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2013年8月22日 (木)

秋元康の一冊から、男と女の違いを自分なりにアレコレ考察する

男の気持ちがわからない君へ 秋元康 講談社 2001年3月20日初版

を読んだが、ひどい本だと思う。イタい本、というべきか。

それぞれのコラムも、説明がくどくどと要領を得ず読みにくく、その上私としてはホンマにそう?と思えるものが多い。
さらにいくつかのコラムの話題を引っ付けてみるとスジが通っておらず、どうも考察が浅く、やっつけ仕事がありありと見て取れるのである。

ココに2つの例を挙げよう。


P114
仮にある男性に彼女ができて、その男性は彼女にぞっこんだとしても、そのために友達とのつきあいを台無しにしたくない。というよりも、それで友情を壊したら男じゃない。彼女とだけ会っていたくても、友達とも会う。女のために友情を犠牲にするのはかっこ悪いから、痩せ我慢をして耐えるわけですよ。そういう見栄が男性にはあるんです。
ところが、女性には男性のような見栄はないような気がします。
たとえば、女性が友達と集まっていて、おいしいクッキーがあったら、通常はみんなで食べようといって分けるでしょう。女同士、敵はつくりたくないし、友情を大切にしたいわけだから、公平に分けようねっていうことになる。

P149-150
男性が結婚について思い描くとすると、それは自分にとっての結婚です。
自分だけの結婚であり、自分だけの家庭なんです。上司の誰々さんのような、あたたかい家庭をつくりたいな。先輩の何々さんのような、にぎやかな家庭もいいな。そういうイメージはあるかもしれませんが、そっくり同じような家庭にしたいわけではありません。あくまでも、自分らしく家庭を築きたいんです。
ところが、女性の場合は、わりと人と比べてしまうことってあるでしょう。結婚する前や、結婚した後も、よその家庭を見て羨ましがったりする。
私たちは2DKにしか住めないのに、何々さんは3LDKに住むんだって。あそこのうちは週末はいつも待ち合わせして、レストランに行くんだって。何々さんのとこは結婚記念日は、毎年どこそこへ海外旅行に行くって決めているそうよ。
そういった、よその話を女性は男性にぶつけるわけですね。
ところが、男性はよそと比べて羨ましいというのがないから、わからない。うちはうちなんだから、いいじゃないか。どうして、そんなこと気にするんだと思ってしまう。


この2つの文章は、逆のことを言っていると思う。

私から見れば、オトコは、仲間うちで "恥でないこと" をいちばん気にすると思う。
だから、カッコイイかどうかを気にして、場合によってはアホのようなウソをついてしまう。たとえば大言壮語を言うとか。
いくら大言壮語を言おうが、ヒト前で恥にはならないから。

対してオンナは、仲間うちで "自慢できること" を気にしていると思う。
オトコが大言壮語を言おうが、それは誰にも自慢できないから、オンナは興味がない。

上側の例の、"女性には男性のような見栄はない" というたとえは、私も含めた読者は "女性には見栄はない" と取ってしまうが、「女性は男性が気にするたぐいの見栄はない」という意味のようである。

すなわち、上側の例のうち男と女を逆にして、

"仮にある女性に彼氏ができて、その女性は彼氏にぞっこんだとしても、そのために友達とのつきあいを台無しにしたくない。というよりも、それで友情を壊したら女じゃない。彼氏とだけ会っていたくても、友達とも会う。男のために友情を犠牲にするのはかっこ悪いから、痩せ我慢をして耐えるわけですよ"

ということは言えないだろう、偽だろうということを、秋元康は言っているようだ。

ならば私が示したように男女を逆にして提示すればいいにもかかわらず、トンチンカンなたとえを出すから伝わらないのである。

しかし、こういう場合もあり得ると思う。キャリアウーマンなんかがそうだろう。
何を隠そう、秋元康率いるAKBだって、私が逆に書いた例が真のように、オトコに興味があってもAKBを優先して、付き合うにしてもAKB運営のウラでコソコソしているだろう?

秋元康の挙げた男性の例だって、会社勤めという前提で書いているわけで、たとえばこれがニートであれば当てはまるだろうか?大学生ならば当てはまるだろうか?

さまざまな場合分けが必要となるだろうが、さまざまな場合分けが必要ということは、実はそれこそが、秋元康の例が核心を突いていない証拠である。


次のたとえも逆にすると、ついでに "クッキー" も仮に "お酒" として、食べるを飲むとすると、

"たとえば、男性が友達と集まっていて、おいしいお酒があったら、通常はみんなで飲もうといって分けるでしょう。男同士、敵はつくりたくないし、友情を大切にしたいわけだから、公平に分けようねっていうことになる。"

・・・・コレも、オトコでも成り立つんちゃう?

秋元康は、わざわざ男女別々に想像しにくいたとえにすることで、読者を煙に巻いている。
だいたい、読者は男か女かのどちらかであるのに、「オトコはこうだ」「オンナはこうだ」なんて、あたかも自分が両性具有かのように書いているのである。
読者は、両性の例を示されたところで、自分の性については自分に例えて判断できるが、異性については、いくら大勢と付き合っていようが未知な点があるため、「そうかなあ・・・」と思うしかない。

両性について説明するならば、私が示したように、同じ例を入れ替えて検算するのが手っ取り早いはずである。


オンナが自慢を主体に考えているという話に戻ると、下側の、オンナが他人の家の話題をあれこれ出して羨ましがる例から、オンナはいろいろな家庭の話題をコミュニティで共有していることが分かる。

どうしてそれぞれの家庭の話題、すなわち個人情報を知っているかと言えば、それぞれの家庭の人間が進んでバラしているからである。
どうして個人情報を進んでバラすのかといえば、お互いに自慢し合っているからにほかならない。


改めて纏めると、男性は、恥ずかしいことがバレることを怖れ、女性は自慢するネタがなくなることを怖れるのである。
だから男性は無口であり、女性はおしゃべりなのである。

文書にすればコレだけのことなのに、秋元康は丁寧に言っているようで、説明がくどくどし過ぎて要領を得ていない。


そう考えると、秋元康が、オトコは仲間うちの一人が結婚したら、残りがバタバタと結婚すると、別の例で挙げているのも説明がつきそうである。

仲間うちで一人が結婚し、二人が結婚することで、結婚していないことが仲間うちでだんだん恥ずかしく思えるのであろう。

一方、女性は元来、自慢したいものであるから、バタバタ早めに結婚することを競うよりも、コミュニティに自慢できる相手を見つけ、その相手との結婚を願うのだろう。

ということは、女性は自慢するために、結婚相手をコミュニティに率先して見せびらかすが、男性は結婚相手を仲間うちで見せて、もしもなにか新たに恥になることが見つかればマズいために、あまり見せないと思われる。

それが、男性が女性と違って、結婚しても女性に従って変わったと思われたくない真の理由ではないか?
変わることが新たに恥になる可能性があるから、変われないのだろう。


オトコにとって、
 "恋人としてはいいけれど、結婚はしたくない女性 (P148)" 
というものの存在が、秋元康はじめそれ以外の男性からも、まことしやかに言われていて、私にはさっぱり理解できなかったのだが、コレも、
 "セックスフレンドとしてはいいけれど、仲間に会わせると自分が恥をかく女性" 
なのではないか?

P153 より
男性はトータルで見るから、いい部分だけを見て人を羨むことはしないんです。ところが、女性は金持ちの男性と結婚すると、まわりの友達は金持ちという部分だけ見て羨ましがるってことないですか?


コレも、男性がトータルで見るというのがキモではなくて、恥と自慢で説明できると思う。

たとえば、英語で100点取ったとして自慢にはなるが、0点取ったからとして恥にはあまりならない。嫌いな教科だってあるさ、と言うヒトも多いだろう。

しかし、5教科トータルで100人中最下位を取ってしまえば、コレは恥と取る人が多いだろう。
1番を取ればこれまた自慢できるのだが。
そういうことではないか?

男性は、点数を付けられてもヒトと比較されなければあまり気にしないが、順位としてハッキリとヒトと優劣を付けられると、ガマンできなくなる、と言えるかも知れない。
逆に女性は単純に1教科ごとの点数を気にするのかも知れない。毎朝の占いをものすごく気にするごとく。

いや私は、伊達娘が仮に0点取っても最下位取っても、好きなことには変わらんぞ。


さらに話題は変わって。
そういえば、秋元康が、オトコはカーセックス中も周りを気にしていると書いていた。
コレも、オトコの方が恥を気にするからではないか?


さらに閃いたが、自慢と恥の違いはもしかしたら、月経と精通の違いかも知れない。

私は常々、女性は月経があるのが一般的で、作家がいつ初潮があったかと臆面もなく記せるのに対して、いいトシこいたオッサン作家であっても、いつ精通があったとは絶対書かず、マスターベーションをすることでさえ、恥ずかしがるのは何故だろうかと思ってきた。

ちなみに私は、14歳のときに夢精があったのが最初と思う。具体的にいつかは覚えてない。またマスターベーションはほぼ毎日やっている。
30代になってマスターベーションなどもう何年もほとんどやってなかった(それでもたまに思い出したようにエロ本なり動画などで抜いていた)が、いまは伊達娘を妄想してほぼ毎日である。

話は戻って。
女性は月経に従って、毎月何日も何日も恥ずかしい思いをしているのである。
人体が病気にかからないように、ワクチンで抗体を作るのと同様に、女性には月経により、恥ずかしいことに対する抗体ができているのではないか?
これが私の閃きである。

月経で血が出たりニオイがしたりするだけでなく、他人から体調不良のところやいきなり機嫌が悪くなるところを見られることも、恥ずかしいことだろう。

私から見れば、電車に乗っていても女性特有のニオイがあり、もしかして生理中なのかな?と思うことはあるが、その女性に聞けるわけもなく、また私には付き合った彼女を含めて親密な女性がいた経験もないので、予想どまりである。

体調不良やいきなり機嫌が悪くなったりすることなどは、単なる体調不良かも知れず、毎日会っている女性でもない限り分からない。
ということは、生理中であることは、女性同士かよほど親しいオトコにしか分からないはずであるが、女性の身になれば、世界じゅうにバレているのでは?と思ってしまう可能性は高いと思う。
歯医者に見せても無臭にもかかわらず、大勢が口臭を気にしているのと同様に。

男性は、恥ずかしいことに対する抗体がないために、恥ずかしいことを怖れるのではないか?


秋元康は、女性は他人を羨んで、次から次へと欲求が出て来るように言っているが、それは女性一般を示したものとは思えない。
たとえば、男性の中でギャンブルや競馬に熱中する人がいるのと同程度の割合で、浪費家の女性が存在するのではないか?

多くの女性は、どこかひとつでも、ヒトより自慢できるところがあれば満足するのでは?と思う。
それは決して、お金や高価な品物でなくていい。
たとえば私は毎日ファンレターを伊達娘に送っているが、毎日毎日同じオトコから熱いファンレターが届くというのは、それだけでもじゅうぶん自慢のネタになると思うのである。
そういうものを、ひとつよりはふたつ、ふたつよりはみっつ、できるだけ深く自分のためだけに受け取れることを、女性は愛情として受け取るのだろうと思う。


女性は自慢することがベースと書いたが、ふつうは自分を確立し、自分の周りのあらゆるものが自慢の対象になると思われる。

しかし、女性の自我が確立できていないと、付き合った男性自身が唯一の自慢の対象になってしまう。
男性自身が自慢の唯一の対象になってしまうからこそ、他人にもそのオトコとの関係を絶対のものに見せるために、そのオトコ色に染まったりするのであろう。

しかし、付き合ったオンナが必要以上に何から何まで自分色に染まるというのは、オトコにとっては、自分の見たくもない恥ずかしい部分をまざまざと見せられることにもなり、恥ずかしいことがなによりも嫌いなオトコは、イヤになってしまうのではないか?

オンナは恐らく、オトコにぞっこん、あばたもえくぼ、なので、オトコが恥ずかしい部分も理解できず、オトコが体裁をなによりも重要視していることも理解できず、逆に「恥ずかしくなんかないよ!」なんて逆に励ましてみたりして、溝を深めるのだろう。

それよりはまだ、自分を持ち、恥ずかしく見える部分はそれとなく指摘してくれ、体裁を良くしようとしてくれる女性のほうが、よほど魅力的だろう。

また、女性が男性から愛が得られなく、自慢のネタを得られなければ、大西弘子のように、自分の配下にいて弱い立場である、子供が唯一の自慢の対象になってしまう場合もあるだろう。

日本には、セックスレスのカップルが多くて女性に不満がある問題と、教育ママが多く受験戦争が存在する問題がある。どちらも世界の中でも突出している、日本特有の問題である。
これらの問題の間には、上に挙げたように、夫婦の不仲を子供に転嫁することによる相関関係があるのではないか。

自分を確立できず、夫の愛を得られず、その歪みを子供に向け、子供を唯一の自慢の対象とされては、子供としてはたまらない。


男性が恥をかくのを嫌がるのは、やはり狩猟採取時代からの記憶もあるのかも知れない。
恥をかく=弱いところを周囲に見せる、だから、恥をかくことは元来命取りでもあっただろう。
文字通り猛獣に対する命取りであるし、コミュニティから村八分となる命取りも考えられる。

女性はいくら恥をかいて、コミュニティから疎んじられようが、村八分となることはまずないだろう。
たとえば、村八分となった結果と言える路上生活者は、現在そのほとんどが男性である。

逆に、昔は "姥捨山" などというものがあったらしいが、寿命がもっと短かった時代、閉経=老婆=姥捨山へ、となった可能性も考えられる。
すなわち、オンナとしての機能がなくなることが、オトコからの庇護の終わり、すなわち死を意味した可能性もある。あくまで仮説であるが。


女性が好きな自慢を、男性がしたらどうなるだろう?
男性だって、自慢することはある。

男性は、女性よりも付き合う社会が広範囲に渡るために、井の中の蛙大海を知ってしまうことが多い。
給料がいくらとか、どれだけの豪邸に住んでいるとか、どんなヨットを持っているとか、上には上がいるのを知っているのである。

そうすると、むやみやたらと自慢はできない。
もしかしたら、コイツならば自分以上のオトコの存在など知らないだろう、と判断した女性とか部下の前だけで、コッソリ自慢しているのかも知れない。

女性は、そのコミュニティの中で際立っていればいい。世間に上には上がいることなどどうでもいいのである。
オトコから見れば、そんなスケールの小さなことアホラシイ、となるのであろうが、どうしてどうして、オトコもオンナも書物や伝聞から実感として受け取れない人間ばかりなので、実体験として語れる話は貴重である。

実体験が知りたいからこそ、人間はすぐ有名人の講演会を開いたりするとも言える。
そして、有名人の講演会に行かずとも恥ずかしく感じない男性はあまり行かず、有名人の話を聞いたことが自慢となる女性が大勢行くというのも頷ける。


男性はジェットコースターに乗りたがらない、乗りたがるのは女性である。
これもまた、恥と自慢で説明できそうである。

女性が、怖いジェットコースターとかお化け屋敷に行ったことが自慢になるのは分かりやすい。「◯◯ちゃん(クン)と△△ランドに行ってきた!そこで□□マウンテン乗ったの!」「いーなー!」というノリである。
が、男性は確かにそんな程度の話は自慢にはならない。

逆に恥ということで考えると、毎日恥ずかしい思いをしている女性には、ジェットコースターやお化け屋敷で「キャー!」と叫び、変顔を撮られてもそれは恥ずかしくもなんともなく、単にいい思い出である。

しかし、恥ずかしいことが嫌いな男性は、怖がっている自分を見られることが恥ずかしい。
だから、「キャー!」と叫んでしまったら恥ずかしいし、ジェットコースターで落ちる途中の写真なんか撮られたら、怖がった証拠が残りもっと恥ずかしい。

恐らく男性は、実のところジェットコースターとかお化け屋敷に対して、恐怖症というほどのイヤさはないのだろう。

男性が本当に恐怖心からイヤならば、ハイテク機器に囲まれた世界中の戦場は、女性ばかりになっているはずである。


恥ずかしいでもうひとつ。
女性の中には、緊張などで尿もれしてしまう人がいると言われる。
これまで、男性と女性の尿管の長さなどで説明が為されてきたが、これまでの例から、男性は失禁などとんでもなく恥ずかしいと考えているから、尿もれが起きにくいとも考えられる。

逆に女性は、月経で経血を排泄しているために、尿もれには男性ほどには抵抗がないとも言える。
生理用ナプキン、おりものシートなどが、軽い尿を吸収してくれるのだろうか?経血やおりもの以外の液体だって吸収できるはずだし。
それに頼っている女性だっているだろう。

そういえば、お風呂場で小便する人間が、確か3割くらいいるらしい。
その3割に該当する女性は、生理用ナプキン、おりものシートなどに尿を出していてもおかしくはない。

とはいえ、個人的には、ちびりそうなときにちょこっと出して途中で止める、なんて芸当など到底無理で、全部出さねば気持ち悪くなると思うのだが。

長くなったし、今日はこれにて。


あ、ひとつ。

コレと思った男性からプロポーズして欲しければ、胃袋を掴むのもいいけれども、男性が自分を恥ずかしく感じないように立ち回れる女性になることが最重要と思えます。

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コメント

>また、女性が男性から愛が得られなく、自慢のネタを得られなければ、
>大西弘子のように、自分の配下にいて弱い立場である、子供が唯一の自慢の対象になってしまう場合もあるだろう。

>自分を確立できず、夫の愛を得られず、その歪みを子供に向け、
>子供を唯一の自慢の対象とされては、子供としてはたまらない。


そんな自慢の息子が今や、
『処方薬乱用者となって、"日立はブラック企業だー"と駄々をこねている』のだからな・・・・・。
大西"逆コナン"秀宜君。君の事だよ。他人事みたいな記事を長々と書いている場合ではないぞ。

耳が聞こえない人が長々と音楽批評しているような内容ですな。

隠れDD大西秀宜による勘違い( ´,_ゝ`)プッ

>たとえば私は毎日ファンレターを伊達娘に送っているが、
>毎日毎日同じオトコから熱いファンレターが届くというのは、それだけでもじゅうぶん自慢のネタになると思うのである。
>そういうものを、ひとつよりはふたつ、ふたつよりはみっつ、できるだけ深く自分のためだけに受け取れることを、
>女性は愛情として受け取るのだろうと思う。

この「毎日ファンレターを伊達娘に送っているが」こそ、隠れDD大西秀宜による悪事の一部である。
なぜなら、送付した自称ファンレターはファンレターの体を成しておらず、
実体としては、作業指示書と自分語りの混成文であるのだから。

この頃、隠れDD大西秀宜は"伊達娘"こと岩田華怜嬢に対して、自称ファンレターを毎日送付することで、
彼女の精神に多大なる損傷を負わせていた。
が、やがてAKB運営は自称ファンレターの危険性に気付き、岩田嬢への送付を禁止した。

以下を参照していただきたい。
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/cat54873119/index.html
カテゴリ名称「ファンレター岩田華怜」

リンク先は隠れDD大西秀宜による自称ファンレターの集積所であるので、この厄介ヲタが何を企んでいたのか、
また、その狂気がどれほどのものであるかを知ることが出来ます。

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