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2013年8月11日

2013年8月11日 (日)

チームB公演を観てきました

時間がないのでレポートは改めて書きますが、とりあえず思ったことを。

ぽんみゆが、私の言ったことを読んだのか、違うところから学んで来たのか、
ちゃんと実行していると思いました。
たとえば、前回以上にヒザをよく使って、角度のあるダンスができていました。
また、チームB推しで、横にステップ踏むところで由依やゆかるんのように2回踏んで
タイミングを取っていたりしました。

客席に訴えるような歌い方もできていました。
しかし、本家ゆきりんは、客席に訴えながらも体も動いています。
ぽんみゆは客席に集中したら体が止まってしまっています。
ゆきりん以外他のメンバーはそこまでできてはいないのですが、さらに上を目指すならば、
次の段階として、客席に訴えながらも体も動くように注意して欲しいと思いました。

あとぽんみゆはボイトレに通っているのでしょうか?
MCでいい発声をしていると思いました。

れなっちはダンスが棒気味に見えるのですが、本人が頑張っていないわけではなく、
姿勢が良いために背が高く見える点もあると思いました。
ぽんみゆがヒザを使えているので、れなっちももう少しヒザを使って、あと一足分
ダンスの範囲が広がれば、グッと見栄えが良くなると思いました。

姿勢という意味では、以前から気になるのですが、みなるんの猫背はどうにかしたいと思います。
いまは元気だからほっといてもいいとみなるんも思っているでしょうが、
おばあちゃんになったら確実に腰が曲がってしまうと思います。

逆に、おばあちゃんの多くが信じられないほど腰が曲がっていますが、
彼女らだって若いときに、自分は腰が曲がってもいい、おばあちゃんになったら腰が曲がりたいなどとは
誰一人思わなかったはずです。
そう考えれば、既に猫背が激しいみなるんは必ず腰が曲がってしまうはずです。

というわけで、今後の美容も兼ねて、早急に猫背を治して欲しいと思います。
また、みなるんほどではありませんが、ゆきりんも猫背なので、同様に治したほうがいいと思います。

あと、わかにゃん。
思い出以上、決して悪くはないのですが、高いレベルを求めたとき、ターンをはじめとして
らんらんと梅ちゃんの動きについていけておらず、それがどうしても2人と同じほどのキレには
至れていない原因と思いました。
わかにゃんは挑発すれば応えるタイプと思うので、敢えてそこまで書きます。

なお、歌っているときに、全体曲であっても、腹の奥から声が出ているメンバーは目立つのですが、
わかにゃんとこじはるが目立つと思いました。
あと目立つのは研究生のみぃちゃん。
わさみんなどはそこまで思わないのですが。
(発声ではなくマイクをいじってたりしてたら知りません。そこまで私も分かりません)

あと、舞台明けの中村麻里子もMCでいい声を出していました。
ダンスでひとりだけ目立っていて、スタッフに言わせると悪目立ちなのかも知れないのですが、
一人が引っ張ることによって全体の質が変わることもあるので、私は麻里子の目立ち方は好きです。
チームBに自分の色を吹き込んで欲しいと思いました。

あと、しーちゃんが相変わらず気を吐いていると思いました。しーちゃんいいです。
ゆきりんはハードスケジュールなのか、いつものキレはないと思いました。
それでも平均以上のダンスはできていたのですが。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その53 九つの、物語を読んで 小嶋菜月

なっつんもまた、他のメンバーと同じで、導入はいいのであるが小さく纏めてしまっている。

が、それでも、"いつか私にも大切な人ができたら一緒に料理を作ってみたいと感じさせられました。" の一言はなかなか良かった。
この一言にキュンとしたファンは多いはずである。これが書けただけでも、アイドルとして合格である。
やはり、可愛い女の子がエプロンして料理をしているところに、後ろからガバッと抱きつきたいのはオトコの本能である。それも、なっつんのボンキュッボンの完璧ボディに・・・ああ鼻血が・・・なんちゃって。

・・・・・・裸にエプロンなんてプレイもあるで。←やめぃ

それは置いといても、なっつんは全体的に母性があふれ出た文章である。
AKBには野心を隠さないような雰囲気もあって、この感想文でも家庭を省みた文章はあまりなかったと思うが、
"私にとってとても大切な弟です。もし本のような事が私に起こったらと考えると、私もゆきなの兄と同じ行動をとる気がします。"
と、自分を犠牲にしてまでも家族を大切にする気持ちまで出せているのもいい。

なっつんは恐らく、結婚した旦那が不治の病に倒れたとしても、突然リストラで解雇されたとしても、自分が幸せになれないからと離婚などせずに、どこまでも付いて行きそうな感じがする。
こう考えると、なっつんの感想文は、構成こそイマイチであるが、人柄がよく出ていて味のある文章というのが浮き彫りになってくる。

私は以前なっつんを、そのルックスから、80年代のアイドルを髣髴させると評したが、ルックスだけでなく考え方もどこか古風なのが分かる。
人々が失いたくはないと思いながら失いつつあるものを、失うことなく持ち続けているのである。
そういえば、初期は"いなかっつん"と言われて田舎キャラであったが、それも、自分が大切にしたいものを表現しているうちに、自然と田舎キャラになったのかも知れない。

AKBでははーちゃんも古風な昭和キャラではあるが、同じ古風さでもはーちゃんはキャバレーのママのようなイメージであるのに対して(自分から"艶女"と書いてアデージョと言っているくらいだから怒られないだろう)、なっつんは乙女なのである。

なっつんは大人しい割に、キャラが明確で立っているので、番組などでも独自コーナーなど検討しやすいのではないかと思うが、どうだろうか?
メンバーの顔や特徴を見ながら企画を考えることを、秋元康始めAKB運営はもっと考えて欲しい。

兄が妹へ伝えたかった事として、"愛する人と幸せになる事"をなっつんは挙げている。
私も人生の先輩として、なっつんには愛する人と幸せになって欲しいと思う。


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九つの、物語を読んで 小嶋菜月
http://kansoubun.shueisha.co.jp/kojima_natsuki/

 私はこの本を読んで、毎日当たり前のように過ごしている日常生活が実は本当に幸せな事なんだと痛感しました。
 この本の主人公ゆきなの兄は二年前に他界しているが、大好きだった妹が心配で成仏できず、幽霊として現れました。これは現実ではあり得えない事かもしれないけれど、本を読み終えた時には実話を読んだかと思うくらいに兄妹の姿が鮮明に頭に描けました。
 兄が妹へ伝えたかった事、それは「食べる事の大切さ、人の誤ちを許す心、愛する人と幸せになる事、自分の死をゆきなのせいだと思わず一生懸命生きる事」。妹の元へ戻った兄は美味しい料理を作り食べさせ、妹の未来の為に時間を使いました。兄の愛情がものすごく伝わってきて、涙が出るほど切なかったです。
 私には弟がいます。テスト前には一緒に勉強したり、夜遅くにアイスを買いにコンビニに行くのに連いてきてくれたりする私にとってとても大切な弟です。もし本のような事が私に起こったらと考えると、私もゆきなの兄と同じ行動をとる気がします。兄弟というのは、それだけ深い絆で結ばれているんだなと改めて気づき、これから兄弟の時間を今まで以上に大切にしていこうと思いました。
 そしてこの本の中には題名にあるように九冊の本が紹介されており、本の中の登場人物たちが九冊の本に対しての色々な感じ方など話していてとても面白く、その本を私も読んでみたいと興味を引かれました。
 私はこの本を読んでとても優しい気持ちになり、いつか私にも大切な人ができたら一緒に料理を作ってみたいと感じさせられました。人との出会い・生きている事に感謝をし、これからの人生楽しみながら生きていこう、そう思わせてくれる素敵な物語でした。

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p.s そんな古風で清楚ななっつんが、時間がないとき朝ごはんをクチに入れたまま、トイレで出すモノ出しているとつい1時間ほど前に熱弁をふるっていたのは、ココだけの内緒である。

今日は公演だけ観ます。夏祭りは無理

秋葉原にいます。14時からの公演をロビーから観ます。

山谷の祭りはイマイチ時間が合わないと思っていたのですが、
今日、日曜日にもかかわらず、医者からGOサインが出たので、
来週からの面接方針について打ち合わせると伺ったので、公演を観たらトンボ帰りします。


どうも、日立製作所は焦っているのでしょう。
こうなりゃ私をホンモノのそう病にするしかないと思っているようで、
あれこれ、ないことないことを書いてきています。

しかし、大西弘子も、私にそう病になって欲しいと祈っているのですね。

普通の親ならば、弁護士など雇って、ここで助けてくれているはずです。

皆さんも、そういうところから、大西弘子や日立製作所のおかしさに気づいてもらいたいところです。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その52 マザコンを読んで 武藤十夢

田野は十夢が好きだから、私の講評も田野十夢セットにした。

十夢は大学に行った割にはイマイチ文章が得意ではないと見た。
いったいどういうコトを学びたくて、どういう専攻で大学に入ったのだろう?
いずれ聞き出してやる。
いやべつに、大学生全員が文章が得意でなくたっていい。十夢がお母さんになる頃には得意になっていて欲しいが、秋元康も言うように、何か一つのものを得意になれば、その応用でいろんなものごとができるようになるから、いまは誰にも負けず得意なものをひとつ作ることに励んで欲しい。

十夢は文章が得意でないと思った理由は、この文章がマザコンの内容についての感想文ではなく、解説になってしまっているからである。それも変にチカラが入った解説である。
そして、変な方向にかなり入れ込んだがために、十夢は今後母親に対する接触を慎重にする、みたいな結論になってしまい、ちょっとお母さん可哀想なんじゃない?とも思ってしまったのである。
十夢にもっとキチンと自我があり、お母さんを一人の人間として判定できれば、それほど恐れることはないはずなのである。
ちなみに私の場合は、実母大西弘子が私の絶体絶命のピンチに乗じて、人間性を逸脱した、私の基本的人権を蹂躙した異常な行動に出たために怒っているのである。

というか十夢、もしかして、私の大西弘子に関する文章を何度か読んで、母親とはなんと恐ろしいものだと思って、それに引っ張られたのではないか?
そうでもしなければ、ここまで母親に対して引いた立場で文章なんか書けない。
私が十夢の母親であれば、十夢のこの感想文を読んだら、十夢の信頼を得られてないとして、ショックで泣いてしまう。

十夢は構成としてむしろ、自分はどういう母親となり、子供に対してどのように接したいかの理想像を書き、その後に自分の母親について回想し、母親は立派に自分を育ててくれたことを説明し、母親のいいところを示し、やはり私は母親のように生きたい。と結べば良かったように思う。
十夢だって、あと20年後30年後、子供からそのように言われる母親になりたいだろう?

自分がそうなりたいと思うことを、いま文章で宣言するのである。
文章とは、有言実行に最適なツールである。

ちなみに、十夢は父親も優しく、両親の関係は良好で、十夢がマザコンの害を意識する必要はないと推理する。
その大きな理由は、十夢の名前を決めたときのエピソードである。
父親はひとり、名前を"十夢"と決め、家族や親戚、名前の先生などに相談することなく、勝手に登録して来たそうである。あとで全員から大反対されたらしい。

"とむ"の読みは男の子向けで、さらに苗字と合わせて回文になる、おちゃらけた名前である。それを一人で出し、子供の人生を決定づけてしまう独断は亭主関白とも思える。
しかし、読みや独断行動を毛嫌いすることなく、"十夢"という名前について考えてみると、読みこそ斬新ではあるが、"夢"のある可愛らしい名前であり、その夢が10個もあるとは、スケールが大きくあって欲しいという、願いが詰まったいい名前と思う。
十夢がAKBで活躍できているのも、いくぶんかはこの名前のおかげでもあると思う。

"十夢"と名付けた父親には、先見の明があった。きっと一緒にいて面白いアイデアマンだろう。
その父親と仲睦まじく家庭を築いているのだから、十夢の母親もまた、自分を持った、マザコンとは縁遠い人だと推理する。

十夢には、この本の感想として、マザコンに限定することなく、家族のこと、自分のことについてもう一度思い返して欲しい。


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マザコンを読んで 武藤十夢
http://kansoubun.shueisha.co.jp/mutou_tomu/

 この作品は「マザコン」を含む八編で構成されています。今回はその中の「マザコン」という作品について書きたいと思います。
 一言でマザコンと言ってもいくつかの意味があると思います。この作品の中での意味は母親に頭が上がらず言いなりになっている人という意味だと私は思いました。どういうところからそう感じたかというと、六歳年上の妻に自分の悪事がばれて妻が怒り、家を出ていく言い、身支度をする妻を止めようと主人公の「ぼく」が言い訳をある事ない事並べ立てて必死になって許してもらおうとするところです。ぼく自身もこの場面で幼い頃の自分が母に対して同じことをしていたことに気付きます。ぼくは自らが過失を犯すたびに妻にも母にも頭が上がらなかったのです。その性格は父親から遺伝したのかもしれないと私は思いました。本文中で私がショックを受けた部分があって、それは「父が死の床から母に伸ばした手をはねのけた」という場合でした。父が亡くなった後、母は間もなく再婚しています。父はきっとマザコンで、母はそのことがずっと手をはねのける程嫌だったのだと思いました。そして母は強い人で、父にもぼくにも常に威圧的だったのかなと思いました。しかしぼくは年上の母の様に強い女性と結婚をし、やはり抑圧されながらも母に似たところを感じて安心感を得ていたのかなと感じました。
 この本を読んで、母親の影響力は凄いのだと感じました。大人になってからの支えにもなれば、反対に呪縛にもなるのです。私自身母からどのような影響を受けているのか今はわかりません。でも、今はわからなくても後々気付くだろうと思っています。なのでこれからはこのことを頭に入れて、母親のいいところも悪いところもちゃんと見ていこうと思いました。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その51 あの日、君とGirlsを読んで 田野優花

田野が、女の子らしい題材をどう感想文にするか、この企画のひとつのヤマというくらいに楽しみにしていた。
にもかかわらず、完全に肩すかしである。
オンナゴコロに肉薄してオトナな田野を見たかったのであるが、オンナゴコロからまんまと逃げやがった。そんな印象である。

"わたしが一番心に残った文は、「奇妙で愛しい人へ」です。奇妙なのに愛しいってどういう意味なんでしょうかね。まだわたしにはわかりません。"
などとしゃあしゃあと書いているが、本当に分からなかったのだろうか。
ある程度意見があるにもかかわらず、分からないフリをしたのではないかと疑ってしまう。
その意見を展開して欲しかったのに。

「奇妙で愛しい人へ」という表現にに引っかかるというのは、田野の"愛しさ"のイメージに対して、"奇妙"という修飾語はどこか奇妙に映ったということだろう。
田野が思い浮かべる表現は、「可愛くて愛しい人へ」だろうか?

田野くらいの女の子にとって、カッコ良くて、スポーツができて、面白くて、他の女の子に自慢できるような男性がモテるようである。なんとなく分かる。
そういう男性に向けて田野がラブレターを書いたとしたら、「カッコ良くて愛しい人へ」となるだろう。
そして返信に期待する文句はズバリ「可愛くて愛しい人へ」だろう。
「奇妙で愛しい人へ」なんて書かれたら、振られたと深読みして悩んでしまうかも知れない。

しかし、二十代やそれ以上のお姉さん方が読むコラムに何度も書いてあるように、外見がいいよりも内面が面白いオトコのほうが付き合っていて楽しい。
だから多くのお姉さん方は、カッコ良くても記念日を忘れたり、自分を構ってくれなかったりするオトコよりも、記念日を覚えていて、アッと驚くようなサプライズをしてくれるオトコを求めるのである。

けっきょく、本当に長い付き合いをするには、見た目よりも、お互いのことを如何に大事に思えるか、そしてそれを行動で示せるか、それこそが重要になるのである。

田野も改めて考えると、いずれオトコと付き合って、なにかの機会にラブレターに「カッコ良くて愛しい人へ」などと書くだろうか?
「毎日私のことを考えてくれて愛しい人へ」と書くのではないだろうか?
後者の方が自分の感じている愛の大きさを表せるのだから。

で、"毎日私のことを考えてくれて"というところを、ストレートに表現するのが恥ずかしければ、女の子的な照れ隠しも込めて、たとえば"私なんかを彼女に選んでくれて奇特な人"というニュアンスも込めて、「奇妙で愛しい人へ」と書いてしまうことだってあると思うのである。

くどくどと書いたが、ぶっちゃけ私から見たら、田野も伊達娘も、変なところで立ち止まったり悩んだり、かと思うと私がお金払って握手しに行ったにも関わらず20歳以上年上私を捕まえてイタズラしてみたりと、"奇妙"以上にふさわしい修飾語がない行動をしているのである。

ヒトのことを思えば思うほど、関わり合えば合うほど"奇妙"となるのである。お互いに。
田野だって、私のことを奇妙と思っているだろう?

たとえば、結婚したらお互いにオナラを聞いたり、すっぴんのカオを見たりするのである。それは"奇妙"以外のなにものでもない。

見知らぬふたりが出会って、ふたりの理解という数直線のゼロのところから始まり、結婚が数直線の100としたら、お互いの理解がだんだん深まるというのは、数直線上を10から20、20から30と、どんどん結婚側に近づいて行くこととも言える。
そのぶん、相手の"奇妙"な側面を知る度合いも深まるのである。
(ほとんどの場合が10や20で止まってしまう。一生かけて100まで行けない人がいることも周知の通りである)

また、奇妙というのは、何が出てくるか想像もつかないから、そしていつの間にかなにが出てくるのか期待する自分がいるから、"奇妙"とも言えるのである。好奇心、と言ってもいい。
奇妙を期待しなくなればマンネリであり、マンネリから脱出できなくなってしまったら恋の終わりは近い。
また、奇妙がガマンできなくなるのは"ウザい"であり、やはりその恋は終わっている。


以上のような理由から、愛しく思う人から、「奇妙で愛しい人へ」などと言われたら、私は最上級の褒め言葉であり、かつ、愛を受け入れてもらったサインであると思う。

田野も早く、奇妙なのに愛しいという意味を実感できるほど、ヒトを好きになって欲しいと思う。片想いは自由なんだから。


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あの日、君とGirlsを読んで 田野優花
http://kansoubun.shueisha.co.jp/tano_yuuka/

 わたしは、小説があまり好きではありませんでした。理由は、多くの小説が非現実的だと感じるからです。
 もちろん過去に読んだ小説の中では、感動し今でも心に残り忘れられない小説もあります。しかしわたしは、エッセイなどの現実的な作品を好んで読みます。
 それをふまえて、この本の感想を書きたいと思います。
 まずはじめに、この本を受け取り、題名を見ました。パッと見、これは恋愛小説かな?と思い、胸がときめきました。キュンと。
 しかも、あさのあつこさんの名前が目にはいってきて、おー!!っと思いました。あさのあつこさんの名前は知っていたけれど、作品を読むのは初めてです。なのでとてもとても読むのが楽しみでした。
 この小説で一番印象に残ったお話は、やっぱり、あさのあつこさんの作品で「下野原光一くんについて」です。
 まずとても題名がストレートで気になりました。下野原光一くんはどんな人なんだろうと、もっと知りたくなりました。
 わたしが一番心に残った文は、「奇妙で愛しい人へ」です。奇妙なのに愛しいってどういう意味なんでしょうかね。まだわたしにはわかりません。でもすごく興味がわきました。
 今回この小説を読んで色んなことを感じました。小説もさまざまな夢のような物語があり、好きになりそうです。

【追加説明】ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その50 「鳥が教えてくれた空」 岡田奈々

たとえ話がイマイチだったと思うので、追加して説明する。

日本のマスコミが北朝鮮を報道するとき、北朝鮮は独裁政権に抑圧されていると言う。
北朝鮮の人々はそれを民主主義と言うが、それは北朝鮮の政権やマスコミが情報統制しているからだ、と日本のマスコミは説明する。

また、日本のマスコミが中国や韓国の反日行動を報道するとき、中国や韓国では誤った歴史を教えていると言う。
中国や韓国の人々は、日本が戦争責任を果たしてないだの、日本固有の領土について文句を言っているだの言っているが、日本は条約により責任は果たした、日本が主張していることこそ真実である、と日本のマスコミは説明したりする。


これらの報道を見た多くの日本人は、北朝鮮、中国、韓国など、いくら大勢が言ったところで、ウソの情報を元にさせられていれば民主主義とは言えない、と言うだろう。

・・・では、日本の政府やマスコミが言うことは、すべて操作されていない純粋な情報ばかりなのか?

そんなことはない。福島の原発事故、それに伴う放射能汚染について、政府やマスコミが報道を捻じ曲げていたし、未だに正確な報道をしていないことから、日本でだって偏向報道は為されているのである。

日本マスコミの報道姿勢は、北朝鮮、中国、韓国と根本的には変わっていない。


それでも、北朝鮮、中国、韓国と比較すればマシだろう、と言いたい人間もいるだろうが、北朝鮮、中国、韓国と日本を公平に判断などできないし、することも無意味である。
いまがどうだからと言って、一ヶ月後にどうなるとも分からない。
ある分野が公平でも、ある分野は公平でないことだってある。
そこまで詳細に調査・分析できる人間もいなければ、そこまで調査してもらっても関心を持つ人間などいないのだから。

いま言えるのは、日本も偏向報道でおかしな方向へ進む可能性を十二分に秘めている、これだけである。
日本国民は知らされてないだけで、もうだいぶおかしな方向へ進んで、にっちもさっちも行かない状態の可能性だってある。(私はそう思っている)

それでも、何人かは反論するだろう。
福島原発事故は非常時だから仕方がなかった、と。

非常時だからいいのだろうか?
であれば、世界情勢が急激に悪化し、戦争が近づいたときに、非常時だからと、正確な報道が為されなくても問題ないと、あなたは言うのであろうか?

ナチスを真似てコッソリ憲法も変えれば、なんて言った副総理もいるのだから、非常時に正確な報道をマスコミにさせないことを、政治家は織り込み済みの節さえ感じられるのに。


そう考えると、我々が民主主義と信じているものは、結局のところ政府やマスコミに情報統制され、意見操作された上に成り立っているものである。
とてもではないが"民主的"などと胸を張って言えるものではないのである。


とはいえ、これらの問題が仮に整理できたとして、整理した上で、あるべき民主主義を実行するには、これまたさまざまな困難が伴うのも事実である。

まずもって、既に出来上がった社会構造を変えないといけない。

たとえば、
政治についてめちゃくちゃ勉強し、あなたこそ立候補すればいいのでは?というほどに日本国のことを考えている人の権利が1票であれば、学問がなく、いっときのイメージだけに流されるような人間にも、同じく1票が与えられる。
これは一面から考えれば、どう考えてもおかしい。たくさん考えている人に票は与えられるべきである。

しかし、選挙権は基本的人権で守られた、人間の基本的な権利であり、1人につき1票という原則を変えたら、それこそ民主主義から大きく離れてしまう。
そこを覆すのは容易ではない。
(ちなみに私は、たくさん勉強した人に投票権を増やすのではなく、その人自身が立候補し意見を言うべきと思っている。)

だからこそ私たちは、民主主義についてもっとしっかりと考えねばばらない。
いまは、学校で教わった通りに、大多数の意見を元にした決定を安直に民主主義と言ってしまいがちな人が大半である。
しかし、本当の民主主義とはなにか、知れば知るほど曖昧模糊としたものなのである。
民主主義とは、信任したヒトに任せる方法であるから、魚心あれば水心、必ずどこかで悪に取り込まれる宿命のものとも言えるのである。

その民主主義についてのイメージを、曖昧模糊としたところを経て、ひとりひとりが自分なりに作り上げる必要性を感じる。
それこそが民主主義なのである。


繰り返すが。
"民主主義"と聞いて、人々がまず思い浮かべるのは多数決の論理である。
しかし多数決は決して民主主義ではない。
この文章を読み、学校で教わった"常識"に対してあなたがいかに盲目であったかに、思い至っていただきたい。

盲目とは、目が見えないから生じるだけのものではない。
むしろ、ココロが麻痺して、見たこと・聞いたことについてしっかり反応できないことによる盲目のほうが、よほど問題なのである。

8/10 AKB48研究生パジャマドライブ公演(14:00)を観た感想

[M1]初日は、研究生の若手の動きがみんないいから、みぃちゃんの動きが緩慢に見えた。
がむしゃらさが足りない。
近いうちに昇格が想定されるが、このままでは正規の緩慢さを証明してしまうので、昇格までにはもっと仕上げて欲しい。

[M2]必殺テレポートは、なっきーが久しぶりにいるのが確認できた。
みぃちゃんとは3歳くらいしか違わないはずであるが、元気いいダンスだった。
よく動きの悪さを指摘している茂木は、動きの大きさは良かった。
しかし、リズム感がなんかイマイチなのである。もっと踊り込んで欲しい。
さっきーは、いつも目立ってないと書いていたが、今日はいつもよりいい気がした。

[M3]ご機嫌ななめなマーメイドは、ここの茂木は非常によく飛び跳ねていた。
まなみにどんどん動きがついてきた。萌よりも目立っていた。
萌は、ちょっと腰が高い。もっと脚を使って欲しい。

[M4]2人乗りの自転車では、こじまこの動きが、いいけど全体では目立たないと言っていたのであるが、全体で目立つくらいの振りの大きさになった気がした。

みぃちゃんは、ダメってわけではないが、若手の動きに対して体がついていけてない印象である。
ハタチは、研究生ではダントツの年長者ではあるが、芸能界では一番のヒヨッコになることを肝に命じて、若手のパフォーマンスに負けないようにして欲しい。

萌は、腰が変に安定しているのであろうか?
踊ってはいるが、他のメンバーと異なってダイナミックさを感じないことが多い。
そこが萌の欠点である。

[M5]天使のしっぽは、こじまこ、あやなん、みーおんであった。
あやなんは久しぶりであるが、やたら声が高く理想的な音程になった。◎

こじまこを見ていると、前後の動きよりも左右の動きをつけているように思う。
左右の動きがあるからよく動いて見えるのである。
2人とも悪くはないが、こじまこがダントツでいい。
引き続き、こじまこのいいところを盗んで欲しい。

ふと思ったが、人間は前後、左右、上下の動きができるが、観客席から見ると、前後の動きはあまり分からないのである。
同じ動きであっても、前後の動きを減らして、上下左右の動きで表すようにすれば、よりダイナミックに見えると思う。
特に上下は、ジャンプしたりしゃがんだりがファンの目にも分かりやすく、またリズム感にも現れるので、上下>左右>前後みたいな感じで意識したらどうだろう?

[M6]パジャマドライブは、みき、こみはる、さっきーであった。

みきちゃんの歌はオクターブ低いながらも堂々とした声で安定していていい。
しかしダンスが、3人合ってないのである。
他のユニットが合わせて来るのに、パジャマドライブの合ってなさが最近気になっている。
今回は、さっきーが明らかに遅れていた。またこみはるもちょっとずつ遅れていた。

メンバーについて思ったら、最初のメンバーがみきちゃん、さっきー、うめたで、センターのみきちゃんが後輩で纏めづらかったのではないかと思ってしまう。
また先日、美月とみきちゃんが最初仲がよくなかったと言っていたのと、美月は誰とでも仲良くなれるとたまに聞く。
以上から、どうもみきちゃんが孤立しがちな状態ができているのではないかと疑う。
メンバーも注意深くチェックして欲しい。

[M7]純情主義は、萌、ゆあみ、まなみであり、前回同様に素晴らしい出来栄えであった。

まなみの歌がまだ喉からに聞こえるので、腹式呼吸できるように頑張って欲しい。
若手と言ってもAKBなので、ボイトレに行くのも一案である。

あと、ゆあみのダンスはいつも惚れ惚れするのであるが、ちょっと動きが堅い。
柔軟体操なども取り入れて、柔らかいダンスを身につけて欲しい。

[M8]てもでもの涙は、なぁちゃんとなっきーであった。
なっきーが遂に高い、私の要求している声を出せるようになった。
なかなかいい声質をしていると思った。
全体曲でもいい声が出せていたが、今後この声で歌い込んで、武器にして欲しい。

なぁちゃんはいつも通り良かったが、速報で書いたとおり、なぁちゃんは厳しいことを言うと歌手としては声質がもう一つと思うのである。
そこをどうやっていくか、課題だと思って欲しい。

松任谷由実だってあんな変な声で、しかも私の耳にはどうも音痴に聞こえるのだが、それでも国民的歌手になれているのだから、私が声質をどうのと言ったからといって落ち込むことはない。

[M9]鏡の中のジャンヌ・ダルクは、みぃちゃん、茂木、美月、ひかり、ゆーりんであった。

茂木に対しては、いつも低い低いと文句を言っていたが、この日はいい音程が出ていた。
なっきーにしろ、伊達娘やたかみなにしろ、最近突然私の言うことを聞いてくれる子が増えた。
AKBの歌の先生が、大西の言うことは正しい、とでも言ってくれたのか?
しかしもしそういうコトを言うのであれば、半年遅い。

みぃちゃんはやはり、もう少し元気に踊って欲しいと思った。

[M10]Two years laterは、特に指摘なし。みんなよくでみていた。

[M11]命の使い道は、なぁちゃんの中盤曲のダンスは、キビキビしすぎていて個人的にはちょっと心地悪い。

たとえば、紙飛行機を飛ばすには、上手に空気に紙飛行機を乗せなければ上手く飛ばないが、なぁちゃんは力任せに全速力で飛ばしている印象なのである。
或いは、曲にリズムを合わせるのではなく、曲を剣で切り裂いているような印象というか。
キレがあればあるほどヲタは喜ぶのではあるが、私はキレだけではない、しなやかさを見せて欲しいと思う。

ゆあみも切り裂くようなダンスをするので、参考にして欲しい。

[M12]キスして損しちゃったは、こじまこがあまり動かなくなった、と思って見ていたらまた動いていた。
マイクを持っていたわけでもなさそうだったので、何だったのだろう?

ゆあみは、脚のひざをパカパカさせる動きが、何回見ても上手く出来てなかった。

[M13]僕の桜は、"サッカー部の・・・" のところ、美月の歌が棒であった。

茂木&ゆーりん、"人は違うペースで・・・" のところ、以前2人揃って低いと指摘した記憶があるが、ちゃんとした音程で歌えていた。

[M14]レッツゴー研究生!は、先にも書いたが、萌の動きがなんか安定してしまっていて、動きがなくてイマイチであった。
まなみのダンスはどんどん激しくなってきた。

前回も指摘したが、さっきーがちょっと動きが悪くなっている気がした。
動きがイマイチで気になるメンバー:みぃちゃん、萌、さっきー

[M15]水夫は嵐に夢を見るは、ここの茂木もあまり元気なかった。
上で挙げたメンバーもやはりイマイチ緩慢な動きであった。チカラをセーブしている?

そういうかけひきはして欲しくない。
自分たちには2回公演の1回目でも、お客さんにとっては何ヶ月かぶりにやっと当たった1回なのだから。

1円を笑う者は1円に泣く、と言う。
1回の公演を笑う者は1回の公演に泣く、と言いたい。

[M16]白いシャツでは,特に指摘なし。 

最後の、「せーの!」のかけ声で、他のメンバーが小走りで後ろに行ったり前に行ったりしているところで、萌は歩いていてイマイチ元気がなかった。

なっきーが頑張って音程を合わせてくれてうれしかったが、みぃちゃん、萌、さっきー、茂木が、最後あたりイマイチなパフォーマンスを見せたので、そこは厳しく言っておきたい。

特に萌。
ダンスが好きなのに、どうしてスグ無気力になってしまうのか?
無気力なところまで、尊敬するともちんを真似しているのか?

ロード・オブ・ザ・ダンスアイドルで、田野よりも素晴らしいダンスで、萌はカリスマカンタローさんに褒められた。

しかし私の目には、田野はダンスが好きだからこそ、公演ではいつだって全力で、時にはダンスについてアレコレ悩んでつまずくのであって、萌はそこまでダンスが好きでないからこそ、公演でついつい怠けてしまい、田野がつまずくところも気づくことなく過ごしてしまっているように思えてしまう。

いわば、萌はウサギ、田野はカメなのである。
ダンススキルがありながら、滅多に頑張らないメンバーと、ダンススキルはまだまだでも、毎日必ず頑張っているメンバーと、どちらが成功するかは明らかである。

そりゃ、来年の大会では萌のほうが田野よりも評価されるかも知れない。
しかし、3年後、5年後、本当に人々に認められるまで頑張り続けられるのは、いまの私には100%田野としか思えない。


・・・という叱咤を萌はしっかり受け取り、以前あったはずのダンスへの情熱を取り戻して欲しい。

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