« 2016年12月29日 | トップページ | 2016年12月31日 »

2016年12月30日

2016年12月30日 (金)

敵か味方かワカランけど・・・、いやどのみち敵やなw なんか分断工作してきとるのがおる。冬山登山と勝手に考えるなよ。

コレホンマアホやなあ。

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-eaa3.html#comment-114163539

大西さん、冬山登山をするためには、そのための装備が必要です。
革命=冬山登山だとすると、「資本論」は必要な装備です。
ルート以前に大西さんは冬山登山をする訓練が不十分な上に
装備もない。
僕たちはそんな人に登山の案内をしてもらうのは不安です。
それはわかりますよね?

投稿: | 2016年12月30日 (金) 21時03分


”冬山登山をする訓練”ってのがマルクス主義なの?

そのマルクス主義とやらで、勝った経験どんだけあるの?

私のほうが、そこらじゅうで仲間を作ったり信頼されてきた経験ある。

AKBにおける逸話の数々だけでなくて、鉄道だって国家戦略の方向性をヒトコトで決めて、今後も来てくださいと言ってもらったし、その前に田中麗奈の「がんばっていきまっしょい」をめちゃくちゃ宣伝して、それが認められてサイン本贈ってもらったり、その前に学生時代に私ほどジブリが好きな人間いないと言われてジブリに見学に行って宮崎駿に会ったり、いっぱい逸話ある。

いくらでも探せる。

けど、私は自分が主流派を取るまでの権力は得てないだけや。

党の人々の中には、私が得たような、権力側が唸って認めてまうような才能は、まだまだ少ない。

ないとは言わんけど。

ただ、やっぱ”運動”だけではものごとは進まなくて、学生が権力者側の意見と我々の意見と、両方を見たときに、どっちのほうが確からしいか?を、学生が興味を持つような話題に照らして言うことは必要と思う。

労働運動って解雇撤回とか、選択肢が少なすぎて、学生が興味を持たんねん。


学生を惹き付けたいならば、自分らが興味を持っているものごとについてビラを作って配るよりも、
自分らが学生が最も興味を持っていることについて先頭に立って学んで、学生に対して論戦を挑んでったほうがよっぽど”単刀直入”にズバッと入れるねん。文字通り。

なんでそういう発想に至らんのかフシギでしゃあない。

コレは正直、党全体に対して言えるよなあ。



あ、それで、だから冬山登山にたとえると、党の人々も実は2合目くらいまで登ろうとしたことはあったけれども、それ以上はまだ未知数やねん。

誰も登山したことがない。

それで、自分らのほうが冬山を登山したいと願ってきた期間が長いし、とにかく2合目くらいまでは登ったことがあるのだから、自分らの言うことに従え!と言うのであれば、それは違うと言いたいよなあ。


逆に言うと、私だって別に、自分が先導者になれるかどうかはさして関係ないと思うとる。

ただ、私ならばどう先導し頂上に登るか?を常に想定しているし、別に先導者が私の想定と違った道を進んでいるとしても、そういう道もあるのか、と検証するだけや。

ただ、検証やから、先導者が誤った道を進んでいるのではないか?という目ではチェックするし、いまの地区党は明らかに登山ではなく下山しとるから問題やと言うとる。


地区党の中では間違いなく問題があるけれども、全体的にはまだ立て直せるのではないか?という期待もあるし、立て直しのために私も積極的に参加したいと思うとる。

地区党は、自分らが実のところ搾取の主体になっていることを、もっともっと反省せなアカンと思う。”個人の自由”をとにかく徹底的に否定された記憶がある。

地区党のあり方には、いろいろと批判したいところがある。

日本政府の腐敗を主張する前に、自分らもだいぶ腐敗しとると思わなアカン。

ココに書くべきではない、と言われるやろけど、いやだってコレは歴史上多くの人々が陥ってきた過ちやから、そういう過ちはちゃんと白日の下に晒して、今後そうは進まないようにしよう、という人々の意思に変えてかなアカンと思う。
それは内々にじゃなくて外に向けて発信できてこそ、人々から信頼されると思う。

私の上に立つとされる者は、”個人の自由”ではダメなんだ、とずっと言ってきた。

けれども、私は、”個人の自由”を追求してナニが悪いねん?と思った。

”個人の自由”を追求して、たとえば恋愛したいとか結婚したいとか、休みが欲しいとか、給料がもっと欲しいとか、そんな欲求を語ってなんか悪いんか?

それを語るのを、「それは”個人の自由”だ、それではダメで、我々の活動に賛同しろ」、みたいな言い口で言われて、それはおかしいおかしい、いくら過激派ったってこのヒトが言うとることは、どうも極左団体の中の体制派、極右だと思ってきた。

たぶん、学生運動あたりから極左しか知らんから、それ以外の選択肢がないんやと思う。

いろんな考えを見渡した中で、得た結論がいまの自分なのではなくて、最初から党で、それ以外の考え方には触れてもきてないならば、いっくら極左であっても、体制派になってまうやろ。

私はそれって、これを言っちゃおしまいやけど、スターリン主義の核心やと思う。

それがどうも、そのヒト個人だけでなく、地区党が、極左内極右みたいな、左翼みたいに見えて、やっとることは右翼と同じやねん。
なんたって「体制の言うことを聞け!」やからな。

そう考えると、私と入れ替わりくらいの時期に、地区党のことをスターリン主義と批判して出てった、ちょっとインテリのヒトがいたこととも整合性がつく。

私もその文章はチラッと読んだ。
地区党のヒトらはやたら怒っていたけれども、私は実感するところもあったし、地区党はもっと真剣に議論せなアカンやろ、と思ってきた。

そんな経緯があってこそ、ココにこうして書いている。

そんな、リアルなヒトの言葉をも、「スターリン主義と批判するようなヤツがいることは許せん!」みたいにして、それがもう地区党がスターリン主義であることを証明してもとったんや。

なんでそんなのを、地区の外の全体が感知できんのか、私にはヨウワカランけれども、やっぱ相互に慣れ合いがあって、仲間とはいえもう少し厳しい目でチェックするようなとこもあらなアカンねやろ。
とにかく私に見つかったのがウンのツキやと思う。

「なんかそのハナシは、部分的に見るとその通りなのかもワカランけれども、全体を通すとスジが通ってない」というのを見つけ出すのが、個人的に上手いと思う。自画自賛すると。

だって、いくら権力側が理不尽なことを言うとしても、それに対抗するために、自分の主張は抑えて、とにかく革命に結び付くとは到底思えない、個人的に展望が見いだせない、ビラ配りに参加させられて、こんなの無意味やと思ってきた。

社会に問題と思うことがまずあれば、それを解決する手段が必ずあって(「ゼネストすれば革命を起こせる」みたいに、全く根拠がない空論はダメ)、その手段をまずは見つけ出して、その手段の正当性をつねづねチェックし合う、そういう戦いこそが必要と考える。

私はよく、富士山に登る場合のたとえ話を出すけれども、革命が富士山の頂上とすると、いまは1合目にもいるかワカランけれども、とにかく登山ルートを自分達なりに想定して、そのルートを着実に登っていることを確認し合ったらええねん。

ルートから外れることだってあるやろ。
そういう場合は、ルートに戻るのが基本やけれども、誰もが想定してない道を分け入っていくのが革命家のありかたやし、そんな場合が起こり得ることはつねに想定しとかなアカン。

中野洋さんの名言で、「迷ったら左」というのがあると聞いたけれども、(左翼という意味で左と言ったと思うけど)リアルに左を選ぶかはともかく、少なくとも、想定したルートに沿っているか?を判断材料にしたり、想定したルートに沿っているから迷わない!と断言するようなことはあってはならない、と考えるなあ。

とにかく、”個人の自由”は最大限尊重されるべきと考える。

だって”個人の自由”を徹底的に奪っているのが権力者なんやから。

なのに、権力者に対抗するのが必要だからとして、”個人の自由”を、党に対する費用として納めさせ、それだけでなくビラ配りとかで、本来働いていたら得られた給与なども全て無償奉仕で貢献させて、その責任者とされる者自身は、革命への展望を全く持ってないとすると、それこそがもう私の持つ自由なりカネなりの搾取そのものになっているのであって(責任者は自分でさえもそれを気づいてない気がするけれども、実態として)、そこはちゃんと認識してもらわなアカンと思う。

いくら「資本家が搾取するものなんだ」、と主張したところで、自分が、集まってきた仲間から搾取する主体になってどないすんねん!

まあとはいえ、そんな、誰もが誰も、これまで想像できてこなかった、革命的な考えを持てるとは思えんし、そこはなんか上手いこと考えなアカンなあ。

しかしとにかく、

想定したルートに沿っているか?を判断材料にしたり、想定したルートに沿っているから迷わない!と断言するようなことはあってはならない

コレは言えるんちゃう?

その革命の山を、リアルに登っているのは、党の人々というよりも労働者なんやから、労働者が登山しているときに持つ不安については、徹底的に向き合わなアカンと思う。

秋元康は主張を変えたなあ。ゼロから生み出すということはない、と言うとったのに。こういうスジが通ってないのが権力者の汚いところや。

コレ読んで、秋元康には、ゼロから生み出すという発想がなかったので、パクったのは物議とかではなくて事実と考える。

秋元康氏のデジタルアイドル「22/7」のコンセプトに物議 2016年12月30日 11時00分 R25

https://news.nifty.com/article/technology/internet/12186-00054779/

公式ツイッター、オフィシャルサイトも開設された「22/7」。キャラクターは8人だがオーディションでは12人が合格 ※この画像はサイトのスクリーンショットです(22/7公式ツイッターより)
秋元康氏がプロデュースする新しい“デジタルアイドルプロジェクト“のグループ名が「22/7(ななぶんのにじゅうに)」に決定。そのコンセプトが物議をかもしている。

秋元氏とソニーミュージック、そしてアニメ製作を行うアニプレックスがタッグを組んだ今回の“デジタルアイドルプロジェクト”。二次元の女性キャラクター8人でグループを結成し、その声を担当する声優をオーディションで選考。キャラクターによる二次元でのアイドル活動だけでなく、声優によるアイドル活動も展開するという。

12月24日には、最終オーディションが行われ、初期メンバー12人が決定したとのこと。さらにグループ名が「22/7(ななぶんのにじゅうに)」に決定したことも発表された。

日刊スポーツなどによると、「22/7」は、割り切れないということから神秘性を表しているという。さらに秋元氏は「0から1を生み出す時、そこにないものや、まだ見えないものを信じる力が必要である。22/7は、想像の象徴だ。どんな意味を持っているのだろう? 答えは、未来にある」と、コンセプトを説明している。

この秋元氏の「0から1」という言葉が、ネット上で話題となっている。というのも、スクールアイドルを題材とした作品『ラブライブ!サンシャイン!!』で、「0から1へ」という言葉がキーワードとなっているのだ。

アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』では、主人公のアイドルグループ「Aqours」がアイドルの全国大会で“得票数0で最下位”という結果を出してしまうシーンがあり、そこから奮起するべく、メンバーたちが「0から1へ」というスローガンのもと頑張っていく。また、「Aqours」の楽曲として、「Step! ZERO to ONE」という曲も存在しており、「0から1へ」が作品の象徴的な言葉となっている。

二次元のアイドルグループのコンセプトとして「0から1」というフレーズが登場したとなれば、たしかに『ラブライブ!サンシャイン!!』との丸かぶりが疑問として出てきてもおかしくない。ツイッターでは、

「0から1とかどっかで聞いたフレーズ過ぎる」
「22/7?0から1?声優からアイドル? ラブライブですよね。パクリですよね?」
「完全にAqoursのパクりやん 0から1とかもう、確信犯」
「秋元さん 0から1ですか?( ̄▽ ̄) 参考になさいました?」

などと、“パクリ疑惑”まで浮上する事態となっている。

とはいえ、作品の内容が良ければ、自然もファンも増えるというもの。ツイッターでも、

「意図したわけではないだろうけど、『0から1を生みだす』って一部から反感買いそうなコメントを。 でも内容よければ手の平返すんだろうな。とりあえず様子見」
「0から1...Aqoursだ、、 完全素人声優がやるのなら少しは推すが」
「秋元康のアイドルのやつのインタビューの0から1ってまんまサンシャインじゃん やっぱパクリ??笑笑 キャラは好みの子いるから楽しみにはしてるけどね」

と、内容次第では応援したいという声もあった。

真似たかどうかは別として、『ラブライブ!サンシャイン!!』にコンセプトが似てしまったのは間違いない「22/7」。人気が高い『ラブライブ!サンシャイン!!』に迫ることができるのか、要注目だ。
(小浦大生)

検索したら、まとめブログに書いとるひとがおった。


【まとめ】AKB48を生んだ秋元康が大事にする4つのプロデュース論 2013.05.06 雑記

http://164s.net/606.html

NHKの番組で、秋元康×東北復興のドキュメンタリーがおもしろかったので、勝手にまとめてみました。

ちなみに、番組の内容とは直接関係なかったのですが、秋元康は宮城県の女川町(おながわちょう)という、津波で壊滅した町の商店街復興をプロデュースすることになったそうですよ。今年やるんだと思います。

(略)

4.プロデュースはゼロから1を生み出すのではない

これは秋元康が若者達を食事に誘って語ってたシーンでの、質問に対する回答で気づきがあったものです。

秋元康いわく、プロデュースとは、0→1を生み出すのではなく、0.1を見つけ育てることらしいんですね。

その0.1に人は自分自身で気づいていないことが多いとも言っていました。

確かにそうかもしれないですね。

プロデュース業と、実際にヤルものは違う、という言い訳はあるやろけど、ゼロからなにかを本当に生み出せると思うとるならば、プロデュース業に取り入れとるやろ。

逆にいうと、ゼロからなんて生み出せないと秋元康は思っていながら、敢えて『ラブライブ!サンシャイン!!』に合わせて、世界のウケ狙いでこんなプロジェクトを始めたと思う。

しかしとにかく、AKBならばフツーの女の子が劇場で毎日公演に励んで、成長していくというのは、観る者を惹き込むチカラがあるし、いまもってあると思うんやけど(儲かると思って広げ過ぎたのが失敗で、秋葉原に限定して公演して、CDで売っていくぶんには、赤字にはならないはず)、「22/7」は、売れる要素が見つからん。

『ラブライブ!』についても、私は”μ's”のものは観たけど、基本的にはAKBのようなものを二次元に表現したのと、その役をちゃんと声優が演じたからで、私はあんま綺麗に整理できんけど、リアルとバーチャルの間を揺れ動くヲタクの心理を掴めたんちゃうかと思う。

だって、アキブータンって、”AKB0048”でも失敗したとおり、自分達がいったいナニで成功しナニで失敗したか?のノウハウをゼンゼン蓄積できてない。

ちなみに、女川町の商店街復興のプロデュースについても、ウヤムヤにして逃げてもたらしいやないか。


【秋元康】「女川町商店街プロデュースは立ち消え その後 音沙汰なし 最初の一言だけでした」©2ch.net

http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/akb/1481626566/

1 : 47の素敵な(地震なし)@無断転載は禁止 ©2ch.net (ワッチョイ bfc8-0jbv)2016/12/13(火) 19:56:06.04 ID:GOdzuwm30
秋元康さん 女川町の商店街をプロデュースへ
この駅の周辺には、町の中心的な機能を集め最大で30店舗ほどが入る新たな商店街を建設する予定で、
町は商店街の全体像や復興のシンボルとなる広場のプロデュースを秋元康さんに依頼しました。秋元さんはことし1月末に商店街の建設予定地を視察したうえで、
ボランティアで依頼を受けることを決めました。 女川町は、AKB48の人気にあやかって町の復興を図りたいとしています。 ...

まちづくり会社が運営する「テナント型商店街」、女川町でオープン
東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県女川町で、テナント型商店街「シーパルピア女川」が12月23日にオープンした。
国の「まちなか再生計画」の認定第1号として津波立地補助金を受け、第三セクターのまちづくり会社、女川みらい創造が整備を進めてきた。

「シーパルピア女川に行きたいんですが 秋本康さんのプロデュースした広場はどこですか?」
「女川町商店街プロデュースは立ち消え その後 今のところ音沙汰なし 最初の一言だけでした AKB関連施設は一切ないです」

この最後の2行のソースがないけれども、それを否定する根拠が全くないことを考えると、この最後の2行は実態やろ。
”秋本”と書いたのはアレやけど。


てか私いっこ思いついた。

女川町に新しくホールを作ったらええねん。ハコモノで悪いけど。

そして、キャッチフレーズは

「コレがホントのオナホールだ!TENGAにも勝てるそそり勃つ自信!」



・・・いや、そのキャッチフレーズはいろいろと物議をかもしそうやけどなあ。

地震で被害に遭った街に、自信を持てったってなあ。

てかまずは原発を廃炉にするほうが先か。

郵便箱の中身を見ていろいろとイラッとしたこと ~ 私の機関紙論

ひとつに、転送期限を過ぎているのに、大西弘子からのハガキが転送されてきていた。

私は、日本郵便も、日本政府の意向で変な工作してきとると考えとる。

というのも、フツー日本郵便では、住所が合っていても名前が居住人でない場合は、配達せず返送することになっている。

ところが私が前にいた、菅野ビルでは、”マイケルボンドラー”とかでも平気で郵便物が届いた。

コレが証拠な。

”大西ジェームス康”とか,”オーニシ マイケルボンドラー”でも郵便物って届くんですね。ってかやっぱ日本郵便も間違いなく1枚噛んでますよねえ。 2014年12月25日 (木)

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-9110.html

そのことに関して、郵便局に苦情を言っても、ちゃんと書いてもらえないと対応ができない、とかめちゃくちゃ言われた。

だって、コレ見たら誰がどう見ても嫌がらせを受けとるの明らかやろ。

じゃあなんで、同じ郵便局が、大西弘子からの郵送物を親切にも、既定の期間を過ぎて転送してくれるのか?

日本政府の意志(恣意)やからやなあ。

大西弘子も、なんか、「やっと借金が返せた、あなたも一度帰ってきませんか」とか、ナニ他人事やと思うとんねんなあ。

自分が周りに対して、体裁整えて、「息子が帰ってきました」と言いたいだけやないか。

ホンマに早く死んで欲しいよなあ。


それで、中核派の地区党についても、大西弘子と発想が同じなところにイラッときた。

というのも、私2日前に、いま機関紙が読める状態にないことを書いた。

こういうコメントが出て来るというのは、むしろいい内容ということちゃうか? → 機関紙前進の白痴化が凄まじい。新年号は中学生レベル。2016年12月28日 (水)

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2016/12/post-468c.html

ならば、機関紙をいくつも、封筒に入れて届けてあった。

・・・・いや、ナニ体裁整えとるねん?
そこが発想が大西弘子と同じやねん。

私に機関紙が届くかどうかは、正直二の次でいい。
だっていくら世界情勢を知ろうが、いま現実に動ける体制にあるかどうか、そこを常日頃からちゃんと確認していなければ、世界情勢に対して主体的に関われん。

そして、世界情勢に対して主体的に関わるということは、最終手段としてはストライキを考えることは当然やけれども、もっと機動的に、目の前のヒトが抱える悩みについて検討して、それは自分も持つ悩みだ!として共感して、共闘する、そういうことを常日頃からするということやと思う。

機関紙について書いたついでに。私が常日頃考えていることを。

よく、新しく読む人が、「勉強になったけれども、用語とか難しくてまだ自分はついてけない」みたいに言うことがある。

そういう、新しく読む人が難しいと思うところを取り去る、そういう努力も必要と思う。

というのも、革命を起こすためには民衆の過半数を取らなアカンわけで、そうすると当然のように機関紙の読者というのは、毎号毎号増えていくはずやねん。

そう考えると、毎号毎号増えていく、というところを考えると、新しい人が”用語とか難しくてまだ自分はついてけない”と思ってしまうような作り方はなるたけ避けて、新しい人が読むなり

「自分が思っていたことはまさにこれだ!」

と、場合によってはわめくくらいのことができるもののほうが望ましいと思う。

そう考えると、冷静に見て、産経とか読売、いや朝日も、いや赤旗もか、これら全部、権力側の思想を植え付けとる。

けれども、「これが権力側の思想だ!」みたいに、民衆に向かって突き付けるような内容じゃなくて、あくまでも公平を装いながら、取り上げる題材や取り上げ方が権力側になっとるねん。

そう考えると、機関紙だって、私が編集長ならば、言い方は悪いかもやけど、

”あくまでも公平を装いながら、取り上げる題材や取り上げ方が労働者側”

みたいなやりかたってできると思う。

それは機関紙といえるのか、という議論はあると思うけれども、だって本来取り上げたい題材は、労働者の数だけ無数にあるはずで、コレは編集局に対して難題になってまうと思うけれども、労働者のぶんだけ声をちゃんと取り上げたら、別に指導部から方針なんて提起しなくても、それがほぼ、方針になると考える。(まあそれでも、権力側がなにを考えているか?とか、労働者の想像の範囲外ということもあるけど。)

だって、産経、読売、朝日は労働問題なんて全く取り上げんし、赤旗だって、取り上げるとしても権力に迎合したカタチでしか取り上げん。

だから、労働者のナマの声が、下手に加工されることなくそのまま載る(それは作文では無理やし、本当に聞き取る技量が必要と思う)、そういうのが欲しいし、きっとこれからますますそんなカタチになると思う。

私なんて別に、アイドルがリアルに自分の境遇を訴えるとか、アニメ制作者とかCG技術者が自分の境遇を訴えるとか、当然のようにあり得ると思うし、・・・いやそう書くとそんなのは路線に反する!なんて声も聞こえる気がするけど、それでも、過半数を取るというのは
、いま自分らが想像できんような、あらゆる労働者の声があるということやからな・・・ ”マルクス主義”の勉強をした者だけが報われる”お勉強”に陥るのではなくて、誰もが思いを共有できる、そんな機関紙にしてったらええと思うし、したいと思う。

もし関われたらやけど。

私はそもそもアイドルのプロデューサーを目指してきたワケちゃう。日本政府か日立製作所か知らんけど、違法行為を中核派から突かれたらマズいからって隠蔽工作すな。

私がドイツに亡命したのも、日立製作所どころか日本政府をブッ潰すためや。

ただ、その結果として、アイドルも労働者と考えたら、"あるべきアイドル像"というのはあるはずで、その議論をしてきたに過ぎん。

ドイツ亡命時代に、アイドルをどうやってプロデュースしたらいいか?を、間違いなく秋元康が、2ちゃんねるの日立製作所の裏事情スレ上でふっかけてきたから、応えたというのもある。

とにかくアイドルのプロデュースは、最終目的ではない。

ただ、労働者の労働を考えたとき、「アイドルは労働者ではない」という理屈は成り立たんはずで(女の子が憧れる職業やしなあ)、そこはハッキリさせたい。

AKBの紅白選抜結果について~私がブログを書く理由

AKBの紅白選抜結果について、入れたメンバーは素直にうれしいと書いとるけど、入れなかったメンバーは、書けてなかったりする。

やっぱ悔しいんやろ、呆然としとるんやろ、と思う。

しかし私は何度も書いているように、紅白に出れたからって、自分の歌唱力からではない。
これは乃木坂も欅坂も同じや。


これをバネにして、自分で出れるようになろう、と思いを新たにすることのほうが重要や。


その中でも、さややは出れたんやけど、前日に不安な気持ちを書いていて、さややが素の自分を書くのは珍しい、と思うた。

団結は重要なんやけど、団結は、分断によって鮮明になる。
なんだってそうやな。
辛い思いがあって、それを打倒するために革命が起きるんやから。


こんな分断にあってさえも、落ちたひななは、団結団結と書いとる。

まあ、ココの意味は、ヲタとの団結やけど、とにかく団結と書いとる。


団結なんて言葉、AKBのヤツら使わんから、私のブログとか読んどるんやろ。


なかなか理解してもらえんけど、AKBの運営が私を出入禁止にまでして怖がっとるのは、私の影響力が大きいからやねん。

だいたい、私が初めてAKBを観たときは、入ったばっかの12期の何人か、田野とか伊達娘とかは元気やったけど、11期とか先輩は、もう元気ちゃうかった。

ヲタも、たかみなとか運営も、元気なダンスよりも、"正確な、おとなしめのダンス"をすることが当たり前になっとった。


それを、私がもうファンレターとかGoogle+とかで、遠隔操作でいろいろと説得しまくって、大勢が元気なダンスをするように変えてったんや。

だからこそ、出入禁止みたいな攻撃を受けるんやけど、それでも私の思いを伝えるには、ブログというブロードキャスト方式しかないという結論に達した。

私がブログを書く理由、そういうことや。

いま輝いとる太陽が、突然輝きを止めるわけにはいかん。

« 2016年12月29日 | トップページ | 2016年12月31日 »

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近の記事

最近のコメント

カテゴリー

最近のトラックバック