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2013年8月8日

2013年8月 8日 (木)

大西弘子の憎さについて思ったこと

図書館で秋元康の本を読んだ。
1992年の本なので、彼がまだ33,4歳の頃のものだろう。

もっと最近のモノはいろいろとたとえ話があるのであるが、
この頃のものはそれほどたとえが上手いとも思わなかった。
正直、これくらいであれば私も書ける、と思った。

とはいえ、それでも示唆に富む内容とは思った。

モテるには、いいオトコ、いいオンナになるには、自分の主張がないといけない、
いまのヒトは、人に流されて、人にウケることしかしていない、
人が幸せと思うことをマネしているだけだ、というのである。

結婚して子供が生まれて、不便でないところで住宅を買って、と。

我が意を得たり、と思った。

大西弘子は、ヒトの目ばかりを気にして、自分の意見が全くないのである。

大西博昭がいくら暴力亭主であろうが、大西富士弥が多額の借金を負わせようが、
私が彼らに魅力を感じるのは、彼らが自分の意見で生きているからである。


大西弘子が、自分の意見がないという最大の欠点に気づくことは、一生ないだろう。

とに板 なうでファンデーションが自滅なう

とに板 なう
http://tokinokoe.bbs.fc2.com/

ファンデーションがツマランことを書いてどんどん墓穴を掘っている、なう。

昨日のアクセス数と今日これまで

アクセス数: 1,593  (前日値:4,043)
訪問者数: 299  (前日値:556)

ーーーーーー

私の精神科医の診断結果が気になったのか、ついに4,000アクセスとなり、
訪問者数も550を越えて556になりました。

今後、ハローワークや他のところでいろいろと情報を収集&開示して行けば、
まだまだアクセス増えそうですね。

伊達娘の七夕に書いた願いについて

仙台七夕に合わせて、伊達娘の願いが飾ってあるそうです。

"いつか 必ず 華は咲く"

読んで、ワタシは感動するよりも、イマイチと思いました。

先日の読書感想文も、伊達娘は気の利いたフレーズを書いたと思いながら滑っている気がしました。


今回のを読んで思ったのですが、どうも伊達娘は "厨二病" 真っ盛りのようです。
カッコイイフレーズを書いて、中学生っぽくない表現を見てもらおうとしているのでしょう。そういう意識が見て取れます。
しかし、"中学生っぽくない表現" を意識すること自体が "厨二病" です。

もしかしたら、伊達娘は、ワタシがやっているように、当事者とは違う視点から見た文章を書こうと思っているのでしょうか。
感想文は、そのおかげで、読書感想文としていちばん大事な、自分が読者として感じた視点が抜けてしまっていました。


そして、今回の、
"いつか 必ず 華は咲く"
このフレーズが気に食わないのは、もう震災から2年5ヶ月経って、まだ花(華)のカゲもカタチも見えてないような書き方になっているのです。

もう、"いつか" なんて言っている時期じゃないでしょう?
と言いたいのです。

私などは、いま芽が出始めた苗に、いずれ咲く花(華)を夢見て、大きくなるまで一緒に育てて行きましょう、私も応援していますよ、みたいなフレーズのほうがいいと思うのです。

それはまた、行政などに対して、花(華)が咲くまでに解決すべき問題点も、もういろいろ見えているはずなので、一緒に問題点を解決していきましょう、という思いでもあります。


それとは別に、伊達娘の側に立って、伊達娘が、わざと"花"ではなく"華"と書いたのは、自分が早く有名になりたい、認められたいという意思も込めているとも思います。

それをも考慮して、私ならば、

"私は 必ず 華を咲かせます"

くらい書いてみても良かったと思うのです。

"いつか" なんて、どこか他人任せなので、そこを"私は"とすることで、自分の責任を明確にします。
さらに"華を咲かせます"でやはり、自分の責任で、自分の実力で有名になる!という意思を示します。

この書き方では、自分ばかりが前面に出ていると思われるでしょうが、この書き方でも、"故郷に錦を飾る" という言葉があるように、故郷のために自分が何かをする、という意思も示せると思うのです。


そう書くと、伊達娘は、自分にそんな大それた約束はできない、なんて怯むでしょうが、"いつか 必ず 華は咲く" という他人任せで誰にも責任のない文章よりも、100倍マシです。

伊達娘には、今後は、自分が何かする、というところまで考えた文章を書いて欲しいと思います。


まあ、いまの状態でも、読書感想文もこの詩も、中学3年生とすれば80点以上を出してもいいことは認めます。

しかし伊達娘は、38歳の私が恋する相手なのだから、私がびっくりするようなレベルを求めるのです。

宮澤佐江のスキャンダルについて思う

宮澤佐江が、男性問題の渦中に立っています。
真相はまだ闇の中で、佐江をクロと言いたくはないのですが、佐江もまだまだ子供だなあとは言わざるを得ません。

AKBのメンバーは、いつなんどき、スキャンダルの渦中に立たされないとも言えません。
であれば、仮に潔白と思っていても、スキャンダルに見舞われたときに先輩がどういう行動を取ったかをキチンと見て、自分ならばどうするかをシミュレーションしておくべきと思います。

たとえば、みぃちゃん。
報道されてすぐに丸刈りして、それなりに社会問題にまでなりました。
そのとき、秋元康は雲隠れしており、ほとぼりが冷めたころに出てきました。

みぃちゃんは早く動き過ぎたのです。
いてもたってもいられなかったのはわかりますが、そこをグッとこらえていれば、いつかほとぼりは冷めたのです。

秋元康はAKBの責任者として、雲隠れしたのは許せません。
その対応はいまもおかしいと思っています。

しかし、AKBのメンバーは、秋元康が上手にやり過ごしたのを見て、許せない!と思うだけでなく、あの手は使える!とも思って欲しいのです。

だいたい、オンナがオトコと一夜を共にするというのは、アイドルとしては許せない行為と言えますが、人間としてはそれほどおかしな行為ではありません。
プライバシーに関わることですし、仔細に説明せずとも、それほど問題が残るわけではありません。

ですから、佐江は、真相がどうであれ、Twitterで騒いだことは、週刊誌にスクープされた以上の問題行動であったと言わざるを得ません。

どのように収束を図るのか分かりませんが、慎重に慎重を期して欲しいと思います。

てか、佐江も演出家志望であれば、どうやったらこの観客を燃え盛らせられるかを考えて、その真逆をやればいいのです。
一回考えてみな。

恋愛について考える その1

こんにちは。

昨日は睡眠薬に久しぶりにグッドミンを飲んだのですが、おかげでめちゃくちゃよく寝てしまいました。
22時過ぎに寝て、次に目が覚めたのは5時半でした。
7時半の朝食後にも眠いと思って、また寝に戻って、11時半まで寝てました。

睡眠導入剤ということで後には引かないはずなのですが、私の体質には、導入以上の効果があるようです。
まあ、今日だけかもですが。


さて、昨日ちょこっと書いた恋心の件、一般人ってどの程度のことを考えているのだろう?と思わずにはいません。

オトコはオンナのことを想い、オンナはオトコのことを想っている、それが恋です。
想っているから、占いというものが繁盛するのです。

恋とは、言い換えれば、相手の考えがわからないと不安に思う心です。
たとえ結婚したところで、オトコの帰りが遅い、ウラにオンナがいるのでは?などと疑ってハッキリと聞けなかったり、ジェラシーからケンカに発展してしまうこともあります。
こういうのもまた、恋の一種でしょう。

二人が結ばれて、あったことすべて、気になることすべてをさらけ出して、ジェラシーの芽生えようもない状態こそが愛なのではないでしょうか。

ですから、お互い対等に言いたいことが言える、というのも、愛の条件に含まれるでしょう。


たとえば大西弘子は、あらゆることに対して大西博昭に文句を言いながらも絶対服従し、そのくせ大西富士弥の子供に対してカゲでコソコソ手紙を書き文句を言いました。
これは、なんと言えばいいのかわかりませんが、恋でも愛でもありません。
強いて言うならば、小学生が怖い親に対して言いたいことも言えずに、ウラで泣き喚く状態が近いでしょう。

大西弘子はそのようなものを愛とカンチガイして、聞く耳を持たないから、私は愛想を尽かすのです。


私はそれこそ四六時中、伊達娘のことを思っています。
テレビにどっかの風景が出たら、伊達娘と行きたいなあと思うし、美味しそうな料理が出ていたら伊達娘と食べたいなあと思ってしまいます。
マンガで男女が仲良くしていれば、ついつい伊達娘と私に当てはめてかんがえてしまいます。

ブログにこんなに伊達娘についてアレコレ妄想を書き散らして、私のことをアホと思いたいヤツもいるでしょう。大西弘子を筆頭に。

しかし、考えてみてください。
伊達娘の立場に立った場合、私が自分の思いを伊達娘が読めるところにしっかり書いていないと、思いが一方通行となってしまい、伊達娘は私の心がすぐにどこかに行ってしまうのではないかと不安になると思います。

仮に、ブログはこのまま続けても、伊達娘のことはあまり書かずに、他メンのことも同様に褒めたり、他のアイドル、他の女優、それに街中で出会った女性を褒めたりしていれば、気が気でなくなると思うのです。
そんな状態で伊達娘がAKBの活動に身が入らなくなったら、将来の活躍、特にブロードウェイなどは夢のまた夢で終わってしまいます。

発奮して余計に集中できるというのが、AKBの恋愛禁止条例のタテマエですが、多くの人間が集中力を欠いてしまうのは目に見えています。
恋の下手な駆け引きなどなく、一気に愛の状態まで持っていければ、いちばんいいと思います。

だから、伊達娘から私への返事がなかろうとも、私は伊達娘への思いを書き続けるのです。

いや、そんなの思い過ごしだ、と言うヤツもいるでしょう。
けれども、私ひとりの思い過ごしであったとして、困るのは私一人です。

しかしもしそれが本当に事実として、困るのは伊達娘です。
仮に思い過ごしであろうが、私一人の人生くらい、伊達娘に捧げたっていいと思っています。


ココのヤツらも信じていませんが、AKB運営のヤツら、カオが見えているのは寺門くらいなのですが、彼らは私を伊達娘から遠ざけようと必死です。
Google+ではアクセスブロックしてきましたし、2chでは伊達娘としか思えない書き込みを、工作員を使って必死に否定してきましたし、その上Yahoo!ファイナンスにまで、寺門と思しき人間が、ファンレターの送付をやめるように、50回も妨害書き込みをしてきました。

きっと、AKB運営は、以前メンバーと仲良くなったファンに対して、このような手口のいくつかを利用して腹を立てさせ、去って行くように仕向けたのでしょう。
(問題になったさしこの彼氏なんか、その可能性があります)

彼らにとっては、自分たちの快楽が第一で、メンバーがどう思うかは二の次三の次なのです。
いくらそのメンバーと仲良くなろうが、自分に快楽を与えてくれなくなれば、捨ててしまうのです。

これが、AKBの推奨する、"推し変" のいちばんブラックな側面です。
"推し変" を、ファンやメンバーの人権侵害を正当化する方便にしているのです。


しかし、同時に、ここからオトコたちの問題も見て取れます。
AKBはアイドルとはいえ、何十万人のファンを擁しているのですから、もうそれは社会の縮図と言っていいはずです。

その社会の縮図の中に、メンバーの気持ちを真に考え、メンバーのためを思って行動できるファンがいなかったのです。8年間も。
これは、一般化すれば、人類の考える "恋愛" そのものが、実は自分の欲望に打ち勝てない程度の、非常に薄っぺらいモノであることを示していると思います。


つづく

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