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2017年1月27日

2017年1月27日 (金)

国土交通省鉄道局長 奥田哲也 による年頭の辞に関する反論 by おーにっちゃん

中核派は反論千年灸・・・ではなくて、せんねんから、私が反論するしかないわなあ。

JREA2月号

http://www.jrea.or.jp/publish/jrea.html

と、

鉄道と電気技術2月号

http://www.rail-e.or.jp/modules/magazines/index.php?content_id=331

に、国土交通省鉄道局長 奥田哲也 による年頭の辞が、全くおんなじ文章で書かれていた。

”鉄道と電気技術”のほうが二色刷りで読みやすい。

とはいえ、”JREA”のほうが、その次に続く巻頭言が、よりによってJRではなくNTT顧問(元NTT代表取締役副社長、公益社団法人企業情報化協会(IT協会)会長)の宇治則孝で、知らん名前やなあと思って検索したら、


http://www.ntt.co.jp/journal/1101/files/jn201101006.pdf

◆PROFILE:1973年日本電信電話公社に入社.NTT民営化
関連業務,新規事業開発業務を担当した後,1988年NTT
データに異動.民間企業向け情報システムの企画開発,新
世代情報サービス事業本部長,経営企画部長,法人分野の
事業本部長等を経て,2005年代表取締役常務.2007年NTT
持株会社に異動し現職.

とあるとおり、ガチガチの政府側の人間やないか。

そういうのを、ざっくりと中核派に通用する”外注化・非正規職化・働き方改革”という念仏で纏めてまうのではなくて、そこで踏みとどまって、一般人に通用する言葉で説明する努力こそが必要やわなあ。

てか私は、”努力”という言葉を見て、努力の”努”は、オンナのマタの下からチカラを出すんやから、もうなんかアレを想像してまうよなあとか言ってきた。

それを考えると、”怒る”の”怒”は、オンナのマタの下からココロやから、ナントナク、オンナが子宮から怒っているカンジがするよなあ。

・・・・それを性差別と捉えられる可能性も感じての、敢えての表現や。
半分くらい理解してくれると思う反面、半分くらい反発するとも思う。

けど、そういう発言をして、賛同だけでなく非難を浴びてこそ、人々から注目を浴びる闘争をできるよなあ。

中核派はそういう意味で、成田の闘争とか迎賓館のロケット弾とか、非難を浴びて人々から注目を浴びる闘争はしたけれども、賛同を得る闘争はさしてしてきてない。

動労千葉とか動労水戸はけっこういい闘いをしていると思う反面、それがまだまだ一般人にとって自分にとっても利益になると実感されてないところを、どうにかするのが課題とも思う。

ココで書いたらアカンのかもやけど、今日めっちゃ笑ったのが、動労には自民党支援者がいるということ。

誰もが同じ政治主張ではないというのは、それは組織的にダメと糾弾されるかもワカランけど、やっぱそういうのってあるねん。

大勢の理解の範囲外に、個人の思想というのがあって、その個人の思想、こだわりを、少数意見だから排除するというのではなくて、少数だけれども・・・・・・、いや少数だからこそそれを貫ける理路整然とした思想があるということを、徹底的に考えなアカンねん。

そんで、国土交通省鉄道局長 奥田哲也 による年頭の辞を検討すると、たとえばJR北海道なんか、協議とか書いてはいるけれども、ようはもうバサッと切るしかない、と言うとる。

私ならば、てか中核派の主張として、公共交通の面倒は公共の福祉として見なくてどうする!と言いたい。

私もそうやし、たとえばAKBのさややとか、ココで突然出してまうけど、北海道の別海町は、もともと標津線が走っとったそうやないか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%99%E6%B4%A5%E7%B7%9A

そんな、国道と同じように必要な公共交通である鉄道を、なんで日本政府は、利益の名の下に廃線にしてまえるねん?

利益の名の下に廃止してまえるならば、国道だって、税金出すヒトがいないから廃道にしてまうとか、国道から県道とか町道に格下げとか、そんなハナシがあって然るべきやけど、そんなの聞いたことないやろ。

・・・・・・・じゃあ、国民の利益に対して、国鉄を廃止するという発想自体がおかしいよなあ。

そんな発想をもっと、ゲリラ的なビラ配りのレベルを越えて、地道にして、広げてかなアカンねん。

奥田哲也が言うとることは、私には総花的で、誰かに書かせた文章で、ナニ言うとるのかヨウワカランところがあると感じる。

しかしとにかく、ホームドアを推進することだけは間違いない。

IEC62267規格(AUGT)において、鉄道の無人化においてホームドアは必須って言うとるんやしなあ。

私はそんなのも含めて、日本政府を徹底的に糾弾したいと思うとる。

これまでは、中核派の傘下で主張したいと思うとったけど、今日、いまどうも無理と理解して、独自に主張する。

ただ、どこかで中核派に理解してもらって合流したいという意思はあり続ける。

中核派に説明しても、どうも”外注化・非正規職化・働き方改革”で丸められて、誰に対しての訴えかワカランようになるから、やむなく私の訴えを記す。

コレ、本当は中核派内部に配ったモノだけれども、誰も理解し拡散しようとせんから、私も方針を転換して、インターネット上に公開するわ。

別に中核派のことを悪く書いたわけでもないし、この内容を読んで怒りを覚えて、中核派-動労に結集したいヒトが出てくれたら御の字と思う。

いやけどやっぱちょこっと悪く書いてまうとこもあるけど、中核派はまだまだ、集会のお題目と実際の内容が乖離していて、お題目に関係なく内容が金太郎飴やねん。

誰かが、革命組織はどこを切っても金太郎飴、とか言うたらしいけど、それが誤解されて伝わっとると思うし、そもそもどこを切っても金太郎飴なんてゼッタイにない。

いっくら革命組織であろうが、そこに生きるのは個人なんやから、個人が他人と全く同じ意見なんてゼッタイにあり得ん。

こんなことまで書いても、中核派のことを悪く書きたいワケではなくて、ようは中核派にリソースが不足しとるねん。絶対的に。

それは中核派が全く悪いワケでもなくて(悪いとしても感覚的に10%くらいや)、権力の側が仕向けとるねん。

ただ、権力の側が仕向けとることに対抗すべく、指導部が指導できてないことはやっぱ弱いと思うし、それが10%くらいは中核派にも責任があるなあと思うところや。


そういえば松下幸之助が、ヒトを救いたければまず自分が裕福でなければ、みたいなコトを言うたらしいけれども、それはあながち間違ってなくて、やっぱり裕福な者のほうが智恵が回ることが多い。

部落差別なんか見とったらわかるやろ。
被差別部落から、「こんなんおかしい!」と言って革命的指導者が出てきたわけちゃうやろ。・・・と思って調べたら、水平社運動って被差別部落から出たらしいなあ。 私も不勉強で41歳にしてようやく理解したけど。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E5%9B%BD%E6%B0%B4%E5%B9%B3%E7%A4%BE

いや、水平社運動が部落解放を主張しとったのは知っとったけど、それを推進した者が被差別部落出身の者、というのは初めて知ったということや。

けどそれでも、被差別部落の者が、自分らの苦境をいっくら言ったところで、それを変えようというチカラにはならん。
全員に分かる論理で、部落差別問題だけでなくて、さまざまな差別をひっくるめて、差別をなくすことの重要性を説いてこそ、それが一般性を持つ。

”外注化・非正規職化・働き方改革”みたいに、自分らではスローガンにできても、それの何が問題なのかワカラン言葉を言ったところで、相手には伝わらん。

そういう意味では、日本政府が”過激派”という言葉を使うたのは、敵ながら秀逸やなあ。

政府は、左翼運動は認めるけれども、あいつらはやり方が過激過ぎる、と言うたわけや。
”過激派”と言うただけで、みんなビビってまうよなあ。

たとえば、ふと思いついたけど、

「我々は過激派です。けど本当に過激なのは、戦争を仕掛けている日本政府です。」

みたいに、自分らを主張した上で、発想を180度転換するような主張を盛り込まな、日本政府に対峙できんと思う。

まあ、いいよ。

とりあえず読んでみそ。

日本政府のヤツらは青ざめると思うし。

私も、考えたけど、鉄道関係の技術誌に出とる論文について批評して、どこがおかしいと考えるか、これからブログで書くわ。

そうやって、学者の言うとることのナニがおかしいかの本質をガンガン責めてかなアカン。

そして、中核派が理解して、それはブログには書くな、機関紙に書けと言うてくれたらそれでもいい。

私がブログに何回か書いて、それを検索して、「・・・・あとは中核派の機関紙で!」なんていうと、みんな機関紙読みたくなるやろ。

そうしたら、私もようやく中核派に貢献したことになるし。


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JR東日本が想像しているものごとを予測する

JR東日本が”技術革新中長期ビジョン”

https://www.jreast.co.jp/press/2016/20161105.pdf

として書いてきたことについて、JR東日本が想像しているものごとを予測する。

当初この内容について仔細に解説しようと思ったが、仔細に解説したところで労働者としてわかるはずがなく(そもそも抽象的であり、私自身想像するしかない)、JR東日本が想像しているものごと、見据えているものごとを露わにする必要性を感じて、記載する。

そもそも、権力の核はJR東日本ではない。

日本だけを見ると、日本政府の手先はJR東日本かのように見えるが、日本政府は”最弱の環”なのであるから、”最強の環”に取り入るべく、手下として動いており、JR東日本はさらにその下にいると考えたほうが良い。

では、”最強の環”はなにかというと、TPPをはじめとして、各国が集まって国際的に決める”国際標準”であることは容易に想像できるだろう。それは、TPPに明らかなように、打倒対象の最大のものである。

”国際標準”がどうして現在の資本主義の下で必要かというと、労働者から見えるのは、労働者の労働を機械化することで人件費を浮かせられることが明らかであるが、
その裏側には、資本家側は機械化できるための安全の証拠資料を準備し、さらにはその証拠資料を認証し合うことによって、なんの安全の担保も取れてないものが安全であると宣伝する効果がある。

現実的に、世の中の製品に、いくつもの様々な認証マークが存在する。(たとえば、最も有名なものは、JISマークでありJASマークである)

それらひとつひとつが、とりわけ政府の天下り先が認証し付与していることを考えると、如何に意味のないものであるかがわかる。
だから日本政府も、安全性が損なわれたから、認証団体は法律に違反しているとして、その認証団体の権限を取り消す、などということは絶対にせず、すべて個人の責任にし、政府の監督不行届や、認証団体のチェックの不行届は問題にしないのである。

そして、機械化のひとつの大きな問題が、”技術革新中長期ビジョン”で書かれている、”TBM”から”CBM”手法への移管がある。

あるひとつの数値をチェックするのであれば、”TBM”から”CBM”へ移管してもいいとも思えてしまうが、そこに説明のトリックがある。
人間、労働者が定期的に巡回してチェックするのは、チェック項目だけではない。

私も伝え聞くしかないが、たとえば蒸気機関車の頃は、運転士や検査の方が、五感で感じていたもので、その技術の習得には何年もかかる、と言われた。
そうすると、それを仮にチェック項目として挙げられると仮定すると、多くの可能性があり、さらに複数の不具合の要因が絡んで進行している場合を考えると、労働者が考えねばならないことは無限にあるはずである。

そのような項目について一切考えなくなったから、電化柱が倒れかけているのを大勢の運転士が申告しているにも関わらず、JR東日本の指令は倒壊事故が発生するまで放置したのである。

”CBM”の手法になれば、電化柱の倒壊事故は発生するのが当然ということになる。

では、そんな手法は受け入れられない、と皆が思うだろう。

けれども権力者はさらにずる賢く、事故が起こってさえも、停止していた時間の賠償金や修理費、もし負傷者が出ればその賠償金を勘案しても、利益が出ていれば、事故は起こってもかまわないという発想なのである。

これは、”ALARPの原則”として、いまや世界中の権力者は当然のように利用している。


https://ja.wikipedia.org/wiki/ALARP

ALARPは"as low as reasonably practicable"の略で ALARPの原則とはリスクは合理的に実行可能な限り出来るだけ低くしなければならないというものである。ライフクリティカル・システムや高信頼性システムの分野でしばしば使われる用語である。
リスクが(以下で述べる)ALARP領域に留まることができるのは、リスク低減に要する費用が得られる利益に対して極度に釣り合わないことを示せる場合のみである。ALARPの原則はリスクをゼロにするために労力とお金が無限に費やされる可能性があるという事実に基づいている。注意しなければならないのは、単に損失に対して利益を量的に比べるのではなく、ごく当たり前に、リスクと社会的利益の釣り合いを判断するということである。
英国においては1949年のEdwards v. National Coal Board訴訟以後、ALARPと同じ意味のSFARP:合理的に実行可能な限りできるだけ遠ざける(so far as resonably practical)が法律でうたわれている。この判決はリスクは犠牲と、それを避けるためのお金や労力、時間に対して十分小さくなければならないというものだった。欧州裁判所における10年間の法廷闘争は2007年6月14日にSFARP原則を支持して終了した。

”この判決はリスクは犠牲と、それを避けるためのお金や労力、時間に対して十分小さくなければならない”

との記載があるが、現実にJR東日本が少子高齢化を主張していることからも、「機械化するから人間が足りなくなる」のではなく、「人間が足りないから機械化する」という発想で、安全性が軽視されても仕方ない、という考え方にまで、多くの人々が陥らされかけている。
ここは、運転・保安闘争をやってきた全力をさらに結集して、徹底抗戦するしかない。

改めて世界的に見ると、”ALARPの原則”を武器にし、システムの汎用化・自動化は世界的に為されており、日本としてもそれに乗り遅れないべく、JR東日本がシステムの汎用化・自動化をゴリゴリ推し進めており、それを日本の人々に対して説明したものが、”技術革新中長期ビジョン”として表現されていると考えられる。

私は、”欧州裁判所における10年間の法廷闘争”をやり抜いた原告らを探し出して連帯するというのが、ひとつの道ではないかと考える。
国際連帯のつてでなんとか探し出せないか。
逆に、探し出せないとしても、国際連帯の仲間に対して、権力者の安全軽視のベースとして”ALARPの原則”というものが存在することを、日本から発信することは、権力者に抗する労働者の国際連帯として重要であると考える。


参考資料

国際規格入門 ~鉄道分野の標準化活動を中心に~  公益財団法人 鉄道総合技術研究所 鉄道国際規格センター
http://risc.rtri.or.jp/risc/general/information/generalfileDown.jsp?ID=6

製品安全対策に係る事故リスク評価と対策の効果分析の手法に関する調査 報告書 平成 20 年 3月 株式会社インターリスク総研 (掲載:経済産業省)
http://www.meti.go.jp/product_safety/policy/riskhyouka.pdf

"愚者は権威に学び、賢者は愚者から学ぶ"のほうがええんちゃう?

愚者であろうが賢者であろうが、そこに経験とか歴史とか入れるから難しくなる。

"愚者は権威に学び、賢者は愚者から学ぶ"

いや、もっとシンプルに、

"愚者は賢者に学び、賢者は愚者に学ぶ"

としてもええんかもやけど、愚者が学んどるのは賢者からではなく、誰かが与えた権威から学んどるんやろ。

まあだから、私には権威がないから、なかなか誰からも支援されんというのもあるんやけど。

たとえば安倍晋三だって、"云々"が読めんにもかかわらず、大勢から支持されとるのは、"内閣総理大臣"という権威があるからや。

◯◯大学教授とか、TOEIC何百点とか、司法試験合格とか、◯◯映画祭金賞とか、ノーベル賞受賞とか、全部誰かが与えた権威でしかない。

とうぜんのように、マルクスだって、一般人にとっては過去のジジイなわけやけれども、マルクス主義者はマルクスに権威を与えとるから、マルクスは大勢から学ばれとる。


そして、そんな思想すべてが愚者の思想やねん。


賢者は、と、ココで改めてマルクスを例に出すけど、マルクスは誰から学んだか?

もちろん多くの文献を参照しとるのも事実やけど、愚者から学んだんやろ。

そして権力の多くが、愚者を観察して、愚者の発想を先回りして考えとるから、負けてまうねん。

だから、マルクスを学ぶといって、マルクスが書いたことを一字一句追うのは間違いやけれども、マルクスのマネをして、自分も愚者の視点に立って、いまなにを為すべきか?を考えるのであれば、正しいと思う。

そして、愚者が愚者から学ぶ。

コレが団結の核心やし、マルクスが"階級闘争"として言い表しかったコトの本質やと思う。

しかしだからといって、愚者と賢者との間に、"階級闘争"があるかというと違うとも思う。

マルクスは、愚者が愚者から学ぶことを上手く説明できんかったから、"階級闘争"という概念を、やむなくひねり出してきたと私は考える。


私はもう5年前から言い続けとるけど、愚者が愚者から学んだ結果、自分が相手から理解されとると思うだけで、精神疾患の多くは取り除けるし、さらにはその他の病気も軽減できると考えとる。

だから、資本主義が医者を作り、治りづらいクスリを作り、医者や薬局が儲かるシステムを作っている!
と怒りの声を上げる前にまず、医者やクスリができるだけ要らなくなる助け合いが必要と思う。

そして、そんなコミュニティを作って終わり、にしてもたのがヤマギシズムやねん。

そう考えたら、ヤマギシズムが新左翼から脱落した経緯もわからなくもないやろ。

けどもう一つ重要なのは、コミュニティを作ったって、自分らは政府組織の下でしか生きられんねんから、政府組織と闘うコトは忘れたらアカン。


ウラを返せば、政府組織と闘うコトを忘れずに、ヤマギシズムがやったことを捉えたら、自分らがやるべきことがわかるんちゃうか?

ビスマルクが言ったという、

"愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ"

この"歴史"とは当然のように、敵の歴史も含む。

ヤマギシズムは敵だから学ばず、資本主義も敵だから学ばず、マルクス主義からしか学ばない!とマルクス主義者達が言うのであれば、マルクス主義者達全員が、自分達が経験してきたコトだけからしか学ばない、ビスマルクが言うところの愚者の愚を犯していることになる。

敵の歴史から肯定的に学べて、敵と連帯できてこそ、真に革命が起こせる。

敵の歴史から肯定的に学べんうちは、まだまだ革命ゴッコでしかない。


同様に、愚者から学ぶ姿勢がなく、マルクスをはじめ、自分らが権威を与えたモノを暗唱するしかないうちは、まだまだ革命ゴッコでしかない。

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