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2016年12月13日

2016年12月13日 (火)

私しかし、今回ブログが問題にされたことは、ひとつの勝利ともいえるとも捉える。

というのも、日立製作所時代の場合は、誰がどう見ているかわからない、という権力側の思想から言われた。

今回は、むしろ権力の側がさまざまに工作活動をしてきた結果、1年半放置してきた問題が浮上してきて、やむなく言われている側面がある。

権力の側が攻撃をしてきている、というのは、私は権力の側の悲鳴と思うなあ。

みんながそう思うてくれるかワカランけれども、それでも、世界情勢をかんがみても、悲鳴をあげとるのは権力の側と実感してもらえると思う。


大きな視点で見て、その中で自分がこれまで築き上げてきたモノをどう活かすか、というのは考えられるし、別に私とそんなに敵対的になる必要性も感じんけどなあ。

それでさえ敵対的に思うてまうとすると、それはもう、革命達成後にどう自分の地位を築くか?に、関心が移ってしまっているというしいかない。

私は、今日の交渉は決裂したけど、それはどうでもええと思う。

まあ、内部的には、コレを読んで、誰がどう動いたかは想像できるやろ。

けど、私はそこをあんま問題と言うつもりはない。

私はそもそも、革マルとか、日本共産党とか、民進党とかナントカカントカ、さらには右翼の党員とか暴力団とかだからといって問題にするつもりはなくて(いやだからといって誰かに迷惑かけとったらアカンけど)、あるときハッ!と気づいて豹変できたらそれでええと思うねん。

大西弘子のように、自分の意思がなくて、大勢に迎合していたらそれでいい、という人間は、死んでも、ハッ!と気づくことはないやろ。

大西弘子は死んでも、私のことを”愚息”と思うとるやろ。

そんなくるくるぱーには自分はならない、という意思があったら、それでええと思う。

私ひとりが言ったところで、革命は成し遂げられん。

みんなのチカラが必要で、当然のように、今日は決裂した人々とも改めて理解し合えるようなことも、革命のためには必要と思う。

組織論、というのは、私が明石映画サークル時代に、共産党の岡本好和というのがいて、そいつが変な主張しとったなあ。もう20年前のハナシになる。

岡本好和ってのがおった。ペンネーム岡本健一郎で、共産党ってペンネームを持つものなんかなあ。

ココにいまでも兵庫県映画センターの代表取締役として名前がある。

http://www5b.biglobe.ne.jp/~hyogocc/5shopping/hyogocc-shopsetumei.html

もうかなりの年齢のハズなんやけどなあ。

私は、明石映画サークル時代、もうハタチ頃やから、21年くらい前か、岡本好和のやり方が気に入らずに、若者3人が決起して、それに巻き込まれたことがあった。

私は若者3人の側に招かれて、そっちにも行ったし、それ以外に岡本側の意見も聞いた。

けっこう私もうそれくらいから、いろんなもめごとに顔を出しとったなあ。

それで、若者3人の側は、なんか玉砕覚悟で、映画サークルの機関紙に自分らの主張を、ゲリラ的に入れて、私もそれに加担したんやけど、後で岡本らから差し替えられて(それにも付き合わされたw)、ホンマに玉砕してもた。

岡本のやりかたはおかしい!と言ったはよかったけれども、じゃあ自分達はどうやりたいか、という意見が、若者3人には全くなかった。

岡本は、「そういうのは組織論としておかしい」と言ったけれども、いくら3人が、おかしいと思ったことがあって、中途半端に玉砕しようが、自分がおかしいと思われたことについては真摯に考え直すべきで、それを”組織論”なんて言うとったらアカンやろ、とは思うた。

今日、組織が組織がと言われて、そんなことを思い出した。

”組織”を理由の前面に出すのって、帝国主義でありスターリン主義やねん。

いや組織ってもちろん大事なのは認識するけれども、その組織をどう広げたいか、は、誰がどう決めたか、という証拠(法律なり憲法なり不文律なり等々)ではなくて、つまるところ自分の意志やねん。

だってそうやろ。

いっくら共産主義が、ヒーローを作らず全部平等、金太郎飴、と言ってみたところで、やっぱヒーローっておるねん。

ヒーローってすなわち、自分の意志をどれだけ貫けるか、やねん。

自分の意思を貫く、というのは、”君子豹変す”というように、突然180度変わることがあるけれども、それは自分の意思として腑に落ちるところがあるからこそ、人生をかけた自信をもって、主張を180度変えて、それを想像される非難にも臆することなく主張できることやねん。


・・・・まあ、そう考えると、一般的な組織論だけではなくて、いろんな理由を総合したら、私だって豹変して、ブログを書かないでおこうと思うかもワカラン。

けれども、組織論を前面に出されたら、いやそれは違うんじゃ・・・と言うてまう。

ブログ問題で話し合ったけど、無駄と思って10分で自分から「こんなの無駄」と言って帰ってきた

まあ、詳細まで述べられんけれども、所信を書く。
(詳細は別途内々では説明する機会が必要やろなあ・・・)

私がブログをずっと書いてきたのは、自分がいまなにを考えているか?をきちんと書き記すことは必要と思うたからや。

それで、それでもやはり内情として書いたらアカンところがあるし、そこは基本的には書かんけれども、どうしても、おかしくて、内部で直らんし、陰口になるのではなくて一般的に言える、と思うところは書いてまうところもある。

ブログが楽しみ、というよりも、ブログなりなんなりで自分の主張をすると、ちゃんと主張を見ている人がいるのは間違いない。

警察公安や日立製作所は当然やけれども、たとえば私のドイツ亡命時代に、新潮社の者が追跡しとった事実もある。


http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/company/1358565558/796

796 :名無しさん:2013/02/01(金) 06:14:38.00 ID:72112NRS0
岩田スレで赤毛のアンについて触れてたけど、大西さんって昔に赤毛のアンの
感想文を応募したことありませんでしたか?
ただ一人別の視点で書いててなんとなく大西秀宜という名前が記憶に
残ってて、なんでなのかなと思ってましたけどやっと思い出しました。
内部ではかなり話題になりましたね。

てかそもそも論として、ブログを問題視するならば、どうして私が掲題の通りに

”日立製作所を公益通報したにもかかわらず違法に解雇された”

ことを主張しとることを問題視せんの?

組織よりも日立製作所のほうがめちゃくちゃ問題視していて、しているからこそこうしてこうやってアクセスがたくさんあるんやんなあ?

095


そう考えると、私がブログに書くという行為は、実は権力に与しているというわけだけではないことがわかる。

そこは私はちゃんと捉え返して欲しいし、単にこれまでの延長上で形式的にダメ、という議論はして欲しくない。

その上で、今日はどうして10分で切り上げたかというと、相手は「組織の情報漏洩になるから」この一点張りやった。

私は、「情報漏洩もなにも、仮に結果として情報漏洩になるとしても、そういうことを書きたいと思う意思があって、その意志に対して自分達が向き合えてないことが問題なんじゃないですか?」
と言ったけれども、彼は、「組織の情報漏洩になるから」この一点張りやった。

でもそれって、私が日立製作所時代に、2ちゃんねるに書いたことについて、印刷して「これ大西が書いただろう」と言ってきた、日立製作所とやり口が同じやねん。

私はそのときも、「それを私が書いたかどうかよりも、そもそも日立製作所の内部に問題があることのほうが問題なんじゃないですか?」
と言ったけれども、日立製作所はそこには一切関心を示さずに、私らしきと判断した書き込みを一方的に私によるものと断定して、私を懲戒解雇してきた。

まあ、今回組織が、日立製作所と同じ論理で私を責めてきたことに対して、そりゃ、日立製作所と同じ論理に立っとるんやから、私は懲戒解雇されて当然の人間や、と思うたんやろなあ、と思い返すしかない。

そして、それはもう絶対反対闘争ではなくて、自分たちが闘いたいと思うたものだけ選別して闘う、条件反対闘争や。

私が責任者ならば、情報漏洩があったとしても、どうしてその当該者が情報漏洩しようと考えたのか、そう考えさせたことこそが自分の問題なんじゃないか?と思い返すはずなんやけどなあ・・・・ なんかそのへん歯がゆいよなあ。

てかいま考えたら、ココで油を売るくらいならば、AKBの公演ロビ観行きゃよかった。

私、まだなかなか理解を得られてないけど、AKBを観るのは、16人の少女のリアルのパフォーマンスを観て、瞬時の観察力、瞬発力を得るためでもあるし、少女が抱える問題を考察することによって、自分が最も想像しづらい人間の立場に立って考えられると思うからや。

私は、AKBからカネはもらってないけれども、AKBの公演を観て感想を書くというのは、少女らと労働を共有していると思っているし、私の影響力が強いからこそ、私を岩田華怜以外のAKBメンバーからも完全出入禁止にしてきとると考える。

そんな少女たちに対して、公演の感想を書くためにも、ブログを続けなアカンという側面もある。

私は別に、全体が腐っているとまでは言ってないけど、空念仏が支配している構造は変えなアカンと思うし、それを誰に向かって投げたらええかワカランからこうして書いている

私だって、自分の言い分が間違っているかもわからず、それに真摯に向き合ってくれるならば、こんなとこには書かん。

フツーはそうやろ。

けど、私の上に立つ者は、事実を私に確認することなく、他人に対して、権力が振り撒いた情報を引用して、大西はこんなおかしなヤツなんだと言っている。

そんな人間に、私の上に立つ資格ないっちゅうねん。

いくら間違っているのではないか?と思っても、じゃあそれは直接聞くのがスジやろ。

なにカゲでコソコソ工作活動やっとるねん?

私が敢えてインターネットに書き続けているひとつは、そうやって事実を曲げて伝えるのが、権力の常套手段、というのを、
私が弱みを敢えて見せることによってとことん突かれるところを、意識的に大勢に向かって見せることで、権力の常套手段を実感してもらえると思うからや。

そしてその先には、当然のように、革命家に対して権力は、"過激派"とレッテルを貼ってきたんやけれども、そんなレッテル貼りが、実は過去から続いてきたのかなあ、と、大勢が思う。

それは、"過激派"に対する一般人の意識の、コペルニクス的転回に繋がるはずやねん。

だから、私はいくら権力から睨まれようが、一般大衆に向けて、こうして延々5年以上書いてきとる。

なのに、肝心の、私は仲間・・・最終的に革命を成し遂げる仲間と思っている、"過激派"が私に対してレッテルを貼っている。

そんな心がまえで、どうやって自分らに向けられた"過激派"のレッテルをひっぺがせるねん?その上で革命ができるねん?

自分らは正統派やから理解してもらえるとでも?

私は、相手から理解してもらえるためには、まず自分が相手を理解するところから始めるしかないと主張する。

理解し共感すれば、共闘できるところが見えてくる。
それはしかし、上から念仏を押し付けるのではなくて、自分がひとりひとりと向き合って、ひとりひとりが闘えるモノを、一緒になって見つけ出すしかないねん。

その繰り返しやねんけど、仲間がさらに仲間を作っていく、という倍々ゲームが上手く回ったら、情勢は一気に韓国同様になる。

けどやっぱとにかく、最初は、まず自分が相手を理解し共感し、共闘できるところまで持っていく。


上に立つ人間がいっくら素晴らしい空念仏を言えたところで、下の者の陰口をたたいて、分断を作り上げているような組織に将来はない。

私について中核派内部で平気に、岩田華怜にプロポーズするとか言動がおかしいと言うとる勢力がおるらしい

それがウワサを聞いた分派とかじゃなくて、私を統括するヤツらやから、タチが悪い。

こういうのが、私が、組織が腐っとるという理由やねん。

外に書くんじゃなくて内部で議論しろと言われても、そもそも彼ら自身率先して権力からのイメージ攻撃に乗っかっとるんやから、そんなんで権力から過激派キャンペーンされている!なんて主張できるかよ。

権力から過激派キャンペーンされている!と主張するならば、私が同様に、変人キャンペーンをされていると言っていることに、向き合うのが最初ちゃうか?


そうでないと、彼らの活動は、ひたすら空念仏を唱えて満足する"マルクス真理教"でしかなくなってしまうし、そんなヤツらとは私は敢然と立ち向かわなアカン。

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