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2017年2月22日

2017年2月22日 (水)

何度も中核派について書いて悪いけど、インターネットはバーチャルだからダメと中核派の人々に言われたけど、インターネット以上に”マルクス主義”ってバーチャルやん。理屈先行で実践できた試しがないし、誰もどうやったら実践できるかを主張できてないし。

インターネットはバーチャル、と言われたけど、それでもメールとか、私は使ってないけどLINEとかでちゃんと残るし、決してバーチャルではない。

バーチャルというよりもむしろ、日本政府側に情報がダダ漏れになるという意味のほうが強いと思うとる。

私は、言うてマズイことなんて書いてないし、ダダ漏れさせたってもゼンゼン問題なくて、むしろ中核派が会議とかでイロイロと用いとる秘密資料のほうが価値ないと思うとる。

だって大して正しい分析をしてないもん!(キッパリ!)

だから、ガサ入れとか身体捜検などは、団結破壊の手段でしかないと思うとる。

それで誰々が繋がっているとかいうのを知って圧力を加えてくるねん。

フツーはそれでビビデバビデブーなんやけど(私は”ヒデノブ”やしw)、そんなの興味ない。


改めて考えると、”マルクス主義”ってバーチャルやん。

実践できた試しがない。

ロシア革命を達成した!というのが中核派の言い分やけど、いやすぐ崩壊したやろ。

てかそれでまた思いついたけど、中核派って、スターリンがダメだったと言って、だから”反スタ”を唱えるんやけど、それって歴史を俯瞰したときに、スターリン一人を悪者にすることに繋がる。

コレはたとえば動労千葉が、追突したのは高石運転士の責任ではない!として、船橋事故闘争=反合・運転保安闘争を始めたことと、真向から対立するやろ。

スターリンが悪者と言うよりも、スターリンが出て来るのは、”マルクス主義”がそう陥る危険性を持った思想やったのでは?と考える、”船橋事故闘争=反合・運転保安闘争”の延長で考えたら、
やっぱ”マルクス主義”では革命政権を樹立するには、あまりにも考えが足りてないと言うしかないよなあ。

こういうふうに、どうも中核派って内部にいっぱい矛盾を抱えていて、それを難解な語句を用いて説明したように振る舞えても、明快に説明できんねん。

私なんか、しょせんマルクスなんて学者というか評論家やと思うところもあるけど。


だって、難解な語句を用いて説明したように振る舞えても、一般人が理解せな、大衆の支持は得られんねんぞ。

「一般人は考えずに従っていればいいんだァァァ!!!」

なんて言うてもたら、それはもう独裁主義やしなあ。



とにかく、”マルクス主義”の政権って樹立してないし、”マルクス主義”を主張する者どもも、いま資本主義経済の下で生きていて、中核派の人々も、その資本主義経済の下でカネ儲けしたヒトからのカンパ費用などで生きとるやろ。


私のことをバーチャルだからダメ、と言うてまうのではなくて、自分らの思想自体バーチャルなのではないか?と自問自答くらいしてもええと思うなあ。

やっぱ中核派ってぶっちゃけ、行っても面白くない。コレが全てと思う。そこから変えてかな。私がこう書くことにより変わってってもええと思うんやけど。内部でいっくら討論しても、自分らが築き上げていると信じとる”マルクス主義”のほうが偉い!覚えなくていい!とするところはカワランし。

権力とか資本とか言って敵対視する者のほうが、現実的には何十倍もその労働について検討して、若干思いは異なって労働者も反発するところはあれども、概ね考えてくれとると思うところがあるのも事実や。

だから”労使協調路線”で妥協してまう。

ホンマに徹底非妥協を貫くのであれば、「なんとしてもダメ!」と言うだけではなくて、どうしてダメなのか?をめちゃくちゃ説明して、そこらへんの労働者が2者の意見を聞いて、「ウン、中核派のほうが信頼できる」と言うくらいやないと、闘いの土俵には上がれん。


だから、自分らの労働については、ものすごく討論していてアタリマエなんやけど、現実的にはほとんど討論が為されてない。

最先端である動労千葉だって、JR東日本が導入している新技術が、どのように合理化に利用されるのか、ちゃんと説明できてない。

”ネットワーク信号”& ”動労千葉”

でググっても、私のブログとか私のコメントしか出てきてない。

動労千葉がネットワーク信号システムについて、自分のところに真っ先に導入されたのに、それがどう問題なんかゼンゼン検討できてないって、まったくおかしい。

こんなんでJR東日本に対して勝てるわけがないやん。


そう私が言ってさえも、団結したら勝てるんだ!という荒っぽい論法でしか考えられんから、内部を説得するのは諦めた。

外部に向かって言ったほうが、敵味方どこがどう警戒するかワカランから。

私は、池に向かって大きな岩を放り投げとるわけや。


まあ、そんな技術論だけでなくてもいい。


それ以外にも、掲題の通り、そもそも寄り集まって、政治的なハナシだけでなくても、自分の興味あるハナシとかができなアカン。

ところが、中核派にはそういうのがゼンゼンないねん。

そもそも人数が少ないと言うのもあるけど、

「自分らが築き上げていると信じとる”マルクス主義”のほうが偉い!」

と思うとるから、ほかのもろもろには興味がないヤツらばっかやねん。


けど、そんなん違うぞ。

ヒトの中のトップに立とうと思うたら、中野洋さんも言うた通り、大勢の家族のこととか知らなアカンわけや。

そうすると、大勢が興味を持っとることも知らなアカンようになるやろ。

そうすると、ヒトの中のトップに立つ人間は、けっこうゼンゼン分野が違っても、いろんなことに興味を持ったり、少なくとも”聞き上手”になったりしてまうハズやねん。

ところが中核派って、ヒトの中のトップに立つ人間は、ホンマに”マルクス主義”しか興味を持ってなかったりする。

だから、ヒトの中のトップに立つ人間と話しとっても、あんま会話が面白くないねん。

中核派のほとんどの人間よりも、東原敏昭のほうが会話が面白かった。

それで、じゃあ労働者は、政治主張をそっちのけにしたとき、どっちのほうに好感を持つかというと、東原敏昭になってまうわなあ?

じゃあ、好感を持てて、実際に日立製作所の社長である、東原敏昭の政治主張のほうになびいてまうのは当然やわなあ?

そんな、アタリマエのことからこそ、ちゃんと捉えて、認識を変えてかなアカン。


しかし、ヒトの中のトップに立つ人間は、ホンマに”マルクス主義”しか興味を持ってないって、言い換えたら官僚以上に官僚組織やんなあ?

脳内の思考回路を調べたら、実のところ極右以上に右過ぎて、一周回って左に見えとるだけなんちゃう?と思うてまう。


とにかく、だからこそ、ヒトを知らなアカンし、ヒトの話は聞かなアカンねん。

私は中核派を酷く言うけど、中野洋とアーリーン・イノウエと辻川慎一は面白い。
(もう少し、面白いヒトはおるとも思うけど)

ココを軸にして変えてかなアカン。

そういえば、中核派では”どこを切っても金太郎飴”というのが主張されとったけど、それはおかしい。「ケトル」の石井朋彦の発言を読んで思い出した。

”どこを切っても金太郎飴”というのはたぶん、マルクス主義における主張をみんなが知っとかなアカンということやろ。

私はそんなことあり得んと思うんやけど、やっぱり思うた通り、”どこを切っても金太郎飴”というのは曲解されて、人格的に”どこを切っても金太郎飴”なヒトばっかになってもとる。

言葉って作ったとたんに一人歩きしてまうねん。

システムだってそうやな。


だから、言葉を一人歩きさせん意思が必要で、それは”どこを切っても金太郎飴”という発想からは出てこんねん。

なんでこんなことを書いたかというと、今日神保町の書泉グランデに行って鉄道技術誌で出とるものを買ってきて、その内容でイロイロ問題あるものは改めて記載したいと思うんやけど、ついでに店頭にある雑誌「ケトル」が目に入った。

http://www.ohtabooks.com/publish/2017/02/14000000.html


それで、買って、石井朋彦と川村元気の対談を読んで、それは違うなあと思ったのは、特にP26の石井朋彦の、宮崎駿の脚本を書かずにいきなり絵コンテを描く、スタッフ誰もがわからない監督主導の作品のつくり方について否定しとるくだりで、


オリジナルや自分のやりたいことだけにこだわる監督は、これからは作っていけないと思います。貪欲にプロデューサーやスタッフの力を借りようとする若い世代がどんどん出てきていますから。



とあるんやけど、私は、その見方は少し違うんちゃうかなあ?と思う。

共同で制作して、共同で収入を得ることを考えると、・・・まあそれこそが文字通り”共産主義”的なんやけど、まあフツーはそうなると思う。

けれども、やはり「共同でやる」ということが前提になると、怠ける人間が出て来るのも現実やねん。

「共同でやる」のであっても、コレは自分が全部責任を持つんだ、みたいな、宮崎駿みたいな作り方をしたい人間がじゃんじゃん出てこんとアカンし、そういうものを目指さなアカンと思うなあ。


よく、”水清ければ魚棲まず”というけど、実は泥があるから汚いわけではない。

川の水はよく流れて動いているから、全体に泥がいきわたっている。

けれども、海に注ぐとどうなる?

対流がほとんどなくなって、泥が沈殿してヘドロになってまうやろ。

ヘドロが融合してなんか変なガスができとるし、それとは別に一般人は上のほうでそれなりに澄んだ海水になっとる、そういうのがいまの世界の状況なんちゃうんか?

だから、流れなり対流なりが常にあって、水と泥が混じり合って喧々諤々している状態、そういうのを自分らが作り出してかなアカンのちゃうの?


石井朋彦はジブリ出身の純粋なプロデューサーやけど、同じジブリ系でも演出出身の片渕須直(「この世界の片隅に」監督)やとちょっと捉え方が違う。

P18に片渕のコメントで


とはいえ、監督主導の作品づくりには弊害もあると片渕さん。「このやり方は監督にあまりにもスポットライトが当たるので、絵を描く肝心のアニメーターの存在が薄れてしまったのです。学生の頃、講師だった月岡貞夫さんに言われました。僕が『作画じゃなくて演出家になります』と言ったら、『それは情けない』と。要するに、アニメを作る花形の仕事は、アニメーターだという考え方です。(後略)」



とある。

監督主導であることの弊害を唱えてはいるんやけど、石井はスタッフ全員で作ることを主張しとるのに対して、片渕というよりも月岡の主張は、アニメーションは作画をするアニメーターが作るモノ、監督とかプロデューサーとか背景とか彩色とかが作るモノではない、という感覚やねん。

ココにもまた、労働についての考え方の違いがある。

私はそんなの解があるはずがなくて、どうやっていいモノを作るか、という気概があれば、モノづくりの形態なんて後からついてくるやろとも思うんやけど。

実はこういう問題こそ、労働運動はちゃんと考えるべきであって、賃上げ闘争とかストライキとかは二の次三の次やと思う。

だからといって労使が協調したらいいんだ、なんて言うつもりはない。

いいモノを作るところにはいい仲間がいるはずで、そんないい仲間が集まってこそいい闘いができるはずと考える。


どうしてもいま、”いいモノを作る(メンテナンスする)”という議論がないから、いつまで経ってもいい仲間が集まらんねん。

私はそう考える。

街宣・ビラ配りって、童貞が「オンナとセックスしたいんだぁぁぁ!!!」って叫んどるのと同じやろ。道行く側から見ると。

そう思わん?

そんなギラギラしたオトコについてくオンナなんて、よっぽどのモノ好きしかおらんよなあ。

そりゃ生活は苦しいし、政治もおかしいと思う人間は多い。

けれども、目の前で街宣しビラ配っとるヤツのほうが、もっとおかしいと思えるねん。

それを打開するためには、もっとアタリマエのことを話題にできなアカンと思う。


職場だと、闘争もなにも、まずは仕事を覚えられるか?職場で大勢となじめるか?が問題なわけやん。


ならば、どうやったら仕事が上手くいくか?を機関紙に書いたら、コレは労働者にも読んでもらえるわなあ?

なんでそんなカンタンなことがワカランねん?


「君の名は。」を観たかみたいなのも必要や。

そうやって、仲良くなるためにまずはナニを知っておいたほうがいいか、そんな考え方が中核派にはない。

「そんなことよりも、マルクスを勉強しろ!」

こんな意識では、自分は死んでも、地球滅亡までマイノリティのままや。


どうも、労働を軽視しとるヤツらが多すぎる。

中核派は、労働から知れることが全くない。
それではアカン。

そうそう、サインコサインで思い出した。

サイン、コサインときたら、マゴサインやんなあ。

そう思って検索したら、数学嫌いあるあるやって。

https://matome.naver.jp/odai/2139737225958353001

てかタンジェントって現実的にあんま使った記憶ないなあ。
そのままやと微分積分できんしなあ。

鍵穴とインテリボンボン長井聡、朝早くから工作活動ご苦労様。

コレ、いつもと主張ほぼ同じやから、リンクだけで。

http://onicchan.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/30-2a8c.html#comment-114384217


私は別に新月にもうどんが主食にも伊藤幸久にも、嫉妬なんてしてない。

鍵穴もインテリボンボン長井聡も含めて、地道に自分を高める行動をするのではなく、ウラで情報を操って、ヒトを蹴落としてのし上がるヤツがいることを報告しとるだけや。

サリーとアンの課題を出したけど、サリーの気持ちに立って、アンが知っている真実(まあコレはアンがいたずらしたんやけどな)を、ちゃんとサリーに説明せなアカンから、ちゃんと説明しとるだけや。

それと、鍵穴は自演したのが明白やのに、よくもしゃあしゃあと書いてくるなあ。


IPがどうだから、というのは理由にはならん。

鍵穴は本来サリーであるギャラリーに対しても、自分のコメントかそうではないかを説明せな、ギャラリーに対して自分のアイデンティティが示せん。

なのに自演工作についてはダンマリや。

なんでかというと、自演工作をやった側やからや。

違うならば、どれが自分のコメントか証明、釈明しろよな。

”ホリプロイチオシ”30分くらいだけ視て寝た。やっぱ伊達娘は2位やけど仕方ないやろ。

やっぱ視ていて思ったけど、聖羅と伊達娘の決戦になるのは最初から織り込み済みやろ。

伊達娘よりも、ほかの出演者さんのほうが、自分が選ばれることはないのにがんばっとるのが切なかった。

伊達娘は最初のお題”汗を流す”で、激辛カレーを食べながら「夢はレッドカーペットを歩くこと」と言っていて、趣旨となんか違う気がしたけど、
まあ私が夢を語らずにどないする!と書いたのに応えたのかなあとは思った。

だってtwitterでは、なんもやりたいことがないと書いたのに。

しかし、確かにレッドカーペットも歩いてみたいとは言うとったけど、どっちかというとブロードウェイというのを言うとったから、そこに迷いがあるのも事実で、自分が迷っているうちは1位にはなれんなあ。

まあ単に聖羅がグラビア向きやし、伊達娘はまだ高校生やし、コレがたとえば舞台のオーディションやと伊達娘のほうが選ばれとった気がするけど、この企画は仕方ないんちゃうか。

向き不向きもあるし。


しかしところで、言及してまうけど、新月はずっと伊達娘を応援して、彼いわく家庭も仕事もあるはずやのに、21時から修了までずっと張りついとったんやな。

それってゼンゼンおかしくて、私が仮に新月の立場ならば、自分の嫁さんを優先する。
さすがに家庭のほうが大事やし、嫁さんの悩みとか聞く時間があって当然やろ。

なのに、なんでそこまでして伊達娘を応援せなアカンのか理由がワカラン。

しかも新月は部長とか言うとるんやし、伊達娘を応援する応援隊長を、自分が率先するのではなくて、ちゃんと若手に引き継ぐことの重要性も知っていて示すことまで本来は分かるはずや。

そういうのを総合したら、やはり新月はどっかにウソを抱えていて、然るに勤務先を斡旋するメールアドレスまであるんやから、勤務先は正やろ。

そう考えると、やはり新月は仕事として伊達娘を応援しとると考えたほうが妥当やねん。
みんな新月の空気嫁を見たことないんやし。

なんでこんなカンタンな発想に、他のヲタとかみんな至らんのかが不思議や。

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