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2015年9月12日

2015年9月12日 (土)

実家の蔵にはガラクタが入っている。

なんせカネ目のもんは全部売っぱらったからなあ。

もしかして財宝のひとつくらいあるかもやけど、蔵に入ったところで大西弘子から殺されてもイヤやから、私は実家の蔵はないものと思うとる。


そもそも人間、生涯で財を成す者と、財を失う者とのどちらかやねん。

蔵なんかに頼ったら、私は財を失う者になる。

日立製作所や日本政府を木っ葉微塵に砕いて、さらに再構築してはじめて、私の名誉が回復し、いくばくかの財もできるやろ。

伊達娘を嫁にもらおうと思うとるのに、アホばっか住んどる、ど田舎の蔵をアテになんかできるかい。

Mr.hもなんか違うなあ。私は東京には拘らん。

最低5年間は東京にいたほうがいいと言われても、私だって情勢により居場所は変える。

いまは日本政府と戦うために東京におるけど、有名になって身に危険が及んだら、再亡命となる。

但し兵庫県の土を踏むつもりはない。

伊達娘が兵庫県で公演でもせん限り。


まあ、裁判所が明らかにおかしい手を打ってきたし、私が開封していない、児玉晃一への懲戒請求結果が、私のアンチブログのコメントに為されたこともあるし、私が他人に訴える手はいっぱいある。

とにかく、私が動けば動くほど、敵は失点を重ねる。

フツー大組織を相手にしたら、裁判に備えて動かないのが定石やから、私が如何に敵の術中にはまらない奇策を出し続けて来たかが分かるやろ。

先ほどの短編小説が、比喩に満ちているのは、海を見たことのない少年が海鳥を知っていたり、海の空の色を知っていることとも繋がります。だいたい空の色が変わるなんて何キロ歩いたのか。

これらの記載の間は、どうしても矛盾が感じられます。

とはいえ、海を見たことのない少年が海鳥を知っていたり、海の空の色を知っていることについては、少年が知見を持っていると読むことも可能です。

何かが起こる予兆を捉えられるのです。

海鳥の羽毛については、誰かの協力の隠喩でしょうか。


私には、海鳥や海の空の色に当たるものが見えています。
それは工作活動です。

工作活動が為されるからこそ、敵は弱っていると捉えられるのです。


そういえば今日、日立製作所への個人情報開示請求について、まだ最高裁で訴訟救助の特別抗告却下は決定していないのですが、判決が確定したと、高裁だけでなく地裁から改めて特別送達を受けました。

明らかに法に反しているので、策を練ります。

AKS案件の方も同様に最高裁に訴訟救助の特別抗告をしていますが、なにも言って来てないことからも、日本の無法独裁政府組織の総意というよりも、日立製作所が私に対して個別に動いて来たことが推察されます。

伊達娘が、自分の大切にしている「ことば」として、「おかえり」という言葉を挙げたことに、私は違う気がして、小学生の頃に読んだ、「あの山を越えれば、海が見える」じゃないかと思いました。

AKB48岩田華怜さん、選んだことばは「おかえり」 
http://www.asahi.com/articles/ASH9172X9H91UKJH00L.html


伊達娘が朝日新聞に出させてもらっていて、AKBでは伊達娘以外に名文家の宮脇咲良しか選ばれてないので、光栄なことと思います。

咲良はアキブータンの言葉を選んでいて、ちょっと違うと思います。


私はよくカエサルの、「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない。」という言葉を引用しますが、この言葉が原動力かというと、どうも違う気もします。

そこで思い浮かんだのが、「あの山を越えば、海が見える」という、小学生の頃に読んだ短い小説の一節でした。


「あの山を越えれば、海が見える」で検索しても、上の方だと出てこないのですが、いくつか読んだら出てきました。

私の記憶違いで、「あの坂をのぼれば、海が見える。」でした。
全文掲載している方がおられるので、私も全文掲載させてもらいます。
(著作者から苦情が来たらそのとき。)

てかリンクから、小学校ではなく、中1の教科書だったと知りました。

ーーーーー
http://hinokiblog.exblog.jp/13817035


あの坂をのぼれば、海が見える。
少年は、朝から歩いていた。
草いきれがむっとたちこめる山道である。
顔も背すじも汗にまみれ、休まず歩く息づかいがあらい。

あの坂をのぼれば、海が見える。
それは、幼いころ、添い寝の祖母から、
いつも子守唄のように聞かされたことだった。
うちの裏の、あの山を一つこえれば、
海が見えるんだよ、と。
その、山一つ、という言葉を、少年は正直に
そのまま受けとめていたのだが、それはどうやら、
しごく大ざっぱな言葉のあやだったらしい。
現に、今こうして、峠を二つ三つとこえても、
まだ海は見えてこないのだから。
それでも少年は、呪文のように心に唱えて、のぼってゆく。


あの坂をのぼれば、海が見える。
のぼりきるまで、あと数歩。
半ばかけだすようにして、少年はその頂に立つ。
しかし、見下ろす行く手は、またも波のように、
くだってのぼって、その先の見えない、
長い長い山道だった。
少年は、がくがくする足をふみしめて、
もう一度気力を奮い起こす。

あの坂をのぼれば、海が見える。
少年は、今、どうしても海を見たいのだった。
細かく言えばきりもないが、やりたくてやれないことの
数々の重荷が背に積もり積もったとき、
少年は、磁石が北を指すように、
まっすぐに海を思ったのである。
自分の足で、海を見てこよう。
山一つこえたら、本当に海があるのを確かめてこよう、と。


あの坂をのぼれば、海が見える。
しかし、まだ海は見えなかった。
はうようにしてのぼってきたこの坂の行く手も、
やはり今までと同じ、果てしない上がり下りの
くり返しだったのである。


もう、やめよう。
急に、道ばたに座りこんで、
少年はうめくようにそう思った。
こんなにつらい思いをして、
いったいなんの得があるのか。
この先、山をいくつこえたところで、
本当に海へ出られるのかどうか、わかったものじゃない。
額ににじみ出る汗をそのままに、草の上に座って、
通りぬける山風にふかれていると、
なにもかも、どうでもよくなってくる。
じわじわと、疲労が胸につきあげてきた。
日は次第に高くなる。


これから帰る道のりの長さを思って、
重いため息をついたとき、少年はふと、
生きものの声を耳にしたと思った。
声は上から来る。
ふりあおぐと、すぐ頭上を、光が走った。
翼の長い、真っ白い大きな鳥が一羽、
ゆっくりと羽ばたいて、先導するように次の峠を
こえてゆく。
あれは、海鳥だ!
少年はとっさに立ち上がった。
海鳥がいる。
海が近いのにちがいない。
そういえば、あの坂の上の空の色は、
確かに海へと続くあさぎ色だ。
今度こそ、海に着けるのか。
それでも、ややためらって、行く手を見はるかす
少年の目の前を、ちょうのようにひらひらと、
白いものが舞い落ちる。
てのひらをすぼめて受けとめると、それは、
雪のようなひとひらの羽毛だった。

あの鳥の、おくりものだ。
ただ一片の羽根だけれど、それはたちまち少年の心に、
白い大きな翼となって羽ばたいた。


あの坂をのぼれば、海が見える。
少年はもう一度、力をこめてつぶやく。
しかし、そうでなくともよかった。
今はたとえ、このあと三つの坂、
四つの坂をこえることになろうとも、
必ず海に行き着くことができる、
行き着いてみせる。
白い小さな羽根をてのひらにしっかりとくるんで、
ゆっくりと坂をのぼってゆく少年の耳に
あるいは心の奥にか
かすかなしおざいのひびきが聞こえ始めていた。
               ~ 杉 みきこ著「ちいさな町の風景」から ~

ーーーーー


この内容、あらかた忘れていたのですが、いまの私になんと当てはまっていることか!

だから全文掲載とさせていただいたのです。


そして、私はこの主人公の少年として言いたい。

もうやめようと思うのは、帰るところがあるからです。

帰るところがなければ、海を目指して、来る日も来る日も、ただひたすら歩き続ければいいのです。


"今はたとえ、このあと三つの坂、
四つの坂をこえることになろうとも、
必ず海に行き着くことができる、
行き着いてみせる。"

私は、この通りに考えていますが、さらに、たとえ坂がこのあと100あろうとも、立ち向かうつもりです。


この文章は、中学生に向けて書かれたものとは思えません。

午前中に歩いて二つ三つと越えられる峠を、越えてみたことがないって、現実にはあり得ません。
峠の向こう側には集落があり、そこに行ったことがないと思うからです。

峠の向こう側に集落がない、山だけの場所を突き進むのであれば、それはもう立派な"遭難"ですし。

そういう些細なツッコミを許さないくらい、力強く、大人に対して、新しいものごとを開拓することの困難を説いたものです。

伊達娘に、東北仙台の故郷を捨てろとは言いません。

けれども、たとえば私が南アフリカのナイズナで食べた中華料理屋の一家、彼らは一生中国に帰ることはないのだろうと想像します。

ナイアガラの滝で利用したトルコ人タクシードライバーだってそうでしょう。

よく出す話題ですが、「耳をすませば」の「カントリー・ロード」という歌も、原詞を敢えて逆にして、故郷を捨てる詞になっています。


伊達娘もこういうことを知り、帰るところがない者の強さにも、思いを馳せて欲しいと思います。


咲良も本当は、こういうことを言いたかったのかな、とは思います。

日本は第二次世界大戦後の70年間に、多くの戦争をしてきた

朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク戦争に、日本からアメリカ軍が出撃したのはもとより、これらの戦争後方支援をした結果、経済成長を成し遂げました。

それだけでなく、たとえば米軍基地用地の接収に対して、農民や学生らが激しく抵抗し、それを鎮圧するために、警察・公安は、彼らを警棒で殴りつけて負傷させました。

これを外国に対して行えば、間違いなく"戦争"と言われます。
いや、日本人に対して行っても、実態は"戦争"です。

しかもその土地接収の妥当性を、日本政府は憲法・法律で示せないから、違憲判決とされる砂川判決で、アメリカと密談した上で、結論ありきの住民逆転敗訴判決を出してきたのです。


というのがなかなか国民に伝わらない。報道されないから。
Twitterだって、"70年間"は平和だった、だから護憲を。という人々で溢れているのだって問題です。

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