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2013年8月18日

2013年8月18日 (日)

秋元康へ、AKBのドキュメンタリーの件で

"そのうち結婚する君へ"
P175-179 "結婚は日常生活が楽しい"
で、秋元康自身が、

"若い女性は結婚を夢見て、非日常的な、レストランで食事をしたり、海外旅行のできる結婚生活に幸せがあると思っているかもしれませんが、そうじゃない。二人で暮らしているふだんのなんでもない生活こそが、結婚の幸せなのです。
だから、僕は今の若い女性に「結婚は非日常よりも日常を愛しなさい」と言いたいのです。結婚してから、二人で待ち合わせをしてフレンチ・レストランで食事をする幸せではなく、ゴミの日に二人で燃えるゴミと燃えないゴミに分ける幸せを探して欲しい。"

と書いていて、尤もだと思うのですが・・・、

であればどうして、

若い女性→観客
結婚→AKB
非日常(海外旅行のできる結婚生活等)→コンサートなどのビッグイベント
日常(ふだんのなんでもない生活)→ふだんの練習時間とか、ファンレターを読む時など

と置き換えて考えられないのかが、サッパリ分かりません。

私が以前から、AKBのドキュメンタリーは日常を描けと言っている、もろにそのままじゃないですか。


AKBのドキュメンタリーは日常を描くことにより、秋元康の訴えたい、非日常よりも日常にこそ幸せがあるのだということを、未婚女性だけでなく、大勢の人々に訴えることができると思うのです。


文字で訴えていることが、どうして映画になると訴えられないのか?


ここで、先日取り上げた土光さんの引用を再び取り上げます。

「決断力 そのとき、昭和の経営者たちは (上)」 
P281
"「土光哲学」を見事に言い当てたIHI元社長の生方泰二の言葉が、筆者は好きである。
「土光さんは"山手線"のように同じ話を繰り返された。しかし、大衆を動かすには、
執拗に同じことを繰り返すことが必要なのだ。土光さんは、釣り鐘でも指で押し続ければ、やがて全体が大きく揺れる、とよくいわれた」と。"


秋元康の弱いところは、ジプシーのように儲かるところを渡り歩く生活を続けていることから、繰り返し繰り返し訴えることが疎かになり、文章と映画など、メディアを越えた普遍性を未だ手にできていないところにあるのではないでしょうか?

2chスレの不完全投稿への指摘に再コメント

さらにいい例を思いついたので・・・

日立を公益通報→懲戒解雇された大西秀宜スレ4
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1375183558/l50

251 :最低人類0号:2013/08/17(土) 18:58:41.57 ID:Vt6LHwQl0
>(途中で感想を放棄したなんていちゃもん付けるヤツがいるので、今日は時間的に途中までしか書けなかったがアップする。) 

不完全な状態のものをアップする感覚がわからないなあ。 

これを仕事に当てはめると、成果物を「納期には間に合うと思いますが現時点で 
できているところまでとりあえず出します」と言うようなもので、 
こんないい加減な仕事のやり方ってないよね。 

ラーメン屋が麺が十分に茹で上がっていない状態で 
それを商品としてお客様の前に出すようなもので非常識極まりない。 

まあ、70%の解とかいう摩訶不思議な理論で自分の不完全な仕事を 
肯定するような考え方だから仕方ないか。 
仕事というものは要求された事を100%こなすのが普通だということを 
これから思い知ると思う。中小零細は甘くない。 

ーーーーー

これに対して先ほど、料理を途中で出すというたとえを出したけれども、
むしろ、料理の味見に近いのではないでしょうか?

たとえば料理番組でも、番組じゃなくても、

「美味しいかどうかちょっと味見してみましょう」

ということで、ひとかけら、スプーンひとさじ味見して、
これならイケる、と思って料理を続けることってあるでしょう。

もしくは、塩が足りないと思ったので、もう少し追加するというのは
あるかも知れません。


私が昨日途中の段階で出したのだって、とりあえず味見して、
方向がいいかどうかチェックしてもらえたと思うのです。

けれども、ブログのコメントはいつも通り茶々しかありませんでしたよね。
文句を言うならば、味見の意見を言ってから言え、と思います。

ちなみに、大西弘子は味見を一切しませんでした。
給食と比べても劣るめちゃくちゃな感触や味の"エサ"に、私はどれだけ格闘したかわかりません。

鶏の脚だって、必ず生焼けで血がしたたっていて、レンジで再加熱するのが常でした。

大西弘子には、ヒトをもてなすという概念が欠落していました。
大西弘子の作る料理で唯一美味しいと思ったのは、味がルーで決まる、カレーだけでした。

とはいえ、全くなにもしてくれなかったワケではなく、エサと風呂と寝床の準備はしてくれました。
その感謝の心はもちろんあります。

しかし、大西弘子が、エサと風呂と寝床の準備の代償として、私を騙して裏切った上で、私の人生を無駄にするのを強要するのはおかしいだろ、それは不当要求だろと、私は言いたいのです。


追加

もう一ついい例を見つけました。

そのうち結婚する君へ 秋元康 講談社 1992年9月24日初版
P171-172
"洋服を買うときにだって、試着をしないで買う人はいないでしょう?とくに、高価なドレスやコートを選ぶときに、袖を通してみないで買う人はいないはずです。
それと同じように、結婚相手なら、旅行をしたり同棲をしたりしてお互いをよく知ることは大切なこと。"

という文章があります。

私の昨日アップした文章だって、洋服を買うときの試着や、結婚前の旅行や同棲に例えられないでしょうか?
私が仮に文筆家で、提出した文章が箸にも棒にもならない場合をなくするため、とりあえず途中まで見せて方向性を合わせたとしたら?


昨日例に上げた、林真理子の "最初のオトコはたたき台" にも、林真理子が締め切りを守れなかったエピソードはいくらでも出てきます。
中でもP74-78 "プロのお仕事" には、既にある曲に詞を当てはめる仕事が、レコーディングギリギリまで粘ってさえもけっきょくできず、レコード会社がプロの作詞家にウラで頼んでいて事なきを得た話が載っていいます。

私などは誰に指図されることもなく自らブログに書いているのですが、プロの文筆家である林真理子でさえ言われないようなことを、どうしてそこまでコテンパンに言われねばならないのでしょうか?


ちなみに、この後 "最初のオトコはたたき台" には2回、秋元康が登場していました。
昨日私が林真理子とは相入れないと書いたので、秋元康が読んでいれば仕返しすることを考えることも、全くないとは言えないでしょう。

・・・どうでもいいけど、今日は図書館おっさんが多くてイマイチ面白味に欠ける。
女子中学生の観察がいっちゃんオモロイんやけどなあ。(女子高生に比べて行動が突拍子もないという意味と、伊達娘への報告という意味と・・・、やっぱワタシもロリコン趣味なんかなあww)

右斜め前には男子中学生がいるけど、ゲイではないからオトコには興味ない。
中学生、その横のおっさんとたまに話していて、お父さんっぽい。顔も似とるよなあ ←見とるやん

AKB新聞8月号を読んで

ひととおり全部読んだ。

記者たちが、ドームツアーでフロントのメンバーは全力で踊っているが、
後ろのメンバーは気合いが足りんと知ったクチで言っていたが、ほんとうか?

少なくとも、伊達娘や田野ら10期以降のヤツは概ねいいと思うが。
あーやと、13期で最近指摘したメンバーは不安ではあるが。

こういうところで頑張れないのはマイナスポイントではあるが、
運営もひとりひとりもっと有名になれるストーリーを考えて欲しい。
もちろん最後に頑張るのはメンバーであり、簡単なことではないのであるが。

伊達娘は2ヶ所名前が出ていた。

ひとつは、麻里子様のドーム最後に麻里子様に抱きついたこと、
もうひとつは、じゃんけんのこじまことの対戦が好カードということである。

どちらも小さいことで、特に後のはこじまこの名前を出すための記事のようにも思えたが、
名前が出ているだけでも良かった。

麻里子様の写真で、まりんちゃんがいい位置にいた。
名前もセットで出れたらなあ。

相変わらず2chスレにコメント

まず、こじきを訴えに明日城東警察署に行きます。

日立を公益通報→懲戒解雇された大西秀宜スレ4
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1375183558/l50

263 :最低人類0号:2013/08/18(日) 11:29:49.45 ID:w0sSAQa4P
すべてにおいてそういう傾向だと思う。
一石を投じて自分が話題の中心になりたがる。
だからジブリのコミュやこうの史代掲示板などで揉め事を起こす。
お臍会やら、山谷の炊き出しやら挙げ句の果てには散々
批判していた濱田さんの懇親会等、
コミュ障なのにいろんなところに顔をつっこみたがるんだよな。

→山谷は今後も顔を出す。次は9月や。

濱田は濱田自身にはあんま興味ないけど、支援者は巻き込めると思う。

264 :最低人類0号:2013/08/18(日) 11:43:11.24 ID:PAhbsDLi0
で、ワタシの解釈を理解できんオマエらがアホやねん、
という毎度お決まりのストーリーw

ブログで触れてる軽トラだか2t車だかの燃費や、二重人格にしても、
正しく理解してない上に調べもせずに書いてるから、的外れもいいところだしwww

それに、相変わらず、「すると」という接続詞を使うべきところで
「ならば」という本来は接続詞でさえないものを使う癖も抜けてないな。
日本語を習得する時点で誤って覚えたのが、そのままってことか。

→どう的外れなんだっけ?
自分が試算もせずに言うなよ。

それに、「すると」も「ならば」も順接の接続詞やろが。
好みの問題の正誤を論じるなんて、巨人ファンと阪神ファンの正誤を論じるのと
同じくらいアホなことって気づけ。

265 :最低人類0号:2013/08/18(日) 11:48:22.14 ID:Zid2Ewd/0
>>263
こうの掲示板は作家含め全員スルーだけども。

→まあ、こうの史代もイマイチやわなあ。

宮崎駿だってイマイチって言うとったら、風立ちぬで大コケしよるし。

266 :最低人類0号:2013/08/18(日) 11:49:22.39 ID:w0sSAQa4P
ブログの母親について書いた文章を本当にいろんなところに
送ること自体が病気の証明なのにね。
就業許可欄に○がついている事などただの記号であり意味はない。
通常は就業許可が出たらすぐに自立支援センターに移るんだけどね。

→組織も分かってないアホが。
職員さんがあんま書いて欲しくないみたいやから言わんけど。

送る相手は、同級生5人にしようかな。
5人に送ったら、さすがに田舎で大騒ぎになるやろ。
大西弘子では隠蔽できん。

2chに引き続きコメント

日立を公益通報→懲戒解雇された大西秀宜スレ4
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1375183558/l50

251 :最低人類0号:2013/08/17(土) 18:58:41.57 ID:Vt6LHwQl0
>(途中で感想を放棄したなんていちゃもん付けるヤツがいるので、今日は時間的に途中までしか書けなかったがアップする。)

不完全な状態のものをアップする感覚がわからないなあ。

これを仕事に当てはめると、成果物を「納期には間に合うと思いますが現時点で
できているところまでとりあえず出します」と言うようなもので、
こんないい加減な仕事のやり方ってないよね。

ラーメン屋が麺が十分に茹で上がっていない状態で
それを商品としてお客様の前に出すようなもので非常識極まりない。

まあ、70%の解とかいう摩訶不思議な理論で自分の不完全な仕事を
肯定するような考え方だから仕方ないか。
仕事というものは要求された事を100%こなすのが普通だということを
これから思い知ると思う。中小零細は甘くない。


→まずもって、コレは自分の意思で書いているのであり、納期がない。

その上で、サンプルを早めに出すのは、プロトタイピングとしてキチンとした手法になっとる。
それくらい気づけよ。

てかオマエは秋元康に似せとるんか、ホンマの秋元康の二重人格が書いとるんか。

> ラーメン屋が麺が十分に茹で上がっていない状態で
> それを商品としてお客様の前に出すようなもので非常識極まりない。

コレなんかたとえにさえなってない。

むしろ刀削麺屋が、ヒト前で調理しとったら、
「完成するまで前に出すなよ、作っとるトコを見せもんにすんなよ!」

というのがオマエの文句の中身やろが?

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その63 おばさん未満を読んで 中田ちさと

ちぃちゃんは、自分がおばさんになったら、というのをあれこれ想像しながら、どこかで、"まだまだ先のこと" とタカを括っていると思う。

もちろん、ちぃちゃんが一般的におばさんと呼ばれるのは、20年くらい先だろう。
しかし子供は残酷である。お母さんくらいの年齢だ、もうお姉さんではない、と思えば平気で "おばちゃん!" と言ってくる。

私の子供のときの判断基準がそうだったから書いている。
だから麻里子様など、もう "おばちゃん!" と言われていて不思議ではない。

そして、おばさんになってしまうまでにはさまざまなプロセスがあるだろう。
まず、肌の老化が考えられる。
22歳でも、ゆきりんは入念にメークするという。
それは、外では誰よりも美人に見せるぞ!という気合の発露と言えるが、ぶっちゃけて言えば、既に肌に老化が見られるから、メークで隠していると言えると思うのである。

私は大学院を卒業してから就職したが、会社で25歳以上の女性の厚化粧ぶりにビックリしてしまい、25歳にもなると、お肌の曲がり角などと言われるが、お肌が相当老化するものなんだなあとしみじみと思った。

というワケで、ちぃちゃんも、おばさんと呼ばれるよりだいぶ前に、お肌の老化を感じるはずである。

そして、30代、40代となり、顔に明らかに隠せないシワがどんどん増えてきて、また体型も、よほどハードなスポーツで筋骨隆々に仕上げていなければ、お腹からポッコリ太ってしまう運命なのである。
そして女性の場合は、40代後半ごろに更年期、閉経があるらしい。
その頃までにはどう足掻いても、おばさんと言われているはずである。

ちぃちゃんがそれらの事実ひとつひとつをどう受け止め対処するかにより、イケてるおばさんになれるか、かつて"オバタリアン"と言われたような、おばさんのステレオタイプに堕してしまうかが決まるだろう。


ところで、ひとつ気になる表現があった。

"本の中に書いてある「歳相応であること」は大事なことだと思います。"

ちぃちゃんは、あるがままに受け取り対処するという意味に使ったようであり、私が上で説明したようなことを想像したと思われる。

しかし、人間ついつい、「歳相応であること」とは、「歳相応な分別ある発言や行動をすること」と等価に考えてしまう。
自分はそう意識していなくても、周りがそう言うから、ついつい合わせてしまうのである。

そして、子供や若者の意見を真っ向から否定してしまうようになる。
「近頃の若い者は」なんてお決まりのフレーズで世を嘆いてしまうようになれば、もう立派なオバタリアンである。

「赤毛のアン」の感想文の項で説明したが、この類の「歳相応であること」は、子供の自主性の芽を摘み取ってしまう問題を孕んでいることに注意して欲しい。


さらに悪いことに、「歳相応であること」という脅迫観念が自分の人生をステレオタイプのものに追い込んでしまう可能性さえある。

歳相応に結婚し、歳相応に住宅を買い、歳相応に子供を生む。
もし私にこのような脅迫観念が先立っていたとしたら、日立製作所の個人情報保護法違反を糾弾したにもかかわらず、逆に懲戒解雇をちらつかされるという信じられないしうちに打ちひしがれ、懲戒解雇だけはやめてくださいと、法律違反を隠蔽して悪をさらに塗り重ねている日立製作所に対して、許しを乞うという屈辱を味わったはずである。
そして、他の活動家がそうであるように、飼い殺しの人生が待っていただろう。
いや、穏便にリストラ要員にされて、穏便に解雇されただろうか。


「歳相応であること」という脅迫観念を持つことは、社会にとって使いやすい人間に堕してしまうことにも繋がる。
あくまで「歳相応であること」は、ナチュラルメイクや、年齢に合わせてシックな衣装にチャレンジする、程度のイメージに留め、「この歳だからこうでなければならない」というものを次から次へと作って、自分をがんじがらめにしないようにセーブして欲しい。

自分をがんじがらめにして、それだけで満足できる人徳者はまずいない。
人間、自分が辛い思いをしたら、ヒトにはさらに辛い思いをさせ、自分はラクしたい生き物なのである。
士農工商の身分制度も、そういう心理を巧みに突いている。

自分をがんじがらめにした人間の行き着く先は、子供をがんじがらめにする教育ママである。
自分の虚栄心を満たすためだけに子供を利用するのである。
教育が現代の身分制度である証左でもある。
子供は親を憎むだろう。

もうこうなると、おばさんに見えるどころの問題ではない。
しかし、こういうおばさんは少なくないのである。


「歳相応であること」とは曖昧な表現である。
ちぃちゃんも、ああはなりたくない大人像があるであろうから、「歳相応であること」とぼんやりしたイメージを持つのではなく、私の示した問題に遭ったらどうするか、子供ができたらどうするか等、具体的にシミュレーションしてみて欲しい。

誰と恋愛して結婚して子供を作るか、大いに妄想したっていいから。


ーーーーーー

おばさん未満を読んで 中田ちさと
http://kansoubun.shueisha.co.jp/nakata_chisato/

 わたしは、この本のタイトルを見て、まずびっくりしました。まだ二十二歳のわたし。おばさんと呼ばれるには早すぎるし、まだおばさんになった時のことなんか考えたくないなって思いました。
 でもなぜかよくおばさんみたいって言われてしまうわたしはどんな内容の本なのか、すごく楽しみになりました。
 最初にこの本を読んでわたしが感じたことは、おばさんになった時、痛いおばさんにはなりたくないということです。二十代でのメイクやファッションを四十代で同じことをするのは痛いと思われてしまう。でも「若さを少しでも保ちたい」「おばさんと思われたくない」そんな様々な思いと葛藤する日々。いつかわたしがそんな時がやってきたら、どのように対処していけばいいのだろう。成長が止まった時に気付く「老化」という恐怖。
 今のわたしにはとても想像することもできません。
 しかし人はみんな同じように歳をとっていきます。少しずつだけど確実に歳をとっていきます。それは誰にも止めることはできません。
 本の中に書いてある「歳相応であること」は大事なことだと思います。
 これからの人生、その年代でしか経験できないことをたくさんして、いつかおばさんになった時、若かった頃の自分と比べることなくしっかり受け入れ、その中で必死に自分らしさを見失わず自信を持って歳をとっていきたいと思いました。
 「おばさん未満」この本を読んで老化という恐怖が少し楽になったような気がします。

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その62 23分間の奇跡を読んで 高橋みなみ

たかみなの文章は妙に纏まっていていいのであるが、なんか腑に落ちない。
BKAの珍解答はじめ、テレビ番組などで観たアホなたかみな、それに公演で感じた意固地なたかみなを繋ぎ合わせたら、この文章になるとはイマイチ思えない。

それで、おかしいおかしいと思いながら、もう一度題名とニラメッコしていたら、"23分間の奇跡" という題名と、小学校4年生の経験談に、なんら繋がりがないと思うようになってきた。

たとえばコレが恋愛小説の感想としても、"恋愛は自分には分からないが、友情みたいなモノなら経験したことがある" というふうに、小学校4年生の経験談に繋げられるであろう。

どうも、小学校4年生の経験談がこなれ過ぎており、私にはゴーストライターに書かせた作り置きのテンプレートに思える。

そう糸口が掴めると、本題への導入部が取ってつけたようで、弱すぎることに気づいた。

"23分間という短い時間で聞いた事・見たもの・出会った人が人生を左右する。
それが良い事なのか悪い事なのか私には答えはわからない。"

短い時間で人生が決まってしまうことは、良い事なのか悪い事なのかどっちか、という問題ではなく、それが運命というものなのである。
23分間だから短い、と言うかもだが、我々の人生は一瞬の判断とか気の迷いから変わってくるものである。

たとえば、たかみながAKBのオーディションを受けたとき、たかみながたまたま思いついた一言が合格の決め手になったかも知れないし、審査の当落線上だったのを、秋元康のエイヤ!の決断が決め手だったかも知れないだろう?

そういう私だって、休職明けで職場を定時で追い出されたので、秋葉原だしAKBでも観てみるか、キモヲタとかいたら怖いけど勇気を出してみるか、と思い立たなければ、いまの人生はなかった。

もっとセンセーショナルなことを言えば、事故だって、たとえば1分間居眠りしてなかったら、点検で不具合を見落としてなかったら、人生は変わっていたものなのである。
東日本大震災だって、23分どころか、あと5分早めに逃げていれば助かれた、なんて人も多いはずである。

だからこそ我々は、いま生きていることに感謝して、一分一秒たりとも無為に時を過ごすべきではなく、ものごとの判断には細心の注意を払う必要があるのである。


この感想文を一般のメンバーが書いたのであれば、もう少し褒められるだろう。小学4年生時の経験談が秀逸であると。

しかし、たかみなはAKBの総監督である。
総監督は常に判断を迫られている立場であり、判断に慣れているはずがゆえに、いわば"職業病"として、判断することの重要性に着目して、ここぞとばかりに自分の考えを展開し、グループメンバーに対して思いを伝えられるはずなのである。

その総監督が、

"23分間という短い時間で聞いた事・見たもの・出会った人が人生を左右する。
それが良い事なのか悪い事なのか私には答えはわからない。"

などと、判断を避けているということは、毎日総監督として自分はなにを行い、AKBにどのように貢献しているかの自覚が全くないことを意味している。(或いは、判断する立場に自分がいることを隠し、秘密裡に進めようとしているとも取れるが、ならば総監督という役職名に反する)

責任の自覚があれば、主体的に判断する。主体的に判断するからこそ論を展開したくなる。私ならばこここそがこの本のキモとして話を膨らませる点である。

たかみなは、総監督として為すべき判断について自覚が全くないままに、誰かに頼りながら、名前だけの総監督を演じていると、受け取れてしまうのである。


どうしてこのような不用意な文章を書いてしまったのか?
どうして主題から明らかに外れたたとえを出してきたのか?
総監督として自分を恥じ、自分の短時間での判断が大勢のメンバーの人生を左右することについて、改めて思い直してもらいたい。


ーーーーーー

23分間の奇跡を読んで 高橋みなみ
http://kansoubun.shueisha.co.jp/takahashi_minami/

 人の、特に子供の考え方は柔軟だ。
 この本を読んで改めてそう思い、そして怖くもなりました。
 23分間という短い時間で聞いた事・見たもの・出会った人が人生を左右する。
 それが良い事なのか悪い事なのか私には答えはわからない。
 ただ私にも人生を変える出会いがあった。それは小学4年生の時に他の学校から赴任してきた先生だった。人数が少なかった私のクラスは1年からずっと1クラス。良く言えば仲の良いクラス、悪く言えば…先生達には扱いづらいクラスだった。そんな私のクラスの男子は担任になった先生をからかう事を、とても楽しみにしていた。そう、先生があまり好きではなかったのだ。だから新しい先生が来た時もその特徴的なイタリアの青いジャージの先生も、彼らには獲物だった。
 ただ…この先生だけは、今までの先生とはちがった。一言目に私達に怒りだし、説教を始めた、私達のクラスに怒ったのはこの人が初めてだったと思う。
 私達と向き合い、時には子供のように誰よりも早く校庭にでてサッカーボールを蹴る、そんな先生を、皆最後には『親父』と慕ったのだ。若い私達と向き合い、先生であり父であってくれたこの人に出会えたからこそ、大人を信じてみようと思えたのかもしれない。
 全ての出会いは必然であり
 『奇跡』だと私は思う。

大西弘子の思い出

いつものパターンだが、伊達娘にファンレター書いていて思い出した。
あれは2006年の休職の前だったか、大西弘子が自分勝手なことばかり言うのに辟易して、1年ほど全く連絡しなかったことがあった。

ならば大西弘子、日立製作所第二志村寮の寮長さんの電話番号を聞き出し、寮長さんが執拗に私に連絡するように催促してきた。
それで私は仕方なく連絡したのであるが、大西弘子はそのとき、方向音痴にもかかわらず、もう少しのところで高速バスに乗って会いにくるつもりであった。

そう書けば、子供思いの親と思うかも知れない。
しかし、大西弘子はわがままなだけであった。

大西博昭は昔から、私が物心がつく以前から(弘子曰く結婚直後からだったらしい)、すぐ弘子に対して癇癪を起こし、毎日のように喚き散らした。
しかし、喚き散らすという博昭の行為自体は明らかにおかしくとも、大西弘子がわがままであるとか、大西弘子が糀屋の兄の言いなりであるとか、言っている内容はさほどおかしくなく、当たっていたのである。
しかし、大西弘子は、博昭が言うからという理由だけで、真っ向から否定した。


近年、私が博昭に対して、「ここは僕が悪かった、謝る。ごめんなさい。」
と言ったことがあるが、そのときも弘子は、「こんなお父さんに謝る必要ない!」と言って頑として譲らなかったのだ。

博昭という人は、癇癪はおかしいのであるが、何か人と違う能力がある。
たとえば、30年前の話になるが、銃の形をしたコントローラで射撃するファミコンのゲームでも、私はどう狙いを定めても何発か外してしまうのであるが、博昭は初めてやったにもかかわらず百発百中、一発も外さなかった。

なんかほかにも、私と違ってお父さんすごいなあ!と思ったエピソードがもう2,3あった気がする。

暑がりの私に、自分はクーラーなどないにもかかわらず、クーラーを買う決断をしてくれたのも博昭であった。

けれども、大勢の前で自分の意見を言えず、結局は大衆の意見に迎合してしまうところは、ヒト並か、ヒト未満なのであるが・・・


とにかく、小さい頃は博昭の癇癪は大嫌いであったのだが、大きくなるにつれて、博昭の癇癪にも一理あると思うようになった。
いまとなっては、博昭は持ち前の感性で、弘子のおかしなところをズバリと言い当てていたのだと思っている。

だからと言って、毎日のように癇癪で大声を出し、たまには暴力だって使い、弘子を罵倒した博昭が良いわけではない。
兄である富士弥の賭博の1億円の借金を払うことに決めた第一人者は博昭であるし、その判断は完全に間違っていた。

また、博昭も強情で、博昭が謝ったところもこれまた見たことがない。
決して博昭は善人とは言い切れない。

人間であるからこそ、正しいところも間違ったところもあるのである。
憎く思った人にもいいところがあり、良く思った人にも悪いところがある。
それを人間は忘れてしまうことが多い。


大西弘子は、博昭の癇癪に対して一度としてしっかり向き合わず、聞き入れず、逆に私に向けて博昭がどんな酷い人間か主張した。
ある時など、口論中の博昭を引っ張って、「見て!」と言いながら見せに来たりした。(この点からも、弘子は私のことを第一に考えているのではなく、自分のことばかり主張している、自分が可愛いのだと言える)


そして、いま別居状態となると、大西弘子はてのひらを返したように、

"永く一緒にいれば情が移ってやがて好きになります。"

などと書いてくるのである。
私の前で博昭と仲良いところを、たとえ本当は仲良くなくとも、秀宜の教育のために見せようとさえ思いつかなかった自分勝手な大西弘子が、実は大西博昭のことが好きだったとしゃあしゃあと言っているのである。

自分が秀宜の結婚生活(特に見合い)の最悪の見本になっているなどとはつゆ考えられなかった、大西弘子の思考力ゼロの鶏のような脳味噌は、もう救う方法を見つけられない。


昨年の話である。

千葉のアパートを引き払う相談を、大西弘子が不動産屋と勝手に進めていたとき、大西弘子は、私に対しては、期間の延長を申し込む、なんて電話で言っていた。

しかし、不動産屋から次々と、立ち退きに合わせた連絡が来たりするのである。
なんのことはない、大西弘子が二枚舌で、私にウソをついていたのだ。

そして、立ち退きのときに兵庫県から千葉県まで、自分たちで荷物を取りにいくという、なんら現実的でない案を言ってきた。

600kmも離れたところに、フラフラの運転をする72歳の大西博昭では、とてもではないが辿り着けない。
仮に辿り着けたところで、十数万円を要求する業者よりも、往復のガソリン代だけでも高くかかってしまう。

それに、私の12年分の荷物を自家用トラックにすべて積み込めるはずはなく、仮に積み込めても600kmの間を落とさずに運び切るのは困難であり、さらに少しでも載せられない荷物があれば、残した荷物の処理や運搬を頼むことになり、それでさえ数万円~十万円以上かかったりして全く割に合わないことを力説した。

ならば、大西弘子は、分かった、業者に頼むと言ったのである。

さすがに600kmでもあるし、行ったことない土地でもあるし、72歳でもあるし、不安要素ばかりであり、これは素直に聞くだろうと思った。

なのに、数日後に電話をかけたところ、お父さんが言うからと、やはり自分たちで取りにいくと言うのである。
しかも、

「不動産屋に対して、子供に、『自分らで取りに来て、死んだりしたらアカンで!
』って言われて、うれしかった!って言った!」

などと、取りにくる前提の話を言うのである。
到底自慢とは言えないものまで、どこまでも自慢し倒すつもりである。
さらに、自慢だけを優先し、私の願いなど聞く耳を持っていない。


私はその日も、最初は自家用トラックで取りに行く危険性を説いて、大西弘子はこれを聞いて、「やっぱり業者に頼むわ」とか言っていたのであるが、上の自慢話を聞いた途端に逆上して、

「オマエではラチが開かんから警察に言う!」

と言ったら、いきなり声のトーンがオクターブ上がり、

「言わんでええ!」

と大西弘子は電話口で叫んだのである。

いくら私の前でいい返事をしたところで、大西弘子自身が行く気マンマンだったからこそ、警察に言われたらマズかったのである。

このように、大西弘子は私大西秀宜に対して、近年も上に書いた通り自慢話のタネにすることだけを考え、自分の老後の計画 ー秀宜を田舎に連れ戻すことー に都合の悪い私の言い分には、すべてウソで対処してきた。

すなわち、大西弘子は私に対して、日常的にたくさんウソをついてきたのである。

私は、大西弘子は親であることもあり、また私自身がウソは基本的に悪いことという思いがあるため、大西弘子に対してウソをついたことはまずない。
ゼロではないかも知れないが。


大西弘子は、いまも田舎で、秀宜は病気であると吹聴しているかも知れない。
(これもまた、診断書に従えばウソである)

あなたは、ウソをついてない人間と、日常的にウソをついている人間と、どちらの方を信用するだろうか?
どちらの方が病気であると思うだろうか?


私が病気でない証拠を添付する。
就労可能に"◯"がついているのが確認できるだろう。

"(気分障害)" という病名が書いてあるのは、かかった精神科医が、日立製作所産業医の誤診の事実をキチンと確認もせずに事実と捉え、現在その気は見られないがいつ気分障害を発症するか分からないとして、カッコ書きしたものである。

日立製作所が不利になったらいろんな意味でマズい、という心理も働いたのではと想像する。


皆さん、地元のちょっとしたスキャンダルと思うので、大勢に広めていただけるとありがたいです。

この内容は、地元のお坊さんと、同級生数人に対して診断書も含めてコピーして送付します。
アホの大西弘子には送りません。


大西弘子は死んでも葬式など行なわず、家畜と同じで火葬→無縁仏にしたいと思います。
戒名など要りません。

私も、申し訳ありませんが、借金しかない実家の相続を完全に放棄することにし、近々本籍地を東京に移します。

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