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2016年9月8日

2016年9月 8日 (木)

トムセン陽子と私の関係について、まとめブログで記載されとったっぽいから、事実を書く。BBx規制中が出たから止むを得んという事情もある

BBx規制中が出たから止むを得ず、ココに私が認識する事実を書く。
個人情報ダダ漏れやけど、個人情報保護法はあくまで組織を規制する法律であり、さらにその監督官庁は警察ではない。
だから、個人情報保護法違反を理由として警察公安が出てくるとすると、幾重にもおかしいことになる。

トムセン陽子が私に対して民事訴訟したかったらやってみろ。
私も、そのほうが、資本の論理の上で、北朝鮮以上の隠蔽社会の中において、名前が売れて好都合やし。


兵庫県多可郡多可町 [無断転載禁止]©2ch.net
http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/kinki/1472947930/418

まとめブログってええかげんやなあw

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トムセン陽子が大西と?ハーレーやアナウンサーとして旦那は? 2016/09/05
http://ponpon-jhs.com/2880.html

トムセン陽子と大西の関係は?

トムセン陽子さんのキーワードに大西というのがあるのですが
何のことかと思って調べてみたらトムセン陽子さんの
大ファンでハーレーフリークの方のようです。
そして、どうも大西さんトムセン陽子さんと親戚のようですね。

その方の名前がなぜ、取り上げられているのかというとその方ブログを
やっていてブログのタイトルが「日立製作所を公益通報したにも
関わらず違法に解雇されたおーにっちゃんのブログ」というもののようです。

そのブログではなんだか、政治や芸能界の話な
いろいろ取り上げてコメントしているもののようです。
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”トムセン陽子さんの大ファンでハーレーフリークの方”って、どこをどう調べたらそうなるのか、サッパリワカラン。

中区曽我井に、私の実家、じいちゃんからすると大西亀太、がいて、近くの親戚に大西喜蔵というのがいた。
もともと宮大工とかしていて、後にタクシーとかしたとも聞いとる。
両家はお互いに結婚し合うような感じやったらしい。

喜蔵は子供がなくて、房次という養子を取っていて、そこに亀太=こはる(私のおばあちゃん)の次女の香矢子を嫁がせた。
大正時代の生まれやな。
美代子、香矢子、富士弥(弘子がよく借金し夜逃げした兄というのはこの人)、明美、博昭、の5人兄弟姉妹や。
博昭は末っ子で家を継いだ。

こはるが富士弥の嫁に対してつらく当たったからだ、と弘子は主張していたけれども、ヨウワカラン。

その房次と香矢子の子供、私からするといとこ、は3人生まれて、全部女の子、喜蔵さんから1字取って、喜美子、喜久子、喜代子、とした。

その頃房次と香矢子は、播州織の工場を作って、女工さんも雇っていた。

喜美子は弘子の確か1歳下で(だから1944年くらいの生まれ)、同じ小学校に通っていたけれども、喜美子がいちばんカネモチで目立っていた、と言うとる。
喜美子は確か8/19生まれやったと思う。私ヒトの誕生日覚えるの得意やねん。

その喜美子は、当時の田舎の女性には珍しく、関西学院大学に行った。
ドイツ人と結婚したくらいやから、ドイツ文学科にでも行ったのかな。

大学の下宿先でトラブルが起こって、ホンマは房次とか香矢子が対応せなアカンところ、祖母にあたるこはるが出てきて問題を解決した、という逸話も聞いた。
さすがに孫のことまで介入するか!と思うたけれども、こはるはそんだけ責任感が強かったんやろ。
私は、このこはるの血を継いでいることを確信する。

それで、喜美子は、まだ昭和40年代やから、ソ連を経由して、シベリア鉄道とかかな、でドイツに行って、そこでホルガー・トムセンと出会った。
帰ってきてからも会ったと聞いた。

どっちでどうやったか忘れたけれども、ホルガー・トムセンが会うはずの女性の都合が悪くて、たまたま自分が行ったら、そこで仲良くなったとか聞いた。

そうして、ホルガー・トムセンと大西喜美子は結婚した。

その子供がトムセン陽子や。

ホルガー・トムセンは、旧西ドイツで取ったパンのマイスターの資格を持っていて、来日してすぐくらいから神戸屋の重鎮みたいな感じになって、自分の名前を冠した店を出してもろたりしとったらしい。

そして、30年くらい前から、樟葉で個人の店を開いとる。

ホルガー・トムセンの実家は、ドイツのハンブルクのあたりらしい。
そういえば、ホルガーの誕生日は、天皇誕生日と同じと聞いたなあ。そうすると、1940/12/23か。
誕生日は、家に帰って祝うとかではなくて、毎年工房に寝泊りすると聞いた。

私はホルガーのつてもあると思って(伊達娘の親戚もドイツにあると言うとったし)、日立製作所の案件でドイツに亡命した。
そしてなんと、居住先は、ハンブルクに近い、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州やった。(そこは、さややに対しても大いに主張したいw)

私はコレは運命的と思った。
けれども、ホルガー側が拒否したのか、それ以前に大西弘子が自分の体裁を考えて隠蔽工作したのかワカランけど、なんも支援してくれんかった。
その上で、私は強制送還されたんや。

だからいまとなっては、ホルガー・トムセンも、その娘トムセン陽子も、いや、いまは伊津野陽子か、トムセン喜美子も、私は敵と思うとる。
実家とか血縁なんて関係ない。


あるのは、人類の未来を考えたとき、いま自分はなにを為すべきか、ただそれだけや。


余談やけど、私はゆいりを見ると、丸山喜久子(結婚して丸山姓になった)の子供を思い出す。

なんとなくの雰囲気と、親と子供が誕生日が同じで、確か6/16やったと思うんやけど、ゆいりの6/15とごっちゃにダブって、私の中では記憶されとる。

ホルガーとは、こうして敵の関係になってしまったけれども、それでも私は、わざわざ来日して、クリームが載っているわけではなく、保存食的な、バームクーヘンとかシュトーレンとかの日本での発展・理解に貢献したという業績は、間違いなくあると考える。

追伸。

弘子は、富士弥が借金したから、自分は困窮に喘いでいる、とずっと主張してきた。
けど、私はそれはウソと思うとる。

というのも、富士弥が借金する前、まだ私の家が裕福とされとった時代から、弘子は私に対して、濃い砂糖水を作って、それを”はちみつ”とウソをついて与えていた。
だから私はだいぶ大きくなるまで、はちみつは白いものやと思うとった。

保育所だって、受け入れられる最低の年齢(3歳)で早速連れてかれて、初日泣きながら弘子のスクーターに乗らされるのを嫌がったのを、いまでも覚えとる。

そして、実際に私の世話をしてきたのは、こはるやった。
だから私は周りから、おばあちゃん子と言われてきた。

弘子は織物組合の決定事項に反して、ウチは貧乏だからと土日にも機織りを強行したし、ゴミが出たら回収してもらうのではなくて、条例だかに違反してまで”野焼き”をした。

”野焼き”で、隣の家の田んぼまで焼いてしまったことがあったけれども、弘子は回収に出すカネも惜しいからと、”野焼き”をやめなかった。

周りには相当不評な、変な家やったんちゃうか?と、冷静になって考える。

弘子は、私に関しては周りの目をやたら気にしていたけれども、自分の行動に関しては、全く気にしなかった、し放題やった。
そんなあたりも、整合性が取れてない。

それで、私が大学に入るとき、カネがないからといって、奨学金の保証人に、丸山喜久子になってもらった。

けれども私はいろんな知見を得たいからと、奨学金の完済を後回しにしとったから、私が日立製作所を違法に解雇され、ドイツに亡命し、弘子がなにも味方になってくれないからとして、やむなく自己破産したとき、奨学金の返済が喜久子に回った。

ならば、弘子は田んぼまで売ったりして、喜久子に対して奨学金の返済を手伝い、完済した!と、先日ハガキに書いてきやがった。

ちゃうやろ、親ならば、一見如何に荒唐無稽に思えても、子供の主張が正しいかどうかに耳を傾け、もし正しいならば、後手後手で田んぼ売ったりするのではなく、私がドイツに亡命している時点から田んぼを売って、一緒に共闘すべきやったんちゃうんか?

喜久子も喜久子で、私の主張は無理筋で、博昭-弘子は問題と思ったからこそ、保証人としてハンコついたにもかかわらず、弘子は返済してしまった。

いくら親戚であろうが、ハンコついたのは喜久子の責任やから、ウチは関係ない!と主張する。
そんくらいでないと、自分の家族なんて守れん。

弘子はなんか、自分が不利になるように持っていくのの天才やなあ。
そうやって、自分がさも悲劇のヒロインかのごとく妄想しとるんやろ。

私から見たら、弘子は貧乏神、というか疫病神そのものやな。
事実弘子は4人家族やったのに、1人去り1人去り、1人追い出して、けっきょく1人になってもたやないか。

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