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2014年7月2日

2014年7月 2日 (水)

あん禿はじめるよ。”渇き。”のつづき

やっぱワタシあれどうしても気になるねん。

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やっぱAKBメンバーが゛渇き。゛を評価するっておかしいよなあ。

だって、りっちゃんやあんにんらが切りつけられる傷害事件があったんやで。

なのになんでその傷も癒えず、まだ公演に出て来れてないうちから、傷害事件を肯定するような映画を観て嬉々としとれるねん?


伊達娘、りょーちゃん、さっほー、は、そのあたりも含めて反省して欲しい。


゛渇き。゛を、りっちゃんやあんにんが楽しめるのか、という観点から考えて欲しい。

昨日りょーちゃんとさっほーも書いとったから・・・

アホのアキプータンが、AKBメンバーに対して、課題映画みたいにして出したんかもなあ?


アイツああいうバイオレンス大好きやからなあ。


けどそれにしても、いの一番に伊達娘が感想書くとはなあ・・・


ダメなもんはダメと言えるようにならな。

なぜダメかという理由もつけて。

サロンパス買おうと思ったけど

バイト先の近くには薬局ないみたいなので、買えませんでした。

明日休みやから買おう。

てか、精神科通院のついでに、強力な湿布もらうか。

日立製作所時代は、よく荒井稔から処方してもろとった。

とりあえず今日の段階でもまだAKSらから準備書面来てない

あまり寝付けず眠かったから改めて寝たので、公演ダウンロードしたにもかかわらず観れんかった。

明日やな。

ただ、明日はバイト入れたい。

AKB48チームA岩田華怜様20140625

AKB48 チームA 岩田華怜様

おはよう。おーにっちゃんです。

もう既に知っとるように,“渇き。”を観てボコボコに書いた。
昨日はその分寝にくかったよ。

で,そのあとチェックしたら,昨日はりょーちゃんとさっほーも“渇き。”観に行ったらしいなあ。

ひょっとして,BeginnerのPV撮った監督やからって,AKSのほうから紹介されたりしとるんちゃう?
学生割引とか言うとるし。
なんかそんな気がする。

いやしかし,伊達娘もそうやけど,りょーちゃんもさっほーも,あんな映画を褒められるってちょっと人間性がないよ。

ワタシジェットコースターは大丈夫やし,たとえば推理小説やったって,西村京太郎のをいっぱい読んだりしたから,別に殺人があること自体を問題にする気はないねん。
殺人の動機を探っていく,というのはミステリーの醍醐味やからなあ。

それでいうと,“渇き。”もプロットを見て,娘の素性を暴いていくというのは決して悪くないと思った。

けどな,そのプロットをどう描くかというのはまた別やねん。

ワタシが映画としてコレはいいと思ったのは,映画ちゃうけど,じゃんけん大会で梅ちゃんがアンダーガールズのセンターになった,“抱きしめちゃいけない”のMVな。

アレを全部1カットの長回しにするには,いろいろ設計が要ったし何回もテイク取ったハズで,だからこそあれこそが“お芝居”そのものやねん。

“お芝居”を見せたい,“お芝居”の魅力を伝えたい監督って,どうしても長回しで,俳優からにじみ出てくるものを撮っとるねん。
寅さん映画にだってそういうところはある。
名監督はみんな長回しを使うねん。(いやワタシもそれほど映画観たワケちゃうけどよ)

それが,“渇き。”にはいっこもない。

俳優が出す演技というものをまったく信用してないカット割りやねん。
俳優が出してくる演技を信用せず,自分のカット割りに恍惚としとるって,もう単なるマスターベーション映画以外のなにものでもないとワタシは思う。

なんであんな映画を,伊達娘もりょーちゃんもさっほーも評価したのかがサッパリワカラン。

みんな,カネあるなら,いまからでも遅くないから“アナと雪の女王”を観て来いよ。

りっちゃんあの事件のおかげでいま休んどるけど,“アナと雪の女王”を観たあたりから,明らかにりっちゃん変わったよなあ。
きっと“アナと雪の女王”から得るものがあったと思うねん。

ならばな,伊達娘もりょーちゃんもさっほーも,“渇き。”を観て得るものがあったか?
ワタシはないと思う。ワタシ自身どう考えても得るものがなかったから。

自分がなにかを得たいという思いを棚に上げて,単に作品として楽しみたい分には,そりゃええんかもやけど,ワタシはもうどうしても無理やねん。
その作品からなにかを得ないと満足できんねん。

てか,伊達娘もりょーちゃんもさっほーも,“渇き。”の殺人・・・だけでなく,レイプの表現ってアレでいいと思った?

ああいうことを自分がさあ,もう好きでもないオトコ,もっと言えば見ず知らずのオトコにされたら,どんな気持ちになるかというところまで考えたか?

いやもちろん,実は好きなオトコから強要されるのを敢えて嫌がるというように,脳内解釈したのであればまだ救いはあるんやけど。
好きなオトコから,なんかチガウとはいえ,あれだけ攻められるって,オンナとしてはときめくかも知れん。もちろん“好きなオトコ”という大前提でやで。

そうはいっても,役所広司は,先生に対する発言とかももうゼンゼンダメダメで,ワタシはトータルでアカンと思うたんやけどなあ。

そもそも論として,いくら自分の娘と別れて暮らしとったといっても,娘のことくらい気にしとけよ,と思う。

ワタシならば役所広司みたいに,娘を理解できてないなんてことはあり得ん。
AKBのメンバー90人くらい覚えとるやろ。
伊達娘のことにいっちゃん神経使うとるとはいえ,他メンであっても全員平等かそれに近いくらい接しとると思うとる。

とにかく,同じオトコとして役所広司の役は最低やと思った。
てか最初の殺人事件,アレフラッシュバックかと思うたけど,ちゃうんか?
最初2012年12月24日の描写が出てきて,そこで男女がまあいわばセックスだとか,高1で知っとるのかワカランけど(いや耳年増やから知っとると思うけど)フェラチオを想像させるとかの描写があったよ。
もしワカランかったら検索してよ。いちいち書かんから。

で,その8ヶ月だか後にその関係が破綻して殺人事件になる。
そのときに役所広司は,刑事ではなく殺人の容疑者として取調べを受けとった。
その3年ほど前にバックして,娘の調査をしとってん。

そうすると,この映画は,最期はひどい結末になることを最初に見せておいて,どうしてひどい結末になったかをフラッシュバックで表現する映画やねん。

なのにそれが,小説では,役所広司は刑事として,あくまで殺人を目撃し,それがトラウマとなったのか刑事を辞めて警備員になった側として描かれとるらしいなあ。
ワタシの理解とアンマッチしとるんやけどさあ。

とにかくな,伊達娘,りょーちゃん,さっほーとも,2時間の中での表現のひとつとして,レイプを受け入れてもとるねん。

けどさあ,イチ女性に戻って考えたら,人生は2時間の作品ちゃうんやで。

たとえばどこの誰ともワカランオトコから夜道つけられてレイプされて,けれどもそのオトコのストーリーに沿うからといって,レイプを肯定されたらどない思うよ?
いくら芸術やからって,それはやったらアカンことやと思うやろ?

日本人は芸術とか表現の自由という言葉に甘すぎるねん。

それもこれも,憲法第九条で,平和はアタリマエと思うとるのが諸悪の根源なんやけどな。

憲法第九条の改憲論争にある,集団的自衛権はあるべきと思う。
というか,集団的自衛権を考える以前に,なんべんも書いてきたけど,他国が意味不明な理由で戦争を始めた場合,その戦争をなんとかして食い止めるためには,言論をやり合うだけではなくて,軍隊を送り込んだほうがトータルの流血を防げる可能性がある。

世界平和のためにも,“反戦”を誓うことがすなわち平和ではないねん。
“反戦”を誓うことはすなわち,考えるべき問題から逃げとるだけ,ということを認識すべきと思うとる。

上から目線かもやけど,やっぱ争いがある2者の間で調停すべき人間/組織はおるし,調停すべき人間/組織は,調停されるべき組織よりも武力的に低い立場やったらアカンねん。というのも強制力がなくなるから。

とにかく,武力行使をひらたくいうと大阪のおばちゃんの論理な。
コレも何回も書いてきたけど,1,000円の品物を500円にしたいときに,500円でお願いします!なんて言うたら,向こうは500円は最低ラインと思って,結果いくら頑張っても800円くらいに落ち着いてまう。20%OFFや。

1,000円の品物を500円にしたければ,最初は100円でないと買わん!というフリをせなアカンねん。
そうすると,100円は無理としても,相手はチョコっとでも利益の上がる金額を提示するから,けっきょく500円で買えたりする。

その,いきなり100円!と言えるココロ,脅しは,軍隊がいつでも出動できるような憲法を整備してはじめて他国に脅威と映る。

そういえば,まゆゆにプレゼントしたアルパカ人形,アレもマチュピチュ下のアグアスカリエンテスという駅前の市場の集合体で,何軒も回ってけっこう値切った気がするなあ。
いや,あんま個人的に合うイメージなかったから,値切れる店も限られとったけどさあ。
全店舗確認して,可愛らしいぬいぐるみをめっちゃ探したぞ。
・・・と,まゆゆにも言うとってよ。

そろそろ終わりにするか。
とにかく,震災を伝えていかなアカンと言うとる伊達娘が,女性の苦難を“芸術作品”だからといって,第三者的に見過ごせる,コレはアカンと思うねん。

まあでも日本の“活動家”と言われるヤツらはあまねくそんなのばっかやからなあ。
児玉晃一見とったらようわかるやろ。
一般論としては反対ができても,自分に火の粉が降りかかるものには全力で拒否してまうねん。

自分がその立場に追い込まれたらどうするかと,一般論を分けて考えるヤツらが多すぎる。
伊達娘も,さすがに16歳になったばかりやからか,そのへんはまだまだできてない。
ハッキリ言って,“渇き。”を褒められたことには,伊達娘のなかにまだまだ厨二病っぽいところがあるんやと思った。

ワタシ辛らつなコト書いたけど,自分を被災者と主張するのであれば,一般的な被災者の気持ちも分からなアカン。
そこについて伊達娘は一切できてないことが,今回バレてもたワケや。
この点についてはホンマに反省して欲しい。

まあとはいえ,それも伊達娘の成長過程やからなあ。
ワタシ伊達娘をめっちゃコテンパンに書いたけどさあ,そりゃココで百年の恋も醒めて,終わりにする
・・・つもりはないからコテンパンに書いたのであってさあ,そこは理解して欲しいよなあ。

伊達娘にはもっと,“こんな映画に自分は出たい。その理由は・・・”という展開で主張して欲しいねん。
やっぱ,女優のかけだしやと,ビンボー生活になると思うねん。
ワタシはビンボーにはさせんつもりやけど,いまの段階では100%保証できるワケちゃう。

ワタシもいまは,100%保証できるように持ってくために,アレコレと書いとるんやぞ。読んだら分かるように,伊達娘のことを考えん日は1日たりともない。

2ちゃんに伊達娘について不利なコト書いて悪いとは思うたけど,それもこれも,なんとかしてAKSをやり込めるための布石やねん。

まあそんなワケで,落ち込むヒマがあったら前に進んで欲しいで。

伊達娘にはひしひしと感じるものがいまだにある。
とにかく,富士山に登るのに登山道とは違うところを登っとるねん。

それがヲタには理解できてないと思うけど,けど着実に登っとるのは間違いない。
もちろんワタシは,フツーの登山道はこう!って,歌とかダンスについてアレコレ言う,傍から見ての意見として言わざるを得んけど,自分に確たる自信があったらどうでもええねん。

ワタシなんて登山道とは違うところを登りつめて,富士山からエベレスト(チョモランマ)にワープしたカンジやからなあ。
本気でやりたい人間は,もがき苦しむから,登山道を登らんねん。
自分の思う道を上りつめていく。
そういう意味では,いまだに伊達娘には大スターの可能性をひしひしと感じとうぞ。

だから,細かいところでアカンところは見つけたけど,大枠では間違ってない。
ワタシも場合によってはコテンパンに書くことがあるけど,そらワタシが一生の全身全霊・・・いや,日本国とか世界を立て直さなアカンから,50%とか30%なんやけどさあ,それにしても面倒見るだけの覚悟があるからこそ,コテンパンに書いとるのであって,伊達娘を見放すつもりは一切ないぞ。

見込みがあるからこそ叱り甲斐もあるねん。
たとえば主張が変わりまくる新月なんか叱れんやろ。

ワタシの思い,受け取ってくれたかなあ?

あと,渡辺謙がブロードウェイ出演決めたなあ。
日本でスキルをつけて,さらにハリウッド映画に出たあとにブロードウェイ出演決めるって手もあるんやなあと思った。
ブロードウェイで下積みする必要はないんか・・・

まあでも,そのあたりはその時点での人気とかいろいろあるからなあ。
伊達娘がどういう人生を送るかはいまんとこワタシにはワカラン。
けれども,このストーリーならばコレがいっちゃんええんちゃう!?とは意見することはできるわなあ。

何べんもいうけど,見捨てたワケちゃうぞ。
ワタシから見たらまだまだ幼いから,犯した過ちと思うとるだけや。

ほなね

2014/07/02 10:26:15 おーにっちゃんより

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痴漢をする側の論理に立った危険な作品 採点:1 点

投稿日時:2014/07/02 01:52:06 投稿者:hidenobu_oonishiさん

http://info.movies.yahoo.co.jp/userreview/tyem/id348084/rid344/p1/s0/c1/

非常に不快な作品でした。

とてもではないが2時間耐えられず,30分で出てきました。

”史上最高傑作”という言葉がありますが,それで例えれば”史上最低駄作”の称号を授与できるほどの駄作でした。

カメラワークもあったものではないし,もうすべてがダメダメで・・・嫌悪感しか抱けません。
最近の映画制作者,および評論家は,このようなものを評価するのかと思うとゾッとします。

”渇き。”はいわば,痴漢をする側の論理に立って,痴漢をする側の行為を”芸術”というワケワカラン正義の元に描いただけの作品だと思いました。

役所広司が元妻をレイプする場面,ワタシはもうそこで耐え切れずに出てきたのですが,この作品を評価するヒトは,役所広司のほうに肩入れをして,レイプを肯定しているのです。

けどこれはものすごく危険なことです。

一方に肩入れをしたら,もう一方の元妻のほうの被害には目を瞑れるのです。

そういうことを,”芸術”という錦の御旗があるからといって,容認していいのでしょうか?

もしそれが容認されるのであれば,電車の中での痴漢行為だって,そこでカメラが回っているからといって,”芸術”という言葉で容認されてしまうのでしょうか?

いや,カメラが回っていなくてさえ,ココでこの作品を評価しているヒトは,痴漢犯罪を見ながらも,加害者の立場に立ち,”芸術”という言葉で見て見ぬふりをしてしまう危険性があるのです。

この作品にはそのような危険性があります。

こんな作品を許していいはずがありません。

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