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2016年8月27日

2016年8月27日 (土)

インターネットを通じて、岩倉市の岩間さんに対して嫌がらせが継続されていることについて。未確認情報ながらも、彼はキヤノンを6年前辞めさせられたとの記載もあるし、どうしてこうなったのか?

この動画を、岩間さんが直接アップしている。もう明らかにおかしい。

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https://www.youtube.com/watch?v=bghNqEaIbw0

2016/08/26 に公開
平成28年8月26日午後12時 集団ストーカーが家の前で黒い車の中から叫んでいました。

午後2時6分 近物レックスが空配達に来ておびき出され、外に出たら集団ストーカーに写真を撮られました。

午後2時31分 通販で元払いなんておかしいなと思って受け取りませんでした。

午後3時20分 通販で元払いなんておかしいなと思って業者に電話したら、後から請求書が送られてきてコンビニで支払うシステムでした。
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岩間さんのこの冷静な判断能力を考えても、行動のすべてが精神疾患とは取れず、岩間さんのことを精神疾患呼ばわりしたい者共の悪意が感じ取れる。

こうやって、誰か一人をものすごい苦難に追い込んで、いいんだっけ?

自分がなにかの立場に立ったときに、こんな苦難に追い込まれてはイヤ、と深層では思いながら、自分はこうはならないからいい、といって逆に付け込んでいるやろ?

これは、ナチスがやったユダヤ人の大量虐殺・ホロコーストにもつながる思想や。

マルティン・ニーメラーのこの詩を読んで、いまやっていることが本当に正しいのか、考えてみろ。

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彼らが最初共産主義者を攻撃したとき
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%BC%E3%82%89%E3%81%8C%E6%9C%80%E5%88%9D%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E3%82%92%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%A8%E3%81%8D

ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は共産主義者ではなかったから

社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった
私は社会民主主義ではなかったから

彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
私は労働組合員ではなかったから

そして、彼らが私を攻撃したとき
私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった
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オマエら自身が、こんな恐怖な世の中を自ら率先して作り上げとるんやぞ?

こんなことが平気で為される世の中、戦争は近いよ。


【追伸】

以下に上の内容を書いた。

http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/tokai/1472229600/460-461

【ネタばれ】「君の名は。」感想 リアリティがないのが残念

ストーリーはよく考えていて、こんなストーリーを考え出したこと自体はいいと思う。

けれども、リアリティがない。
アニメとはいえ、そこにどれだけリアリティを持たせるか?が、ヲタクを超えて普遍的に感動される作品だと思う。

その点において、まだ新海監督は宮崎駿の後期の”ハウルの動く城”みたいな作品にも追いついていないと考える。

そもそも、この設定を見て、それぞれの相手の名前が分かるか分からないかは正直どうでもいいだろう、と、事前に思っていたところ、それを立花が書くところがあって、やっぱそうやわなあ、と思った。

だから、題名はたとえば”僕は君だ。”みたいな感じにできなかったか?

最後だって、お互いにどこかで知っているはずの相手と会えることが大事なのであって、そのときに名前なんて、挨拶に決まって使う、天気の話題くらいにどうでもいい気がする。

設定のウソについて。

男女のカップルが入れ替わって、それぞれが相手の生活にすぐには溶け込めない、という設定も、本当は全く溶け込めないはずなのだけれども、そのへんのウソはストーリーの発想のもとだから目をつぶるとしても、その後にはもう少しウソを減らせなかったものか、と思う。

ヒトが走る量とか山に登る量とかも、コレはどう見ても無理やろ、というのを平気で出していて気になった。
アニメだから気にするな、と言われるかも知れないけれども、私はアニメだからといってなんでも描いていいとは思っていない。
ウソはいくつかつくから信じられるのであって、ウソをいっぱいついたら、なにがホンマなのかわからなくなる。
私はそんな状態に陥ってしまったので、若干評価が低いのだ。

隕石が落ちるところだって、あれだけ大きなクレーターができるのだから、被害は町内で住む人々だけに収まるのではなくて、地域とか日本全体とかに影響を及ぼすはずである。
また、三葉の父親他が、三葉の隕石落下の主張を、劇中において聞き入れなかったのは当然のように理解できるが、じゃあどうして最後にどんでん返しで聞き入れたのか、そこがどうしてもわからず、どうも都合良く作り過ぎているように思う。

アニメの作り方としては、巫女の舞いなんか、どうもCGで作ったものをアニメっぽくしているのだろう、そして2人の動作を敢えてシンクロさせてないのだろう、とは感じた。
そこはいいけれども、単に三葉が走るようなところがピョコピョコして見えて、こういうなにげない描写をしっかりして欲しいと思った。

宮崎駿がどうしてなにげない動作をちゃんと描くかというと、なにげない動作をちゃんと描くことで、ストーリーにリアリティを出しているのだ。
どうも新海監督には、そのリアリティの概念がない気がしてしまう。

背景は、適度に絵画的で、まずまずいいかなあと思った。
私はテレビアニメの「赤毛のアン」の背景がいちばん、ざっくりと描いていて好きなのだけれども。

男女のカップルがそれぞれに、相手を探して旅に出る、というあたりは、私でもやりそうなので、実感はある。
私だと海外まで行ってまう。
いやそうすると言語が通じないか。
起きていきなり「アンニョンハセヨ」とか言われたら、性別が違う以上に困ってしまうし。

全くどうでもいいけど、最初のほうで三葉が見たテレビ画面の時刻が7:25だったのは、たまたまなのかなあ?

最後に改めて。
最初にも書いたけれども、ウソを前提にすると、よく練れていたとは思う。
けれども私はどうしても、本当に作品を観て欲しいならば、そのウソ自体をもっと減らして、ナチュラルなストーリーを目指すべきと考えている。

たとえば、会話をするとき、相手の興味を惹きたければ、相手の興味を知り、それに合わせる。
相手と会話できない段階で、大勢の相手の興味に合わせるためには、結局のところなるたけウソをつかない、という一点に尽きると私は考える。

そんなわけで、3.5点といったところかなあ、と思うけれども、5段階なので、敢えて3点とさせていただきます。

http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E5%90%9B%E3%81%AE%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%80%82/355058/review/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%8C%E6%AE%8B%E5%BF%B5/805/

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