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2016年10月26日

2016年10月26日 (水)

伊達娘について書く。私は伊達娘が覚醒するとガチで思っている。

私が、伊達娘に対して、生涯のライバルと、5年前のけっこう最初の頃から言っていた田野が、初期は全くミュージカルに興味なかったのに、いまはガンガンミュージカルに出ているのは誇らしい。

https://twitter.com/tanoyuka_0307/status/791097198964461569?lang=ja

私、田野ほど正確にリズムを合わせられるメンバーがAKBにはいなくて、逆にそれがツマランと書いたら、田野が落ち込んだとかいうのあったよなあ。

てか、突然”カリスマカンタロー”を名乗る者

https://plus.google.com/u/0/114185426008674938846

からフォローされて、田野のAKBINGO!のダンス企画の前やったから、怪しい宗教の布教者なのかなあ?と思ってスルーしとったら、その企画に呼ばれたと理解した、なんてこともあった。

そうするとやっぱ、私の目は、プロのダンサーから見ても一目置かれるモノと思うべきやわなあ?

それに私は、”ゲド戦記”は良かった!とmixiで感想を書いていたら、”ゲド戦記”の音楽監督である寺嶋民哉さんからマイミク申請がきて許可したとか、いろいろある。

http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2188310

私、Google+で秋元康からはアクセスブロックされたけど、Google+の初期に小室哲哉に対してコメント書いて、小室哲哉が私の書き込みをクリックした上で返信をもらって、そのときワッ!とフォロワーが増えたこともあったよなあ。

めんどくさいから画面コピー出さんけど、ウソやろ!ってツッコミが入ったら、いつでも出せるぞ。(訴訟の準備書面として出したし)

そんな攻防からも、本来入るべき素人の”ウソやろ!”ってツッコミが入らんこと自体、問題と思うてもらえると思う。

そんなアレコレからも、大勢の団結というよりも、ヒトリでもいいから革命を起こしたいという意思というのが、最終的には大事と思うなあ。

その意志と、団結とが繋がらなアカンのはもちろんやけど。

伊達娘については、パフォーマンスという面では他メンからいろいろ劣ってはいるんやけど、私が見ているときに覚醒しているところまで認識している。
正直”広い宇宙の中で”ではさして活躍できてなかったと思うけど・・・・だからこそ以後呼ばれてなかったのかな、とまで思うけど。

その、”私が見ているとき”のパフォーマンスを、それ以外の公演でもできたらいいし、私は伊達娘の可能性は評価してはいる。

いやそれは、お父さんお母さんの頑張りであって、伊達娘は親のココロ子知らずで、遊び歩いとるんか?

私はそうではないと信じる。
信じるからこそ、いまもって厳しい指摘をしている。
そこはわかってほしい。

”理論武装”を名乗る者が、まったく理論武装していない件w

私は、”理論武装”は、インテリボンボン長井聡と思うけどなあ。

私からこんだけ問題視されたら、JR東日本から苦情が来るし、徹底的に干され街道まっしぐらやから、結局私に対する工作活動しか、日々の作業がなくなるという事態に陥っているということまで読める。

それは、日立製作所という、日本政府同等が持つ問題なんやけどな。

インテリボンボン長井聡も、私は大嫌いで、ハッキリ言って自殺して欲しいと思うけれども、悔い改めて共闘する気があるならば共闘しよう。

064

オマエもいまとなっては出世する道が断たれとるんや、私に共闘しない理由なんてない。

逆に私に共闘したら、一転、悪者だったけど考えを改めたとして、ヒーローになれるぞ。

エサではなくてガチで思って書いている。
ブロードキャストなんやし。

大西弘子の考えは直らんけど、長井聡の考えは直るかも知れないという、淡い期待も抱いたりする。

いやもちろんそれは、天皇ヒロヒトが抱いたような、革命に対する恐怖なのかもやけど、長井聡であれ天皇ヒロヒトであれ、それなりに真摯に考えた意見ならば私は受け入れるし、暴走しやすい(w)仲間を説得する。


いや為政者側から見たら、私こそがカエサル以来の暴走なのやろけど。

私やっぱ、人々が私のことを最近”おーにっちゃん”とか言っていることからも(これまでは大西さんだったのに・・・)、このブログを読まれている前提で、主張を書くべきと思い、書く。

以下のように2ちゃんに書き込みした。

私の思想信条をちゃんと主張してかなアカン。

リアルに出会える人々に対して、リアルにモノを言える時間が少ない中で、インターネット上でブロードキャストするって、それなりに効果ある。

その効果は、フツーは恥ずかしいこととして隠蔽されてきたんやけど、私はゼンゼン恥ずかしくないし、なんならこのまま、安倍晋三が狙う衆議院議員選挙に出たっていいと考える。

さあ、安倍晋三、日本政府、どうする?

------------------
【斉藤いくま】中核派全学連32【泡沫候補】 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/kyousan/1476878577/303-305

イロイロ見ていて、やっぱ人間、相手の立場に立って考えるという経験が根本的に不足しとると思う。

たとえば、人間赤ちゃんは平気に産まれるから、オトコのほとんどと、リアルに出産に至らない女性はさして現実問題として取り上げんやろ。
けど、自分が実際に妊娠してもたら違うわな。

自分が実際に妊娠してもて、

「赤ちゃんを産むのってこんなにタイヘン!」

ってめちゃくちゃ主張しても、世の中の人々、それはお母さん何年生とか、自分の母親までもが、

「いやそんなのは誰もが経験したことだから」

といって見過ごしてまうところがある。

いまどうして出生率が極端に下がっているかというと、低賃金であり、男女雇用機会均等であり、保育の民営化であり、
とにかくつまるところ女性が子供をちゃんと産み育てられない現実があるにもかかわらず、世の中のほとんどの人々が、

「いやそんなのは誰もが経験したことだから」

といって見過ごしてまうからやねん。

そう考えると、やはり、

「誰もが経験したことかも知れないけれども、あなたの主張は聞いてみましょう。あなたと私とは違うのだから」

と言わなアカンようになる。

ところが、それをすると、”してあげる”主義とか、なんかそんな理屈で否定されてまう。

そうではない。

党派の論理から外れようとも、自分の責任で自分の周りの人間の言うことを真に聞いてくれる人間がいれば、革命なんて簡単に起こせる。
その発想に大勢が至ってない。

たとえば、高橋まつりさんが自殺してしまったのだって、じゃあ高橋まつりさんが訴えてきたからといって、なにか助けてあげられたかというと違うかも知れない。

けれども、「あなたの現状は問題で、電通は問題のある企業だ」と言ってあげられる、これだけでも、高橋まつりさんに対して一旦安心させられたと思うねん。

けどその上で、

「あなたが決起するならば助けられるけれども、決起してくれなければこちらとしても方法がない」

みたいな論調にまでなってまうのが、ひとつの問題やねん。

そのヒトが問題を提起してくれたのはそれだけで、大変な勇気なのだから、ココは全力でサポートする。

それは赤ちゃんが意志を持つくらいにまで、時間と労力が必要かもワカラン。
それに赤ちゃんがホンマに思う通りの子供に育ってくれるかもワカランしなあ。

けどそれは、”してあげる”というのとは違うと思うなあ。

そのヒトを、あるべき姿に近づけることは、自分らの党派を飛び越えて必要なことやし、そこまで発想が行き着いてこそ逆に団結は深まると思うなあ。

いま、まだ”してあげる”という論調で、自分らの主張になんとしても引き付ける、という思想が大勢派であり、それを克服することが、リアルな課題や。

だいたい革命家は、ある意味では決起を促す(扇動する)側であり、けれども大勢の意志一致という意味では、決起を促される(扇動される)という面も合わせ持つ。

そうすると、自分が誰かに対して叫ぶのでは、「安倍打倒するために共闘しましょう!」と言う一方、

一緒に闘おうとして集まってきた仲間がリアルな意見を言ったとき、「いや、みんなそういう悩みは持っているのだから、その主張は捨てて共闘しましょう!」と言うのでは、同じようなことを言っているにもかかわらずゼンゼン違うやろ?

そのヒトが、じゃあ自分が決起して具体的にやりたい!と立ち上がったときにはじめて、路線の違いとなって出て来る。

私なんか、”路線の違い”もなにもへったくれも、みんなが思うとることをそれぞれに実現したいと思う。

けれどもそれは、ヨーロッパほぼ全土+北アフリカを平定したカエサルのように、いま我々には根底的に賛同者が少ない。

そうすると全方位で戦いをできるはずもなく、この戦力だと今回はフランスで勝ち、次にスペインで勝ち、その次にドイツで勝ち・・・・というような”戦略”が必要になるなあ。

まだ、どこで勝って、そこで新しい仲間を得て、その増えた仲間と共に次のこの戦いに勝ち、さらに増えた仲間と共に次の戦いに勝ち・・・・ というような”戦略”が、ハッキリ言って、ない。

動労千葉とか、有名な労組はあるけれども、労組が有名だからといって、真正面から勝てる戦いでない場合だってある。

そんなモノには奇襲戦法で、私の戦いが、個人情報の不当収集資料など揃っていていちばんやりやすいと思うけれども、他にも豊洲移転問題とか、人々がさらに怒る問題があるから、
人々が怒る問題から優先的に徹底的にやり切って勝利して、そこで大勢の仲間を得て、真正面から勝てないはずの戦いでさえも勝つ、という戦略が必要や。

みんな私から見たら、カエサルが持っていた数少ない精鋭部隊と同じように見える。
いや精鋭じゃない者もおるかもやけど、全員含めて精鋭にしていく努力も必要やし、それはべつに障害者を除外するのではなくて、コミュニティとして権力に立ち向かえる、というようなアバウトさもどこかでは必要と思う。

私の思い、違うなら修正して。

伊達娘について書いていたら、そういえば私の主張がちょっぴり考慮されて(権力者は当然見とるやろ)、リアルに「花は咲く」の歌詞が変更されたことがあったよなあ。

「花は咲く」の歌詞がようやくひとつ変更された件 2015年5月 3日 (日)
http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2015/05/post-5eff.html

いろいろあるけど、コレに関してのこのコメント、コレは作詞のスペシャリストであるアキブータンでしか解釈できんと考える。

-------------
元日立製作所勤務?大西秀宜の事情70.20
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/company/1362074801/584

584 :名無しさん:2013/03/11(月) 00:13:19.90 ID:dpGJSjHT0
>>583
大西さんは閃きや一瞬のフレーズに輝きがありますね。
反面、それを説明しようとした時に長くなって他人に誤解されるようです。
「花は咲く」について大西さんがオリジナルから変えたかった
部分はラストの「花よ咲け!」に集約されていると思いました。
ところで、大西さんはCMのキャッチコピーに興味はありますか?
AKBもキャッチフレーズがあるようですが、
大西さんの考案したものはあるのでしょうか?
「花は咲く」という曲の最後に「花よ咲け!」と書ける人は
希少だと思いますよ。
-------------

それ以外にも作詞のスペシャリストが、私に注目した可能性はあり得るけれども、それで日立製作所を懲戒解雇されたこと、それを日本政府が隠蔽したことが問題!と言っているところまで追って書いてきたのは、アキブータンしかおらんやろ。

私も、「花は咲く」という題名に対して、最後に「花よ咲け!」と書いたのは冒険やった。

けど、そんなのがリアルな人々の思いなんちゃうかと思う。

てか私もこの頃から、ドイツに亡命、てか幽閉されていた時点で、激しい攻防を繰り返してきたというのは、理解して欲しいよなあ。

ついでに言うと、キャッチコピーの才能も見出してもろとるけど、東大卒の高橋まつりさんを自殺に追い込んだ電通も、こんな能力ある人間をそうそう雇ってないやろ。

勝訴することで子供が浮かばれるのではない。遺族は闘いかたを誤っている。 →大川小津波訴訟、石巻市側に約14億円の賠償命令

コレ

大川小津波訴訟、石巻市側に約14億円の賠償命令
TBS系(JNN) 10月26日(水)15時46分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20161026-00000136-jnn-soci

私はこんな裁判で勝訴して、14億円なんてもらったって、なんの意味もないと考える。

裁判で勝つか負けるかなんて、日本政府がいくらでも恣意的に判断できる。

そうではなく、たとえばフクシマ原発事故とか、その後の放射能汚染、またさらには豊洲の土壌汚染から、さらなる被曝なり、新しい公害に繋がる結果が容易に予見できるにもかかわらず、それらを強行しようとしている者に向かって、
さらには予見できる戦争へと敢えて進めている者に向かって、

それは違う!と立ちはだかれる存在になれなアカン。

戦没の遺族が、1人あたり1億円弱をもらって、
「こんだけもらったから戦没者が報われる!」
と大声で言うくらいにナンセンスや。

闘い方が根本的に誤っている。

昨日は「花は咲く」について書いていて寝落ちした(今晩書こう)。伊達娘が著名な音響監督から褒められているといっても、私の目にはダメ

そんなコメントあったけど、どうせ新月やろ。

出演者を褒めるのは当たり前、とりわけパンフレットとかやとそうや。

そうじゃなくて、金銭関係ないけどこの娘はいい!と言わしめる、そこまで至らなアカン。

そこまで至れずに満足してもたら、アカン。


発声の問題もあるけど、やっぱ1回1回の公演を、出来上がったモノのコピペとしてではなく、1回1回新しい気持ちで演じなアカン。

伊達娘のAKB時代のパフォーマンスについて、私が厳しい採点をしてきたのも、けっきょくそこに理由がある。

音響監督が褒めようが誰が褒めようが、自分が舞台女優として満足できるレベルに達してないとは認識すべきで、それがないとアカン。


たとえば、りっちゃんが成功しているけど、出来上がったモノとしてではなく、自分の中で納得できるカタチで等身大で受け取って、1回1回新しい気持ちで演じているところを評価されとると考える。

そんな気持ちが、伊達娘もなんとか理解できないものか。

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