレビなり広告なりに依存し、それどころかAKB自体が秋元康が考えた仕組みであり、その仕組みに取り込まれていることは理解して欲しい。
取り込まれてはいるが、しかし、企業で働いている一般の人々に比べればよほど自由度が高く、自分の能力に直結し、企業への依存度が弱いのもまた真実である。


だからこそはーちゃんは、一般論で収めてしまうのではなく、自分なりの意見、自分なりの過程を示すべきなのだ。

そして、自分なりの意見、自分なりの過程を示すことにこそ、人は最も不安を感じる。
だからこそ、私もはーちゃんに向けて言ってあげたい。
「不安を抱えていることが人間らしい」
「不安はなにかの便りを運んでくる大事なメッセージ」
「たったひとりの自分だから値打ちがある、誰とも似ていないということがその人にとってのすごい存在理由なのだ」

はーちゃん、この感想文を書き直し、自分なりの意見、自分なりの過程を示すことから始めませんか?


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不安の力を読んで 片山陽加
http://kansoubun.shueisha.co.jp/katayama_haruka/

 今回、この本を読んで、共感できる所や、読んだだけなのに誰かに相談した後のようなスッキリした気持ちになりました。
 普段、あまり本を読まないし、希望の書というのも初めてで。
 でも読み進めていくうちに、どんどん五木さんの体験談、名言などが、今の私の考え方を変えてくれた気がしました。
 私はAKBに入って丸六年が経ちます。六年いて、楽しこともあれば、辛い時期や悩んだ時期もあります。つい最近も不安や考え事が絶えず、なかなか寝れない時もありました。けっこうポジティブな方だったのですが、その時はなかなか元気になれなくて。でもいつの間にか、「こんな事でくよくよしてちゃだめだ」と思い前を向いて歩きだした時、「不安の力」に出会いました。五木さんは、「不安を抱えていることが人間らしい」「不安はなにかの便りを運んでくる大事なメッセージ」など、マイナスイメージの強い「不安」を良いものなんだと、プラスの考え方、アドバイスをこの本で教えて下さいました。他にも、「たったひとりの自分だから値打ちがある、誰とも似ていないということがその人にとってのすごい存在理由なのだ」と。
 私はたまに自分がこのままでいいのかと思う事が多々ありました。この本は、色々な事に迷ったり、悩んだり。自分の胸の内を他人に打ち明けられないけど、アドバイスが欲しい人。そんな方々に、読んでもらいたいと、すごく思いました。どんな方でもきっと、何か得るものがあるはずです。

今日はティールーム タネ 再チャレンジとあん誰

あん誰に、知っているメンバーばかりが出るので(12期3人11期1人)、やはり抽選に並ぶことにしました。

出かけるついでに、みぃちゃん家のティールーム タネにも行ってみます。


ちなみに昨日は、2,750 アクセスと3,000を割ってしまったのですが、IDは489と、着実に500に近づいています。


ここ1週間のアクセスです

アクセス数合計: 23,361  (日平均: 3,337)
訪問者数合計: 3,232  (日平均: 462)

ID数 アクセス数
2013年7月29日(月) 476 3,401
2013年7月30日(火) 441 3,413
2013年7月31日(水) 447 3,146
2013年8月1日(木) 451 3,992
2013年8月2日(金) 465 3,219
2013年8月3日(土) 463 3,440
2013年8月4日(日) 489 2,750

昨日のチームA公演を振りかえって、伊達娘について考えたこと

伊達娘はGoogle+に"すっごい楽しかったwwww "
と書いているようであるが、昼公演を見る限り楽しんでいるようには見えなかった。

MCでは何度もしどろもどろになり、ダンスもそれほど元気があるようには見えなかった。


で、思い当たったのが下記である。

2013年8月 3日 (土)
先ほどあん誰プロデューサーの竹中さんに書いたこと
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-1e52.html


私が竹中さんに対してコテンパンに書いたことは当然メンバーも知っていただろうし、
伊達娘も自分が怒られると思って萎縮してしまったのではないかと思ったのである。

そう考えていて、さらに一週間前に、伊達娘に対して私も怒ったことを思い出した。

2013年7月27日 (土)
ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その25 終末のフールを読んで 岩田華怜
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-26d5.html

"私のファンレターを読んでいるはずなのにこういう文章を書きやがってと、叱りたい気分である。 "
とまで書いている。

とすると、昨日の公演を観て、

"私のファンレターを読んでいるはずなのにこういうパフォーマンスをしやがってと、叱りたい気分である。 "

と私が言い出すと思ったとしてもおかしくはない。

しかし、私は怒るつもりはない。
ファンレターにも書いたが、伊達娘はまだまだスランプまっただ中なのである。
むしろ私が、伊達娘をスランプから救い出したいと思っている。

しかし伊達娘も、怒られると思ったのであれば、思い当たるフシはあるのだろう。
思い当たるフシが、怠け心からくるものなのか、いやどうしても必要な息抜きなのか、
いま一度チェックだけはして欲しい。

そうやって自分の行いを何回もチェックする習慣をつけることが、成長なのである。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その45 プリズムの夏を読んで 近野莉菜

ストーカーと親切の境界線とはなんであろうか?
日立製作所では、相手が不快に思うかどうかだと、確か会社が用意した資料でしつこいくらいに説明を受けたが、私は違うと思ってきた。

相手が不快に思うかどうかなんてヒトに依るし、なによりも相手が恣意的に、不当に不快に思う可能性だってあると思う。
けっきょく、その行為が、自分にとってのエゴか、単純に親切心から発しているかの違いであると私は考える。

ただ、その判断基準も、私の実母大西弘子のような人間の存在により、曖昧なものであると痛感させられた。
あなたのために、あなたのためにと言いながらそのじつ、田舎に帰ってお見合いをするという、自分のエゴ剥き出しの願望を親切心と誤解しているのである。
自分のエゴを切り離して考えられれば良いのであるが、大西弘子は50年間一冊の本も読まなかったほど無学の人間であり、自分のエゴを切り離して考える、ということの意味すら考えられないのである。
私は大西弘子と対話するのを諦めてしまい、大西弘子の死を待つだけの状態である。

ちかりなの感想に戻るが、この少年達の行動はまさに親切心からのものであり、ストーカーとはほど遠いように思われる。松下さんの立場に立てば、このような少年達の存在こそ、文字通り自分にとっての白馬の王子様の出現と言えるだろう。
人間、一生に一度くらい、これくらい真剣に人を思いたいものである。

ちかりなは、きっとこの少年達のような白馬の王子様が自分にも現れたらと思ったはずなのであるが、恋愛感情には触れることなく、うつ病のお悩み相談の話に小さく纏めてしまった。

ちかりなは公演を見ていてもけっこう多彩で、きっかけさえ掴めればまだまだ伸びられる存在と思うのであるが、このようにファンに向かってせっかく自分の恋愛論を語れるチャンスをみすみす無駄にしてしまうあたりが、なかなか芽が出ない現実に繋がっていると思う。

また、
" 対策というか、自分の周りの友達や家族がうつ病になってしまわないように私に出来ることといったら、一番良いのは親身になって相談に乗ることだと思います。小さな悩みが大きくなってしまうこともあるから、小さな悩みごとの内に解決してあげることで防止にはなるのかなと。"
と、一見尤もらしいことを書いてはいるが、人間、小さな悩みごとの内に親身になって相談に乗ることなどなかなかできないのである。
小さな悩みごとのうちは、本当に自分が悩んでいるのかさえ曖昧で、自分の至らなさが招いただけなのではと自分を責め、ヒトに怒られたり呆れられたりするだけではないかと思ってなかなかヒトに相談できず、傷口を広げがちであると思う。

だから、小さな悩みごとを解決するためには、相手はこういうことで悩んでいるのではないか?と思える想像力と、それをキッチリと指摘できる行動力が必要になる。

じつは、想像力も行動力も、芸能人として売れるためには必要不可欠なものであり、然るにちかりなはスキルはあるが、想像力も行動力も欠け気味だったと思う。

少年達と同じような行動をちかりなが取れるようになったとき、ちかりなはグンと伸びる。
たとえば近くに悩んでいるメンバーはいないか?
とりわけ15期研究生からすれば、それほど目立ってないといっても、ちかりなも憧れの先輩である。
研究生のおせっかいおばさんになってもいいじゃん。

少年達のように、これまでやらなかった、ちょっと行き過ぎと思われるくらいに大胆なことをやってみて勝負に出るのだ。
二十歳の挑戦、ぜひやってみて欲しい。


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プリズムの夏を読んで 近野莉菜
http://kansoubun.shueisha.co.jp/chikano_rina/

 わたしは、本があまり好きではありませんでした。
 なぜかというと、本よりも実写化された映画ばかりを観ていて、わざわざ本を読もう!!とはならなかったからです。
 でも、この本に出会ってから考え方が変わりました。本を読みすすめていく楽しさを知ったのです。
 このお話は、高校最後の年を迎えた少年二人の青春ストーリーで、将来どうするかまだ決めかねている主人公のぼくと、親友の今井は映画館の切符売り場でアルバイトする年上の女性松下さんに心をひかれていくというもの。でも実は、松下さんはうつ病だったのです。そのうつ病で苦しんでいる松下さんを二人の少年が一生懸命、助け出そうとします。
 私が主人公に関心した所は、松下さんが事故を起こしてしまった時にいてもたってもいられず、日記のヒントをもとに事故現場を探したり、松下さんの車をレッカーした人物を捜したり、ロードサービス会社にかたっぱしから電話をかけたりと、松下さんの住所を知る為に主人公は一生懸命なのです。普通だったら、ストーカーみたいとか思うかもしれないけど、好きだから死んでほしくないという真っ直ぐで一生懸命な所に関心しました。もしそれが自分だったら、主人公のようにはなかなか行動出来ないです。
 対策というか、自分の周りの友達や家族がうつ病になってしまわないように私に出来ることといったら、一番良いのは親身になって相談に乗ることだと思います。小さな悩みが大きくなってしまうこともあるから、小さな悩みごとの内に解決してあげることで防止にはなるのかなと。
 最後になりましたが、ここに書ききれなかった事もあったし、暗いお話ではなく青春小説なので皆さんも是非、読んでみて下さい。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その44 空白の五マイルを読んで 大家志津香

44番という縁起でもなさそうな数字を誰にしようかと考えて、"しー"ちゃんだからいいか!と思ってしーちゃんにさせてもらいました。
語呂だよ語呂。悪気はないので気を悪くしないように。

しかし、しーちゃんもまだまだアタマデッカチだなあと思ってしまう。
"この地球上に、深海以外で解明されていない場所があるなんて思わなかったからです。"
なんて堂々と書けてしまうからだ。

理屈上で解明されていないものと、自分が解明していないものはまた別であり、仮に理屈上解明されていても、自力で解明してやろう!と思って欲しいのである。
そう思えば、解明されていないものばかりということに気づくだろう。
その奥には、事実を一面から知ることは、そのすべてを知ることとはまるで違うという真理も隠されている。
然るに人間は、一面を知ったらすべてを知った気になってしまう。この思い込みがやっかいなのである。

本当にあらゆるモノが解明されているならば、ではどうして我々は恋をして、相手の考えが分からないと思い悩むのであろうか?
成長して親と意見が対立して、親が自分を分かってくれないと思い悩むのであろうか?
しーちゃんも毎日このようなことを思い、悩んでいると思うのである。

これらの人々について、しーちゃんは、自分に対して好意を持ってくれている、と一旦解明しているはずなのである。
が、もっと深く関わりたい、もっと深く関わって欲しいと思う心が、しーちゃんに一面だけの解明では不満を感じさせる。

まだまだ知ってない、もっと知りたいと思うからこそ出てくる欲求が、人間の持つ"悩み"というものの正体なのである。


恥ずかしがりやのしーちゃんには、シモネタで攻めてみようか。
しーちゃんは例として、人跡未踏の"ツアンポー峡谷"のナゾを上げ、本の魅力を表現しているが、たとえばしーちゃんの"胸の谷間峡谷"はオトコに到達され研究されてしまったか?
前人未踏(未触)だろう? (・・・いやお年頃だし違う可能性だってあるんだけど)
自分の未解明な部分に対して、興味を持って解明してくれる白馬の王子様を、しーちゃんもどこかで待っているでしょう?

"胸の谷間峡谷"を解明してもらえるとすれば、しーちゃんはツアンポー峡谷に対して感じたワクワクの何百倍もワクワクすると思う。
そして当然、何人もが挑戦したとしても、十人十色、同じ解明の仕方はないのである。
それはツアンポー峡谷だって同じであるが。

シモネタの例えで悪かったが(てか下半身だからシモネタであって、胸は上半身だからカミネタなのか?)、しーちゃんも改めて考え直し、自分が見たことも聞いたことも考えたこともないようなことをアレコレ思い浮かべるのは、仮に理屈上解明されていようとも(女体など人体人形が理科室に置いてあるしね)面白くて心が躍るのだと思い直して欲しい。


読者が身近なフシギにワクワクできるようになることこそが、著者の真の狙いと思う。
しーちゃんにはそこまで考え抜いて、身近なフシギにワクワクする習慣を付け、人にもワクワクを伝えられるようになって欲しい。


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空白の五マイルを読んで 大家志津香
http://kansoubun.shueisha.co.jp/ooya_shizuka/

 わたしは、宇宙や深海など解明されていない事や、解明のできない事があるようなものに、すごくみりょくを感じます。妄想が大好きな私にとって、答えの無いものや分からないものはロマンでしかないからです。
 初めにこの「空白の五マイル」という本を手にした時は、正直なんの興味もわきませんでした。それはなぜかと言うと、この地球上に、深海以外で解明されていない場所があるなんて思わなかったからです。「五マイルって何だろう?」私の知識はそのレベル。でも本を読み始めると一気に興味をひきつけられて、夢中で読み進めてしまいました。
 この本は、地図上には書きしるせない、まだ何がそこにあるのか解明されていない五マイルに挑んだ方たちの話が書いてあります。
 そして、この本の作者、角幡唯介さん自身も、この地図上にしるされていない空白の五マイルに挑んだ1人です。
 ツアンポー峡谷には、たくさんのナゾがあります。そのナゾを解明したくて角幡唯介さんは、収入がゼロになるのをかくごで仕事をやめて、ツアンポー峡谷に挑みました。私はそれが本当にすごいなと思いました。もう7年目に入ったAKBとしての生活。これをすべて捨てて人跡未踏の峡谷に向かうなんて、考えただけでも怖くてしかたありません。
 それほどの決意で挑んだツアンポー峡谷。この本は全てノンフィクションで、とてもリアリティにあふれています。読み終ったあとは、世界の広さと自分のそんざいの小ささ、人それぞれの人生。たくさんの事がぐるぐるとかけめぐって何とも言えないワクワクが生まれました。
 こんなに心のおどる本を読んだ事はありません。全ての人にこの本を読んでほしいなと思いました!

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その43 なつのひかりを読んで 鈴木紫帆里

しほりんは公演MCや握手会の切り返しを聞いていると、けっこうアタマがいいなあと思うのであるが、その印象からすると、この感想文は物足りない。

いずりなの感想文が印象的だったのだが、しほりんもいずりなと同じく、友達に作品で感じたエピソードをネタにして自分の言いたいことを話すようなスタンスで書いてもらえば、もっと面白いモノになったと思う。

たとえば、
"普段の生活では気付けずスルーしてしまいがちな事を改めて考えるきっかけにもなりました。"
とあるが、ではどのようなスルーしてしまいがちなことを考えたのかを教えて欲しいし、それを考えることで、人の優しさ、寂しさどちらにしほりんが重点を置いて考えたのかを知り、しほりんが人間というものをどのように考えているのかを知りたいと思うのである。

それと、結論で、
"過ぎていってしまう時期や青春が描かれていて大人になっていくのが勿体ないなー"
とあって、大人になれば感じられないようになるものがあると、しほりんは信じているようであるが、私はこの考えには反対したい。

というのも、私は38歳になり、体力的に衰え、どうも中年太りしてきたとはいえ、たとえば着ている服も中学生時代と大して変わっておらず、生活も実のところ大して変わっていないのである。(・・・というか恋する相手が現在中学生だし)

いやもちろん、その最大の原因は結婚してないからではあるが、仮に結婚していたとしても大して変わらないと思うのである。

どうして大人が青春を諦めるか、周りの人間を見ていれば、適齢期になると結婚して、結婚すると住宅が必要になり、住宅のためには住宅ローンが必要となり、住宅ローンにがんじがらめにされて、会社に逆らえなくなるのである。
そして、会社の組織で上手に生きていくためには、係長は係長然とし、課長は課長然とし、部長は部長然としなければならぬのである。
部長然としていなければ恥ずかしいばかりか課長以下からバカにされるから、バカにされないように威張らないといけないのである。

こうやっていつの間にか、青春時代からかけ離れてしまう。

しかし、結婚しているからと言って住宅ローンを組まず、会社組織の暗黙の役割から自由であれば、なんら制約はない。

けっきょく、大人になったからといって出来ないことが出てくるかどうかは、常識に抗える気の持ちようだけである。

この作品に出てくるらしき、自由奔放な人々や、やどかりのナポレオンは、そんな常識に抗うためのメタファーかも知れない。
住宅ローンが私の挙げた常識の最たるモノであるのに対して、"やどかり"が出てくるのも、決して偶然ではないよう思えるのであるが、いかがだろうか。


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なつのひかりを読んで 鈴木紫帆里
http://kansoubun.shueisha.co.jp/suzuki_shihori/

 “今朝、隣の子がやってきた。飼っているやどかりが、きのうから見当たらないそうだ”という書き出しから始まるこの本。
 この一行を読んだ瞬間から、この本は今まで自分が読んだことのないジャンルの本だということをすぐに認識しました。
 読み進めていくうちにだんだんと不思議さが増していき、気付いたら読み終えている。
 他愛ない会話や何の変哲もない日常に思えるけれども、実際には起こるはずのないことが起こったり現実と幻想がまさに隣り合わせであるかのような不思議な作品でした。
 この本に登場してくる人物はみんな個性的で、妻子持ちなのにも関わらず五十を過ぎた愛人がいて、さらにはもう一つの名前まで持っているどうしようもない兄、そんな兄を憎めず兄妹以上の絆で結ばれている主人公や、どこか人間の心を持っているようなやどかり。
 みんなどこか欠けているようで決して完壁ではないけれど、言葉や背景、比喩にそれぞれの性格がにじみ出ていてすべてが微笑ましく感じました。
 特にやどかりのナポレオンは、脱衣所で殻を脱いでお風呂に入っていったり、ソファーでくつろいだり、まるで人間のような行動にその姿を想像する度に笑ってしまいました。
 完壁な人間じゃないからこそ感じる親しみや愛嬌は誰にでもあると思います。
 そんな人の優しさの裏にある寂しさや切なさが細かく表現されていて、普段の生活では気付けずスルーしてしまいがちな事を改めて考えるきっかけにもなりました。
 現実世界や大人になってからはなかなか感じられない“自由”や“透明感”、過ぎていってしまう時期や青春が描かれていて大人になっていくのが勿体ないなーと感じる作品でした。

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