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2013年8月13日

2013年8月13日 (火)

あん誰公開観覧に行ってきました

あん誰公開観覧に行ってきました。
3番で待っていたら、22番(10人優先枠なので実質12番)で当たりました。

ちなみに今日は、10番までは3,5,6,7,8は当たったのですが、1,2,4は外れていました。
9,10もたぶん外れていました。
1番が取れなくて、クソー!と思ったのですが、結果オーライです。

入って、竹中を睨みつけたったけれども、私の前のヒトにはちゃんと挨拶して、私は無視しました。
やっぱ文句ばっか言うヤツと、知っとるんとちゃう?

番組は、いずりな、あーや、ゆかるん、伊達娘で、いつもほど棒読みみたいなのはあまりなくって、なかなか面白かったです。

また、私はモニタの下あたりにいたのですが、メンバーはそれほどモニタを見ていませんでした。おかげで目線も合わなかったけれども。

伊達娘だけはやたら合いました。
アニメのセリフを言うときは、1分タイムも含めてすべて私の方を観ていました。
モニタよりも目線が下なのが、再放送でも確認できると思います。

私は文書でいつも伊達娘と書いているので、"カレン!"と呼びかけるのは、シャイな私にはどうしても恥ずかしく、言えませんでした。
・・・なのに他メンに声援を送るのもおかしいので、メンバーの名前は全く叫べませんでした。

伊達娘はなかなか良かったのですが、ふたつ気になったことを。

まず、チームA相関図で、ゆかるんはじめ何人か抜けていました。
伊達娘以外16人しかいないことに気づいたのですが、さすがに指摘もできずに悶々としていると、ゆかるんが指摘していました。

伊達娘も失点ですが、人数分ちゃんと用意しなかったスタッフに喝です。
竹中も、そんな調子で番組を作っているのは問題と思います。

もう一点は、最後の重力シンパシーのダンス、私は伊達娘の方ばかり見て応援したのですが、どう見ても隣のゆかるんのほうが、大きくフレッシュなダンスをしていました。

ゆかるんはよく頑張りましたが、伊達娘もチーム内で負けていてはいけないと思います。

いずりなは自由に発言していて面白かったし、あーやもヤル気が出ていたと思います。
但しあーやは、重力シンパシーのダンスでも動きが劣っていたので、本業でも頑張って欲しいです。

時間がないので、残りは明日。

おばあちゃんの葬式での大西弘子の非人間的対応

おばあちゃんの葬式の日も通夜の日も、大西弘子は自営業の仕事をしました。

そんなことをふと思い出しました。

「国家は「有罪」をこうして創る」を途中まで読んで思ったこと

「国家は「有罪」をこうして創る」
http://www.amazon.co.jp/国家は「有罪-えんざい-」をこうして創る-副島隆彦/dp/439661425X

は、"手鏡男"と言われた植草さんについて、2006年に起きた京急車内での痴漢事件について、冤罪を検証している本である。

私も近い将来、国家により罪をなすりつけられる可能性が大いにあると思い、手に取った。

私は、植草さんにも、警察・検察にも、どちらにも不可解なものを感じる。


まず、警察・検察。

被害者や証言者が警察に出頭した日付のうち、実際の日付と裁判上の証言の日付が異なっているのである。
警察に出頭するなんてことは非日常の出来事であり、そこでいろいろとやりとりを行い、さらに裁判所などではカレンダーを見ながらチェックすると思われるので、思い違いなどあり得ないと思う。

逆に言えば、日付さえ間違えるほど事実認識能力の低い人間を裁判所が証言として扱い、有罪決定の証拠としてしまうのは、あまりに乱暴であり、恣意的と思える。

それでも、日付はあやふやだったが、証言は一点の曇りもなかったというのであれば、万が一の確率で日付を間違えたのだろう、とも思える。

しかし、その証言自体がコロコロ変わっているのである。
証言が何度もコロコロ変わるということは、なにか真実でないことを言っているために、つじつまを合わせるために変えていると思われる。


しかし、植草さんもおかしい。

よく知られている2004年の手鏡事件に加え、その前の1998年にも痴漢に問われたと書いてあり、植草さんを信じるならば3回も痴漢冤罪に問われているのである。

2006年の事件において、以前に国家が2度も痴漢冤罪を捏造した、電車内では理不尽なことを行われる可能性があると心から思うのであれば、フラフラに酔っ払って夜の電車に乗るなど、憎さと怖さのあまりできないと思うのである。

植草さんは有名な学者であり、ある程度の収入もあるだろうから、冤罪事件が気になるのであればタクシーで帰ればいい。
乗車したのは品川駅だから、タクシーなどいくらでも捕まったであろう。

このようなことから、実は冤罪などではなく、自分の性的嗜好から行為に及んでいる。
だからこそ、またしても自分から好んで電車に乗ってしまうのだろう?
と言われても、反論できまい。

酒に酔ってフラフラの状態なんて、冤罪を捏造された人間にとってはこれほど恐ろしい状態などないが、痴漢を働きたい人間にとっては、多少怪しい動きをしても酔っていることを理由にできるので、好都合な状態のはずである。

植草さんが酔っ払った上で自ら電車に乗ったのは、痴漢冤罪を主張する人間としては、それだけで既に極めて大きなミスをしていることは自覚していただきたい。


そもそも論であるが、痴漢被害を訴えた女子高生は、本当に被害を受けたのであろうか?
植草さんの言い分を採用すれば、この女子高生は、植草さんを冤罪に陥れるために仕込まれた可能性がある。

しかし、会社員ならばまだしも、女子高生である。当時高校2年生である。ちなみに犯行時刻は22:10頃である。
女子高生が直接、組織に雇われることはないだろう。
すると、女子高生は組織の娘であり、親のために冤罪事件を他の犯人と共に捏造した、というセンも一応はある。
女子高生の親の職業は一応洗ってみる必要はあろう。


当然、女子高生は単なる被害者である可能性のほうが高い。
その場合は、植草さんが行為に及んだか、他の誰かが行為に及んだかのどちらかになる。

植草さんが弱いのは、犯人が植草さんでなければ、では誰がどういう位置から、女子高生に対して犯行に及んだのかの説明を、仮定にしろしていないことである。

もちろん、植草さんは泥酔していたため、そこまでは分からなかった、と言うだろう。
しかし、犯行は京急電車のドア近くの狭い一角で行われたのである。
では、どういう位置に真犯人がいたのか、コイツが真犯人と思われるのでは、というのは、植草さんに目星がつくはずであり、植草さんの側が提示すべきと思う。


女子高生が騒いだ後、植草さんは、前から突然出てきた男達に取り押さえられ、駅に着くまでしばらくの間なにもできなかったと言っている。
突然出てきたこの男達は目立っただろう。

そこから考えれば、真犯人がおり、突然去ったのであれば、それ以上にすごく目立ったはずである。
よくドラマの密室殺人事件で探偵が言うように、「この場を動かないでください!」という状況である。
そこで動いた者は、自分が真犯人と自白するようなものだから。

ということは、植草証言を採用するならば、真犯人がおり、その真犯人も京急蒲田に着くまでに、動くことなく、至近の距離にいたことになる。
然るに、そのような人物の目撃証言はどこにもないようである。


以上のような、本の事実を合わせて考えると・・・


植草さんが痴漢事件の真犯人である。そしてこれまでの犯行もすべて事実である。
このため、2006年の事件にしても、植草さんが犯行に及ぶのではないかと、警察は警戒し、私服刑事を仕込ませておいた。

そして当日、酒に酔った植草さんは京急の品川駅で、自宅とは違う方向の電車に乗った。私服刑事は犯行の可能性が高いとして注目した。
果たして、想定の通りに植草さんは痴漢を働いてしまった。
このため、私服刑事が取り押さえた。

しかし警察は、一般人であり、政府を厳しく追及していた植草さんをマークしていたなどと公衆に対して言えるわけがないので、証言者である私服刑事、取り押さえた私服刑事ともに一般人ということにして、その部分の口裏を事件後に合わせた。

植草さんは、警察が口裏を合わせたところの矛盾点を突いて、無実を主張してきた。
しかし、では誰が真犯人か、については答えを持ち合わせていない。
なにしろ自分が真犯人なのだから。

こういうストーリーがいちばんしっくり来る。


ただ、私も冤罪に問われる可能性があるので、コレで個人的に一件落着とするのではなく、自分なりに詳細に調べてみたいと思う。

「決断力 そのとき、昭和の経営者たちは (上)」 を読んで気づいた土光敏夫さんと私の共通点

「決断力 そのとき、昭和の経営者たちは (上)」
http://www.amazon.co.jp/決断力―そのとき、昭和の経営者たちは%E3%80%88上〉-日本工業新聞社/dp/4594031161

という本を読み終わり、現在は「国家は「有罪」をこうして創る」という本を読んでいる。

「決断力 そのとき、昭和の経営者たちは (上)」 で印象的だったのは、私が経験上実行していることのうちのいくつかを、土光敏夫さんも実行されていたことだ。


たとえば、P245
"通産省でも同じ手を使った。補助金を引き出すため連日、次官、局長に直に訴えた。もう外聞など構っていられない。目的を達成するまでは、少しも行動を緩めない。省内で土光を知らぬものはなかった。
「あっ、またあの悪僧が来たぞ……」と。"

→格好にこだわらず突き進む私と同じである。
しかも私は土光と同じく、通産省の流れを汲む経済産業省に対して毎日のように電話し、出向きもした。


P262
"セールスで大阪、名古屋などに出張する時、わずかな時間の余裕が生まれる。すかさず土光は近隣の工場視察を秘書に命じる。突然の社長視察に工場長以下、幹部は蜂の巣をつついた騒ぎになる。準備不足から工場正門で出迎える表情がさえない。
「いちいちの出迎えは仰々しい。それより肝心な基本ができていないぞ。機械を操作する道具の配置が悪い。あれでは作業能率が低下するし、危険でもある。幹部は何を教育しているんだ」と、工場の患部をグサリとえぐり出す。"

→自分から現場を見る私と同じである。
AKBだけでなく、たとえば旅行中でも、ロンドン、ウィーン、ブロードウェイなどで、細切れの時間を見つけて観劇したりもしている。
それと、業務効率が悪いのは道具の配置が悪いとは、日立製作所デザイン本部の発表会で重役連中列席の中、イギリス案件の発表の質疑応答にて発言し、発表者が目的を完遂していない根本理由として突いたのである。
川村隆、中西宏明ら重役全員、無言であった。
重役全員、道具の配置のミスさえ指摘できないほどの木偶の坊なのであった。


P264
"本社役員、事業部長、そして工場管理者たちには、土光はことのほか厳しい態度で臨んだ。半面、一般社員や工場作業員には手の平を返したような厚い情愛で接した。"

→私も基本的に自分よりも強い人間にしか怒らない。
また叱る場合も、自分のすべきことをきちんとやっていない場合にのみ叱るのであって、必然的に "総監督" "総支配人" など、ヒトを取り纏める役職の人間を叱ることになる。


P281
"「我執があると人間、資質が曇って、不愉快な存在になる。しかし、我執が去って、宗教や哲学の境地に達した経営者は、日本を救う救世主である。政治家は墓に入っても、我執が残る。学者・研究者は、我執がなくても、世俗の泥を知らない。世俗の泥を知らずに、世俗を直すことはできない」
(「土光さんから学んだこと」から)とは、土光行革を支えた千葉商大学長、加藤寛の述懐。"

→私は我執がないからこそ、日立製作所から懲戒解雇をちらつかされても一歩も引かなかったし、未だに行動を緩めていないのである。
私は経営者ではないが、私には行動哲学があることを理解していただけるだろう。
世俗の泥にまみれた私こそ、世俗を直せる改革者であると思っている。


P281
"「土光哲学」を見事に言い当てたIHI元社長の生方泰二の言葉が、筆者は好きである。
「土光さんは"山手線"のように同じ話を繰り返された。しかし、大衆を動かすには、
執拗に同じことを繰り返すことが必要なのだ。土光さんは、釣り鐘でも指で押し続ければ、やがて全体が大きく揺れる、とよくいわれた」と。"

→いくらいいことを言ったところで、一回しか言わずに誰をも納得させられなかったら意味はないと、私は知っている。
そして、誰かを納得させられたからといって、彼らが本心から理解し行動に移せなくば、やはり意味がないことを、私は知っている。
釣り鐘がびくともしていないように見えるからといって指で押し続けることを止めれば、その鐘は永遠に動かないことも、私は知っている。
だから私は、毎日毎日、ブログに思想を書き続けている。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その58 星の王子さま 島崎遥香

ぱるるは言わずと知れた次世代センターであるが、この文章から"星の王女さま"と名付けたい。
次世代センターだから王女なのに加えて、イマイチ言っていることが要領を得ず、異星人のようだという意味で"星の"を付けた、"星の王女さま"である。ナンチャッテ。

たとえば、
"同期のメンバーの話をするとすれば、生まれも育ちも違う人間がたまたま同じ時期にオーディションを受けたことから始まり最初は他人であった同期たちが時が立つに連れ少しずつではあるけれど第一印象では分からなかったことを知り合っていき四年たった今、まだ一部分にしか過ぎないけれど出会った当初と比べればはっきり、しっかりと目には見えない何かが形として私の心にあります。"

ぱるる、言いたいことはなにか、なにが主語でなにが述語か、自分でもちゃんと分からずに書いてもたな?
こんなに長い一文、お経でもなかなかないぞ?
それでも、「そんなの分かるでしょ!」と思うならば、コレ英訳してみな?

人間、自分のアタマに思い描いたことを文章で説明するのは難しい。
アタマの中には言いたいことの全体像があるため、文章を読みながらも、知らず知らずのうちに補完して解釈してしまうのである。
そうすると、文章だけでは異なった解釈ができてしまうことに、ついつい見落としてしまったりする。

私がぱるるの意図を想像し、自己流解釈で書き直せば、たとえば以下のようになる。
"同期のメンバーのたとえを出すと、生まれも育ちも違う人間がたまたま同じ時期にオーディションを受け、仲間となりました。最初は他人であった同期たちは、第一印象では分からなかったことばかりであり、時が経つに連れ少しずつ知り合っていきました。四年たった今、それでもまだ一部分に過ぎないかも知れませんが、出会った当初と比べればたくさんのことを知りました。その結果、同期ひとりひとりの人物像が、目には見えないながらも形としてはっきり、しっかりと私の心の中に出来上がりました。"

ぱるるはセンターなんだから、意見を主張すべき機会がどんどん増えるだろう。
主張を分かりやすくするため、文章を再構築してこれくらい整理して欲しいと思う。

で、その上で、
「心で見ないと物事は良く見えない、肝心なことは目にはみえない」
この意味について、ぱるるは、メンバーの人物像は先入観や、一瞥しただけでは捉えられず、じっくり付き合ってこそ心が開き、友情が芽生えたのだという意味に受け取って、論を展開している。

しかし、私はここでは著者は、"肝心なこと" とはむしろ、憲法改正論とか、TPPとか、増税論をはじめとした、ありとあらゆる話題だと思う。
それらは巷でテレビ局も新聞社も写真週刊誌も取り上げて、情報の洪水のように押し寄せ、我々はあたかも全てを知ったつもりになってしまいがちなものである。

ところが、マスコミもあくまで"儲かるかどうか"という観点からものごとをパパラッチ的に追っているのであり、我々はその受け売りではなく、自分の頭で考えて再構築してみねば、
「心で見ないと物事は良く見えない、肝心なことは目にはみえない」
ということを言っている、と思う。
そこが核心なのである。

まだ十代のぱるるに、社会の実態を理解せよと言っても難しいかも知れないが、例え話としてもその片鱗でも書いて欲しかった。
ぱるるの例え話は抽象的過ぎて、読み手の心に残りづらいと思うのである。

私はAKBメンバーを見てきて、ぱるるの例え話をもっと具体的にし、ものごとの本質を掴むことの大切さを強調して書き直せるのではと思った。
ぱるるの文章を、核心と思われる例を勝手に入れて説明すると、

"AKBのメンバーの例えを出すと、オーディションで蹴落とすべきライバルでもあった同期たちは、第一印象で受けた先入観から、当初はお互いにギクシャクしてしまい、いさかいが絶えませんでした。しかし、学校の友達以上の時間を共にしながら接しているうち、お互いの人間的なものに触れて、誤解も少しずつ解けました。最初の頃は、同期はライバルと考えてお互いに心を閉ざしていたのです。いまではライバルである以前に頼れる仲間として心を開くことができ、家族にさえ言えない悩みごとを相談し合うなど、仲良くできています。
この経験から、"ライバル"というようなうわべの先入観だけでは、人を理解できないことを実感しました。このため、
「心で見ないと物事は良く見えない、肝心なことは目にはみえない」
という言葉は、私にAKBでの経験を思い起こさせ、実感を持って感じられました。"

こんな感じになるのではないだろうか?
ぱるるも、私の文章のほうが具体的で、説得力があると思ってくれると思う。

ぱるるは、AKBを代表するセンターとしてAKBについて説明すべき立場であり、大げさに言えばAKBの繁栄は自分の発言に左右されることがあると自覚し、言葉や文章による説明力を少しずつでもいいので身につけて欲しいと思う。

なに、怖れることはない。AKBの繁栄は自分の発言に左右されることがあると書いたが、本当に左右するのは秋元康の発言であり、ぱるるは大失敗したところで秋元康がフォローしてくれるのだ。(いやもちろん、私はイケメンと付き合っています!なんてマスコミの前で大声で言ったら、秋元康にさえもフォローできないけど)

そう書くと、自分はなにを言っても秋元康に保護されてしまうのはつまらない、と思うだろう。
しかし、だからこそ、センターだからと当たり障りのないことを言うのではなく、ぶっちゃけトークを連発し、ギリギリの発言をどんどんやってみればいいのである。
たとえば、実はメンバー内に仲の悪いグループがあって困っている、とか言っちゃったっていい。AKBは表面上仲がいいことになっており、秋元康もそう言ってはいるが、十代の女の子が大勢集まればグループができることなど容易に想定できる。

そうやって秋元康をキリキリ舞いさせながらも、ぱるる自身はゲームでも楽しむかのように思っていれば、楽しみながらトーク力が身につくはずである。


ぱるる、あんま妙なもんを背負った気にならずに、やりたいようにやってみな。死なないから。
ついでに、いまのぱるるは露出が多すぎて、運営が干そうとしてもメディアから指名されて、干されようがないから。(→但し、いまの旬の時期だけね。落ちる人間に限って、人気を永遠のものと誤ってしまう。)


ーーーーー

星の王子さま 島崎遥香
http://kansoubun.shueisha.co.jp/shimazaki_haruka/

 私にとって星の王子さまは大切な本です。何故なら本好きであった今は亡き祖父が私が小学校低学年の時に初めてプレゼントしてくれた本だからです。
 この物語に登場するきつねの言葉が私はとても好きです。
 きつねが言っていた通り街を歩いてみたらすれ違う人々はその他、何十万人もの人に違いないけれどもし、そのすれ違った人と何かのきっかけで友達や家族になれたら、関わりを持てたらその人は私にとって特別な人に変わるはずです。もし私がAKB48のメンバーでなかったら私にとってある一つのアイドルグループでしかなかったはずです。それが今、私がAKB48のメンバーであることによってAKB48のメンバーは私にとってある一つのアイドルグループから仲間へと変わりました。
「心で見ないと物事は良く見えない、肝心なことは目にはみえない」
 本当にその通りだと思います。同期のメンバーの話をするとすれば、生まれも育ちも違う人間がたまたま同じ時期にオーディションを受けたことから始まり最初は他人であった同期たちが時が立つに連れ少しずつではあるけれど第一印象では分からなかったことを知り合っていき四年たった今、まだ一部分にしか過ぎないけれど出会った当初と比べればはっきり、しっかりと目には見えない何かが形として私の心にあります。
 大人になると子供の頃の純粋な気持ちをどこかに置き忘れてしまう気がします。小学校低学年の時にこの本を読んでみて理解が出きないまま終わってしまったのはきっとまだ自分が本当に子供で素直に純粋だったのだと気づかされました。子供心を忘れてしまう悲しい大人になってしまわぬようにもっともっと大人になった時にまた読み返そうと思います。

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