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2015年8月12日

2015年8月12日 (水)

マッターホルンで日本人遭難の報を知ってから思い出した、昔の思い出をつらつらと

マッターホルンで急激に天気が悪くなり日本人遭難、との報を受けました。
下界の街では雷雨だったとか。

そういえば私も、あれはいつだったか、2009年くらいでしょうか、スイスの山岳鉄道に乗ろうと思って、インターラーケンからなんとかいう山(名前失念)に登山電車で登って、インターラーケンに戻って、そこからルツェルンに出て、という行程を組みました。

山を下りてインターラーケンに戻ったあたりで雷が発生して、ルツェルンまで天気悪かったです。
スイスでも雷が鳴るんやなあ、と思っていたのですが、どうもその雨が豪雨だったらしく、日本に帰ってから、ルツェルンが水没したニュースに触れました。

私ってどこに行っても災難に見舞われるのです。

2005年末~6年初にかけて南アフリカで、ヨハネスブルクからケープタウンまで一人で、人生初の海外レンタカー旅行をしましたが、そこでまずカーナビがついてないまま世界一怖いと言われるヨハネスブルクの街に放り出されるなど(自分で蒔いた種なのですが)、さまざまな困難に遭い、ほうほうの体でナイズナという街のホテルに落ち着いたところ、偶然に蒸気機関車の汽笛を聞きました。

なんでこんなところに蒸気機関車が!?と思ったのですが、外に出て見ると確かに蒸気機関車と客車が止まっています。

いったいこれはなんなのか、乗れるのか駅員さんに聞いたら、明日は満席だが明後日ならば乗れるというので、1日ナイズナでの滞在を増やして、ナイズナ~ジョージ間の蒸気機関車往復旅行を楽しみました。

ならばその鉄道、数ヶ月後に大雨で廃止になってしまいました。

そもそもヨハネスブルクで予約したホテルがわからなかっただけでなく、翌日ダーバンの街でも、黒人のニューイヤーを祝う、救急車が7台も8台も連なる暴動に遭遇し、クルマを降りようとするとヤク中にしか見えない黒人に危うく殺されかけ、その結果泊まれるところがなくて、墓地と教会と刑務所に挟まれたところで仮眠し、その晩ようやくイーストロンドンの街でアパートみたいなホテルに泊まれることになったとき、めちゃくちゃ安心しましたが、そのとき、正直この旅行ムリと思いました。

あのときの苦難を考えると、いまの困難なんて大したことはないようにも思います。
あれは本当にピンチでした。
もう少しで私は、南アフリカの土に還っているところでした。


嵐を呼ぶおーにっちゃんの話に戻って。

そもそも、1994/9/4だったか、大学時代に、待兼山という山のてっぺんにある、大阪大学豊中キャンパスが水没するという、阪大では当時阪神・淡路大震災以上に語られた局地的集中豪雨(確か伊丹豪雨という)を経験しましたし。

2012年になってからも、ローマにいけば26年ぶりという大雪に見舞われ、GWに東日本大震災の被災地を見ようとすれば、陸前高田で大雨に見舞われて、水に軽四が浮いているのを見たりと、それはいろいろあります。


2012年、パリに行けば目の前でTGVが故障して全線ストップするし、その前年にベルリンに行けば、上司がよせばいいのにJALのパリ経由になんかするから、エールフランスのストライキにかち合って、JALが用意したパリのディズニーランドホテルの家族用の部屋に一人で泊まったりと(鉄道の国際標準化の仲間はだいたい同じ経路でしたが)、枚挙にいとまがありません。


だいたい私、血液型がRhーで、その時点でヒトと違いますし。


いつの頃からか、私は自分が、小説よりも奇なハプニングに遭う星に生まれていると思ってきました。

ジブリに行って近藤喜文さんに会い、色付きのサインをもらったら、数年後に亡くなられたり・・・
どこか死神めいたところもあります。

そういえば、細田守さんだって、作風を見れば近藤喜文さんとの交流はない気がします。

私は死神に見えるように思えるところはあるけれども、逆に才能を見出してもきました。

田中麗奈も、研究室に、私は読まないヤングジャンプが置いてあったのですが、田中麗奈の号だけはふと目に留まったのです。

岩田華怜、だけでなくAKBだって、私が日立製作所の現社長である東原敏昭に見出されて、然るにその後泣かず飛ばずにさせられて、転勤転勤で本社に異動になり、さらに本社機能をお茶の水から秋葉原に移したから、それこそ目の前にあるAKBを観てみただけです。


フツーの人間は、特にオトコはよくウソをつくので、作り話と思うでしょう。

私の16歳年上の従兄に下芝○司という、離婚して子供がおらず、私の実家に泊まりにきてさえ親子ゲンカしていたマザコンがいるのですが、彼は伊丹豪雨で阪大が水没したことさえ、説明しても信じませんでした。

そんなヤツらが親戚で世間話をしているのですから、大西弘子をはじめとする親戚は、私の上に挙げた事実でさえ信じていないでしょうし、私の主張などいわんやです。


そういえば、私のオトコの従兄は、父方に2人いますが、1人は独身のまま亡くなり、もう1人の下芝は離婚し子なしです。
母方にも1人おり、こちらは子供が2人いますが、離婚しました。

離婚した2人とも、嫁さんがキツいと、両家系でもっぱらの評判だったのですが、実のところ両家系のほうがキツく、嫁さんを受け入れるだけの甲斐性がオトコどもになかったのではないかと、いまとなっては思います。


そういえば、大西弘子の姉は、それが苦痛で統合失調症にかかり、改善することなく亡くなりました。
私は大西弘子の姉がまだ元気だったこの、姉の家に遊びに行ったとき、家の人々の視線がキツすぎて、帰ってきて泣いてしまったことがありました。

私は大西弘子よりも、大西弘子の姉のほうが好きでした。
笹倉松子さんと言いました。

あんな家にいると、常人でもおかしくなります。

笹倉松子さんは、きっと大西弘子の軽佻浮薄なおかしな性質を理解していたと思います。

"バケモノの子"の追加考察について、hosho氏の態度が急変した件について

hosho氏については、これまではスタジオ地図の代表、すなわち細田氏本人かのような書き方をしてきました。

ところが今回、自分もスタジオ地図の面接を受けて入った、と書き、それ以外についてもトーンダウンしています。

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http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-da4b.html#comment-111572607

名前:           hosho

内容:
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大西さんとは一度仕事を一緒にしたかったのですが残念です。今後エンタメ業界で会う事もあると思いますので、その時はこちらから声をかけさせてもらいますね。スタジオ地図ではなくても随時履歴書を受け付けてる会社は色々あるので送ってみるのも良いですよ。私も飛び込みで履歴書渡してそのまま面接まで行きましたから。バケモノ考察かなり参考になりました。
コミカライズの際の参考にさしてもらいます。
勿論監督にも大西さんの話はしますね。
では近い将来現場でお会いしましょう。
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しかし、スタジオ地図の面接を受け、入社した者が、インターネット上に内情をやすやすと書き込めるものではありません。

然るに他方、"バケモノの子"について一般人が加えていない考察を、私に対して問答形式で問うて来たのですから、スタジオ地図とは全く無縁とも言えないでしょう。

そうすると私にはやはり、hosho氏は細田氏か、細田氏に近い方としか思えません。
いまとりあえず、それ以上は深く追及しませんが。


何回か書いてきましたが、かつて私が赤毛のアンの感想文コンクールに応募したことを、4年半も記憶した上で2ちゃんねるで記載してきた者がいたこともあります。
私の方が、そんな文章を書いたことを忘れていたくらいですし。

私がドイツにいるときに、秋元康しか知り得ない情報を何度も書き込んできた"あ"がいたこともあります。

ですから今回、細田氏か細田氏に近い方が書き込まれてきていても、なんらおかしくありません。


ココで、これはいったい誰の書き込みなのか?と興味を持つ人間が出てきて当たり前と思うのですが、一般人はそういうことには興味を持ちません。

なのに2ちゃんねるでは、根拠が確かではないにもかかわらず、書き込み者を特定したと騒いでいる者が後を絶ちません。


人間って結局、自分から見て憎たらしい、という感情しか動機にできないのでしょうか?

ところで、"さしてもらいます"は関西圏の言葉ですよね。
関西弁と断定できるかはわかりませんが。

"バケモノの子"で一郎彦に文字を教えた者についての考察及び、スタジオ地図について

今朝早くにコメントがありました。

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-a428.html#comment-111571850

名前:           hosho

内容:
--------
大西さんの考察読ましてもらいました。 
イチロウが人間界に行った事があるのは正解です。
あとは誰がイチロウに文字を教えたかですね。
答えは映画の中に出ています。三回目行くことがあれば気にしてみて下さい。
バケモノ界の文字は人間界とは勿論異なります。
スタジオ地図に関してですが創立時より対外的に募集はかけてません。履歴書を送ってきた方に関して面接を行っています。アニメ業界に対する思い等を纏めた履歴書があれば送ってみてはどうですか?直接訪ねても事務の方で預かってくれますよ。

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一郎彦に文字を教えた人物が、作品中に出てくるとすると、楓しか思いつきません。

楓は、自分から勉強を教えようとした九太(蓮)に対して、
「こんなに楽しそうに勉強する人初めて見た」

と言っています。

言い換えると、それ以前に勉強を教えたけれども、もがき苦しんでいた人物がいたと考えられます。

一郎彦であれば、自分を人間ではないかと思いながら、人間に対する憎悪(捨て子だったと認識したかは知りませんが、恐らく人間界から捨てられた存在とまでは思ったでしょう)を持ちながら、復讐のために勉強をしていたのです。

その姿を楓はどう見たか。

逆に、楓が一郎彦に文字を教え、その教材として「白鯨」が使われたとすると、楓が九太(蓮)の取った「白鯨」を見ることと伏線として繋がります。

また、楓は一郎彦を見たことがあるのですから、渋谷の街に現れた一郎彦を見て「あの人だ」と思ったと思います。

"答えは映画の中に出ています"というのはそういう描写の中に出ているのでしょうか?


"アニメ業界に対する思い等を纏めた履歴書"なんてあるわけありませんが、履歴書にプラスして、アニメやその他もろもろについて思うことを書くと、2,30枚にはなると思います。

細田守さんの、2枚でいいところ150枚の絵を描いたのには負けますが、私だって伊達娘に1,000通以上のファンレターを書きましたし、量とか思いでは負けないと思います。

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