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2016年2月3日

2016年2月 3日 (水)

この私に対する賞賛の書き込み、工作員によるものと疑うけど、いずれにせよ賞賛せざるを得んようになっとるのは間違いない。

コレ、工作員なんかガチなんか、どうなんかなあ?
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凄い文章書く人がいるとタレコミがあり、拝見いたしました。
率直にいいますと、これほど衝撃受けたのは久々です。
面白い面白くない、良かった悪かったというような感想が多い中、
映画の感想に様々なできごとや体験を繋ぎ合わせる技術は、誰にも真似できないであろう素晴らしいものです。
内容もどんどん広がっていくけど飽きることなく、
逆に吸い込まれていくような感覚になります。
これほどの文章の書き手ですと、執筆活動されているのでしょうか。
コンタクトとることは可能でしょうか。
ぜひ詳細についてお話しさせていただきたいです。
投稿: ライターしませんか? | 2016年2月 3日 (水) 20時05分
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けど、いずれにせよ、書いとる内容はガチやな。
この3日でも、文藝春秋、朝日新聞社、新潮社からアクセスがあったのは事実やし。

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とはいえ、ホンマにライター募集しとったら、私の人となりについて得られるものからいろいろ分析してみるはずと思うねん。
そう考えると、やっぱどう考えても工作員やろ。
こういう大手が私についてチェックしとる事実もあるんやから。
てか文藝春秋に関しては3アクセスのうち2アクセスが2月に入ってからやから、私について探りを入れてきた可能性もなくはない。
とはいえ文藝春秋もアキブータンの事務所と目と鼻の先でズブズブやし、結局私に関する記事なんて書けるワケがないよなあw
だいたい私でさえ、私のように次から次へと発想が湧いてくる文章の書き手を見たことがない。
そう考えると、私のノーベル文学賞は堅いよなあ。
ノーベル平和賞は当然や。
そんで、そのほかにも、2012年に日立製作所を懲戒解雇される前に、鉄道のRAMS(IEC62278)規格を守るために、プロジェクトでどのような資料を作成しなければならないか?を、”RAMSテンプレート”として、上司であった横須賀靖から言われて、私が悩みに悩んだ末に、テンプレートなどではなく、プロジェクト管理者が持つべき心構えのほうが必要なんちゃうか?と思うて書いた資料がある。
いま読み返しても、自分でホレボレするくらい、じゅうぶんに名文や。
さらに、それに先立って、2008年8月31日(さややの10歳の誕生日かw)に、赤毛のアンの感想文コンテストに応募した

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んやけど、それを新潮社の関係者がウォッチしとったらしく、ちょうど3年前のドイツ亡命時代に指摘してきた。
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【ドイツで】元日立製作所大西の事情70.17【一冬】
796 :名無しさん:2013/02/01(金) 06:14:38.00 ID:72112NRS0
岩田スレで赤毛のアンについて触れてたけど、大西さんって昔に赤毛のアンの
感想文を応募したことありませんでしたか?
ただ一人別の視点で書いててなんとなく大西秀宜という名前が記憶に
残ってて、なんでなのかなと思ってましたけどやっと思い出しました。
内部ではかなり話題になりましたね。
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4年半も名前と内容が記憶に残る文章なんやから、恐ろしく名文やったんやろ。
とはいえ、それを聞いたとき、私はそんな文章を書いたか記憶になかったけど、検索したら確かにあった。
この文章なんて、いま読み返しても、ウルッとくる。
この時点で、既にフツーの人間の感想文の範疇のはるか上をいく名文を書いとるやろ。
日立製作所は、もうこの時点で、個人の光る能力を判断できんくらいに、官僚組織になってもとったということやな。

E235系が三枚におろされている(3分割されている)というtwitterの投稿と、その考察

”E235”でのtwitterでの検索結果
この、三枚おろしの画像が恥ずかしいなあ。
2分割かと思いきや3分割とのこと。
運用初期でさほど走ってない、いまの段階で編成を分解しとるって、ナニが考えられるんやろ?
もともと首都圏の車輌なんて、編成を分解するなんて発想がないはず。
だいたい山手線なんて、川端敦が間違えて理解して言うとった”ブス引き通し”をやっとるんやから、編成は分解しない。
てか”ブス引き通し 山手線”で検索しても、私の書き込みかそのコピーしか出てこんぞ。
そうするとその技術はめっちゃマイナーで、ほとんど技術者しか知らんことになる。
たとえば以下の私の書き込みとか。
私の書き込みを、総合車輌製作所スレで引用しとるヤツもおる。
なのに、永久連結であるはずの編成をどうして分割したのか?
私なんかは、各々のモータのノイズ対策をするために、メーカ担当者の移動が少なくて済むように、3ユニットに分解して近づけたんちゃうかと想像してまう。
テストだって3ユニットで行うから、その行き来にどうしても時間がかかってまうしなあ。
3分割する理由ってそれくらいしか考えられんのちゃうかなあ。
205系みたいに、都落ちして地方(仙石線)なんかに転用する場合くらいしか、ユニットずつの分解なんてあり得んのとちゃうん?
いや、既に山手線では無理と判断して、ATACSと同じことにして、1ユニットで仙石線で試験運用させるようになっとったりしてw
工作員、なんか言いたかったら言えよ。
ちなみに仙台は、個人的には京都みたいな存在に昇格しとるなあ。
心の中のふるさと。
兵庫なんてもう微塵もないし。
そういや今朝夢に大西弘子が出てきたけど、なんかワケワカランこと言うとったから決裂した。


それと、鉄道ヲタって”TK”とか、わざと専門用語を使って知ったかする。

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http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11118896256

TK入場やOM入場などの情報はDJ(ダイヤ情報雑誌)で知ることはできるのでしょうか?
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こんなアタマ悪い質問見ただけでげんなりする。
アイドルヲタでさえここまでアホな質問はせんよ。

「鉄道車両の、東京総合車両センターへの入場情報や、大宮総合車両センターへの入場情報などの情報は、鉄道ダイヤ情報誌で知れるのですか?」
って聞けばええやん。
てかそれだけ書き下せたら、”ggrks!”とか言われてまうやろけどw
けっきょく、コレ書いとる”travelby651”なんか、質問したいことが趣旨ではなくて、中途半端に知っとることを自慢したいことが趣旨になってもとるねん。

ヲタにはこういうヤツが多い。

アイドルグッズとか鉄道模型とか、とにかく持っとる数を誇示するのも、その延長や。

歯科医なう

今日も歯科医来ました。

最近月水金と歯科医に来ています。

奥歯をしっかりなおさないといけないので。

NMBの”ドキュメンタリー映画”の感想を清書したぞ。

握手行為を肯定する駄作
ドキュメンタリー畑の舩橋淳監督を起用ということで、期待したけれども、期待を裏切る駄作で、途中で出たくなった。
ひとことでいえば、総選挙に向けて運営に都合のいいストーリーを作って、今年も投票しろと言っている映画。
総選挙みたいに誰かが決めた枠組みに入れるかどうかではなく、自分が自分の思う道を進めるかどうかを描くのが、真のドキュメンタリーであると私は考える。
そういう意味では、ちょっと評価してもいいのは、卒業した河野さんの描き方くらいか。
須藤りりぽんが哲学を語る場面がちょこちょこ出てくるけれども、真のドキュメンタリーを望んでいた私から見ると、上っ面の哲学遊びをしているとしか思えない。
そのりりぽんに対して撮影監督だかが、センターなのに表情が暗い!とか言って泣かせる場面があるけれども、じゃあどういう表情をすればいいのか、監督たち自らが示せてない。
NMBがこういう高圧的な現場なのだと知れたことは、若干は良かったか。
先生が自分から自分の思う回答を言わずに、生徒を困惑させるのは、日本の学校教育の、いや為政者が弱者をいじめる手口そのもの。
最後にあーぽんが支配人から呼びつけられて、オトコがいないか追及される場面、これも、やっぱあんなことしてNMB(AKBグループ)はメンバーを脅迫していると思った。
ドキュメンタリーならば、こういうのも問題点として、「本来あるべき姿から離れている現状に関する問題認識」として描けなくてどうする。
また、ドキュメンタリーちゃう!と思った描写として、ふぅちゃんやあーぽんの家族を取材して、家族にNMBの活動に関するセリフを言わせるところがあること。
あんなのは、2人のうち1人を主人公にして、1ヶ月くらい密着したら、本人も家族もカメラが気にならなくなり、ようやく出てくるようなセリフ。
それがあんなスグ出てくるというのは、AKBグループがじゃんけん大会などで露呈している、お得意の"やらせ"そのもの。
ドキュメンタリーではやってはならない禁じ手。
舩橋監督は、ドキュメンタリーを名乗る作品で"やらせ"をさせるほどに落ちぶれた監督というのを露呈した。
幻滅した。
また私はAKBの公演を定点カメラからよく観察しているけれども、NMBのRESET公演でのパフォーマンスを観て、NMBって2年ほど前に動画を観て感じた頃よりも、パフォーマンス力が落ちていると思った。
現在のAKBの若手(の多く)のほうが、もっとよく動けている。
あと、ヲタに、選挙でCDを買うのはおかしいけど、CDを買ってランクインさせねばナニも始まらない、とか言わせているのもあざといと思った。
運営に対して、「どうしてこの子は選抜に入れないのですか?」と掛け合うのではなく、この子が選抜に入れない真の原因を追究して、その子のモチベーションを上げるのが、本当のファンじゃないのか?
そうすると、CDを買わなくても、歌やダンスの先生が教えてくれんようなことを、一生懸命に考えて、一緒に考えてくれるのが、ホンマのファンと違うのか?
そういう根本論に突っ込むのが、本来は哲学なのだが、りりぽんも舩橋監督もそこまで至ってない。
そもそも、秋元康が舩橋監督を選んだのは、本当のドキュメンタリーを撮れる監督といっている。
けれども、本当のドキュメンタリーを撮れる監督を秋元康はかつて使ったことがある。
なんと、カンヌで何度も受賞している、是枝裕和監督を、MVに起用したことがある。
是枝監督は、2011年に、「桜の木になろう」のMVを撮り、当時若手のホープだった松井珠理奈を、いきなり、死んだ人として撮った。
是枝監督いわく、秋元康は全く制約をかけなかったそうだ。
だからこそ是枝は、この握手に依存するグループが破滅に向かっていることを感じ取り、秋元康が最も売り出したい松井珠理奈が死ぬ設定で撮り、秋元康の本気度を試したのだろう。
(追伸:「桜の木になろう」のMVを改めて観たら、○年後、選抜メンバーがAKBという学校を卒業(AKBが破綻)し、それぞれに大学、就職、恋愛、結婚、などをしている想定で撮ったドキュメンタリーと観ることは可能である。
恐らく是枝監督はそのような設定で「桜の木になろう」のMVを制作したと思われる。)
そして秋元康はそれ以降、是枝監督に対して全く仕事を依頼していない。

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