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2017年1月 3日 (火)

組織を運営する(最終的には世界を運営する)と考えたときに、人々と指導部との関係について考察する

やっぱ私が地区党を、いくら腐敗していると書いても、改めて、じゃあどうしたらいいかの腹案を書かなアカンと思う。

そうしたとき、やはり根底的には、指導部のほうが高い意識を持って、圧倒的なパワーで主張せなアカンと思う。
中央にいるから偉い、というのではない。

けれども、そうすると、末端にいる者は、「指導部が言うから」として、上が言ってきたことを下に投げる、そして下が自分らの方針に従っていることだけを報告する、という、中間管理職丸出しの、まあいわば露骨な官僚主義というか資本主義というか、もう極右といってもいいけど、そこに左翼的な発想はなくなってまう。

末端にいる者は、「指導部が言うから」ではなくて、自分らがちゃんと屹立せなアカン。

そして、当然のように起こる(悪意はあんまなく、全くないとまでも言わんけど)、指導部が政治的な方向を主体的に押し付けてくることに対して、

「政治的にどうかはそうかもワカランけど、リアルに生きる我々からすると、現実は難しくて、その現実の難しいところをこそ検討して取り上げてくれ!」

と言っていいと思う。

私はマルクスについて完全に肯定はしてないけれども、マルクスが想像した、党の指導部とか細胞とかは、こんな感じのイメージなはず、と思う。
(ちゃんとしたマルクス主義者にチェックして欲しいなあ)

そんでな、今年はロシア革命から100年やろ。

100周年なんて祝いたい者が多いけれども、私は、どうしてロシア革命から100年、未だにマルクス主義の社会になってないのか、マルクスがそこまで先見の明があったのか、そうではなくてマルクス主義の主張や解釈・運用のどこかに落ち度があったのではないか、チェックすべき節目とも思う。

私は、”マルクス主義”っていろいろと堅苦し過ぎて、そもそも個人名を冠していること自体スターリン主義で、スターリンは個人名を冠している主張に関して、それに従ってリアルに銅像を作った、ともいえるんちゃう?と思う。

昨日も書いたと思うけど、日本共産党も発想が同じやけど、「みんなで一緒にやる」という発想、コレは諸刃の剣やと思う。

そういえば、”過激派”と言われたように、浅草橋駅の焼き討ちとか、ゲリラ事件を起こしたことってあったやろ。

アレは自分らの論理からしたら”みんな”になるかもやけど、一般市民というレベルで見たら、自分らは革命のリーダーだ!と思って起こしたと見えるやろ。

いや、単に地下鉄サリン事件みたいに、奇怪なグループが奇怪な行動をした、と見られただけかもやけど。

自分ら的な総括はともかくとして、一般人から見たらそういう認識になってまうし、報道でどうしてもそうされてまう現実も見なアカン。

そう考えると、現実としてまだまだ革命を志す仲間が少ない現状を直視したら、「みんなで一緒にやる」という発想だけでなく、「ココは敢えて有志が頑張ってやる」という発想とか、「有志が逮捕覚悟でやる」とかいう発想だって、あったってええと思うし、そこは総括し直さなアカンと思う。

てか”総括”という言葉自体そうやな。

地区にいて、自分では判断をせずに、「中央がそう言っているから」って、上から言われたことをさも自分が偉いかのように振る舞う主張、アレはガチでどうにかならんもんか、と思った。

”総括”って、いっくら中央がどう”総括”しようが、自分で一生懸命考えて、その中央の”総括”が間違えていると思ったら、徹底的に反抗する、そういう意思が必要と思う。

それは、いま現在だけでなくて、かつてたとえば30年間に”総括”されたことが、いま改めて考えたら違う、ということだってあると思う。

言ったって数千人規模の団体なんやから、どんなに偉い立場の人間だったって、誤ることは当然のようにある。

日本政府とかアメリカ政府、各国政府、その下で活動をするグローバル企業、彼らは大規模な組織やけれども、全部間違っている、と我々は指摘しとるんやろ?

そうすると、我々だって間違えて当然、と思えるわなあ。

やっぱ、間違えることを怖れたらアカンと思う。

私がこうして、やめろと言われても敢えてブログに書いとることのひとつは、間違えることを怖れない姿勢を示しとる。

そしてその姿勢は、僭越ながら、他のどんな中核派の決定よりも、権力は怖いと思うと思う。

それで、ロシア革命100年と書いたけど、じゃあ100年間もどうしてマルクス主義がトップを取れなかったかというと、結局民意を得られてない。

民意を得られてないということは、マルクス主義の考え方のどこかがおかしいねん。
みんなとは主張が異なるけれども、私はそう解釈する。
そこは今後内的に討論すべき課題かもなあ。

だって、民意って結構爆発的に決起できたりする。
その爆発的な決起が、マルクス主義と繋がれんというのは、マルクス主義の考え方のどこかがおかしいと思う。

少なくともそのひとつは、私は何度か書いているけれども、非公然活動にあると思う。

公然と活動して主張したっていいと思う。(だから私はこうして書いとるんやし)

私が人間を観察するところによると、いっくらこうしたほうがいいと自分が思ってさえも、相手が思うかは別次元やし、相手が仮にそう思ってくれても、それを実行してくれるかどうかはまた別次元の問題となる。

そうすると、自分の身の回りの人々が、自分の考えに同調してくれる、コレは相当に難しいねん。

公然と主張して、「コレはこうしたほうがいいですよね?」と言ったところで難しい。

じゃあ、非公然で活動なんてしとったって、死んでも革命なんて起こせんよなあ。

私はもう5年以上、本名で活動しているし、とりわけ日立製作所を懲戒解雇されて、その問題を本名で追及してさえも、誰も関心を示さん。

公然活動をしていて、このキリギリスさま、じゃなくて、ありさまや。

そんな状態で、非公然活動なんかやったって、どうやって民意を獲得していくねん?

やっぱ、公然活動をするしかないと思うんやけどなあ。

そう考えて、いろいろと検索していたけれども、このブログ

http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-213.html

の、1つだけある”機動戦士JJ(=上下ジャ-ジ)キタ-【2008/10/14 12:39】 ”さんのコメントは、正しい。

このヒトはどういう経歴でココに書きこんどるのかワカランけれども、中核派が理解できてない、権力の実像を正確に把握している。
若干私も理解できてない言葉の表現もあるけれども。それでも、概ね正確に射ていると思う。

このヒトが書き込んだのはほぼ10年前、いまどこでなにをしとるのかなあ?
もしかしたら、私のブログを読んでくれとるかもワカラン。

こういう感性を持ったヒトともっと共闘できな、権力には勝てん。


「みんなで一緒にやる」という発想を上で否定したけれども、”共闘して勝つ”という意味では正しくて、「みんなで一緒にやる」と言いつつ、あのヒトとは意見が違う、とか、あの派閥とは違う、とか言うて、自分のほうから少数派になってもとるのも弱いとこやな。

少数派になりながら、少数の意見だけを集中してビラ配りするのではなくて、多数派になるための努力を、すなわち大勢の意見を汲み取る努力をせなアカン。

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コメント

大西さん、間違えることを恐れないって無責任なことを言うから
信頼されないんですよ。
会社員時代もそれが原因で信用できないから与える仕事がないのに
間違えたら上司や先輩がフォローするのが当然という態度ではねぇ・・・
先輩や上司は大西さんのお守りをする義務はありません。

はっきりいいますが、間違ったらダメです。
間違っていないかまず考えるのが人間です。

今回もまた大西秀宜君は、

>少数派になりながら、少数の意見だけを集中してビラ配りするのではなくて、
>多数派になるための努力を、すなわち大勢の意見を汲み取る努力をせなアカン。

努力もせず、能力も無いのに、加入したらすぐ高い地位が手に入ると妄信して駄々をこねております(嘲笑)

なあ。そうやって下積みから始める事を嫌がって、楽しようとしているから、
今の体たらくになってしまったのではないかね?(失笑)
カエサルの幸運は二度も無いぞ。

組織としては、ビラ配り『すら』嫌がる奴に地位など与えないだろう。
そうなると、大西秀宜君自身で何らかの組織を立ち上げる必要が出てくるが、君には出来ないだろう。

何でも他責にし、都合の悪い事柄から目を逸らし、
耳を塞いで、全力で逃げ回り、脳内世界に引きこもっているんじゃあな( ´,_ゝ`)プッ

>末端にいる者は、「指導部が言うから」ではなくて、自分らがちゃんと屹立せなアカン。

そうすると、君の考えている組織形態は"構成員が勝手気ままに行動する烏合の衆"って事になるが?

なぜなら、組織などには『指導層・指揮官が必ず要るから』だ。
何もかもバラバラの個人がいくら集まっても、ある種の意思統一がなされていないなら、それはただの雑踏同然な集団でしかない。

どんな組織にも「まとめ役」が要る。必死に大西秀宜君が駄々こねて泣き喚いても、
ここは変えられない。変えてはならないのだ。そうしないと組織が組織で無くなるから。

>私がこうして、やめろと言われても敢えてブログに書いとることのひとつは、
>間違えることを怖れない姿勢を示しとる。
>そしてその姿勢は、僭越ながら、他のどんな中核派の決定よりも、権力は怖いと思うと思う。

誰も怖れちゃいない。「人生全敗王」にして、最「狂」厄介ヲタ&悪質クレーマーな脳天壊了大西秀宜君など(一笑一笑)

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