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2015年9月1日

2015年9月 1日 (火)

【ネタバレあり】大島優子主演「ロマンス」けっこう面白かったです。

小田急の宣伝映画ですし、私は大島優子の演技をさほどいいとは思っていなかったので、さして期待せずに行ったのですが、かなり良かったです。


大島優子が同世代のジャニーズ系とイチャイチャするのを"ロマンス"と言っているのかと勝手に想像していたのですが、さにあらず。


大島優子演じる北條鉢子が、ロマンスカーの売り子をしていたら、ダメプロデューサーの桜庭から売り物のお菓子を万引きされる、というたわいもないイントロダクションなのです。

桜庭は貧乏で借金にあえぎながらも映画を作りたいロマンに溢れていて、そういう生き方に、自分を引っ張ってくれる桜庭の存在に対して、鉢子がロマンスを感じた。
そういうお話でした。


鉢子と桜庭はおおよそ二十歳くらい違う設定ですが、いまの世の中には女性がロマンスを感じられるオトコがいない、だからそこまで年の差を付けねばならないのかとも思いました。


また桜庭って、映画とか、演劇、芸能等々でなかなか売れない役者さんらが、どうしても自分を投影してしまうような存在と思いました。

「大き過ぎる借金は、借金とは言わない」

というのも名言と思います。
実際に自己破産できますし。(私は自己破産しましたし)


そして桜庭の演技は、どう考えてもお笑いだと思っていたのですが、大倉孝二さんという、ふつうの役者さんっぽいですね。
脚本が良かったのかなあ。

いや、でも大倉さんクセあるし、お笑いに向いていると思いました。
E.T.のネタなんてめっちゃ笑いました。
(いや私は実のところE.T.自体観たことないのはナイショです)

但し桜庭は、売れるまで映画について詳細に検討をしてないとも思いました。
自己満足で止まっている。
だからついつい万引きしてしまったのです。

この物語の後で、鉢子を助けた後の桜庭がどう変わったかなんて、想像するだけでも面白いですよね。


鉢子は、母親が怠惰でオトコに溺れる設定だったのですが、そもそも"鉢子"という名前を付けられたこと自体、鉢子は両親から愛されてなかったと考えます。

だって、"鉢子"なんて名前だと、"ハチ公"とか言っていじめられるのは目に見えているからです。
そこまで気が回らない程度にしか愛されていなかったのです。

私も、"ひでのぶ"なんて名前ですが、濁点が2つもあればいじめられることくらい、本来両親は容易に想像できているはずです。
(ですから私は、名前は字画よりも呼び名がいいかどうかで判断します)

そして鉢子には、両親と仲良く旅行した記憶がありました。

私には、両親を連れて、東京や、松山、さらには台湾まで行きましたが、さして仲良く旅行した記憶がありません。

大西弘子が博昭のわがままを真に受けて、口論をさらに燃え盛らせるために、私としては気が安まらなかったのです。
ですから本当に、両親との記憶で、懐かしい、戻りたいというのはありません。


鉢子は母親の離婚後に、ステーキを食べさせてもらい、母親自身はコーヒーだけ、という描写がありましたが、端的と思いました。

子供の鉢子としては、ステーキではなく、母親と一緒に食べたかったのです。

けれども母親は、鉢子に対して"ステーキを食べさせる"という行為で、恩を着せつけているだけだったのです。

恩を着せつけられている食べ物など、美味しいはずがありません。
大西弘子が作る料理はすべてそんなものでした。

だから私は、美味しいものは半分こする派です。

たぶんNHKの"みんなの歌"で聴いたと思うのですが、私は物心ついたときから、名犬ジョリィの、"ふたりで半分こ"という詞が好きでした。
大西弘子はそれを理解しませんでした。


鉢子に母親が送りつけた手紙も、桜庭が鉢子を強引に連れ出すため、死を連想させましたが、鉢子の母親は大した意味もなく書いたと思います。
私への大西弘子の手紙と同じです。
ですから鉢子はラストで、オトコを連れてロマンスカーに乗る母親に遭ったのです。

ですからラスト、鉢子は母親に気づいても、母親は鉢子に気づかなかったのではと思います。

というのも、母親は結局、鉢子に訴えたくて手紙を書いているのではなく、
「手紙を書いている自分偉い!」
としか考えていないからです。


鉢子がこれからどうなるかわかりませんが、桜庭のような男性に出会って欲しいと思います。

そして男性諸氏は(いやもちろん女性もですが)、私とまでは言いませんから、せめて桜庭くらいには夢を追い求めて欲しいと思います。


大島優子、確実に演技上手くなったと思います。

鉄ちゃんとしても、MSE以外に箱根登山鉄道の電車も出てきたりして、股旅物のような展開だったのも面白かったです。

私をさも"かき氷"(覚醒剤)の取り扱い者のようにしているのって、やはり警察が私を不当逮捕するための下準備なのでしょうか?

それであるとき警察が私の手提げ袋に覚醒剤をコッソリ入れ、それを証拠として逮捕すれば、
「書き込み自体が大西のものだったのだな!」
ということにデッチ上げられます。

私がいくら、被害を申告しても、社会は警察を信用するでしょう。

デッチ上げ逮捕が横行していることは周知の事実にもかかわらず、目の前で現在進行形で起こっていることについては、警察のほうが正しいと思ってしまうのが人間なのです。

裁判所の不当判決だって同じです。


日本は、政府が率先して行う違法行為で溢れているのですが、それが当たり前のこととして見過ごされています。

いまの日本政府を打倒して、違法行為を行わない政府を作れば、だいぶ暮らし向きは変わるはずです。

日本政府はいま、違法行為を隠蔽するために多くの人材や費用を使っていて、それが膨れ上がる国債残高の大きな原因と考えています。


日本政府による違法行為の一覧データベースを作って、その人々が団結すれば、その取り巻きのボランティアも集まるでしょうし、日本政府を打倒できる最もスマートな方法と思います。

というのも、右から左まで、どのような政治主張の一般人民であっても、法治国家の存在を否定はできないからです。

ところが既得権益者は内心、法治国家よりも人治国家のほうが都合が良いと思って、そういう国にしているのです。


そういう観点から見ると、ブルジョア対プロレタリアという構図が見えるといえば見えるのですが・・・

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