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2016年5月3日

2016年5月 3日 (火)

”UBUGOE”の感想つづき。

その他、私が観た限り。
1.入学式
中学校の入学式の式次第で、こんなのがあったら面白いだろう、というのをやっていた。
1回目の南川さんが、自分は中学生よりも「中国のヒトみたい」とかなんとか言ったのがウケた。
部活の紹介は、以前観た"文科系倶楽部紹介"とイメージが被ったのが惜しいといえば惜しい。
私としては、いまの先生、いろいろ評価されてかわいそうと思う反面、それでも”教師”として威張ってきた歴史があって、それをもっとコテンパンに罵倒して欲しかった面もあるっちゃある。
けどあんま言ったら、学生がマネしたらアカンしなあ・・・・
あ、そうそう、ぽんみゆが 野々村議員のネタしとったけど、もう古いと思うた。
アレを考えると、このネタもどっかの再演なんやろなあ。
もう野々村議員のネタって古いんやから、違うネタで対抗したらええと思う。
しかしまた、お笑いは為政者を叩くためのものであると思う反面、既にマスコミで叩かれて弱い立場に立っている者(野々村議員だけでなく、小保方博士も)をさらに叩くためにあるとは思わない。
そういう意味で、このネタはやめたほうがよかったのではと思った。
その代わりに、男の子のオムツネタを、「安倍晋三じゃあるまいし」とか言って罵倒するくらいの気概があって欲しかったとも思う。
いまの安倍晋三はオムツをしているという報道はされてはいないけれども、かつてオムツ報道がされて政権を降りたことを罵倒したっていいと思うのである。
それで言論統制されたって、むしろ誇りにできるくらいでないと。
2.クーポン男(以前も演じたもの)
カラオケ屋の店員が、クーポンを使えなくて死んだ亡霊に取り憑かれている、という設定のお話。
あやなんがアルバイト店員として出ていた。
どうしてオンナは、付き合っているオトコにクーポンを使って欲しくないか?という疑問が根底にあると思う。
私は、「クーポンがあるから、安く済むからこの店にしよう!」とオトコが思って女の子を連れてくるのは、女の子は自分よりもオカネありきで考えられている感があるからマズいと思うのであって、この店が一番いい!とオトコがまず自信を持って、その次にクーポンを探し当てたならば、女の子はクーポンを使ってもいいと考えると思うのである。
けれども、女の子の想像力はさらに進んで、お店を選んだ次にクーポンを探し当てる労力があるならば、その労力を私に注いで欲しい、と思ってしまうのである。
この、2段階の論理により、デートでのクーポンの使用は根底的に否定されてしまうのである。
ところが、さらにややこしいことに、これが婚約後であれば、
「お店を選んだ次にクーポンを探し当てる労力があるならば、その労力を私に注いで欲しい、けれども私もあなたとの子供を産むし、そのためにオカネは節約せねばならない、そうするとやはり安いお店を探すことも必要」
となってしまうのである。
そのニュアンスの違いがオトコには理解できないから、オトコには「女心はわからない」となってしまう側面はあると思う。
私の想像力もなかなかのものやろ?
3.マイフレンド(以前も演じたもの)
超能力があれば自分は変われる!と、神社の神様に祈った者が、お尻の穴からZARDの歌が流れるという超能力を身に付けられた、という設定で進むお話。
超能力といっても、多くはヒトから認知されない能力だと気づかせてくれる内容ではある(たとえば、数字を覚える能力だけが秀でている者が障害者と認定される事実がある)が、お尻を出して尻の穴を大勢から見られて、警察に通報されるのを見て、あまりいい印象は持たなかった。
やっぱ私が警察権力を敵と見做しているからというのもあるだろう。
私は、警察官がピストルを所持しているのを確認するにつけて、コイツラは正当防衛の名の下に、私の心臓なり頭脳をピストルで撃ち抜くことが十分にあり得ると考えている。
だからこそ、お笑いを観に行ったはずなのであるが、ここに極めて血生臭い事実を突きつけて、警察権力が私に対して行動に出られないための防衛線を張っているのである。
私のハナシになってしまったが、それ以上のものが、この演目からは感じられないのは、なんとかならないかと思う。
笑いの中にもなにかの学びが欲しい。
4.喫茶ライフ
コレ、そこそこよくできたお話と思う。
喫茶ライフという喫茶店に訪れた4組、いや5組の人々について解説し、それぞれが置かれている困難の状況が、人生を通して考えると些細なことであると教えてくれる作品である。
1組目は、あやなんと男子のカップルで、男子のほうが熱烈にアタックしている。
2組目は、思うオトコと上手く行かず、オンナであることを放棄した37歳のオンナのダチ連れ。
3組目は、夫婦ではあるが夫が不倫して、不倫相手を交えて争っているカップル。
4組目は、子供を育て上げて、離婚しようとしているカップル。
5組目?は、それを見守るマスターと、1~4組と同じ経験を経てきた老婦人。
コレは、ストーリー的に面白いとは思った。
ただ、2~5組は女性に不安があるのは理解するが、あやなんの1組目はさして不安がないので、なんか異質に思えた。
いやそこを異質に思って欲しい、女性が、いまはチヤホヤされていても、これから苦難の道が待っている、と訴えたい意図があるのかも知れないが。
2組目、3組目でそれぞれ破綻する可能性はあるし、3組目の状態から4組目の状態へ移行するというのは、なんか違う気がして、一貫性がないと思った。
コレ、男性の視点から見ているけれども、女性の視点から見てそのとおり!となるのかどうか、興味がある。
しかし、その疑問は別としても、それぞれの女性の一生を、老婦人が回顧し喝破するさまは、観ていてスッキリしたのも事実である。
老婦人が高校生に対して、恋愛を応援するなんて、ものすごく素敵だと思う。
そういえば、どうしても書かざるを得ないのであるが、この演目を観ていて、大西弘子に対する憎悪でイライラしていた私がいることも記載せねばならない。
大西弘子は、3組目の不倫相手そのものであり、悲惨な自分に酔っているだけなのである。
まあ、いい。大西弘子は、いずれ政権を取った後に粛清してやる。
私は、大西弘子に対してだけは、独裁政権で使われる”粛清”の文字を公然として書く。
それだけ、人間としてあってはならない存在と考えるのである。
もちろん、それに対する反論と炎上を想定して、敢えて書いている側面がある。
大西がこんな発言をした!と、炎上せざるを得ない状態に日本政府を追い込めたら、それはもう私は勝っている・・・・・・、暴力的な手段に依らず革命が成功しているのである。
5.あるある帝国
コレもけっこうよくできた脚本と思った。
あるある帝国のお姫様を助けるべく、あるあるネタで訓練を積んだ者が選ばれる、というのも、ワケワカランながらも納得がいった。
最初の、インスタントヤキソバのお湯を捨てるときに、水を流してないと、温度でステンレスの流しが”ベコッ”ってリアルに音がするのがめっちゃツボだった。
お湯にソースをぶっかけるよりもツボだった。(私は、たぶん一度も、お湯にソースをぶっかけたことがないはず)
ドッグフードで、たまにカタイのがある、なんてのは、犬のあるあるなのかどうかワカランかったけど。
それってドッグフード業界のQAがなってないことになるけど、ドッグフードを人間が食うはずがないからなあ・・・
伯母の夫は、缶詰めだかのドッグフードを誤って食ったけれども、美味かったとかいう逸話を残して亡くなったけれども。
いやそんなのが逸話になるのであれば、私はどんだけ逸話になんねん?
しかしや、私が、宮崎駿に会うとか、田中麗奈を見つけ出すとか、ソウルのLunaを助け出そうとするとか、いろいろ大西弘子に対して説明しても、大西弘子はそれを、学校で何番とか、日立製作所に入社するとかいう、自分の価値基準に嵌らんかったから、全部無視して拡散せんかった現実がある。
人間は、自分の判断基準に合わん情報を、勝手にポイッ!と捨てとるのが、いちばんの問題やねん。
まあ、逆説的にいえば、大西弘子が実母であったことは、革命家を自負する私にとって最大の幸運やったんやろけどなあ・・・・。


-------------

ぽんみゆもあやなんも、さして目だってはなかったと思う。

クリスは私は気づかずに、夜公演の”Headlight”の役でようやく気づいた。
てか、チラシと比較しても、髪をバッサリ切ったんやなあ。


まゆちの焼肉屋に行きたいと思いながらも、なかなかカネの都合がつかん・・・

資本主義の最大の問題はカネやねん。


権力に歯向かう者があれば、そいつに対して恣意的に賃金払わんようになったら、ひいては恣意的に解雇し、雇用せんようになったら、それが権力側の最大の攻撃になる。

それをカンペキにするために、マイナンバー制度があるんやなあ。
どっかの中小企業に紛れとる活動家がいても、マイナンバー制度があるから、日本政府はそこから恣意的に違法に情報を収集してそれを活用しても、それを問題視する人間おらんからなあ。

日本政府は、どんな問題であっても、

「それは秘密保護法により保護される内容です」

と言い張ればええだけやからなあ。


そんな幼稚園のイジメみたいな問答があるわけない、と思うヤツらばっかやろけど、なんせオムツ履いとるヤツが総理大臣やっとるんやぞ。
幼稚園のイジメの論理が平気でまかり通るのが、この腐りきった日本政府やねん。

「オマエらは、”二本セーフ”などではなく、”一本アウトじゃ!”」
って言うてやりたいよなあ・・・・

”UBUGOE”を観た感想を。野心的な試みとは理解した上で、個人的には失敗なんじゃないかと考える。悪いというほどではないけど、もっとこうできるのでは?と思うのだ。

今日は6つの短編があった。
1.入学式
2.クーポン男(以前も演じたもの)
3.マイフレンド(以前も演じたもの)
4.喫茶ライフ
5.あるある帝国
6.Headlight
この6つのうち、”6.Headlight”は震災をテーマに扱っていて、どう解釈すればいいのか考えることは一番重要だと思うので、ここで述べる。
その前に、2.クーポン男,3.マイフレンド については、1回目に観たときに、なんや、再演か!と思ってしまい、今回良くないと思った原因となったけれども、規模や収入を考えると、アリだろうとは思い直した。
以前の感想を読み直す
と、”空に唄えば”"さよなら現世""文科系倶楽部紹介"あたりのほうが、コメディとして残るんちゃう?と思う。
2.クーポン男,3.マイフレンド とも、なんか設定がくどい気がする。
ドリフのコントみたいに、どうせならもっと何度でも観て楽しめるような、どこにでもありそうな軽いノリのはないのか、と思った。
そういう観点から見ると、2つとも、怨念とかおならの魔法みたいな、自分がそうなったらイヤだなあと思うところがあるのがくどい気がする。
"さよなら現世"のほうが、死んでしまった後の話ではあるが、自分がそうなったらイヤだとは思わない、むしろ死後が楽しくなる(だってあんな可愛い天使と遊べるならばw)から、くどくない気がする。
4.喫茶ライフ は、概ね面白い設定で、いいと思った。後で書こう。
あん誰で出てくるトップリードの新妻が書いていて、私はあん誰を作家が書くのは反対して、新妻の働きも大して評価してはいなかったが、この脚本はよくできていると思う。
さて、6.Headlight である。
非常にマジメなハナシで、なにひとつ笑いを取るところがない。
”Express”と、映像のコラボがあったという意味でも、路線として似ているけれども、今回はさらに震災で亡くなった人々を描いていて、九州熊本の大震災があった直後でもあって、いっそう重々しく感じた。
けれども、私がちょっと違うと思うのは、じゃあこの作品ができて、誰が喜ぶのか?という明確な思想がない気がするのである。
たとえば、震災で亡くなった婚約者との、果たせなかった結婚の日に、念願のカフェを出した「牧野さん」の苦闘の日々を取り上げて、より深度化して描けば、約束を守ることの大切さが伝わるし、それは大勢に対して愛情を示すことになると思う。
またはたとえば、震災で亡くなった人々の立場に立って真剣に考えて、「私たちのことを思うよりも、あなたがたのこれからについて向き合って欲しい」というメッセージを強く押し出す、というのもアリとは思う。
そうすることで、震災の過去をひきずっている人々に対して、背中を押すことはできると思う。
この作品でも若干はそれを描いているのであるし。
けれども、物語全体としては、イメージとしての”震災復興”を描いているだけで、涙を流すことはできても、具体的に誰がどうしたほうがいいか、ということは描けてないと思う。
それでは、数多ある「反戦映画」となんら変わらないのである。
反戦映画が数多あれども、戦争阻止にはなんの役にも立たず、いまの戦争に突き進む改憲の動きが止められていないではないか!
私はよく主張しているが、評論家にも、さらには演出家にも、「この作品は何かを具体的に描くというのではなく、なにかを感じて欲しい」という風潮が蔓延していて、作品で何か具体的な訴えを描こうという意思がないのが非常に嘆かわしいと思う。
具体的な訴えを端的に描いたとしてさえ、人々はその通りに受け取らないのである。
そもそも、具体的な訴えを端的に描いたはずの”教科書”でさえ、30点を取ることさえヒーヒー言っているのが一般人だろう?
だとすると、具体的な訴えを端的に描くのは、脚本家や演出家にとっては必須命題なのである。
それでも、人々は自由に勝手に解釈するのである。
69年前に施行された日本国憲法だって、アメリカの意思だろうが日本の意思だろうが、二度と戦争をしないという誓いを込めたものであることは疑いもなく、それでさえ恣意的に解釈しようとするヤツらが多いのが現状なのである。
だからこそ、具体的に感情で表現できる舞台や映画に携わる者は、恣意的な解釈をしようがないくらいに、緻密な物語が描けて然るべきなのである。
ウラを返せば、恣意的な解釈をしようがないくらいに、緻密な物語が描きたいというような強い意志がない者は、舞台や映画では大成しないともいえる。
それでも、”UBUGOE”の関係者は、私の意見をそれなりに検討してくれると思う。
”UBUGOE”という試みはそもそも、私の主張するような意思をも含めた”産声”なのだと感じる。
私は”UBUGOE”を3回観たし、関係者が出ている”雨のち晴れ””マジックトレードセンター”もたてつづけに観たし、その流れは間違ってはいない。
私の考えを検討できるだけの素地はあると考えている。
これが(たとえに出して悪いが)「しずる館」であれば、”エンタメ系クラウドファンディング”であって、どうやって儲けるか?が先にあって、なにを訴えたいのかが全くなかったがために、拡大しなかったのである。
”Headlight”自体はいい題材だとは思うけれども、私は、”UBUGOE”の原点に戻って、本当になにを表現したいのか?を、もう一度検討し直して欲しいと切に願う。

またきたぞ。前回がH-13で、今回がRA-13。13番続き

RAって桟敷席というのかなあ、横にある席。

そういや、10年以上前にウィーン行ったとき、オーケストラのコンサートだかを桟敷席で観た。
もうほとんど寝とったけどw

桟敷席は当日用に売っとったのか、私以外にも当日券を求めて、隣の席を指定されとるヒトもおった。

当日券がアナウンスされてなくても、こうやって行ってみるべきやなあ。

もちろんAKBとかタカラヅカとかはアカンけど。

UBUGOE観てきた。うーんどうかなあ。

もっぺんあるから、あんま書けんとは思うけど、以前やった脚本を2本再利用しとって、そこはネタ既に分かっとって、ウームと思った。

また、最後のは頑張って作ってはいるけれども、気張り過ぎてなにがいいたいのかヨウワカランようになっとる。
なんとなくの構想だけで強引にストーリーを作っとるから、泣いている人はいたけれども、私はものすごくシラけた。

言っちゃ悪いけれども、これまで3回UBUGOE観たけれども、その中ではいちばんスベっとる気がする。

まあそれでも笑えるとこはいっぱいあるんやけど、もっと期待を上回ってもらわななあ。

期待を遥かに上回ってはじめて、「すごい」といって評判になる。
厳しいけれども、期待通りの結果では、実は退化であると認識せなアカン。

そういや、昼間に池袋の劇場ウラの蒙古タンメン中本で、冷やしタンメン食うて、兄ちゃんの威勢の良さは"雨のち晴れ"のたんめんズに繋がるなあと思っていたら(出るときに見た店内の店員紹介写真&ひとことでも、普段舞台役者をしているヒトもいるらしくて、演劇仲間の間で蒙古タンメン中本は有名なんやろと思うた)、開演前の注意に出てきたのが、たんめんズの男の子役の子で笑った。

彼は"雨のち晴れ"の挨拶で振られてなんも言えんかって、自分にチャンスをもらってなんも言えんようではダメ!ってめっちゃダメ出ししたけど、今日は短いチャンスの中で客席とやりとりしていて、開演前の注意というチョイ役にもかかわらず、強烈に印象を残せたと思う。
前回見たときよりも着実に成長しているなあと思ってうれしかった。

本番では出番なかったっぽいけど。

そういや、"雨のち晴れ"の先輩役のヒトが、裏方しとったなあ。

あの顔めっちゃどっかの舞台で見たけど、思い出せん、と思うて、いまようやく気づいた。

忘れとるほうもたいがいやけど。

夜公演でも見かけたら、話しかけたろ。

もし夜公演満席やったら、AKB劇場に行ってB公演観よう。

念のために調べたら、ゆかるんもB公演出とるらしいし。
しかし数少ない公演やのに、AKB4の全部の公演に出れるってさすがやなあ。
ひらりーとゆいりもそうなんかなあ。

てか田野なんか、ダンス好きな割には助っ人出演してない。

助っ人出演するメンバーとしないメンバーでは、なにが違うのかなあ?

UBUGOEきたぞ。思ったとおりキャンセルがあって、当日購入できた。

こういうのがあるから、チケット取れんかったからと言って諦めたらアカンねん。

役者さんがめっちゃもぎりとかしとったぞ。

スイセイミュージカルでも感じたけど、自分らで切り盛りしとるんやなあ。


スイセイミュージカルも観に行きたいけど、そこまでカネがないよなあ・・・。

ちなみに、H-13番。けっこう真ん中。

冷し味噌タンメン

冷し味噌タンメン
観劇があるから、辛さ2倍で我慢した。

秋葉原でE235系待ってます。UDXで人だかりができていると思ったら、゛絵師100人展゛だからですねに

秋葉原でE235系待ってます。UDXで人だかりができていると思ったら、゛絵師100人展゛だからですねに
書いているうちにE235系に乗りました。

とりあえず池袋まで乗ります。 

憲法記念日に際して。「ここでは発言しないでください、あっちで発言していただいても自由です」という論法は、本当に自由を保障しているのか?

近頃人々がよく言う「ここでは発言しないでください、あっちで発言していただいても自由です」という論法(共産党も使っている)、それって「黒人はココでだけ自由」とか言うとったアパルトヘイトとなにが違うの?
なんか最近、制限を加えることを、「ココでだけ自由」と言い換えて、学者さえもそれを認める悪い風潮が蔓延しとるように感じる。
それは基本的人権であるいろんな権利を国民から剥奪するに等しい。
私だってAKS・キングレコードらとの判決で、売買の自由には「契約の自由」があるから、大西にはCDを売らないのも自由、なんて主張、裁判所が平気で認めとって唖然とした。
そのへんで大量生産しているものについて、大企業が「契約の自由」を元に契約をしないことを決めるとは、よほど重大な違反とかが認められる場合で、それを明示して注意しても直らない場合に限定せな、それもまたアパルトヘイトと同じになってまう。
もう日本では実態としてアパルトヘイト状態やねん。
いま安倍どころか日本の大勢が言うとる、ネガティブな意味をポジティブな意味に言い換えて煽動したのって、古館伊知郎が降板直前のワイマールを1泊3日取材した番組で言うとった
とおり、ヒトラーと同じ論法やねん。
こんなんで、憲法について議論なんてできません。
憲法以前にそもそも基本的人権をどう守るか?の議論をせなアカン。
そこには、どうして日本は国際人権規約の個人通報制度を批准してないのか?という議論とも当然のように繋がってくる。
アメリカさえ当然のように認めているのに、どうして日本では国際人権規約を全て認められないのか?
もうそこに日本政府の人権に関するおかしさが滲み出とる。

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