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2015年7月20日

2015年7月20日 (月)

【ネタバレあり】インサイド・ヘッド感想。纏まってはいますが小品な感じで,まずまずの出来だったと思います。

ストーリーはPIXARのこれまでの物語以上にシンプルで,11歳の女の子ライリーが,田舎町からサンフランシスコに引っ越して,都会になじめずに家出をしようとするも思いとどまる。
ただこれだけです。

この作品の脳内には,喜び,怒り,嫌悪,恐れ,悲しみという感情があたかも別個の人格として同居しています。
このストーリーの中では,ライリーの中の,喜びと悲しみが迷子になっていました。

映像としていろんな表現が次々と出てきました。

特に概念のところに迷い込んだところでは,喜びと悲しみ他が3次元から単純なものに,さらには2次元へと変換されていったりとありました。

PIXARの何作か前の短編でも,ベースとなるような似たような表現ありましたよね。
映写される向こう側に映る白黒の者と,そこから飛び出してカラーの者が行ったり来たりしながら追いかけっこするって。

また,記憶の格納/消去のイメージは,パソコンのメモリやハードディスクの仕組みを絵にした感じに思えました。

表現をいろいろ合わせて工夫しているのはものすごく理解できましたが,最後は喜びも悲しみもライリーの脳の集中制御室に向かうしか解がなく,すなわち運命付けられていて,そのための描写がいろいろとどうも強引に感じました。

その上,喜びの感情は悲しみの感情を毛嫌いしていましたが,どうして悲しみの感情が必要なのかを理解したのかが,イマイチ納得のいく説明で描けてない気がしました。

もちろん,喜びの感情さんがずっと泣いていたことから,人間には悲しみが必要というのは何となくは理解できるのですが,個人的にその描き方では感覚的に理解できませんでした。

たとえば,喜びの感情さんが泣いてしまったとき,喜びの感情さん自身が,喜びの感情を示す黄色から,悲しみの感情を示す青に自ら変化するというような描写があると,まだ感覚的に理解できたのではとも思います。

逆に感覚的に理解できたのは,ライリーが田舎行きのバスに乗ろうとするところです。
制御室に残った,怒り,嫌悪,恐れの3人が制御しようとしても,制御盤自体が固まって,ライリーの感情を制御できませんでした。

これは,感情を持たなくなった,うつ病や統合失調症などの精神疾患を表しています。
精神疾患とはこういうことなのだと,リアルに描けていると思いました。

ストーリー以外について。
PIXARの人物の動きでどうしても気になるのは,人間がリアルと違って,妙なリズムでヒョコヒョコ動いていることです。
もう20年ほど前の,トイ・ストーリーなどの初期の頃は,3Dの処理能力的にこれが限界なのかなと思いますが,いまもそうしているということは,敢えてそのリズムを選んでいるとしか思えません。

私はヒョコヒョコ動かせる必要性を感じないのですが,PIXARは敢えてリアルな人間とアニメで動きの表現を変える必要性を感じているのでしょうか?

それと,併映の短編映画,これまでのPIXARの新しい表現への挑戦とは違って,映像的に新しい表現がない気がしました。
思いつかなかったのでしょうか?私が認識できなかっただけでしょうか?

しかし,様々な生き物のカップルの幸せを見ながら,自分は一人ぼっちと思っていた絶海の孤島の火山の歌に,聴き惚れた火山の相方が出てきて,めでたくカップルになるというストーリーは,想定外であり面白いと思いました。

火山はもう死にかけのお爺さんにしか見えず,相方は結構若く見えたのは,愛は年齢ではないという主張なのでしょうか。

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