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2015年8月7日

2015年8月 7日 (金)

京浜東北線事故の対応策がおかしい。どうして人間はシステムを変えられず生態系は変えられてしまうのか?

JR東日本は、短絡が発生しそうな箇所で電車が止まらないように、注意喚起する上で、そのためのシステムを入れるそうです。
他線で入れてきたシステムを、京浜東北線にも適用するそうです。


けど、"短絡が発生しそうな箇所"があれば取っ払えばいいわけですよね。

そう言うと誰かが、「仮にそこで電車が止まった時に、再起動できないだろう」と言うでしょう。

しかし、今回の現象はまさに、再起動に近い状態になって事故に至りました。

だから、「仮にそこで電車が止まった時に、再起動できないだろう」という心配はおかしいのです。

交流であろうが直流であろうが、短絡させないように設計せねばならないということです。


そして、先日書いたとおり、京浜東北線の場合、短絡しない、絶縁区間を設けた場合も、3個のパンタグラフのうち2個は必ず生きていて、再起動可能なのです。


技術者はどうも、システムを足し算する方向にしか考えないように思います。

抜いてしまうとどんなことが想定されるかわからないから、足してしまう。

その結果フクイチ事故対応のように、そもそも必要でなかった作業が発生し、多くの予算が投じられ、そこにどんどん利権が絡んできます。
なにもないはずのところに、雪だるま式に作業が増えるのです。
日本の低賃金は、狩猟採集や農耕からはだいぶ離れ、そもそも必要でない作業がたくさん増えているから、とも言えます。


人間、生物多様性の場合は、どんどん種族を引き、絶滅させてさえも、まだまだ種類があると思ってしまい、食物連鎖がおかしくなることまでは考えが及びません。
そして人間は、遺伝子組み換えでさえをもやってのけます。

なのにどうして、システムになったら、怖がってどんどん足してしまうのか?


どうも人間はあまねく、本当に怖いものに関する目算を、自分に都合良いように変えているように感じます。

遂にパソコンから書き込みできなくなったので、仕方なくiPadから。ドイツ亡命申請時代を思い出すなあ。けれどもあの頃よりも自由度が低い。


発言の機会が余計に減ったので、やむなくiPadからココログに投稿します。

これで福祉事務所からなにか言われても、それこそ言論の自由に反するし。

そもそも福祉事務所は、問い合わせがあっても、「大西の個人情報なので言えません」としか言えなかったはずです。
別に私は法律に反していないのですし、仮に反する場合であっても、どのように処置したかを第三者に告げるのは、やはり行政機関個人情報保護法に反します。

行政機関の個人情報保護に対する考え方って、それほどまでにいいかげんなのです。
私は、そもそも福祉事務所に通報したのは善意の者ではなく、日立製作所や日本政府関係者などと考えています。


いずれにせよ、現在の私の自由度はいろいろと低いのですが、それを訴えることにより、人々から共感を得ることは可能と考えます。

火炎瓶テツさんだって、警察に捕まったからこそ、多くの人々の共感を得ました。
その分反感も得ているのですが、とにかく一般人が受けない共感を得たことが大きいです。


私はいま、さまざまな困難辛苦に耐えています。
どのような困難辛苦かは言えませんが、想定の範囲内のものもあれば、そこから来るか!?と思わず呆れるものもあります。

私は、秘密主義は嫌いと宣言してきましたが、なんでも書いていると、日本の行政機関=無法独裁政府組織は、そこを突いてくるのです。

だから私は、自分の方針にブレはないのですが、まことにやむなく、秘密にします。


けれども、日本の無法独裁政府組織はきっと、しびれを切らして、既に仕入れている私の秘密を、徐々にバラしてくるでしょう。

だってそれしか私を止める手がないもん。

けれども、それをすれば、私の境遇がさらに酷いものとなり、人々の共感をさらに得やすくなるというパラドックスを孕んでいるとも言えます。


そういえば昨日は、一昨日に引き続いて、最高裁判所第三小法廷から、私の訴訟救助の特別抗告の記録到達通知が来ました。

どうせ1ヶ月後には、三行半決定が来るに決まっているのですが、何年か後に、世論を「あの大西の主張を聞かなかった裁判所はおかしい!」という方向に、必ず持っていきます。
そのための布石なのです。


そして昨日はヒロシマの原爆投下の日でした。

Mr.hがいつになく強い論調で書いていましたが、原爆によほど思い入れがあるように思います。

原爆投下は過去ではない。

それはそうですが、ならばなおのことフクシマ、フクイチ、をはじめとする原子力発電の問題点を、もっと声高に追及すべきとも思います。

とりわけいまのフクシマの子は、彼ら自らの一生に限らず、彼らの将来生まれる子供たちにまで悪影響がないか、ヒヤヒヤする人生が待っているのです。

原爆どころの比ではない罪を、日本の無法独裁政府組織は働いているのです。


そういえば、ヒロシマと名乗ると差別された人も多かったとか。
いまもあるのかも知れません。

フクシマなんていわんやです。
子供たちに、がんの発生率が高いとなると、人間の心理として、家のことを考えると、フクシマの子とは付き合うな、と言われることが目に浮かびます。

そこまで自然に想定されるのです。

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