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2016年4月30日 (土)

たとえ1文であっても、自分の投稿であることを特定し主張するための仕組みが"トリップ"やぞ。

そのトリップを使うて書いてきた者について、個人を特定するのは、なんらおかしくない。

むしろトリップがついているにもかかわらず、"こんな短い文で人の判別なんてできない"などと、トリップを無視して書いてくること自体、隠蔽工作しようとする意思がミエミエやないか。


【INTEROS】E235系 9編成目【欠陥電車】©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/rail/1459150639/910

910 : 名無し野電車区2016/04/30(土) 05:13:54.72 ID:2Ues93GR
>>909 
そのように考える根拠は?こんな短い文で人の判別なんてできないでしょ。

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日本の無法独裁政府組織(JLDGO)工作活動」カテゴリの記事

コメント

短い文だけでそのトリップが AKBメンバーのものであるとは断定できませんよね?

これまでは、初体験の話をごまかしてきました。
でも、友達の話を聞くと、初体験をするまでにいろいろな苦労をした人が多かったんです。
それを聞いて自分の初体験を思い返してみると、あれはあれで良い体験だったのかなと思うようになりました。
自分の気持ちを整理するために、そのことを書いてみたいと思います。
あまりエッチな話じゃないんで、適切でなかったら消してください。


中二のときに、友達から「ホモのおっちゃん」のウワサを聞きました。
家に遊びに行くとエロビを見せてくれて、フェラをしてくれるおじさんがいると言うのです。
友達はフェラに興味があったようですが、俺は、男の人と経験できるんじゃないかと思いました。

そのうちに、何人かが「ホモのおっちゃん」の家に行っていることがわかりました。
俺が興味があると言うと、一緒に連れて行って貰えることになりました。

友達4人と一緒に行きました。
「ホモのおっちゃん」の家は古い貸家で、家の中は雑然としていました。

「ホモのおっちゃん」は35才ぐらいのちょっと暗そうな感じのおじさんでした。
「ホモのおっちゃん」は俺達を部屋に入れると、飲み物を出してくれて、みんなが服を脱いだらエロビを見せてくれると言いました。
友達がトランクスだけになったので、俺も服を脱ぎました。

みんなが畳の上に寝転がると、エロビを見せてくれました。
みんながエロビに見入るようになると、「ホモのおっちゃん」はトランクスの上からみんなのアソコを触り始めました。
俺は、アソコを触られている友達が気になって、ばれないようにそっと見ていました。
でも、友達はみんなエロビに集中していました。

「ホモのおっちゃん」が友達のアソコをトランクスから引きずり出して、口にくわえてフェラをし始めました。
みんなのアソコは大きさや形や毛の生え方が違っていました。
みんな、エロビを見ながらフェラをされていました。
俺は、友達がフェラをされたり、ガマンできなくなってトランクスの上から自分のアソコを触っているのを見て興奮していました。

「ホモのおっちゃん」は友達を順番にフェラしていきました。
俺は一番最後でした。
「ホモのおっちゃん」はトランクスの上から俺のアソコを触って堅いのを確認すると、俺のトランクスを下ろしました。

「ホモのおっちゃん」がアソコを口にくわえてくれました。
すごく気持ちよかったです。
フェラをされながら、身体も触られました。
オナニーよりずっと気持ちよかったです。
初めての時は、すぐにイってしまいました。
イクと恥ずかしくなって、自分でトランクスをあげて、エロビを見ているふりをしました。

エロビが終わって、「ホモのおっちゃん」とちょっと話をして、また遊びに来るように言われて家を出ました。
その日の夜は、友達がフェラされているのを思い出して4回もオナニーをしてしまいました。

それからは、友達を誘って「ホモのおっちゃん」の家に行くようになりました。
最初のうちは、一人で行くのは怖かったので、3人から5人ぐらいで行くことが多かったです。
何度か行くうちに、「ホモのおっちゃん」といろいろな話しをするようになりました。

「ホモのおっちゃん」が良い人だとわかってきたので、俺は相談があると言って一人で行きました。
俺が男の人とセックスをしてみたいと言うと、ゲイビデオを見せてくれました。

そのビデオは中学生ぐらいの男の子のビデオでした。
男の子が2人で素っ裸になって抱き合ったり、キスをしたり、あそこを触りあったり、フェラをしたりしていました。
俺は初めて見るゲイビデオから目が離せませんでした。

俺がゲイビデオに集中している間に、裸にされて四つん這いにさせられました。
両手でお尻を広げられて、なめられました。
お尻をなめられるのは、すごく気持ちよかったです。

指でお尻に冷たいモノが塗られました。
「ホモのおっちゃん」の指がお尻の中に入ってきました。
ちょっと痛かったけど、俺はゲイビデオに夢中で痛いのも気になりませんでした。

ゲイビデオでは、中学生がお尻に入れていました。
入れている子も入れられている子もすごく気持ちよさそうでした。

俺のお尻にも「ホモのおっちゃん」のアソコが入ってきました。
俺は、「ホモのおっちゃん」に入れられながら、入れているのがビデオの子だったらと思ってビデオを見続けていました。

「ホモのおっちゃん」の動きがだんだん激しくなりました。
イったみたいでした。
「ホモのおっちゃん」は俺の身体を倒すと、フェラをしてくれました。

俺はフェラでイカされた後でもビデオから目が離せませんでした。
「ホモのおっちゃん」の顔を見たのはビデオが終わってからでした。

その日から、俺は一人で「ホモのおっちゃん」の家に行くようになりました。

「ホモのおっちゃん」の家に一人で行くようになって何度目かのことです。
家を出たところで、道を歩いていた高校生から、「お前、○○さん(ホモのおっちゃんの名前です)の家から出てきただろ」と声をかけられました。
俺はヤバイところを見られたと思ってあせりました。
でも、その高校生が、自分も「ホモのおっちゃん」の家に行っていたと言うので、ちょっと安心しました。

近くの公園で話をしました。
その高校生から、「俺はゲイなんだ。お前もゲイだったら友達にならないか」と言われました。
俺はすぐにうなずきました。

公園はもう暗くなっていました。
ベンチでズボンの上からアソコを触りあいました。
俺のも堅くなっていたけど、高校生のもすごく堅くなっていました。

俺たちは公園の便所の裏のあまり目立たないところに移動しました。
俺は高校生のズボンの前をあけました。
高校生も俺のズボンを脱がしました。
ナマでチンポを触りあうのはすごく気持ちよかったです。

高校生に「お尻に入れたい」と言われました。
俺は便所の壁に手をついてお尻を突き出しました。
さっきまで「ホモのおっちゃん」に入れられていたので、すぐに入りました。
その高校生は「ホモのおっちゃん」よりずっと激しく掘ってくれました。
高校生の動きが激しいので、俺は両手で壁に手をついて身体が動かないように支えていました。
高校生の動きが、すごく激しくなって、俺の中でイったみたいでした。

高校生はイっても、堅いままで、動きを止めただけでした。
尻の中に入れたまま、うしろから抱きしめられました。
そのまま、しこられました。
俺は便所の壁に飛ばしてイキました。

俺がイったら、高校生がまた掘り始めました。
精液で滑りやすくなったお尻はすごく気持ち良かったです。
高校生が「イクぞ」と言いました。
動きが激しくなりました。
2回目のときは、俺のお尻の中でイったのがわかったような気がしました。

高校生はアソコをお尻から引き抜くと、俺を抱きしめて、キスをしてくれました。
友達と遊びでキスをしたのを別にすれば、それが俺のファーストキスでした。

高校生が口の中に舌を入れてきたりしました。
俺も高校生のマネをして舌を入れてみました。
2人の舌がからみあいました。

シャツを着たまま、下裸で何度もキスを繰り返しました。
誰かに見られる心配があったけど、高校生と裸で抱き合いたかったので、「裸になりたい」と言いました。
2人ともシャツを脱いで、立ったまま抱き合ってキスをしました。

高校生に「彼氏になってくれる?」と告ったら「うん」と言われました。
素っ裸で抱き合うと、暖かい身体が触れあってすごく気持ち良かったです。
堅くなったあそこをお互いに押しつけあいました。
キスをしながら、アソコをしこりあいました。

しこられているうちに、すごく気持ちよくなって、高校生の口に思いっきり吸い付いていました。
高校生がしこるスピードをあげてくれました。
俺は高校生の口に吸い付いたままイキました。
高校生もイキました。

2人のお腹や胸は、お互いの精液でドロドロになりました。
精液をこすりつけながら抱き合うと、すごくくすぐったかったです。

高校生はマサトという名前でした。
次の日から、マサトと俺は、毎日のように会いました。
家には親がいるので、2人きりになれる場所を探して、暗くなった公園や屋上に勝手にあがれるマンションに行きました。

何度も会っているうちに、だんだん相手のことがわかってきて、ほんとうに好きになっていました。
セックスだけじゃなくて、ゲーセンやカラオケでデートをしたりしました。

俺は、誕生日のプレゼントにゲイ雑誌が欲しいと言いました。
2人で2丁目に行って、バラエティショップでゲイ雑誌を買いました。
俺の高校の入学祝いで、初めてゲイバーに行きました。

マサトは、バラエティショップもゲイバーも一人だったら絶対に入れなかったと言っています。
俺が後ろにいたので、半端なところを見せられないと思って、勇気を出して入ったそうです。
俺もマサトに連れられてじゃなきゃ、どっちにも行けなかったと思います。
2人が一緒だったから、お店に入れたんです。


これまでずっと、初体験は「ホモのおっちゃん」とではなくて、マサトとだったら良かったのにと思っていました。
でも、考えが変わってきました。
俺が「ホモのおっちゃん」の家から一人で出てきたからこそ、マサトは俺がゲイだと思って声をかけてくれたんです。
俺は、マサトが連れて行ってくれたから2丁目に行けたんです。
2丁目に行くようになったから、ゲイの友達が大勢できたんです。

そのすべてのきっかけは、「ホモのおっちゃん」でした。
今は、「ホモのおっちゃん」と初体験をしたことを後悔しようとは思いません。
俺は「ホモのおっちゃん」と初体験をしたんだって、胸を張って言いたいと思います。

俺の彼女は今から5年前にヤクザにレイプされたと言ってた。

当時はクラブに勤めていたのだが、その店にヤクザが飲みに来たらしい。

格好は普通でヤクザには見えなかったらしいが、彼女の事を初回で気に入ったらしく、指名してくれたそうだ。

3回目の指名で3万くらい使ってくれてたので、ヤクザのアフターに付き合う事にした。

高級クラブとかじゃないから、不況の時代に3万円を使ってくれる客は有難い存在だったみたい。

断るのも悪いので、軽く居酒屋くらいならって事で店が終わってから大手の居酒屋に行った。

居酒屋で2時間くらい飲んで、3時30分を回ったところで眠くなり、帰ろうって事になったらしいのだが、ヤクザが車で送ってくれると言うので遠慮なく車で近くまで送ってもらう事になった。

車に乗って数分くらいで睡魔に襲われ、そのまま眠ってしまったそうだ。

どうやらトイレに行ってる間に精神安定剤か睡眠導入剤を入れられたらしい。

目が覚めた時はベッドの上で既に全裸にされていた。

薬の影響で頭と体がボーとしていたので、何が起こったのか事態を把握するのに少し時間が掛かったらしい。

オッパイを吸われて乳首が感じた時にやっと犯されてるのだと気付いたが、頭も体も思うように動かず、抵抗はしたけど殆ど抵抗にはなってなかったそうだ。


体は動かないが、全身を隈なく舐められて感じてしまい、余計にヤクザが興奮していた。


口で


「いやー」


と弱々しく言ったが聞き入れてくれるはずもない。


ヤクザに


「本当は気持ちが良いんだろ?」


と言われてそのまま挿入されてしまった。


挿入されてねっちこいピストンを繰り返された彼女は感じて声を出してしまっていた。


ヤクザは


「犯されてるのに感じるなんて、あんた変態じゃないのか?」


と言われたと言っていた。


そのヤクザは言葉責めが好きだったみたいだ。


30分くらいのピストンが続き、ヤクザは果てた。


彼女は未だ薬の効果が切れていないのでグッタリしてた。


30分くらい眠ってしまったらしいが、目が覚めると再び彼女の上に乗り激しいピストンを再開した。


もう抵抗する気力がなかったのと、既に1度犯られているので、そのままセックスに流されて感じまくったそうだ。


更に30分くらいして2回目が終わり休憩。


彼女はダルい体を起こし、男の背中を見て初めて刺青に気が付いたそうだ。


怖くて体が固まってしまったそうだ。


それから再び押し倒され、3回目のセックスに突入。


怖いのと、既に2回犯られてるのとで全く抵抗はしなかったそうだ。


3回目になって彼女の体が少し動く様になると、ヤクザが彼女を起こして騎乗位にされ、下からガンガン突かれまくった。


一切の抵抗をしない彼女はされるがままに感じまくり。


ヤクザが腰の動きを止めたので、自ら腰を使った。


持続力の在るヤクザはかなりの長い時間ピストンを繰り返し、正常位へ移行。


そして言葉責めを始めた。


「あんた、相当の好き者だな。

もうあんたは俺の女だぜ!!分かったな!!?」


と言って3回目のフィニッシュは中出しだったそうだ。


彼女は当時は付き合ってる彼氏が居たのだが、彼氏には相談出来ず、ヤクザが怖いので言いなり状態で、店が終わるとすぐヤクザの住むマンションに呼び出されていたそうだ。


彼氏はサラリーマンで、週に2回くらいしかセックスしていなかったらしく、平日は殆どヤクザのマンション通いだったそうだ。


最初は彼氏への罪悪感があったが、彼氏よりもヤクザとのセックスの方が多いせいか、段々と罪悪感も薄れてしまい、情が移ってしまった。


そりゃ彼氏が週2でヤクザが週5では敵わないだろう。


ヤクザは仕事があってないようなものだからね。


時間の自由が利くからリーマンとでは勝負にならないのだ。


最初に犯られた時に連れ込まれたホテルに昼過ぎまで居た。


シャワーを一緒に浴びながら自分の女宣言をされた。


ヤクザ「もう、お前は俺の女だぜ!!」


彼女「そんな・・・私には付き合ってる彼が居るんです。

だから貴方とは付き合えません!」


ヤクザ「そんな事は関係ない!お前は俺の物だ!だから男とは別れろ!」


彼女「嫌です!そんな事出来る訳ないでしょ」


ヤクザ「取りあえず今夜店が終わったら俺の部屋に来いよ!!良いな!?来なかったら彼氏にバラすぞ!」


彼女「そんな!お願いだから、それだけは止めて!」


とこんな感じのやり取りがあったらしいです。


台詞は彼女の話からの推測で、こんな感じかって聞いてみたのです。


そんなこんなで、彼氏にバラされたくない彼女は、店が終わった後で彼氏と深夜に会う約束をキャンセルしてヤクザのマンションに行き、その時は5回くらいセックスされたらしい。


そのヤクザにとって彼女は余程好みだったようだ。


(あくまで外見が)


俺から見れば少なくともブスではないし、決して普通でもない。


むしろ普通よりは可愛いし綺麗だとは思うが、特別綺麗って感じでもない。


これを言ったらマズいから言えないけどね。


人からは良い女だと言われるが、他人の女は良く見えたりするものだ。


ヤクザに抱かれながら彼氏の事を思い出し、悪いと思いながらも体は正直だ。


しかも、彼氏よりも少しだがチンポも長く持続力があり、回数も多い。


正直に彼氏よりもSEXは良いのが彼女の本音だった。


それが余計に彼女を感じさせ、彼氏への罪悪感を増幅させた。


しつこいくらいの愛撫とピストンで朝までヤリまくりで、彼女はクタクタになった。


3回目のSEXが終わった後で一緒に風呂に入り、体を洗わされた。


(一緒に入らせられたと言う表現の方が適切か?)


その時に、ヤクザは彼女を彼氏とSEXさせない為、下の毛を剃られてしまった。


止めてくれと言ったが、剃らせないと彼氏にバラすと言われ、仕方なく剃らせた。


毛を剃られてしまった彼女のアソコはツルッツルになった。


これで毛が生え揃うまで彼氏とはSEX出来なくなってしまった。


彼女のツルツルのアソコに興奮したヤクザは風呂で挿入開始。


そのまま中に出されてしまった。


3回目だからか、運が良かったからか、幸い妊娠はしなかった。


シャワーでヤクザが彼女のアソコを手で開いて洗い流すと、精子がドロドロと出てきてしまい、これは夢ではなく現実なのだと認識した。


それからベッドへ戻って5回目のSEXを開始。


このままではヤバいと思った彼女だが、良い手立ては思いつかなかった。


更にヤクザは彼女の全身を強く吸い始め、全身をキスマークだらけにされてしまった。


これで数日間は彼氏とはセックスできない。


アソコの毛も剃られてるからどの道出来ないが・・・その日の夜は金曜日でいつもなら彼氏とSEXする日だ。


キスマークだらけでアソコの毛を剃られてしまった彼女は、次の日の土曜日も彼氏と会えなかった。


当然彼氏からは


「何で土曜日も会えないのか?」


と問い正されたが、


「お客さんとのアフターがあるから」


と言って誤魔化したそうだ。


勿論、ヤクザとの情事が原因だ。


3日連続でヤクザに抱かれまくって、段々彼女の体はヤクザに馴染んできてしまっていた。


本気でヤバいと思ったがどうする事も出来ない。


日曜日は店が休みで、彼氏と会う事になったが、アソコがツルツルで全身キスマークだらけの状態を見せるわけにもいかず、彼女は生理が酷いからと言う理由でSEXを断った。


いつもなら生理でも平気でSEXしてたので、彼氏は不信に思っていたらしい。


その時点で、彼女と彼氏は1週間SEXしていなかったのだ。


更に毛が剃られてしまっているので、、生え揃うまでに最低でも20~30日は掛かる。


それまで彼氏とSEXできないし、どうやって断るかを考えが良案は浮かばない。


俺の経験でも、余りにもSEXしない期間が続くと駄目になる可能性が高い。


結局、彼女は彼氏には忙しくて同伴ノルマに指名客とのアフターで忙しくて疲れて体が持たないという理由で彼氏とのセックスを断った。


もし、その彼氏が俺なら無理矢理にでも押し倒してしまうけどな。


日曜日にSEXなしの彼氏と会った後でヤクザの家に直行。


彼氏にもさせてないのに、ヤクザに抱かれなければならないの罪悪感で余計に感じてしまう。


その時に初めてヤクザにフェラチオをさせられた。


彼女はフェラチオは初体験ではないが、余りフェラは得意でなかったので、正直好きではなかったらしい。


しかし、ヤクザにフェラを徹底的に仕込まれてしまったそうだ。


それからは毎日ヤクザとSEXをする様になり、その度にフェラの特訓をさせられていた。


そしてフェラの特訓を開始して3日目でヤクザを口で逝かせる事に成功。


ヤクザは満足していたそうだ。


フェラ特訓を開始して4日目で初めて精子を飲まされたそうだ。


ヤクザと関係を持って1週間1日も欠かす事なく抱かれていたのだ。


関係を持って既に1週間で、彼女の体はヤクザに完全に馴染んでしまっていた。


僅か1週間で彼女の体はヤクザに完全攻略されてしまった。


彼女の方も、段々と情が移って罪悪感も薄れてしまい、彼氏との別れの予感を感じていた。


でも、彼氏にはバレたくないと言う複雑な心境だったそうだ。


ヤクザもちょっと強引だが、SEXさせている分には優しくしてくれるし、脅したり彼氏にバラすみたいな事を言わないので、余計に情が移ったのかもしれないと言っていた。


関係を持って既に2週間、相変わらず彼氏と会ってもセックスは無い。


しかし、ヤクザとは2週間連続で抱かれ続けている。


彼氏とは毎週金曜~日曜の3日程のペースで会うのだが、2週間もSEX無しで、さすがに彼氏も溜まっていて爆発寸前。


押し倒されたが、ツルツルのアソコは見せられない。


何とかSEXを拒む為、彼女はヤクザに仕込まれたフェラで誤魔化した。


徹底的に仕込まれた彼女のフェラで彼氏は3分も持たずに逝ってしまったそうだ。


アソコを舐めたがっていたが、見せるわけにもいかない。


彼女は彼氏をフェラする事で3回ほど抜いてなんとか裸を見せずに済んだ。


フェラチオが上手くなったので彼氏はちょっと驚いていた。


「お前随分と上手くなったな。

一体どうしたんだ?」


彼女は


「愛してるから一生懸命にやっただけ」


と説明して誤魔化した。


それから関係を持って1ヶ月が経った頃、やっと毛が生え揃ってきた。


ヤクザに初めて抱かれての1ヶ月間で彼女は既に25日以上も抱かれていた。


心の中で


「これじゃどっちが彼氏が分からないな・・・」


って思ったそうだ。


1ヶ月ぶりに彼氏と街に待ったSEX。


彼氏も毎週フェラだけだったので、久々のSEXで興奮してる。


濃厚なセックスをしたが、彼氏は10分も持たないで逝ってしまった。


2回目も10分未満で果ててしまい、嫌でも彼氏とヤクザのSEXの違いを実感した。


しかも彼氏への罪悪感が益々薄れてきている事に気付いた彼女は、ヤクザに


「彼氏に悪いから関係を切りたい」


と相談した。


もちろん、OKする筈がない。


SEXさせて貰える分には優しいヤクザも、そうなると彼氏にバラすと再び脅してくる。


「お前さえ黙ってれば、彼氏と別れなくて済むんだぜ」


と言われ、挙句の果てに


「じゃあ、彼氏と別れれば良いじゃん」


と言われてしまう始末。


しかし彼氏と別れる事に承諾しない彼女にヤクザの嫉妬が爆発。


彼女は再びパイパンにされてしまい、また彼氏とのセックスが不可能になった。


久しぶりに彼氏とセックスしたのに、僅か3日で再び彼氏とセックス出来なくなったのだ。


ヤクザはパイパンになった彼女の体をロープで縛り、写真を撮られてしまった。


更に隠しカメラで撮影したビデオを観せられ、撮られてる事を知った。


自分が抱かれてるシーンを見て、これを見せられたら100%アウト。


騎乗位で自ら腰を振り感じて喘ぎ声を上げてるシーンや、フェラチオをしてるシーンを彼氏が見たら許してくれる筈が無い。


無理矢理だったと言っても誰も信じないだろう事は容易に想像出来る。


そして、ついにヤクザは平日彼女の部屋にも来る様になった。


お互いの部屋を行き来する状態。


それからはセックスしながらの言葉責めと、彼氏と別れろコールが続いた。


もう体はヤクザを拒めない状態になっていた彼女の心は傾いていった。


体にヤクザのセックスが染み込んでしまった彼女は、暗示に掛かった様に彼氏と会う回数が減っていった。


今までは週に3回だったが、週に1回にまで減っていた。


毎日の様にヤクザに抱かれ、感じて逝かされまくり、言葉責めと別れろコールでは心も傾いて当然だろう。


しかも、


「汚いから彼氏とはなるべくキスもするな」


とSEXの最中に命令され、


「言う事を聞かないと彼氏にビデオと写真を見せる」


と言われ、彼女は催眠術にでも掛かった様に彼氏とのSEXやキスも拒む様になっていった。


(当時の自分は催眠術に掛かったみたいだったと彼女が後に自供していた)


ヤクザとの関係が3ヶ月を過ぎた頃、再び久しぶりに彼氏とSEXしたが、彼女は既に彼氏とのセックスでは余り感じなくなっていた。


毎日の様にヤクザとのSEXで感じさせられ、言葉責めをされてヤクザの言いなり状態では当然かも知れない。


しかもキスも余りしていないし、ヤクザとのセックスの方が激しくて、強い情熱感じる様になっていたのだ。


また、それが彼女がヤクザが自分を強く愛してくれてると錯覚したのかも知れないと自分でも言っていた。

私は38歳の主婦です。


 あれは昨年の7月の出来事でした。

主人のお義父さん(当時60歳)は大工の仕事をしていて脚をケガし自宅で養生している時の事でした。

主人は(40歳)サラリーマンでお義父さんの事なんか私にまかせっきりで毎晩、お酒を飲んで遅くに帰ってくる毎日でした。

お義父さんは60歳にしては元気な方で、脚が痛いと言うわりにはよくパチンコに出掛けていました。


 そんなお義父さんに異変を感じたのは結婚して間もない頃からでした。

私の洗濯物をコソコソあさったり、干してあった下着が数枚無くなっていたこともありました。

その時は下着泥棒かな?て思っていましたが、今思うとお義父さんの仕業だと思います。

そして、とうとうお義父さんは私に手を…。


 問題のあったあの日、お義父さんは昼間パチンコ屋から帰ってきました。

私は洗濯物を取込んで部屋で洗濯物をたたんでいると、背後に人気を感じ振り向きました。

なんと、鼻息を荒くしたお義父さんが既に下半身裸のまま立ち尽くしていました。

私は突然のことで頭の中が真っ白になり動けませんでした。


 お義父さんはおどおどする私をみるなり、急に私に抱きついてきました。

お義父さんは私の背後からタンクトップとブラを捲り上げ(少し自慢)の大きめのバスト(92)を汗ばんだ手で激しく揉み上げてきました。

同時に耳たぶや首筋をお口でなめ回してきました。

私は必死で抵抗しながら「お義父さん、止めてください!主人に言いますよ!お願い止めてー!」と言いました。

しかしお義父さんは聞く耳も持たず、がむしゃらにオッパイを揉み乳首をつまんで引っ張ったりしてきました。


 フッと気が付くと私の背中にゴツゴツと何かが当たりました。

お義父さんはそのゴツゴツした物を腰を動かしながら私に押しつけてきました。

今度は、私を床に押し倒し仰向けにしオッパイに吸い付いてきました。

両手で強く引き寄せ、乳首を舌先でチロチロと舐めたかと思うと少し歯を立て強く吸い付いてきました。

私はもう抵抗する気力も有りませんでした。


 お義父さんは私のオッパイを十分堪能すると、今度はスカートを素早く脱がせ私はパンティー一枚の格好にされました。

お義父さんはわたしの膝を両手で強く広げ、しばらく眺めていたみたいです。

「けいこさん、こんなに小さいパンティー履きよって!毛が納まりきらんて、はみ出しちょる!」

そう言うとパンティー越しにクリトリスの部分から肛門の方までを太い指で上下に何度もなぞり始めました。

私もフト気が付くとお義父さんの指の動きに合わせ腰を上下に動かしていました。

愛液が溢れ出てパンティーがお○こに張り付いているのが分かりました。(凄く恥ずかしかったです)

お義父さんはなかなかパンティーを脱がそうとせず、しつこく指で責め続けてきました。


 そして、やっとお義父さんは私を四つんばいにすると、パンティーをそっと膝までズリ下げてきました。

お義父さんは剥き出しになった私のお○こを眺め言いました。

「たけしはけいこさんのここに何時も出し入れしとんか!ビラビラも大きくクリトリスもコチコチじゃ!しかし、子供が出来ないのはなぜじゃ!」

そう言うと中指をお○こにおし込みながら奥でグリグリとかき回し、同時に肛門を舌先で舐めてきました。

私はそれまでのお義父さんのしつこい指責めでもう完全に変になっていました。

思わず「あぁ、あぁぁぁ~」と声が出てしまいました。


 それに気づいたお義父さんは「けいこさん、イヤじゃなかったんかい!うん?そんな声出しおって!たけしに見られたらどうすんだ!」

そう言うと次はお義父さんが床に仰向けに寝ころび、四つんばいの私の下になりました。

俗に言う69の格好です。


 お義父さんは私のお尻を両手でさすりながら、目の前のお○こにジュルジュル音を立てながら激しく舐めてきました。

そして私の目の前には、お義父さんの大きくカチカチになったペニスが突き出されていました。

私は自然とお義父さんのペニスを握り上下にシコシコと動かし、大きな亀頭を口に含み唇をキュと締め根本から先まで何度も吸い上げました。

私のフェラにお義父さんのペニスはさらに大きくなり、主人の物より遙かに大きかったです。


 しばらくお互いを舐め合うと、お義父さんは私に上になるように言いました。

私は自分の唾液でテカテカ光るお義父さんのペニスにまたがるとグゥと腰を沈めました。

「アフ~ウウ~」

一瞬全身から力が抜けました。

お義父さんは下からズンズンとペニスを突き刺してきます。

私も夢中でお尻を上下左右に激しく振り、時々お尻を円を描くようにグルッと回しお義父さんのペニスを味わうようにゆっくり動かしました。

(主人ならもう既に果てていると思います…)


 お義父さんは次にバックを強要してきました。

私は床にグッタリしお尻だけを高々と突き出しました。

お義父さんは私のお尻を両手で引き寄せ、お○こにペニスを押し当て一気に根本まで挿入しました。

お義父さんの亀頭が私の子宮にゴツゴツと当たるのが分かりました。

私はもう失神寸前でした。

とともに二人とも汗だくでした。

そしてフィニッシュは正常位でした。


 お義父さんは腰を振りながら私のオッパイに吸い付き、たまに両方の乳首を摘み引っ張られるとイキそうになりました。

男性は主人を入れて3人しか知らない私にして初めての快感でした。

そして次第にお義父さんの腰の動きが早くなり、私も何を言っているのか分からないくらいでした。

お義父さんは「けいこさん中出しでもええじゃろ!なぁ、なぁ」と言ったので、私は「お父さんイヤ!それはイヤ!」と反射的にペニスを抜こうとしましたが、お義父さんは強引に私のウエスト部分を引き寄せ、さらに激しく腰を動かしたかと思うと「オッオッオ~ぅぅぅ~」と言い、最後の一滴まで私の中で放出しました。

しばらくそのままでいました。

お義父さんが放出を終えたペニスを抜くと、私のお○こからドクドクッと大量の精子が逆流し、肛門を伝い床にこぼれ落ちていました。


 その後、二人は何もなかったように振るまっていました。

勿論、主人には絶対に言えませんでした。

昨年の12月にお義父さんは交通事故で他界しました。

私は今、大きな腹を抱えてテーブルに向かっています。

産むまでに是非このことだけは言いたかった。


 後一ヶ月で生まれます。

主人は結婚14年で初めて子供が出来ると喜んでいます。

私も喜んでいますが、主人の子でないのが…苦痛です。

しかし、主人の血も混ざっているので良いと思っています。

2月のある日突然、中学1年13才の息子が急性大動脈解離を発症、8月に川崎幸病院で手術を致しました。その経過をお話致します。
 息子は13才中学生、風邪も引かず病気とは全く無縁、小学生からサッカーチームに所属し、全くの健康優良児でした。それが、2015年の2月のある日の夜、何だか背中がおかしいとの事、私は2階の息子の部屋に行くと、背中が痛いと言います。寝返りした時に背中を捻ったんだろうか?そんな事を考えていると、2分も経たないうちに凄いうめき声を上げ、部屋中をゴロゴロと転げ回っていて、私は何が何だか分からず、でも酷い苦しみようなので、救急車を呼び近くのA病院に搬送しました。到着すると担当医は鎮痛剤を打ち レントゲンと血液検査をしましたが、異常は見当たらないとの事でした。しかし、様子は全く変わらず、酷いうめき声を上げていて、その病院はベッドの空きが無いとの事で、B大学病院へ搬送される事になりました。B大学病院では、私は控え室に案内され、外から先生方のバタバタと動き回る足音がしていました。何だかおかしい。何か有ったのか?と思っていると、若い医師が来て、「落ち着いて聞いて下さい、大動脈に解離の所見が出ました」と言われました。解離と言う言葉に、私は全身の血の気が引いてしまいました。それと言うのも、息子が3才の時に、私の兄が46才で同じ病気(大動脈解離)で亡くなっていたからでした。兄は、朝普通に仕事に行き 仕事の打合せ中に痛みを訴え、救急搬送された病院で急性大動脈解離でその日の昼過ぎに亡くなっていました。その為、急性の大動脈解離という病気が、大変な事だとよく解っていました。

 B大学病院では息子の手術が出来ないとの事で、手術が出来るC病院へ搬送となりましたが、このC病院にたどり着いた時にはもう朝方4時を過ぎていました。そしてC病院での説明では、「これから同じ急性解離の患者が運ばれて来ます。もしその患者が大人の場合、大人の手術を優先するので、お子さんの手術は後になります」との説明でした。子供は後回し?何故?と思う中、すぐに検査が始まり、検査の結果下行大動脈解離;スタンフォードB型と診断され、手術をせず降血圧剤を使用し安静療法をするとの説明でした。それから45日の長い入院生活をする事になりました。
 C病院の説明では、小児の発症はとても珍しく例が無いので手術は難しく リスクも大きいので手術はしたくないとの事でした。しかし、いつか何処かで手術が必要な事も説明され、ただお宅のお子さんのように小児の大動脈手術が出来る病院は、日本ではほとんどない、それくらい難しい手術だと思って下さいとの説明でした。C病院が、小児科の有る受け入れ可能な転院先を当たって下さったのですが、2週間経っても受け入れ先が見つからず、B大学病院に戻される事になりました。2015年3月31日にC病院を退院し、いざB大学病院へ行くと、どの科で受診したら良いのか?紹介状が有るにも関わらず、小児なので小児科か?病名から循環器科か?心臓血管外科か?などと、どの科の医師達も自分の科では無いだろうと、受診科が決まらず、1時間程待たされました。取り敢えず、循環器科に通されたものの、どうしてここに来たんだろうと言う空気が流れていて、次回からは小児科で経過を診て欲しいとの事でした。一体誰が息子を診てくれるのだろう?
いつ大動脈が破裂するかも知れず、安心して生活が出来る状態ではありません。とりあえず自宅退院はしたものの、B大学病院からの指示で、息子は学校へは行っても良いが、運動は一切禁止、重い物を持つ事も、体をひねる事もしないでくれとの事でした。

 13才の中学生が殆んど体を動かさない生活が始まりました。そんな流れの中で、息子と同じ小児の症例は無いか?手術の症例は無いのか?私は必死でインターネットを調べ、その中で山本先生の所属する川崎幸病院のサイトにたどり着きました。手術が難しいと断られた患者達が、山本先生を頼りに全国からやって来ると言う、大動脈専門のセンターのようだ、もしかしたら?、そんな期待を持ち早速主人が予約の電話を入れると、紹介状無しで受けて下さるとの事、救われる思いで受診をしました。2015年5月の土曜日、山本先生の外来受診となりました。少し緊張しながら診察を受けると、山本先生は、「お宅のお子さんの手術が出来るのは、この病院しか無いでしょう」と仰り、「小児だからと言って、手術が出来ない訳では無い、手術は体の大きさで考えましょう」とお話をされ、しばらく経過観察しましょうと言って下いました。やっと手術を含め、息子の病気を引き受けてくれる病院が有った、そんな思いでいっぱいでした。その後、8月に検査をする予定をしていたところ、6月末の朝 また背中が痛いとの訴えに、救急にて川崎幸病院大動脈センターで診察をしましたが、検査に大きな変化は無いとの事でした。しかし、その時に検査をして下さった、大動脈センターの藤川先生と大島先生から、やはり今回のように症状が出るのであれば、早く手術をした方が良いでしょうとのお話が有り、「今迄13才の小児の症例は実績は無いが、しかしこのままにしておく事は出来ない、なのでこれから僕達は色々調べます。もしも手術前に緊急で別の病院に運ばれる事が有れば、当院から医師がドクターカーで迎えに行き お宅のお子さんから連絡が有った場合は、直ぐに手術準備をして病院に到着後20分で手術を始めます」。そうお話して下さいました。手術と言う言葉から一歩も引く様子は無い、何と心強い事だろう。そんな事を自信を持って話せる医師が、心臓血管外科医の中に一体何れくらい居るだろう?普通ならリスクを考え そうは言えないものだろう、この病院の医師達の志の高さに深い感謝の思いと共に、山本先生が仰ったように、息子の手術はこの川崎幸病院大動脈センターでしか出来ないと確信し、心の底から救われた気がしました。そして、術前の不安も解りやすく丁寧に説明して下さった島村先生のお陰で、私達はよく理解し納得する事が出きました。中学生の息子には、大島先生が不安を与えないように優しく説明して下さり、大変な手術で有るけれど、本人も手術への覚悟をする事が出来ました。そしてこの病院は、どの先生が出て来られても、皆さん情報を共有していて、誰でも同じ説明が出来るところが凄いと感心させられました。
 手術当日の朝 山本先生が病室に来て下さり、「大竹君 今日は手術だね」と軽く声を掛けて下さいました。手術時間は8時間くらいでしょうか?との私の問いに「えっ、そんなに掛からないなー、4、5時間かな?」と軽くお話をされ、手術を前に重苦しい気分の私にフワッと安心感を与えてくれた気がしました。午前11時 息子が手術室に入ると、私達は不安な気持ちで控え室に座り、どの病院でも難しいと言われた手術なので簡単では無いだろうと思いながら祈る思いで待っていました。夕方4時半頃、突然山本先生が家族控室に入って来られ、「大竹さん、手術が終わりました。無事に終わりましたよ」と明るい表情で言って下さり、私はその場で全身の力が抜け、しばらく力が入りませんでした。その後、山本先生と一緒に手術をして下さった大島先生からは、「僕は血の一滴も出さないつもりで手術をしました」と言って頂き、この病院の手術に向かう医師達の姿勢に心から感謝致しました。良かった、本当に良かった。半年間運動も出来ず、辛い学校生活をして来た息子も、また大好きなサッカーが出来るかも知れない、本当にありがたい。山本先生に、大動脈センターにお願いして本当に良かった、他の病院では、こうは行かなかっただろう、この病院に来て本当に良かった、心からそう思いました。
 そして、次の日ACUへ行くと さすがに息子の顔は浮腫み、色々な計器に繋がれ、痛みで目も開けられない様子、夜痛み止のブロック注射をして頂いきました。手術2日目、また苦しんで居るのだろう、辛い思いでACUに入ると、ベッドから降り、椅子に座って歯磨きをしている。ブロック注射が効いているにしても、こんなに早く動けるのか?手術3日目、ACUを訪ねると一般病棟に移ったと言うこと、病室に行ってみると歩行器も使わずに一人でトイレに歩いて行ったとのことで、一体どーなっているのか?こんなに大きな手術をしたのに、そんなに早く回復するのだろうか?と不思議でした。以前見たこの病院の体験談に、この病院の術後は楽だと書いて有ったのですが、本当なんだと思いました。手術4日目から痰が絡み、傷口の痛みも有るので痰が上手く出せず、この痰にはなかなか苦戦していました。そして痰が落ち着いた頃には咳が出るようになり、この咳はしばらく続きました。でも、頻繁に病室に顔を出して下さった平井先生から手術中は自分の肺を潰していて、その肺が未だ完全に膨らんでいないが、徐々に膨らんで元に戻り、咳もそれに伴い治まる事ついて色々説明して頂いたので、理由がはっきり分かり、安心しました。
 リハビリは順調に進みました。以前入院したC病院では、500m歩くだけのリハビリで、自宅退院した後は、家では階段を上がって良いのか?悪いのか?何も解らず、自宅2階の部屋には上がらず、2ヶ月程1階のリビングで寝起きをし、自転車には乗らないようにしていました。しかし、この病院のリハビリは違いました。
息子の学校の教室が3階だと言うと、階段を3階分昇り降りし、自転車も20分もこぎ、実際の生活に合ったリハビリをして頂き、これで退院しても不安は無いと思いました。そして、術後15日で退院となりました。
 2月に発症し、半年以上の間、破裂と言う恐怖を感じならが生活して来ましたが、この病院に来て、また以前の暮らしに戻る事が出来ました。山本先生はじめ、関わって下さった先生方には、感謝仕切れない思いです。本当にありがとうございました。そして最後に、兄は大動脈解離の発症時は意識も有り、生きて病院に運ばれたのにも関わらず、病院に到着後に「この病院には年間2人くらいしか解離の患者は運ばれて来ない、手術をしても助かる人は殆んどいないので手術は行わない」と説明されている最中、46才で亡くなりました。
今思えば、その病院では手術をする気が無かったのではないか?いや出来なかったのではないか?多分そのような病院は、多いに違いない、兄もこの大動脈センターに運ばれていたら、きっと助かったに違いない。
そう思うと、無念でなりません。何事でもそうだと思うのですが、出来ると思う人にしか物事は成し得ない。
人の生死に関わる手術を、成功すると信じ切る事はとても難しい事だと思うし、確立した技術や実績が無ければ、信じる事は無理だと思います。しかし、山本先生は、成功を信じ切って手術をして下さっている、そして、ご自身のような若い医師を育てようとして下さっています。是非、このような医師が沢山育ち、兄のように無念にも亡くなる患者がいなくなればと願っています。今回息子に関わって下さった、山本先生をはじめ、大島先生、藤川先生、島村先生、平井先生、本当にありがとうございました。24時間の救急対応という激務の中で、どの先生も正面から患者と向き合える、すばらしい先生たちでした。そして、明るく接して下さった看護師さんやリハビリの先生、コーディネーターの皆さん、本当にお世話になりました。手術から2ヶ月、息子は今 大好きなサッカー部に戻り、仲間と楽しく練習をしています。

はじめまして。私は30代前半の男性です。最近尿管結石(尿路結石)を患ったのでその記録を公開しようと思います。7月22日に発症してから10月19日に排石するまでの3ヶ月間の闘病日記です。同じく尿管結石で不安に思う人の参考になれば幸いです。
とはいえ、尿管結石の病状については人それぞれのようです。私に起こったことが全ての人に当てはまるわけではないのであくまで参考程度に読んで下さい。


尿管結石は基本的に命に関わる病気ではないのですが、病名がわからないと、本当にこのまま死ぬんじゃないだろうかと思わせるような激痛があります。
また、薬を飲んだとしてもすぐに治る疾患ではないので、通常は数ヶ月結石と闘うことになります。


私も痛くて仕事ができなかったり、夜中に痛みで目がさめてしまったりとつらい時期が続き、体内の結石を恨めしく思いました。しかしながら、排石されると妙に感慨深くなります。


画像は私を苦しめた結石です。出たときに便器にぶつかって、割れてしまったので形は変わっています。また、見にくいかもしれませんが、表面がトゲトゲしています。
確かに、こんなのが詰まっていたら痛いだろうなー、と思わせる形状です。憎いヤツですが捨てる気にもならず、保管してあります。

悲劇は前触れもなくやってきた。


その日はいつも通り6時少し前起床。6時過ぎに朝飯を食べてると、右の横っ腹が痛くなってきた。
大体腹が痛い時は原因がわからなくてもしばらくすればおさまることがほとんどなので、しばらくベッドで横になっていた。


しかし、一時間ぐらいたっても痛みはおさまるどころか、なお強くなっていった。そして、吐き気がするようになってトイレで嘔吐した。しばらくぐったりしているとまた吐き気が襲い…。結局3,4回は吐いた。


これはこれまでの人生にない苦しみであり、今までのように時間が経っても治らないだろうと思った。
私は一人暮らしで周囲に知り合いもいない。動くことが出来なくなると、それは死を意味する。万一を考え、携帯電話をしっかりと手元に置いた。そして、もたもたしている暇も無いので次の行動を起こすことにした。


まず、私は盲腸(虫垂炎)を疑った。今まで盲腸になったことはないが、確かアレも横っ腹に激痛が走るらしい。
ネットで調べてみると(痛いけどまだその余裕はある)、盲腸の場合、右腹を押さえて急に離すと激しく痛むそうな。
自分もやってみたが、別に痛みは変わらない。どうやら盲腸ではないようだ。


次に疑わしいのは、酒の飲み過ぎである。私は酒が好きで、焼酎を毎晩飲んでいる。酒の飲み過ぎで腸に穴が開いたのではないかと思った。吐き気もあるし、絶対胃腸系の病気だと思った。
となれば行くのは消化器科だ。ネットで近所の消化器科のある病院を探すが、大抵の病院・医院は9時開院なことがわかった。現在は8時過ぎなのでまだ時間はある。
痛みはさらに激しくなり一時間も待てないと思った。救急車を呼ぼうかと一瞬思ったが、まだ、なんとか動ける。
自転車で10分位行った所に、8時半開業の、地域で一番大きい病院があるので、そこまで根性で行くことにした。


途中、気が狂いそうな痛みに耐え、病院にたどり着いた。初めて行く病院なので、総合受付で自分の症状を説明して、手続きをしてもらった。
なんとか病院にたどり着き、これで死ぬことはないだろうと少し安心したせいか、私は受付の椅子に座ったまま動けなくなった。痛みで小さくうめき声を上げ続けていたせいか、看護師さんが気遣ってくれた。ちょっと失礼しますと、私の右脇腹を押さえて離して、どうかと尋ねてきた。やはり盲腸を疑っているらしい。


いや、盲腸ではないと思います。私としては腸かどこかの内蔵に穴が開いたのではないかと思います。だから消化器科だと思います。と自己診断を述べたが、これが良くなかったかもしれない。素人が病気判断をすべきでないと後から思った(正解は泌尿器科だった)。


病院は混雑していたが、私の様子が尋常ではなかったせいか、急患扱いで順番待ちせずに診療してもらえることになった。そして、私はもう動けなかったので車椅子に乗せられて処置室に運ばれていった…。

はじめまして。私は30代前半の男性です。最近尿管結石(尿路結石)を患ったのでその記録を公開しようと思います。7月22日に発症してから10月19日に排石するまでの3ヶ月間の闘病日記です。同じく尿管結石で不安に思う人の参考になれば幸いです。
とはいえ、尿管結石の病状については人それぞれのようです。私に起こったことが全ての人に当てはまるわけではないのであくまで参考程度に読んで下さい。


尿管結石は基本的に命に関わる病気ではないのですが、病名がわからないと、本当にこのまま死ぬんじゃないだろうかと思わせるような激痛があります。
また、薬を飲んだとしてもすぐに治る疾患ではないので、通常は数ヶ月結石と闘うことになります。


私も痛くて仕事ができなかったり、夜中に痛みで目がさめてしまったりとつらい時期が続き、体内の結石を恨めしく思いました。しかしながら、排石されると妙に感慨深くなります。


画像は私を苦しめた結石です。出たときに便器にぶつかって、割れてしまったので形は変わっています。また、見にくいかもしれませんが、表面がトゲトゲしています。
確かに、こんなのが詰まっていたら痛いだろうなー、と思わせる形状です。憎いヤツですが捨てる気にもならず、保管してあります。

悲劇は前触れもなくやってきた。


その日はいつも通り6時少し前起床。6時過ぎに朝飯を食べてると、右の横っ腹が痛くなってきた。
大体腹が痛い時は原因がわからなくてもしばらくすればおさまることがほとんどなので、しばらくベッドで横になっていた。


しかし、一時間ぐらいたっても痛みはおさまるどころか、なお強くなっていった。そして、吐き気がするようになってトイレで嘔吐した。しばらくぐったりしているとまた吐き気が襲い…。結局3,4回は吐いた。


これはこれまでの人生にない苦しみであり、今までのように時間が経っても治らないだろうと思った。
私は一人暮らしで周囲に知り合いもいない。動くことが出来なくなると、それは死を意味する。万一を考え、携帯電話をしっかりと手元に置いた。そして、もたもたしている暇も無いので次の行動を起こすことにした。


まず、私は盲腸(虫垂炎)を疑った。今まで盲腸になったことはないが、確かアレも横っ腹に激痛が走るらしい。
ネットで調べてみると(痛いけどまだその余裕はある)、盲腸の場合、右腹を押さえて急に離すと激しく痛むそうな。
自分もやってみたが、別に痛みは変わらない。どうやら盲腸ではないようだ。


次に疑わしいのは、酒の飲み過ぎである。私は酒が好きで、焼酎を毎晩飲んでいる。酒の飲み過ぎで腸に穴が開いたのではないかと思った。吐き気もあるし、絶対胃腸系の病気だと思った。
となれば行くのは消化器科だ。ネットで近所の消化器科のある病院を探すが、大抵の病院・医院は9時開院なことがわかった。現在は8時過ぎなのでまだ時間はある。
痛みはさらに激しくなり一時間も待てないと思った。救急車を呼ぼうかと一瞬思ったが、まだ、なんとか動ける。
自転車で10分位行った所に、8時半開業の、地域で一番大きい病院があるので、そこまで根性で行くことにした。


途中、気が狂いそうな痛みに耐え、病院にたどり着いた。初めて行く病院なので、総合受付で自分の症状を説明して、手続きをしてもらった。
なんとか病院にたどり着き、これで死ぬことはないだろうと少し安心したせいか、私は受付の椅子に座ったまま動けなくなった。痛みで小さくうめき声を上げ続けていたせいか、看護師さんが気遣ってくれた。ちょっと失礼しますと、私の右脇腹を押さえて離して、どうかと尋ねてきた。やはり盲腸を疑っているらしい。


いや、盲腸ではないと思います。私としては腸かどこかの内蔵に穴が開いたのではないかと思います。だから消化器科だと思います。と自己診断を述べたが、これが良くなかったかもしれない。素人が病気判断をすべきでないと後から思った(正解は泌尿器科だった)。


病院は混雑していたが、私の様子が尋常ではなかったせいか、急患扱いで順番待ちせずに診療してもらえることになった。そして、私はもう動けなかったので車椅子に乗せられて処置室に運ばれていった…。

 いつもお世話になっております。「三度のクソよりう○こ好き!」総務部のぴんでございます。ゆうすけさんお元気ですか?(笑) あくまでう◯こをするのが好きなだけで、それ以外は基本NGでございます。

 例年12月に掲載されるあたしのレポートは、かねてより行きたいのがヤマヤマだったお店を厳選して調査しております。今回も師走レポ第二弾!普段当会サイトは専らスマホで閲覧しているのですが、久々にPC版を見てみると、地元にバナー未レポ店があるではないですか!? ということで、ぶらり途中下車で船橋に降り立ちます。

レポートNo.128
お店:全裸スペシャル
場所:千葉県船橋市本町
日時:平成27年11月下旬 21:00頃
料金:80分18,000円(アンケート割)+ホテル代4,200円
HP:http://zenra-f.com/
HP:http://zenra-f.com/i/

 HPの体裁はどこかで見たことあるような・・・。しかも姉妹店は痴漢電車でございます。店員さんに『系列なの?』と訊ねてみるとそうでもないような様子です。FCなのでしょうか?システムは五反田とかと丸っきり同じでございます。
 事前に気になる子をチェックしておりましたが、第一希望はいないよう。パネルは6枚並びます。HP上ではこんなに出勤があるのかい?と思いながらも、その点に関しては信憑性がありました。6枚中5枚は目隠しなしで、修正はほぼ無い感じです。何故かと申しますとほとんどタイプではございません。なかなかのバーチィレベルでございます。
 そんな中1枚だけ輝いているパネルがあるではありませんか!目隠しの子はスペックは申し分無し。さぁどっちだ!と考えていると、店員さん2名がイチオシしてきます。ちょこちょこどんな子か尋ねていると、後ろのパーテーションからも店員1名が乗りだし、『間違いありません!!』と薦めてきます。最近このパターンはイマイチなケースが多いのですが、結局乗せられお願いすることとなりました。
 お約束の「酢・醤油」を渡され、ホテルに入り、シャワーを叩いてコロンを浴びます。もう匂いがつきまくりです!!

 ノックがあり扉を開けると中背スレンダーで長髪のあたし好みの子が佇んでおります。しかもコートの中には柔肌が見え隠れしております。
 部屋の中に引き入れコートを脱がせ,そのまま抱き寄せます。口唇を重ねると柔らかく弾力があり、そのまま舌を絡ませ合います。それだけでもうぴん太郎はフルボッキでございます。
 ベッドへ優しくエスコートし寝そべらせたら、お互いのやる気スイッチが点灯します。普段はアイマスクを面倒臭くて外してしまうのですが、この雰囲気を楽しみたいと思わせる嬢であります。むさぼり合うディープキスに加え、胸は形良し!揉んで良し!感度良し!と三拍子揃い踏み!!おま◯こに関しても形がとてもきれいで、臭い無し!隙間なし!愛液なし↓とまずまずです。こちらが責めているときの何気ないぴん太郎へのタッチも秀逸で、あっという間に込み上げて来そうな勢いです。あたしにはアローゼン氏ほどテクニックは無いので、そこそこにしてぴん太郎を彼女の口へ近づきます。

 彼女は仰向きになっていたのですが、ぴん太郎をパクッと咥え、腹筋を使ってじゅぼじゅぼと一生懸命しゃぶってくれます。ここは負けじとこちらも責めさせて頂いて,多少インテリジェンスになってきました。その後体勢が入れ替わり、気持ちいい弾力のある胸が当たるのが敏感に反応し、はっしゃおうらい!!

「ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅ、ぴゅ、ぴゅ、ぴゅ、、、ぴゅ」

アイマスクを取ると、あたしにとってはドストライク!!人懐っこくなった若い頃の村上里佳子さん系の子でございました!!
 その後は二人で仲良くトークタイム。前回大塚のレポと同様にトークが長くなってきますが、この子に関しては嫌みも無く,話しているだけでとても楽しい子でありました。近くの距離で見つめ合って話しをする時間はとてもいいものです。
 そこそこの時間が経ったところで、彼女が悪戯心を出してきます。あたしにアイマスクをして責めまくってくれるとのことでお願いをしました。

 このテクニックがたまらなく気持ちよく、全身リップだけであたしはガクガク。こんなところを舐められたたけでこんなに感じたのは初めてでございます。もちろんぴん太郎はびんびんパラダイスでございます!!はっしゃおうらいの気配も焦らしに焦らされ、時にしてもらえるキスがとても「♪」でございます。
 せっかくなので素股を所望し、彼女にしがみつきながら身体の触れ合いを楽しみます。もう不惑のオヤジのプライドをかなぐり捨てアンアン感じまくり、最後はフェラで思いっきりはっしゃおうらい!!

「ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅ、ぴゅ、ぴゅ、ぴゅ、、、ぴゅ」

2発目なのにも関わらず、1発目と同じ量が出ました!! しっかり数えさせて頂きました。そしたらこの手のプレイのお約束・・・・・・、

ぴ『あ゛ーーーー!う゛ーーーー!!』

 軽い拷問を受けシャワーを浴び、ホテルを出てしばし二人で並んで歩きます。こんな子が彼女だったらと思わせる素敵な子でありました。再訪を約束させて頂きましたが彼女から気になる一言が!!

女『全裸は寒い!!』

その通りでございます。女の子が風邪をひいてはどうにもなりません。この子が辞めてもらっては困るので、お店の方には女の子の服の脱ぐ場所を考えてあげた方がよろしいかもしれません。
 ちなみに一人すれ違った子がいたのですが、この店の子だとバレバレな雰囲気でした。ちなみに好みでは無かったです。

 それでは評価です。

≪総合評価≫90点
ボウイ氏 ☆☆☆☆
顔 ☆☆☆☆☆
スタイル ☆☆☆☆☆
性格 ☆☆☆☆☆
テク ☆☆☆☆☆
CP ☆☆☆☆

 ちなみに今回の子は入店間もない子であったため、総合的なお店の評価は何とも言えません。来客はコンスタントにあるようなので,まずまずなお店なのかも。今度うちの近所の研◯部長とでも一緒行ってみようかと思います。

 拙い文章ではございますが、また投稿させて頂きます。

 皆様こんにちは、bastianiniでございます。
 ここ数回の連敗から、一旦モチベーションを取り戻そうと仕事の合間を見ながら,以前大当たりだった嬢の出勤を毎日チェックしておりました。しかし全く出勤せず、出勤しても予約で一杯・・・しょうがないので目をつけていた良さげな嬢の出勤もチェックしつつ電話をするも,毎回「今日は予約で一杯で」とか「今日は急遽早上がりしてしまって」など、利用する前からブラックか?と思うような状態でして・・・
 そんなデリ嬢チェックの日々が3週間ほど続いたある日の夜中・・・・・もう限界!女体に触れたい!と欲望が湧きあがり片っ端から店に電話。HPや情報誌などを網羅しながら予約を取り付けようとしますが,なにせ週末、中々良い嬢にたどり着けない。そんな中「・・・もう誰でもいいや」という境地に達してしまい決めてしまったお店がこちら

{店名}いちごいちえ
{業種}デリバリーヘルス
{HP}http://www.cityheaven.net/h/ichigoichie/
 (お店自体のHPは無いようでヘブンにとびます)
{電話番号}090-9431-7008
{料金}18000円(90分15000円 指名料2000円 交通費1000円)
{嬢}Z嬢

お店「はい、いちごいちえです」
私「えーと、今から来れる子いますか?」
お店「はい、大丈夫ですよ。どちらのホテルになりますか?」
私「街中になります。あのーできればスタイルがよくって少々年齢が高めでサービスが良い子が希望なんですが」
お店「はい、ではZちゃんがお勧めですよ。ちょっと待ってください(後ろでゴソゴソ言ってる)。・・・大丈夫です。今からご案内できます」
私「ではその子でお願いします。」

 このような流れで予約決定。早速街中のホテルに入りお店に電話をすると15~20分で来れるということ。まぁ今日の目的は女体に触れる、ということだしある程度の地雷でも大丈夫、スタイルさえそこそこ良ければ後は楽しもう、と自分に言い聞かせテレビを見ながら待ちます。

 ちょうど20分ほどで嬢が到着したようでドアをノックする音が。返事をすると嬢が入ってきます。なるほど、このお店は玄関先での店員氏の注意事項説明は無いみたいです。

 「はじめましてー」と入ってきた嬢を見て・・・はい、やってしまいました私!やはり焦ってはいけなかった・・・・何度同じ過ちを繰り返せばわかるのでしょうか?自分に腹が立ってきました。
 お顔の方は・・・残念すぎます・・・ちょっと遠くから見ると、え?60歳くらいですか?と思うほど老け顔です。点数をつけさせて頂けるなら15点といったところ。スタイルは・・・うんどっちかというと悪い方に入るのではないでしょうか?極端に太っている訳ではないのですが全体的に、特にお腹周りには結構なお肉がついています。改正さん、このお肉引き取って頂けませんか?と脳裏に浮かびました・・・

 しかし来てしまったからにはしょうがない、出来るだけ楽しもうと会話に花を咲かせようと試みます。「初めまして~」から始めて「ごめんね~こんな遅くに。疲れてない?」「何か飲む?」などなどご機嫌を伺いながら話していきますが、全くもって会話が成立しません。何を聞いても「はい」「いいえ」と相槌を打つだけで会話に発展しません。「緊張してる?」ときいても「少し・・・」と帰って来るだけ。その後は静寂に包まれます。
 私の方から話しかけないと全く会話がない状態、たまらず私からシャワーを催促します。

 服を脱いだ嬢は・・・全体的にやはりお肉がついていますが、やはりお腹周りから腰、足にかけての肉付きはかなりなものです。これでは・・・今日の唯一の目的である女体に触れるということさえままならなそうだ・・・そう思いながら嬢の洗体を受けますが、局部をチャチャっと洗われただけで、なぜかその後ずっとシャワーを肩から掛け続けられます・・・・もちろんこの間全く会話なし・・・はっきり言って拷問です。私の方からもういいよと断りを入れてそそくさとベッドに移動します。

 見た目、スタイル、会話・・・今のところ全敗です。唯一残されたサービスもこの調子では・・・1ミリ程度の期待を胸にベッドで待っていると嬢が上がってきてベッドにイン、自ずとこちらからの攻めでスタートです。

 まずはキスから始めますが、当然全く受け止めてくれません。歯の矯正でもしてるんですか?というほど唇が開きません。しょうがないので胸に移行、乳首からおぱーい全体を揉みしだき再び乳首攻め、といった流れでしたが、嬢の方は全く微動だにしません。これは手ごわい・・・そう思いながら秘部に手をやってみますが当たり前のようにカラッカラです。クリを攻め、中を攻め、クリを攻め、乳首を攻め、と私のつたない技術ですが一生懸命ご奉仕させていただいたのですが、仏像のように動きません・・・声も出してくれません・・・恋人感を出してみたらどうか?と思い嬢の手を私の首に誘導し抱き合うようにしながら攻めていきますがダッチ○イフのように固まったままです・・・いったいどうしたんだろう?という思いから嬢の顔を見てみます。そこで目が合うと、「うんうん」と小さく頷かれました。全く意味が分かりません。が、おそらくは・・・「お前のテクニックはそんなものか。まぁよくやったよ」といった意味合いなのでしょうね。本日は頑張ったつもりなのですが、私の努力はここまでです。攻守交代を申し入れます。

 嬢の攻めなのですが、当然キスは無いのですが,乳首舐め等も全くなくいきなりF口撃からのスタートです。
 テクニックは・・・いたって普通です。少々やさしめの強さで私的には物足りません。全身リップとかないのか?と思い嬢の頭を私の愚息から離そうとしたのですが軽く拒否されました・・・ここで本日全てを諦め、その後延々と嬢のF攻撃のみを受け、最後は自分で軽く擦りながらの発砲となりました。

 少々時間が余りましたが、やはり会話もなく、しょうがないので二人で無言のままテレビも見て、時間となりバイバイとなりました。

 それでは評価です(10段階にて)

●嬢・・・・・1点
 残念です。それに尽きます。後程HPで名前を確認したところ簡単に情報が載っていたのですが、ほぼ全てでたらめです。合ってるのは身長くらいでスリーサイズや紹介文など嘘が過ぎます・・・見た目重視、スタイル重視の方には全く持ってお勧めできません。 ●受付・・・・・3点
 こちらも標準以下です。話し方や嬢の紹介の仕方などどこか面倒くさいような言い方でした。後、他のお店でもそうなのかは分かりませんし、基本私は指名する派なのでこういう注文方法はしません。なので正解は分かりかねますが、上記に書いたような注文の仕方で指名料がかかっていました。これで満足できるような嬢なら気にもしなかったのですが、地雷嬢で1000円取られると納得できません。
●サービス・・・・・1点
 サービスを受けた記憶があまり残っていません。Fだけです。私の技術不足は大いに認めるところなのですが、いくならんでも無反応過ぎます。私の風俗の歴史でも断トツでナンバーワンです。せめて・・・せめて少しでも・・・声だけでも出してくれたら私もここまでショックは大きくなかったのですが、しばらくまたM性感にしか行けない体になってしまいました・・・・
●総合・・・・・1.5点
 ビックリするほどのダッチワ○フ嬢でした。また、見た目、スタイル、サービス、会話、気遣い等ここまで地雷だと逆に清々しい気分になりました。私的には何故デリヘル嬢としてやっていけてるのか分かりません。おそらくはフリー要員だと思うのですが、それにしても酷すぎます。
 やはり北見では、特に週末は結構デリヘル込み合うようです。私もこの日4件断られてます。そこで我慢できずにフリーで呼んでしまうとこういう結果になるんだと再確認できました。こういう場合、いったん落ち着いて翌日にするとか、前もって予約するとかが大事なようです。

 北見でフリーは危険だとあれほど・・・・しかもフリーなのに指名料とられてるし・・・この件に関しましては私の中では無かったことになっています。次こそ・・・次こそ・・・

 長文・駄文ではありましたが、お読みくださりありがとうございました。

出張で地方へ行った時。
夕食がてら軽く飲んでホテルに帰ってきて、暇だったのでデリヘルを呼んだ。
同業のメーカーの営業の人が教えてくれた所だ。

すぐに大丈夫と言われ、待つこと25分、やってきたのは、
TBSの枡田絵理奈アナ似の20代半ばのお姉さん。
仲々可愛い。まだ始めて2週間と初々しいマスパン。

キスしたりしながら一緒にシャワーを浴びて身体を洗いっこしてベッドへ。
ポッチャリではないが、ムチッとしたエッチな身体をしていた。

「どうしますか?責めるのと攻められるのと?」
「ぁああ・・じゃぁ最初は攻めて・・」と言うと、
俺を寝かせて、キス・・乳首舐め・・乳首舐めしながらの手コキ・・
フェラと攻めてくるマスパン。

フェラもソコソコ上手だったが、何か物足りなかった。

「今度は攻めさせて」と攻守交替。

寝かせたマスパンを同じように、キス・・オッパイ攻め・・
Dカップ位のお乳は弱いみたいで揉んで乳首を吸って、噛んで、摘んでとしてたら、
「ぁああん・・いやん」と喘ぎだした。

乳首を舌で転がしながら、薄いヘアのマンコに手を這わすと、グチョグチョに濡れていた。
指を入れて弄ったり、クンニすると、
「あああん!だめぇ!いっちゃいそぉ」と制止してきた。

「ごめんなさい・・私がきもちよくなっちゃてぇ・・」
「いいよ、続けようよ」
「ダメですぅ・・今度は私が・・」
「じゃぁ、素股して」
「はい・・」とフェラをしてから俺に跨り、素股を始めた。

「あまり上手じゃなくて・・ごめんなさい」と腰を前後に振るが、
確かにあまり上手じゃない。
しかし・・濡れ方が凄かった。
どんどんと愛液が出てきて、『ヌチュヌチュ』とエッチな音を立てながらどんどん白濁していく。
ローションがいらない!

マスパンも仕事を忘れて、
「あああん、気持ちいい、おっきぃ」と目をつぶって喘いでいる。
腰の動きも大きくなり速くなっている。
「あああ!イッちゃいそう!」と大きく動いた拍子にチンコが入ってしまった。

勢いがあったので子宮口を激しく直撃!
「あああっ!逝く!」と膣を急激に締めて、身体をビクンビクンさえて逝くマスパン。
俺の上に倒れ込んできて痙攣してる。

「はぁはぁ・・ごめんなさい・・私が・・逝っちゃってぇ」
「いいよいいよ・・中・・気持ちいいし」
「あっ・・ダメです・・会社に怒られちゃう」と抜こうとするのを、
両手でお尻をガシッと鷲掴みにして押さえた。

「いいじゃん、もう入れちゃったしぃ」と下から突き上げる。
「あん!だめ!いやん!やめて!ああん!」と言うが、
おれにキツく抱きつき、感じ始める。
マスパンが仕事を忘れて喘ぎ捲ってる時、身体を入れ替えて正常位で突き捲る。

「ああん!いい!おっきぃ!」と喘ぎ捲るマスパンは、
俺の首に抱きつき、両足を俺の腰にキツく絡めてきた。
より深く挿入されるので、子宮口をガンガン突くと、
「あああ!イッちゃう!イクイク!と膣を締めだした。

コッチもキツく締め付ける膣に限界で、
「俺も!イキそう!」
「あああ!な、中には出さないで・・あああ」と言うが、
ラブラブロックされてるので、抜けないので中に出した。

マスパンも逝った。
「あああ・・いやぁあ・中に出てる・・」
「はぁはぁ・・挟まれたら抜けないよぉ・・」と抜くと、
精子がダラ~っと垂れてきた。それを見て泣きそうなマスパン。

時間もまだあったので、「1回ヤッちゃったからいいでしょ」と強引にもう1回戦。
ナマで挿入して、色々な体位を楽しんで、最後はバックで
「中はいやぁ」と逃げようとするのを腰をがっちり両手で掴んで突いてまた中出しした。
また中出しされて泣きそうなマスパンに、
「いつも本番ヤラせてるの?」
「ち、違います・・今日が初めて・・たまたま入っちゃったんです」
「お姉さんが感じ捲って入れてきたんだから・・会社に内緒にしてくよ」
と言って返した。

その後、2回位、指名した。
やはり、半ば強引にナマで中出しした。
3回目に指名した時には、もういなかった。

1、 癌告知から手術前まで


1994年5月尿が出なくなり、東京都町田市のあけぼの病院で、泌尿器科の診察を受けた。肛門からの前立腺の触診、尿検査、血液検査、膀胱腎臓のレントゲン検査等の結果、前立腺癌の疑いがあるとの診断だった。詳しい検査の必要があるとのことで、北里大学病院泌尿器科の穎川先生を紹介された。
2週間後大学病院でエコー検査と前立腺の組織を7個所から採取した。次の診察で、生検の結果から、前立腺に癌がありかなり進でいるとのこと。骨に転移しているか核医学検査をする必要があるとの診断だった。
 前立腺の全摘手術は3時間くらいかかり、予後は大変良いが、性の神経を切らないように手術しなければならない点が大変難しいのだそうだ。治療法としては手術が一番いいが、手術が出来ない場合は放射線治療かホルモン療法か、抗がん剤の服用による方法があるそうだ。ホルモン療法では副作用として動脈硬化をきたし、狭心症や心筋梗塞を起こすこともあるようだ。12年前心筋梗塞で、緊急入院し手術もせずに助かったことがある。さて自分の場合はどんな方法をとるのが良いのだろうか。
癌と闘うなんて威勢のいい強がりは言いたくない。癌は強敵である。死の病でもあるのだからもっと厳粛に受止めなければいけないと思う。癌とは死ぬまで付き合うのだから、仲良くしてゆこう。心穏やかにこれからの生活をしてゆこうと思う。
1週間後に核医学検査を受けた。
癌は骨にまでは転移していなかった、との所見。ただリンパ節へ転移しているかどうかはわからないが、前立腺癌であることは間違いなく、治療法としては摘出手術がもっとも効果的であるとのことだった。
心筋梗塞をやったことがあるので現在の状態を検査することになった。心電図、胸のレントゲン検査,循環器内科の診察、CT、MRI、心臓超音波検査、静脈尿路造影検査をした。
手術をすることの結論を出すことは大変なことなんだと思った。と同時に親からもらったこの身体に刃物を入れるなんて何と親不孝なと、思っていただけに何ともいいようのない気持ちになった。
これまでの検査から手術の必要があるとの最終的告知があった。
9月1日入院、8日手術と決定した。手術は98%安全だが絶対安全だとは言えない、盲腸の手術で一命を亡くす事だってあるとも言われた。
覚悟は出来ているがちょっと心配な点もある。癌は死にいたる病であり、とても太刀打ちして闘うなんて出来るものではないので、逆に仲良くして、出来るだけ長く付き合うような気持ちでいようと思う。
入院前日、入院直前の検査ということで、尿検査超音波検査、MRI、血液検査、止血検査、心電図、胸のレントゲンと続いた。一番参ったのはMRIだった。点滴を打ちながら磁気装置の中に入る。検査が始まると太鼓を続けざまに打つような音、次は建築工事現場でのドリルを打ち込むような騒音が耳元でする。これを5、6回繰り返し1時間位やった。これには参った。
前立腺癌の手術は予後は大変良いそうだ。医学書にも書いてあった。現在は転移は見られないそうだから悪いところをとってしまえば、一番良いのかもしれない。ここまで来たのだから、現代医学を信じ、医者を信頼して手術に賭けることにした。


2 手術直後


入院して初めての検査は血圧、体温計測と尿量測定だった。2日目午後肺活量の検査。担当の医師から、「手術は11時入室、12時開始し2,3時間かかる。心筋梗塞をやっているので管を普通の人より多くつけることになる。1ヶ月後には職場復帰が出来るだろう。尿漏れは約1ヶ月位で何とかなるだろう。」 との話だった。
手術承諾書が渡された。それには前立腺全摘手術及びリンパ節廓清術を行うが承諾するか、という内容だった。
夕食後麻酔科の先生の問診と手術についての説明があった。「前立腺手術では出血が多いため普通には、自分の血液を抜いて薄めて貯めて置き手術後、徐々に元に戻してゆく方法(抜血)を取るが、心筋梗塞をやったためこの方法が取れず、輸血することがあるかもしれない。手術後どの方法をとったかは説明する。」とのことだった。
前日の午前中胸から下腹部までの剃毛をし、入浴。午後から麻酔科の先生がこられ、「抜血の方法はとらないことになり、全身麻酔でなく、局所麻酔でやることになった。睡眠薬を注射し、痛み止めも打つから安心して手術を受けるように。」とのことだった。麻酔の方法はいくら説明されてもよくわからない。
夕食後、手術室の看護婦の問診があった。消灯前には主治医の穎川先生がこられて「手術はうまくゆくから安心して任せてほしい。細かいことは心配しないでよい。」と言われた。頑張れ、安心せよ等と言われても患者にはなにも出来ない。頑張るのは先生と看護婦さんだと思った。執刀する先生と看護婦さんにお任せするだけだ。医師を信頼し、医師のいうことにしっかり従ってゆく以外にない。そうすることが一番大切なことだ。
 「先生、看護婦さん頑張ってください、お願いします。」
手術当日の朝排便。昨夜の下剤は、お腹の中を空にするためのものだった。注射をしストレッチャーに乗せられ病室を出たのは10時頃だった。そこから先は何も覚えていない。昨夜は熱が出たようで、氷枕をし両脇には氷嚢を当て、電気毛布に包まっていたようだ。酸素吸入の管を口にわえ、鼻に管が差し込まれ、腕には点滴の針が刺さっていて身動きできない状態だった。
次の朝には熱も下がった。昼に痛み止めの座薬を入れてもらったので痛みもなくなった。看護婦さんが、来て「さあ立って歩きましょう。」と言われて、やっと立ち上がり、つかまりながら歩いてみた。
導尿管が少し動いて出血した。背中がなんとなく痛む。チーフのC先生から手術の経過が話された。「前立腺全部とリンパ節の悪いところは取ったが、これから組織の培養検査をしなければならず、2,3週間かかるだろう。退院して外来で来た時に説明があるだろう。」とのことだった。点滴と下剤をかけ、痛み止めの座薬を入れてもらって休む。
C先生の回診。「今週の木金の2回に分けて抜糸をする。来週の金曜日には導尿管を抜く。あとは食事をしっかりとれば日に日に回復する。切りとった部分は顕微鏡検査に回っている。ほとんど大丈夫だろう。」とのこと。
しっかり食事をとり、運動をするように言われた。運動といっても導尿管がさしてあるし、点滴もしているのでまだ出来ないが、点滴を支える車を引きながら歩くことは出きるので、食事の前には廊下を一周するようにした。
夜なかなか眠れない。安定剤を出してもらった。昨年前立腺全摘とリンパ節廓清術をし、今年になって残したリンパ節に癌が見つかり、再入院し放射線治療をした人が明日退院する。しかしあと半年くらいしかもたないそうだ。元気そうな人だが。また膀胱と前立腺を摘出手術をし、人工膀胱を尿道とつなげる手術をした人がいたが、昨日は元気に病気の話をしてくれていたが昨夜は大変苦しんだようだ。
癌と闘うなんて、大それたことはしない、これから一生付き合っていかなければならないのだから、仲良くしようと思っている。暴れず静かにしていて欲しいと願っているだけだ。
便秘していたが、浣腸をして気持ちがさっぱりした。回診があってB先生が抜糸(ホッシキスの金具のようなもの)を半分した。下腹部の皮の薄いところなので痛かった。それにお腹の左側に差してあった、血を抜く管2本(SBチューブ)を抜いてくれた。痛かった。15cmもある金属製のチューブが2本も入っていたのだから腸の調子が悪くなるのも当たり前だ。身が軽くなったような気がする。
次の日、部長先生の回診があり、C先生が残り半分の抜糸をしてくれた。看護学生が全身を拭いてくれ、ペニスの先の消毒、ガーゼと腹帯の取り替えをしてくれた。
同病の先輩が、尿導管がぬけた後の尿漏れについて教えてくれた。排尿のタイミングを掴むことが大切だと教えてくれた。尿導管が抜けたばかりのときはオムツをつけ、ベットには下敷きを敷いてくれるが、ペニスの先には尿パットを作ってつけておいたほうが良いとも教えてくれた。いろいろ経験した上での知恵を大切だ。教えてくれてありがたかった。
シャワーの許可が出た。B先生から「術後5年間無事に過ごす人は80%。これからは初めのうちは月に2回、徐々に月1回、3ヶ月に1回、半年、1年に1回といった具合に外来で診てもらうように。」とのこと。
C先生の回診で「尿導管を抜いたらいつ退院してもよい。」主治医の穎川先生 も 「後1週間で退院していいだろう。」といわれたが、ちょっとした調子で尿が漏れてしまうので、その調節の仕方が分かるまでいたいとお願いした。食事が常食になったのでまた便秘するようになってしまった。
明日尿導管が抜けるので、抜いた後の処置について看護婦さんに聞いた。
 ・オムツをする。(カバーは蒸れるのでしない方がよい)
 ・オムツの上からパンツをはく。
 ・初めてのオムツで、どれくらい漏れたか確認して交換する。
 ・ペニスを蒸しタオルで拭いて清潔にしておくこと。
いよいよ尿導管が抜けた。オシメをしパジャマに着替えた。身が軽くなった気がする。
尿は出ているのか出ていないのか全く分からない。横になっているときに、少し体を動かしただけでジイート漏れてしまった感じがする。これが止まらないと駄目だ。尿意を催したらすぐにトイレに行く事。立ち上がって2、3歩歩いたところでチョロット漏れる。トイレに行って容器を向けると1回に150cc位意識的に出せるようになった。後は肛門を閉める練習をして括約筋を強めることだ。そして立ち上がったときとか、歩きはじめたときに漏れないようになればよい。これが出来るようになるのに2ヶ月くらいはかかるようだ。この練習に励もう。
朝起きてカーテンを開けようとしたときチョロット出てしまった。何か次の行動に移ろうとすると出てしまうようだ。そして量も多くなってきた。朝の1回目に大部分が漏れてしまった。C先生の回診で「データは良好。肛門を閉める練習をするように。」といわれた。
排尿量は昨日一日で2150ccで良好だった。肛門の締め方の要領が分かってきた。股間をきつく締め付ける運動がよさそうだ。尿量記入用紙を見てきたB先生が「漏れた量も120cc位で少なく、立ち上がったときも、ドバーと漏れるようではなく順調のようだ。」といわれた。肛門を締める運動をすることが唯一の方法のようだ。動きはじめるときとか、緊張したときに漏れてしまう。気にしないようにした方がいいかもしれない。私の後から手術した人と同室になった。いろいろ教えてあげた。大学の先生で膀胱癌で、摘出手術し、人工膀胱をつけることになった人もいた。皆さんを励ましてあげた。
看護婦さんから「尿漏れの状態がよいからオムツはやめて小さい尿とりマットか尿キャッチにしたほうがいいだろう。」といわれた。
4週間で退院。これからの生活がちょっと不安だ。尿の漏れがなくならないことにはどこにも行けない。何とか頑張らなくてはと思うが、どうなるだろか。


3. 退院後の経過


退院後、尿は相変わらず、漏れてしまう。夜起きる回数も減ってきたし、オシメを取り替える回数も減ってきた。日に日に良くなってゆくようだ。退院後初めての外来診察の日。主治医の穎川先生から「切り取ったリンパ節には転移は見られなかった。病理検査の写真8枚に悪性の腫瘍が写っていた。膀胱に近い方から黒い部分が順に3割くらいから8割くらいまであった。先生は「癌が前立腺の周辺に残っていたのかもしれない。また組織を採って調べる必要がある。その結果によっては放射線治療をしなければならないかもしれない。」とのことだった。2週間おきに2、3ヶ月通院診察をすることになった。退院後2週間目あたりから尿の出が悪く、尿道も痛くなってきた。診察予定日ではなかったが病院に行ってみてもらった。尿検査の結果尿が大変汚れていて、何か菌が入ったのだろうとのことだった。抗生物質の薬を飲んで様子を見ることになった。尿道が痛みはじめた。30分おきに痛みが出る。だんだん痛みが激しくなって我慢できなくなった。午前3時過ぎだったが、病院の救急医療センターに電話をしたところ受け入れてくれた。手術をして尿道をつないだところの内側に、肉が盛り上がってきて尿道をふさいでしまたのだ。そのため膀胱に尿が溜り出ないのだ。尿道が狭くなっているので、順に広げるために、4ミリのカテーテルから5ミリ、7ミリ、と順に入れ替えて尿道を広げていって14ミリまで通した。7ミリのカテーテルを通したところで膀胱のあたりを押して溜まっていた尿を出してくれた。沢山の量が出たので気持ちが良くなた。処置に1時間半くらいかかった。次回の定期診察の日までカテーテルは通しておき、主治医の先生の診察を受けること。特に薬を忘れずに飲むこと、ペニスを清潔にしておくこと、の三点を注意するようにいわれた。
こんなに苦しむのなら手術などしなければよかった、と思ったりした。尿が垂れ流しの状態で、しかもこんなに痛くては表にも出られなくなってしまう。手術などせずに癌とともに生活し、天寿を全うすることを考えた方が良かったように思う。70歳までは勤めようと思っていたが出来そうもない。
尿道に通してもらったカテーテルの先は栓でとめてある。栓を抜いて尿を出してみた。2時間おきに出すようにすると慌てずに済む。しかしペニスの先から漏れ出してしまう。テラマイシンをペニスの先に塗ってガーゼをまいておくことにした。尿意を催すと先から漏れてしまう、何遍かパンツ、シャツ、ズボンを濡らしてしまった。
外来診察日に、カテーテルを抜いてもらい、尿道の洗浄をした。思うように出てうれしかった。止めることも出来た。暫くぶりに入浴もした。薬を2週間分もらった。
11月3日(文化の日)午後から具合が悪くなり管を通してもらおうと病院に行った。管が思うように通らなかったので入院することになった。翌日から毎日4時間おきに39度以上の熱が出るようになってしまった。抗生物質の点滴をし、氷嚢を両脇にいれて冷やした。1週間続いた。腎盂炎を起こしてしまったようだ。苦しかった。14日尿道の造影と内視鏡検査をした。膀胱の出口の尿道が詰まっているのだそうだ。手術からまだ日が浅いので、後4ヶ月位したところで、まだ詰まるようだったら手術をしなければならないだろうとのことだった。とりあえず退院した。次回の診察のときに尿道のエコー検査をすることになった。その後暫くは具合よかった。
12月になって、尿の出が頻繁で、トイレに行く回数が多く、1回に出る量が少なくなってきた。1日20回、1回に200cc、合計量は十分なのだが、夜5、6回トイレに起きる。リンパ節の廓清術をしたので神経が鋭敏になっていて、すぐに尿が出たいという命令をしてしまうのだそうだ。寒さが厳しくなってきたためか、回数がますます増えてきて、漏らしてしまう回数も増えてきた。1日に23回もトイレに行ったりした。夜は寒かったので、尿瓶で取るようにしたが1時間おきだから大変だった。3月まで待つのが苦しかった。
3月23日入院して24日に手術したが、盛り上がった部分がつかめず、巧くゆかなかったので、とりあえず、膀胱に直接、管を通して尿を取るようにしてくれた。楽にはなったが、膀胱から管が出ている。
27日2回目の手術をすることになった。膀胱からとペニスの先からと尿の通る道を探そうとしたようだが巧くゆかなかった。29日3回目の手術をした。盛り上がった肉が切り開かれて尿の通り道がついた。ほっとした。尿の通りが良くなって具合が良くなり退院できた。
その後尿の調子は順調になった。尿の切れは良いとは言えないが、ここまで来ればいいとしなければならないだろう。陽気もよくなり今まで遣り残していたことをやろうという気力も出てきた。WINDOWS95のインストール、インターネットへの接続、等も出来た。また囲碁の会にも毎週土日に出られるようになった。それに、月一のゴルフも、コースに出られるほどになった。

11月になって、定期の診察があった。生検では3個所から組織を採った。腫瘍マーカ値は、今まで4月 0.1>、 5月 0.1>、 7月 0.1、 10月 0.3、11月 0.2と変化してきた。
 「 0.1> なら問題無いが、0.3 というのは5年後に大きな癌細胞が出来る可能性が十分にある。」との診断だった。腫瘍マーカ値が不安定な変化をしているので、今のうちに放射線治療をした方がよい。生検の結果を見て結論を出すことにすると言われた。11月生検の結果癌細胞はなかった。しかし腫瘍マーカ値の不安定な変化から,尿道の近くに癌細胞があることは間違いない。そこを放射線照射して癌細胞をたたいてしまえば完全に治癒することができる。もしこれをしなければ、どこか別の場所に転移し大きくなることは間違いない、そうなってからでは放射線治療は出来なくなり、ホルモン注射による治療になるが5年持つかどうかだ。今のうちなら放射線治療が効果的なのだ。との所見であった。
放射線科の診察があって、治療方針が立てられ放射線を照射する場所の指定をする。
12月1日から1周間に5回で、30回照射をすることになった。副作用としては、3回目あたりから下痢する人がいたり、15回目あたりで二日酔いのような気持ちになったりする人がいたり、30回近くなって排尿の終わりに尿道が痛む人がいたりするが、これらの副作用はそのうちなくなる。また白血球が少なくなることもあるので白血球を調べた。

12月1日から放射腺治療が始まった。放射腺照射治療室は広い部屋で、大きな放射線照射機1台部屋の中央にあるきりだった。1日1回2グレイの放射線を30回、全部で60グレイ照射することになった。1回僅か40秒で終わってしまう。1日おきに前と後を10回づつ照射する。あまり簡単なので、これで効果があるのだろうか疑問に思ってしまう。腸の動きが活発になってきたような気がする。1週間目に泌尿器科の診察があった。貧血検査をした。1週間後に結果が分かった。白血球数が5800から4700まで下がっていた。12回照射をしたところなので、このくらいの低下は正常だとのことだった。下痢の薬を出してくれた。腸の内壁がただれてきて肛門まで痛くなることがあるそうだ。16回目の朝、何回もトイレに行ったが下るだけで、胃と腸が痛んだ。20回で暮れの休みになるのでその頃には落ち着くだろうとのことだった。20回目が終わった頃には、便は下るし、血便は出るし、食欲はなくなってくるし、なんとなくだるく気力もなくなってきた。12月29日から1月4日まで静かに過ごした。いくらか落ち着いてきたようだった。5日放射線科の診察があり、これからは側面からの照射なので、照射の狙いを決めるためのレントゲン写真を2枚取った。側面からの照射は深さが、深くなるため毎日左右両方から照射することになる。放射腺照射は身体に相当な負担になるので、2、3ヶ月は無理はしてはいけないし、腫瘍マーカ値検査は、定期的にしなければいけない。との診断だった。

1月9日ミッテラン全仏大統領死亡の記事が一面に載っていた。大統領在任中の92年9月前立腺癌の手術をし、94年7月に再手術し、昨日1月8日に死去した、とあった。

昨日の新聞には主治医の穎川先生の前立腺癌に対する治療法と業績が大きな記事で出ていた。先生に診てもらってよかった。穎川先生から経過がよさそうだ。一時、4000台まで下がってしまっていた白血球も7000台まであがってきた。との診断だった。腸の調子も良くなってきた。副作用も収まり、体調も良くなってきた。パソコンをやる気力も出てきた。1月19日放射線治療が終わった。放射線科の先生の診察があった。今後は泌尿器科の継続的な検査と診察を受けること、特に骨の検査が大切で、骨に転移したときはまた放射線治療が効果的である、とのことだった。

今度の放射線治療をしたことから病気のことをもう一度考えることにした。前立腺全摘手術を受け、癌の再発の可能性の高いことから放射腺照射と言うことになったわけだ。現代医学を信じ、医師の指示に従い処置をしてきた。癌は強力な相手で、とても立ち向かって闘うなんていうことはできないことは明らかだ。よく病気に負けず頑張ってください、なんて言われるが、病人は頑張るなんてことは出来ない。頑張ってもらうのは医者であって患者ではない。医者が一生懸命頑張って治療にあたってもらい、患者は医師を信頼してお任せすることだと思う。癌と診断されたら、一生癌との付き合いをしなければならないのだ。だから癌と仲良く付き合う方法を考えるべきだ。癌には、暴れず騒がず、静かにしていてくれと願うことだ。癌に効くからといろいろ薦めてくれる人がいるが、私は余り信じない。また、自分のことは自分が一番よく知っている、等といって医師を信じない人がいるが、素人判断も甚だしい。自分が一番のやぶ医者だ。現代医学の専門家の診断を信ずることが一番大切なことだと思っている。

勤めは昨年3月で辞めてしまいましたが、1998年3月現在、気を緩めると多少の漏れはあるが、極めて、順調に、安定した生活をしている。パソコンでインターネットを楽しみ、土日は公共施設で囲碁を楽しみ、運動は月一ゴルフができるようになり、経済的には豊かではないが、趣味で豊かな生活ができるようになった。ありがたいことだ。


長いこと、退屈な文章をお読み下されありがとうございました。

母・弘子を今すぐ本木荘に連れて来てください。

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氏名 大西秀宜

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大西さん、逃げないで私の質問に答えてください。

私が”あ”である可能性とトリップがAKBメンバーである可能性は同じであり、
結論としてAKBメンバーではないということになる。
違いますか?

大西さんは私が秋元康=”あ”であるという可能性は0だと思うでしょう?
それと同じです。

意味のわからない投稿してる人も大西と一緒でイカれてますな。

【お詫びと訂正】
大西の新住所は西新井栄荘ではなく本木荘の誤りでした。心からお詫びと訂正します。

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西新井栄荘は女性ないし所帯持ちのみ入居ってハナから言ってんだろこのキチガイが

私に対して工作活動してみろよ。ホレホレ。

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新月、双子座の山下、山田波秋を本木荘に連れて来てください。

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ゴールデンウィークは本木荘に遊びに来てください。

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伊達娘と本木荘で新婚生活を送ります。

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お約束だけど、言うわ。本木荘で工作活動してください。

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ボンドもスプレーも出来ない要塞に引っ越しました。

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Wise men say only fools rush in
but I can't help falling in love with you
Shall I stay
would it be a sin
If I can't help falling in love with you

Like a river flows surely to the sea
Darling so it goes
some things are meant to be
take my hand, take my whole life too
for I can't help falling in love with you

Like a river flows surely to the sea
Darling so it goes
some things are meant to be
take my hand, take my whole life too
for I can't help falling in love with you
for I can't help falling in love with you

足立区の更生施設入所者・おーにっちゃん=大西秀宜はやく死ねよ

ダウト!
個人を特定して個人情報を収集する行為は立派な個人情報保護法違反やぞ
オマエ、自分の主義主張がブレブレやないかw
悔しかったら何か反論してみ、ホレホレ
ネット上の情報もアカン!って言うてたよなあw

何か、最近のおーにっちゃんって、本当につまらない。

鉄や公演やラーメンのつまらん話ばっかで、情熱が全く感じられない。

数年前のおーにっちゃんは、本当に面白かった。

いつかデッカイ事をやって、世間から注目されて欲しいと思ってた。

でも今は、隠居した爺さんのよう。

おーにっちゃんも40だもんね。

気力も体力も弱るよね。

自然の摂理で仕方ない。

残念だけど、ファン辞めます。

体に気をつけて。

在日の工作員大西さんは必死ですね。

最近のINTEROSのあら捜しの投稿も、お国のリニアの不祥事からわれわれ日本人の目をそらすためということはわかっていますよ。

韓国の肝いり「リニア」がわずか8分で運行停止 “見切り発車”に追い込まれた理由
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160214-00000503-san-bus_all

どこまで落ちる韓国の威信 リニアまたトラブル 今度は電力供給ケーブルから出火
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160224-00000530-san-kr

西山桂教授とのホモ行為も、お国の近くの地方の公務員への「ハニートラップ」ということもわかっていますよ。

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-5a1f.html
私としてはいまさら隠すことはないので,コイツです。西山桂です。
島根大学でいま准教授になっとるのか。

http://www.edu.shimane-u.ac.jp/staff/staff39.html

2006〜7年に休職したとき,相談に乗るとか言われて島根に呼ばれたのですが,ホテルで,後輩で私に目をつけていたとかで,卑猥なことをされました。

忘れたい記憶なので,意図的に忘れたので,いまとなってはどこまでされたのかハッキリと覚えていませんが,とにかくかなり後までトラウマとして残りました。

私ホモ告白ならば先輩・後輩2人から受けたことがあって,そのうちの1人です。

島根大学西山桂教授を本木荘に連れて来てください。

http://cashing-ocean.com/ocbbs/ocbbs.php

氏名 大西秀宜

メール kotochan0725@gmail.com

電話  070-6969-9177

住所 123-0852 東京都足立区関原1-4-29

交通手段 東武大師線大師前駅、JR常磐線北千住駅、都営千代田線北千住駅、都営日比谷線北千住駅、東武伊勢崎線北千住駅からバス

大西秀宜が絶大な信を置く、
2ちゃんねる形式の掲示板で投稿者識別に使われる「トリップ(酉・鳥)」だが、
これは完全なものではない。
何故なら、それは"割られる"(解析される)事が有るからだ。
この解析には「トリップディスクロージャー」なる裏ツールが用いられるという。

対策としては、『9文字以上の無作為な英数文字列の使用』が推奨されている。

無作為にするのは、辞書攻撃(総当り攻撃とも。ブルートフォースアタックのこと)をかけてくるのを防ぐためである。
http://www.atmarkit.co.jp/ait/articles/0401/01/news048.html 

なので、定型的な語は可能な限り、酉に使用すべきではない。

9文字以上にする理由だが、文字数を増大させる事で、これでの解析を困難にする効果があるという。

なお、酉は定期的に変えるのが良いとされる。
そうでなくとも、割られてるかも?と思ったらすぐ変えよう。

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