ナツイチ AKB48読書感想文

2013年8月27日 (火)

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 85 ひとりでも生きられるを読んで 秋元才加

ナツイチの最後は、才加にしよう。
才加、卒業おめでとう。
私は、AKBが一定のクオリティを保てたひとつの理由は、才加のおかげだと思っている。

ただ、私の想像では、たかみなが絶対的な総監督であることや、当初は1期2期の確執があったこともあり、たかみながAKB全体、グループ全体を見渡せる立場であるのに対して、才加はあくまでチームKのキャプテンという位置からの、発言・行動に狭められてしまったところがあると思っている。

もし、才加が一期生であれば、才加が総監督となり、AKBとしてもグループ全体としても、もっと違うものになっていたと想像する。
ただ、そちらの方が良かったかどうかは、いろんな要素が変わってくるからなんとも言えない。
違っただろう、と言えるだけである。

そんな才加に対して、私は思い出が2つある。

ひとつは、一昨年の12月。
伊達娘がどうもスランプでおかしい、ファンレターに問題点を書いても反応が悪い、なんとかできないかなあと思って、私はちょうど悩んでいた。
握手会の日、才加の握手券を1枚だけ持っていて、なにを話そうか考えていると、才加と伊達娘はRESET公演で関係もできたことだし、才加に伊達娘のことを言ってみればいいのでは!とふと閃いた。
そして、10秒で会話できる内容を何度も何度もアタマの中でシミュレーションして、本番に臨んだ。日立製作所を懲戒解雇される時よりも緊張した。

いざ握手になると、掴みのところでの才加の食いつきが想像以上に良く、10秒で伊達娘のファンであることを説明しただけで終わってしまった。
その後で、あまりに後味が悪かったので、言おうとしていたことを2枚くらいに纏めてファンレターに書いた。

もうひとつは、昨年の2月か3月頃だろうか。
チームK公演の終わりの挨拶で、佐江が、若手が頑張っていることを熱く語った。
その時の才加はあまりアクションがなかった、てか、いなかったのかな。
その次の公演で、才加もやはり熱く語ったのであるが、その内容が、私がファンレターなりGoogle+なりで言っていることばかりだったのだ。
才加は私のファンレターを明らかに意識しており、ファンレターの内容が読みたいだろうと勝手に解釈して、これまで伊達娘ら研究生宛に書いた中で、キャプテンとしても読んで欲しいことを、A4で三十数枚集めた。
当然普通の封筒には入らないので、A4サイズの封筒に入れて、それを才加に送ったのである。

そういえば、私はたまたま震災前に福島第一原発に入ったことがあり、そのときもらった、福島第一原発のいいことばかり書いた紹介用パンフレットをいくつか持っていた。
人間の過ちの記録として、伊達娘にあげようと思ったのであるが、当時伊達娘はまだ研究生で、ファンレター以外出せなかった。
そこで、プレゼントを出せる正規で適任者をアレコレ考えて、才加宛てに出した。
そんなこともあった。
あのときはどうして才加宛に出したんだっけ?理解してくれていると思ったからか?


さて、才加の感想文であるが、"怖い" "出来ない" "わからない" と、後ろ向きな言葉を多用し、さらに "気がした" と、歯切れの悪い言葉で結んでいる。

どうも、

"ひとりでも生きられる"

という、この本の結論に対して、才加は納得していないのだと思う。
その思いが、ネガティブな語尾となって現れているのだ。
これまでの才加のハッキリ言えないシャイなところを考えても、断言していいと思う。

特に、

"私はまだ傷付くのが怖い。
情熱を持って愛にぶつかる事が出来ない。"

このネガティブな2行こそに、才加の切実な思いが詰まっていると思う。

その思いの真相を突くために、さらに突っ込んで考えると、

"私はまだ傷付くのが怖い。"

傷付きたくない人間がこんなことは書かない。
傷付きたくない人間は、自分が怖れるようなことには言及さえしないのである。
才加は、それでも傷付きたい、けれどもどこか怖い、と言っているのである。

まるで、エッチ初体験を怖がる女性そのものである。(私も実体験ではなく書物などからの知識であるがw)
同じように、情熱を持って愛にぶつかりたい、とも言っているのである。


才加の、樹木希林のような女優になりたいという夢、そのために、DiVAをはじめ、これまで同様の活動を続けていくという宣言は、私には生ぬるく受け取れるし、必ずしも本心からではないと思う。

私は昨年初から、もっと大きく出て、才加の少々ワイルドな顔形は海外でこそ評価される。だからハリウッド女優を目指せよ、と言っているのだが・・・

才加も、乙女チックなところもあるんだし、私なんかが言うよりも、誰かもっと強力に後押ししてくれる人がいればいいのに、と思っている。
才加に向けて、「ハリウッド女優を目指せよ」と、傷付けてしまうほど真剣に、情熱を持って愛をぶつける人がいればいいのに、と思う。

それはもちろん無責任な応援ではいけない。「僕も仕事を辞めてでも一緒に行こう。お金もないけど、なんとかなるだろう。」と言い切れるくらいの真剣さが欲しい。

そして、この感想文で煮え切らない才加には、さらにもう一言付け加えたい。

「ひとりでも生きられるかも知れない。けれども、一緒に生きよう。」


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ひとりでも生きられるを読んで 秋元才加
http://kansoubun.shueisha.co.jp/akimoto_sayaka/

 この本を今の私の年齢で読ませて頂けた事を有難く思う。
 色々な愛の形があり、人生を生きる為のヒントが沢山ちりばめられていた。
「人は別れるために出逢う」
 文字だけを見ると、出逢う前から別れを意識しながら人と出逢うのか…と少し寂しく思う人も居るはずだ。
 それは、違う。この言葉は、愛が無くては生きていけないが、滅びることのない愛もまた存在しない。
 しかし、滅びる約束があるからこそ一日一日をより大切に愛を大事にしながら生きていこうと教えてくれているのだ。
 沢山の経験と恋愛を経て、幸せと喜びを感じ、時には傷付きたいと思った。
 傷付くのは、相手ときちんと向き合っているからだと思うから。
 私はまだ傷付くのが怖い。
 情熱を持って愛にぶつかる事が出来ない。
 どんな結果であっても、一つ一つを自分の養分に出来るような、そんな女性でありたい。
 その上で、愛される事で見つけられる自分の中の女を、自分で馬鹿だなあと少しあきれつつも思う存分味わいたい。
 どんな愛の形だとしても、正しい答えなんて誰にもわからない。
 解っている事は、「人間だから。」
そう思えたら、もっと素直に情熱を持って生きていける気がした。
 そして、肉体的、精神的にも自立して生きていけたらと思った。
 沢山の出逢いや別れを繰り返し、愛し愛され、何万の人と交わっていく中で、人の温かさ、生の喜び、悲しみ、人間のあわれと愛しさを学ぶ。それらを理解するという事が、本当の意味での、ひとりでも生きられるという私のこれからに繋がっていく気がした。

「ひとりでも生きられる」
著者:瀬戸内寂聴

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 84 月曜日の水玉模様を読んで 中塚智実

クリス、卒業おめでとう。
クリスが卒業したのは6月だっけ?7月だっけ?

クリスはAKBでもなかなか端正な顔立ちで、コレで前に出る気持ちがあれば絶対売れていたと思う。
しかし、前に出るのは恥ずかしかったようである。
いまはどうしてる?女優などに進んだか?

そういえば、いろんなところで書いているが、私のいちばんの先輩が、中塚さんといって、相当変わったキャラクターだった。変態と言ってよかった。
だから、AKBに中塚という苗字がいると知って、未だ顔も知らないうちは、どんだけ下品なメンバーなんだろう?と何度も想像した。
あの中塚さんと、クリスはどのへんで繋がっているのだろうか?
実は未だに、個人的に苗字にはギャップを感じる。
それだけ、先輩の中塚さんは強烈だったのだ。


感想文について。
私は大勢に向けてしつこく言っているが、クリスもやはり、自分の感想がちゃんと書けていないと思う。

"私も主人公たちのように、人間観察をするのは好きですが、陶子さんの観察力は凄すぎる!鋭い視点で事件を解決に導いています。"

とクリスは書いているが、そのクリスの好きな観察を、飽きてしまうことなくしつこくしつこくし続けることが、鋭い観察力に繋がるのだ。
そこまで思い至って欲しかった。

また、クリスも芸能界に残ったならば、お笑いにしても女優の演技にしても、いずれも結局は誰かのモノマネなのであり、だからこそ芸の基本は人間観察なのだということを、理解して欲しい。

しつこい観察の末に、他の芸人が未だネタにしていないような、誰かの面白い行動を発見し、それをネタに仕立て上げて、テレビの向こうや舞台の上から表現して、その結果、人々に爆笑なり感動を与えられるのだ。
その観察力は "凄すぎる!鋭い視点" と言われるものに違いないはずだ。

クリスは続けて、

"日常の何気ないことも、注意してみると、事件や謎に繋がっているのかもしれない…。そんな感じがしました。"

と書いている。
"かもしれない…。" ではなく、上で私が力説した通り、その通りなのである。

その人々にとっては、その行動がちょっとした事件や謎であるのはもちろん、自分にとっても、芸の大きなヒントになるという意味で、事件や謎なのである。

だから、クリスがその後の文章で、感想文として掘り下げることをせず、紹介文に徹してしまっているのは惜しい。
さらに突っ込んで欲しかった。

"主人公たちのように、周りの乗客をみて、いろいろ想像しちゃうかも。"

この文章だって、読み手に対してイタズラっぽく言っているだけである。
私ならばもう一歩突っ込んで、むしろ自分が電車に実際乗ってみて、電車の中でいろいろ想像し、芸のヒントとできた一列でも示して、

「このような感じで、今後も周りの人々を観察して想像を巡らせ、事件や謎を浮かび上がらせることで、自分の芸に取り入れて行きたいです」

とでも纏めるだろう。


たとえばクリスは、陶子さんと萩君のことを微妙な距離感と評しているが、電車の中なんて微妙な距離感の集合体である。
微妙な距離感のカップルを片っ端から見つけて、この2人はどういう関係なのか、単にオトコが一方的に好意を寄せていてオンナは必死に抵抗しているのか、ラブラブなのか、腐れ縁でもう別れようと思っているのか・・・、それとも単に実の兄妹なだけなのか、想像することだってできる。
そういう想像が面白いのである。

そういえば、秋元康も私も、喫茶店のカップルの会話に聞き耳を立てて、2人の関係を想像すのがなによりの(悪)趣味だったりする。


クリスも、山手線でグルグル乗ってみなよ。
とりあえず10個ネタを見つけられるまで電車から降りない、とか。
もし、1周で1個しかネタを見つけられなかったら、山手線に10周乗りっぱなしになってもええやん。

山手線で、トイレにも行かず10周10時間乗り続けたとしたら、たとえネタがなにひとつ見つからずとも、10周したことそれ自体がネタになるし。


山手線でなくてもいいから、いっぱい想像して、本の中の小さな世界から飛び出してみて欲しい。
その想像力は将来きっと役に立つはずである。


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月曜日の水玉模様を読んで 中塚智実
http://kansoubun.shueisha.co.jp/nakatsuka_tomomi/

 とてもステキなお話です。
 加納朋子さんの作品は初めて読みました。水玉模様の表紙も可愛いです。
 ミステリー小説ということですが、殺人や誘拐などの大きな事件は起こりません。すぐ近くで起こりそうな不思議な事件、謎を解決していく日常ミステリーです。
 しっかり者でサバサバしている丸の内OLの陶子さんと、ちょっと天然な癒し系キャラの萩広海くんのコンビ。この2人が事件を解決していくのですが、その2人のやりとりが面白い。
 私も主人公たちのように、人間観察をするのは好きですが、陶子さんの観察力は凄すぎる!鋭い視点で事件を解決に導いています。
 日常の何気ないことも、注意してみると、事件や謎に繋がっているのかもしれない…。そんな感じがしました。
 また、陶子さんと萩君の微妙な距離感も楽しいです。今後、この2人がどうなっていくのか、気になるところです。
 月曜日から日曜日までの7話の連作で、一つ一つが短編なので、本を読むのが苦手な私でも、気軽に読むことができました。
特に第一話の「月曜日の水玉模様」は、電車の中で読んでほしいと思いました。
 主人公たちのように、周りの乗客をみて、いろいろ想像しちゃうかも。
 各話のタイトルにも仕掛けがあって、気付いて嬉しくなりました。
 読み終わった後は、ほのぼのとして心があたたかくなる作品です。

「月曜日の水玉模様」
著者:加納朋子

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 83 「蛇にピアス」を読んで 板野友美

ともちん、卒業おめでとう。
私はどうも茶髪、金髪が苦手で、ともちんは敬遠していたところがあるけれども、それでもともちんに感心した思い出を書く。

昨年2月だか3月だかの公演で、佐江や才加が研究生の頑張りに発奮の発言をして、多くのメンバーが目覚めた。
しかし、ともちんは茶髪キャラだし超選抜だし、突っぱねて、言うことを聞かないだろうな。
と思っていたら、ともちんは大勢のメンバー以上に発奮していた。
茶髪のビジュアルからは想像がつかない、チームスピリットを持っていると感じた。

とはいえ、普段の公演はどうしても他のメンバー以上に力をセーブ気味で、"ダルちん" と揶揄された一面も見てきた。
ヤルときはヤル、けれどもやらないときはやらない、ともちんはそういう性格と思っている。


ともちんの卒業発表は1月だっただろうか。
相当前から為されたにもかかわらず、卒業時期は8月の東京ドームと、やたら先延ばしするなあと思っていた。

東京ドームコンサート後に、ともちんは自分をセンターとして、いろいろなことをプロデュースして実行したと読んで、そのために東京ドームにする必要性があり、その準備に時間がかかったのだと納得した。

AKBで初めて茶髪にして、整形を疑われるくらいメイクを仕上げているともちんは(ホンマに整形かもだが)、実行力も人一倍あるのだと思う。
この実行力があれば、卒業しても仕事をどんどん見つけて来れるだろう。


さて、本文。
「蛇にピアス」がナントカ賞を取ったのは何年前だっけ。
そのとき、ピアスと聞くだけで、自分の体に穴を開けることを想像してしまい、無理無理無理無理・・・と思っていたが、今回、ピアスをしているともちんでさえ、

"特に最初に主人公のルイがベロにピアスを空ける所が痛々しくて、一回本を閉じてしまいそうになりました。"

なんて書いているのを読んで、私はこの本は一生読む機会がないと確信した。


おっと、話が逸れた。
感想文というものに対して、ともちんが勘違いしていると思うのは、

"ネタバレになってしまうのでここでは書きませんが、不器用な人達が不器用なりに愛を表現しようとして、ラストは本当に悲しくて衝激的な結末になってしまいます。"

と書いていることである。
感想文というのはネタバレしてもいい、というかネタバレさせるものである。

たとえばもし、感想文がネタバレNGだとすると、小学生が夏休み明けに宿題を出してきたのを、先生が読んで、どれもこれも

"ネタバレになってしまうのでここでは書きませんが、"

なんて書いてあったらどうする?
オマエら、ホンマに本を読んだのか?って、吊るし上げたい気分になるだろう?

個人的な考えを書けば、私は映画の紹介文でさえネタバレしたっていいと思う。
本当に感動する物語は何度観たって飽きないと信じている。
たとえば、白黒で残っているような名作映画は、あらすじを知っていてさえも、観たいと思うだろう?
ネタバレされたから面白くなくなったり、観る気がなくなったりする程度の作品は、実は観るほどの価値がないのだと思う。

だから、ともちんはネタバレなど気にせず、不器用な人達が不器用なりに、どのように愛を表現しているのか、それを不器用な自分はどう考えるか考えて書いて欲しかった。

そしてともちんが、不器用なことは好ましいと判断すれば、ともちんはこのままでいいだろう。
しかし、もっと器用になれたほうが生きやすいと判断すれば、変えるべきところも出てくるだろう。
ともちんの不器用なところもきっとたくさんあるだろうし、恐らく、好ましい不器用さはそのままにして、好ましくない不器用さを修正するという選別作業が必要になると想像する。

また、他人からどう思われているかに目を向けてみよう。
秋元康から何度も "不器用" と言われて書かれていることを、ともちんは完全に受け入れているわけではなく、納得するところはありながらもコンプレックスとなっていると思う。
たとえば、30歳になっても、秋元康から不器用不器用と書かれ続けるのはイヤだろう。

そのようなことを、アレコレと想像して、論理を展開して欲しかった。

髪の毛を染めて、顔を化粧するのと同様に、人々から "不器用" と言われなくなるように、これからはココロの方も上手に化粧して欲しいと思う。


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「蛇にピアス」を読んで 板野友美
http://kansoubun.shueisha.co.jp/itano_tomomi/

 「蛇にピアス」はピアスとかタトゥーとか読んでいたらお腹がキュッと縮まる様な「痛い」小説でした。
 映画版の「蛇にピアス」を見た事があったのである程度は覚悟していたのですが、改めて文字で読んでみると登場人物達の「痛み」がよりリアルに伝わってきて、途中で何度もくじけそうになりました。特に最初に主人公のルイがベロにピアスを空ける所が痛々しくて、一回本を閉じてしまいそうになりました。
 でも、こんなにグロテスクな本なのに読み終わったあと全然嫌な気持ちにならないのはこの作品がただのサスペンスではなくて「ラブストーリー」だったからだと思います。
 登場人物は皆不器用で、本当の自分を隠すためにもう一人の自分を作り上げて自分の気持ちや衝動を押し殺して生活しています。そんな中、素直に本当の自分をさらけ出せる人と出会って、愛し合って…。ネタバレになってしまうのでここでは書きませんが、不器用な人達が不器用なりに愛を表現しようとして、ラストは本当に悲しくて衝激的な結末になってしまいます。
 私はそんなに激しいピアスもしていないし、タトゥーも入れようとは思わないですが、「不器用」という点ではこの作品の登場人物達と共通していると思いました。秋元先生が書いて下さる私のソロ曲にはいつも「不器用」という言葉が出てきて、自分ではそんな風に思った事ないけど思い返してみると自分の気持ちを素直に伝えられてないかも、と思う事がたくさんあります。だからこそ登場人物にすぐ感情移入が出来たし、一気に読み切れたんだと思います。
 「蛇にピアス」はちょっとグロいけど、自分に素直になれない人に読んでもらいたいオススメの一冊です!

「蛇にピアス」
著者:金原ひとみ

2013年8月26日 (月)

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 82 肩ごしの恋人 岩佐美咲

わさみんは、AKBにいながら演歌歌手も目指すという、変わった経歴を持っている。
変わった、とはいえ、演歌歌手だって歌手には変わりないし、夢のストーリーとしては悪くない。

私のわさみんの思い出は、面と向かって出会ったことはないが、もう半年くらい前であろうか、深夜にGoogle+でわさみんがいっぱいつぶやいていたので、私も強烈な思いを何回か書き返したことがある。
ファンに向かって相談みたいなことをたくさん書いていて、けっこうフレンドリーな印象を受けた。


さて、感想文について。
自分の思いをある程度小出しにしているのはいいが、それでも他のメンバーと同様、どうしてそう思ったか、自分なりの意見がないのが惜しい。

わさみんは、るり子も萌も、どちらの考え方もかっこいいと書いてはいるが、だからと言って、自分がるり子や萌のようになりたいとは思わないだろう。

「女はいつだって、女であるということですでに共犯者だ。」という言葉に納得したと言っているが、どの辺にどう納得したのか?

たとえば古くから、女には月経があり血を出すから穢れているため、"女人禁制" などと言って、相撲はできなかったし、霊山などに入れなかったりした。

わさみんが、そのしきたりに賛成したいのかといえば違うだろう。


であればこそ、「女はいつだって、女であるということですでに共犯者だ。」のいったいどこに納得したのかが、知りたいのである。

よくキリスト教が言う、"原罪意識" のようなものか?
エヴァンゲリオンでは、それでシンジが悩んでいた気がする。

けれども、生まれた途端から罪が課せられていると考えるなんて、私は馬鹿らしいと思う。
罪があれば償わねばならない。いやその前に罪を中止せねばならないのである。
しかし、死ぬこと以外に中止する方法がないモノは、罪とは言わない。


そういえば、ジブリの高畑勲さんは「かぐや姫」にて、かぐや姫には背負った罪があると解釈したそうだ。
その罪を償うために地球へと来たのか?
それとも、罪を償うために月へ帰るのか?
いや、罪を償い終えたから月へと帰るのか?

その罪とは、死ぬこと以外に中止する方法がないのとほぼ同等のものではないか?
自分の意思に反して絶対に月へ帰らねばならぬなんて、人権意識に照らすと、死にも等しい行為ではないのか?

宮崎駿があれだけグダグダな作品を作ってしまったがために、高畑勲も珍妙な作品を作っているのではないかと心配になる。


話は戻って。

もし、自分たちを共犯者と言うならば、"恋やブランド物を手に入れるためならどんなことでもする" るり子はたいへんな犯罪者であり、それらの行為をすぐにでも止めねばならない。
しかし、わさみんが止めるべきと思わずかっこいいと思ったのであれば、それは罪ではないのだろう。
きっとるり子にとっては、死ぬこと以外に中止する方法がないことなのだろう。

やはり私は、どうしても「女はいつだって、女であるということですでに共犯者だ。」この言葉にはウソっぽさを感じてしまう。
ちょうど、若者が不良ぶってみたいのと同様に。


わさみんは、この本を読んですっきりとした気持ちになり、モヤモヤが吹き飛ばされたそうだが、私はわさみんの文章にモヤモヤが溜まっている。

私のモヤモヤを吹き飛ばし、すっきりとした説明をして欲しい。
地響きのような声を腹の奥から振り絞って、ヒトの心に問いかける演歌歌手には、私に説明を言い切れるくらいの胆力が必要と思うから。


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肩ごしの恋人 岩佐美咲
http://kansoubun.shueisha.co.jp/iwasa_misaki/

 この本を読みながら感じたことがあります。それは、自分自身も「女」でありながら「女」という存在を理解していなかった、ということです。
 自分が幸せになるため、恋やブランド物を手に入れるためならどんなことでもする、自分勝手なるり子。自分も男性も信じられず恋にのめり込むことが出来ない、どこか男前な萌。性格、生き方の全く正反対な二人ですが、読んでいく内にどちらの考え方もかっこいいと思うようになりました。この本は、恋愛というよりも女の生き方というものを書いているように思います。
「女はいつだって、女であるということですでに共犯者だ。」という言葉にも納得がいきました。AKBにいながら感じた事で、すとんと胸に落ちた気がします。そして、初めは嫌な女という印象が第一だったるり子を、段々と好きになってしまった事に驚きました。るり子の、最後のシーンでの「皆一緒に暮らせばいい」というこの言葉。るり子、萌を初め、十五才の少年崇、ゲイ、色んな人間がいるけれど、互いを認めていける。それぞれの生き方がある。家族になれる。私達が幸せならそれでいいじゃないかという、なんともるり子らしい言葉。萌もるり子も誰とも結ばれないままの結末でしたが、明るく前向きな終わりだったように感じました。
 それぞれモヤモヤや葛藤を抱きながら、それでも貪欲に幸せにむかって生きていく。そんな登場人物たちを描きながらも、読んだあと何故だかすっきりとした気持ちになれるのが、凄いなあと思いました。
 これから女として生きていく、そして女子ばかりのAKBというグループでやっていく上でのモヤモヤを吹き飛ばしてくれる。そんな作品でした。

「肩ごしの恋人」
著者:唯川恵

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 81 ああ言えばこう食うを読んで 松井咲子

咲子さんはAKBに珍しく、歌というよりも演奏するほうを目指してAKBにいる。

演奏家として名を成すまでにどういうストーリーを目指しているのか、イマイチ分からないが、秋元康は気にかけてくれている。
コンサートでピアノ演奏をさせてもらったり、ソロアルバムを出させてもらって、名前は着実に売れ、私にはその道は見えていないとはいえ、自分の道を着実に進んでいると思う。

また、この文章は、丁寧語で書いているにもかかわらず知的で、オトナの往復エッセイを本当に楽しんでいることが読み取れる。
ガチガチで消化不良で終わったなかまったーや麻里子が、青さを見せたのに対して(いやそこが可愛らしいのであるが)、咲子さんの文章はオトナの余裕を感じさせる。
ストレートに言えば、セクシーである。
文章がセクシーとは、アイドルとしてもなかなか筋がいい。

・・・であるが、自分の意見を説明することは、あまりできていない。そこが惜しい。

特に気になるのは、

"私はそんな関係がとても羨ましく思うとともに、まだそのような言い合いが出来るような友には出逢えていないなと感じました。"

とあるのだが、これは人生でまだ本当の友達に出会えておらず、AKBの中にも本当の意味での友達はいないことの告白となってしまっている。

どうして23年間も生きてきて、本当の友達に出会えてないのか?
そこをしっかり考えねば、今後友達も見つからなければ、結婚も覚束ない可能性が高いと思う。

咲子さんは、23年間の人生で女性には大勢出会ってきたにもかかわらず、本当に心が通った友達を見つけられていないのであれば、それよりさらに少ない出会いの機会しかなかったはずの男性に対しては、大勢の先輩女性らがパートナーとお互いに理解し合えないと愚痴を言っていることからも、結婚できるほどに心を通わせることなど、夢のまた夢とさえ思える。

それとも、咲子さんは結婚相手はあくまで外向けの体裁として、まるで仮面夫婦として振る舞い、男性と心を通わせるのは一生諦めるか?
そんな人生はイヤだろう?
一生懸命頑張ってきたのだから、心の通う男性と結ばれたいだろう?

だからこそ、どうして自分は心が通った友達ができないのか、一回考えて欲しいのである。


いや、私だって心の通い合った友達などいない。
しかし、私にはハッキリした理由がある。日本政府に刃向かう私を、表立って応援する人間などいないのだ。ヒーローというのは孤独なのである。

咲子さんがもし、女性全員を敵に回してしまうようなとんでもない夢を持っているのであれば、友達がいないのも仕方ないだろう。
ところが、いくら咲子さんに夢があろうとも、私にはそこまで壮大とも思えないのだ。

では、なにが原因なのだろう?


もちろん、なんでも言い合える友達がいることが、必ずしも正解とも言えない。
結婚することも正解でもないけれども。

しかし、阿川さんの例を取ると、そこまでキッパリ考えられ、お見合いに臨める人間が、50回以上も弾を撃って全滅とはどういうことだろう?
たとえば同性だって、友達になる気のある50人に出会って、その全員と上手くいかないなんて、なかなかないのではないか?
知的レベルが合わない可能性だってあるが、お見合いだから学歴なども釣り合っているんだろう?

けっきょく、50回以上お見合いしても結婚できないということは、私には阿川さんは結婚したくなかったようにも思える。

秋元康が、恋愛結婚はその人たちが惹かれ合い、愛が先に来るのに対して、お見合い結婚はカタチから先に入るとかなんとか書いていた。そして、そういう出会いだってあっていいと書いていた。
確かに、オスとメスが引っ付くのが目的であり、恋愛なりお見合いはその手段と考えれば、手段なんてどうでもいいはずである。


けっきょく、阿川さんも檀さんも、いい友達は見つけられたが、いい伴侶までは見つけられなかったのだ。
異性に対する理想が高すぎたのだろうか?
阿川さんと檀さんの結びつきが強すぎたのだろうか?

そう考えると、咲子さんは、阿川さんと檀さんの関係のような濃すぎる友達は見つけられずとも、等身大の男性をふと見つけられるかも知れない。

この本に関して調査して、阿川さんも檀さんも現在共に59歳で独身というのを知ると、結婚することが幸せなのではなく、幸せとは自分の思いようだなあと、本当に思うのである。


そう書くとどうしても中途半端になってしまうから、私の意見を示そう。
私は、友達は要らないけど、伊達娘と結婚したいと思う。


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ああ言えばこう食うを読んで 松井咲子
http://kansoubun.shueisha.co.jp/matsui_sakiko/

 まず、タイトルに惹かれました。「ああ言えばこう言う」……あれ?よく見ると「ああ言えばこう食う」。言うではなくて、食う?
 手にとってみると、私が今まで読んできたような小説とは違い、エッセイでした。それも、阿川佐和子さんと檀ふみさんによる往復エッセイ。結婚、食、そして家庭という三つのテーマからなるこの本、ページをめくる手が止まらなくなるくらい面白く、どんどん読めてしまいました。仲の良い二人によるこの往復エッセイは思わず、ここまで書いて大丈夫なのか?と思ってしまうほどの、お互いへの毒舌がなんだか心地良く、読んでいてとてもすっきりしました。
 お二人とも作家のお父さんを持ち、なにしろ文章が面白く、うんうん、そうそうと頷いてしまうところがたくさんありました。
 阿川さんはお見合いを五十回以上したのに未だに結婚ができず。檀さんもそのことをからかいながら、やはり独身。仲が良いからこそ言い合える罵詈雑言が、まるでちょっとしたお笑いのネタを観ているようでした。私はそんな関係がとても羨ましく思うとともに、まだそのような言い合いが出来るような友には出逢えていないなと感じました。
 ああ言えばこう言う、言葉のキャッチボールが魅力的で、MCのお仕事をもっともっと頑張りたい私にとって、とても勉強になりました。MCでも活躍されている阿川さんの番組をこれからは言葉遣いや、きりかえしなど、より注意深く、注目してみてみようと思いました。
 すっかり二人の虜になった私は、第二弾の「ああ言えばこう嫁行く」を早速読むことにしました。タイトルがもうすでに魅力的。

「ああ言えばこう食う」
著者:阿川佐和子・檀ふみ

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その 80 六花の勇者と一人の愚者 佐藤すみれ

すーちゃんは、AKB0048の声優選抜にも選ばれ、アニメが好きなはずであり、アニメが好きな子はライトノベルも好きなのかなあと思っていたが、そうではないのか。

でも、
"私の趣味は読書だが、今までライトノベルという分野にはあまり興味が持てず、書店で手に取るものには偏りがあった。"
この書き方によると、一切興味がないわけではなく、いくつかは読んだらしい。

ファンタジーとミステリーが融合している物語を、新しいジャンルに挑戦と書いていることから、ファンタジーもミステリーも読んだことがないと取ったほうが自然である。
・・・・ラブストーリーばっか読んどったな?図星やろ。

と推理したら、後ろの方に
"ファンタジーとミステリーのコラボレーションは、多くありそうであまり無い。"
という記述があるので、2つが融合しているものを新ジャンルと言っているようだと分かる。

今日はインターネットが使えるので検索したら、

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http://d.hatena.ne.jp/A-kiyama/20120114/1326552637

 毎日二冊は本を読んでいるという読書家。AKB48は人数が多いですからライトノベルやBLをたくさん読んでいる子も何人かいるのですが、ジャンル小説でない国内小説中心の本読みで量を読んでいる子と言えば佐藤すみれちゃんが代表。

 読書傾向的に使いやすかったのもあってか、2012年1月から朝日小学生新聞で毎週おすすめの本を紹介する連載「すーちゃんBOOKS」を担当しています。
ーーーーー

とあり、読書家らしい。てか毎日二冊ってどんだけやねん?
めちゃくちゃ読んどるやん。ワタシなんか足元にも及ばん。


そう知ると、

"見えない部分を自分で想像したり予想したり好きなように解釈するのが読書の醍醐味だと私は思う"

この言葉は説得力がある。

しかしそうであれば、あと一歩進めて、自分の好きなような解釈を人に伝えたい、人の好きなような解釈を知りたいという欲求を実現したものが、読書感想文であると思い至って欲しかった。

解釈は好きなようにできるからこそ、読書感想文からその人となりを伝えることも、逆に伺うこともできるのである。
私だってすーちゃんの解釈が知りたい。すーちゃんの人となりをもっと知りたい。


ふと思ったが、独身の男性なり女性が、お見合いだの合コンだのではなく、自分の読書感想文を延々とブログにアップしていけば、たとえば20歳から始めて3年くらいすれば、セックス目的などではなく考え方に共鳴して、自分のことを好きと言ってくれる人が出てくるのではないか?
読書感想文なんてあまり書く人がいないからこそ、インパクトがあると思うのである。

たとえば、Amazonのベストレビュアーなんかはたまに見かけるが、彼らは自分を出せずに評論家になってしまっているからイマイチだ。
本当の読書感想文が読みたいのである。

試しに "読書感想文 ブログ" で検索しても、この1件くらいしかヒットしない。

活字中毒オンナの読書感想文
http://blogs.yahoo.co.jp/sushikuine108

この女性は更新を辞めてしまっているばかりか、どういうヒトかもさっぱり分からない。惜しい。

すーちゃんなんか、小学生新聞もいいけれど、せっかくたくさん読んでいるのだから、もう少しオトナに向けて書いてみて欲しい。
自分のブログでやってみればいいと思う。
それで、ブログよりもウチの新聞で書いてくださいよ、なんて言われたらしめたものだし。


ところで、

" 「信頼とか、友情とか、仲間を守るとか、そんなことを考えてるおめえとは、全く別種類の生き物だよ。解り合えるなんて考えるんじゃねえ」この台詞は忘れない。山形石雄にリザインです。降伏するという意味です。"

これは、すーちゃんはどう思って書いたのだろう?
信頼とか、友情とか、仲間を守るとかを否定することを、すーちゃんはどういう意味で肯定しているのだろう?

もしこの部分を完全に肯定するのであれば、すーちゃんは、AKBメンバーに対しても、信頼とか、友情とか、仲間を守ることは、あり得ないと考えていることになってしまう。
ほんとうにそうなのか?

それとも、全肯定でなければ、どういう意味で書いているのか?
いずれにせよ、すーちゃんはそこに一切言及していない。

だから、私はすーちゃんの考えがキチンと理解できない。
すなわち、すーちゃんは誰にも分かるようにキチンと伝えられていないのである。コレでは感想文になっていない。

曖昧なままで演じたり歌ったりしたのでは観客に伝わらないのと同様に、曖昧なままで感想文を終えては、読み手に伝わらないことを理解して欲しい。
いくら自分にとって難しい本であっても、自分の意見はキチンと出し切って欲しい。

すーちゃんもそこができたら、現在の、選抜メンバーよりも目立たず、若手よりもパフォーマンスが若干劣っている立ち位置から、もう一歩前に出て来れると思う。

いまが踏ん張りどころ、頑張って欲しい。


ーーーーーー

六花の勇者と一人の愚者 佐藤すみれ
http://kansoubun.shueisha.co.jp/sato_sumire/

 私の趣味は読書だが、今までライトノベルという分野にはあまり興味が持てず、書店で手に取るものには偏りがあった。でも、今回こういった形で新しいジャンルに挑戦することによって面白さに気付き、読書の幅が広がった。この本の場合、ファンタジーとミステリーが融合している物語の為とても読み易く、私のようなラノベ初心者には是非勧めたい。とりあえず一冊で内容はまとまっているが、きっと続きが欲しくなる。「一難去ってまた一難」とは、きっとこのことを言うのだろう。
 主人公のアドレットは地上最強を名乗る男。一人一人のキャラクターが個性的な為に、誰もが怪しく思えてくる。もし自分たちの仲間の中に裏切り者が居たら、と考える。現実にあってもおかしくないストーリー設定だからこそ、面白みがある。アドレットのピンチに応援しつつも、どこかで疑いを持つ自分が居る。本の世界なら何でもありだと思うから。そうやって色んな可能性を考えながら謎解きを楽しむ。ファンタジーとミステリーのコラボレーションは、多くありそうであまり無い。見えない部分を自分で想像したり予想したり好きなように解釈するのが読書の醍醐味だと私は思うが、その部分に対してここまで適しているとは思わなかった。きっと、十人十色、様々な楽しみ方があるだろう。
 「信頼とか、友情とか、仲間を守るとか、そんなことを考えてるおめえとは、全く別種類の生き物だよ。解り合えるなんて考えるんじゃねえ」この台詞は忘れない。山形石雄にリザインです。降伏するという意味です。

「六花の勇者」
著者:山形石雄

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その79 涙とは・・・ 内田眞由美

まゆちは第一回じゃんけん大会女王である。
それを人気に結びつけることはイマイチ上手く行かなかったようであるが、腐ることはなく、最近は "岩" キャラとか、この水滸伝全十九巻読破とか、いろいろなことに挑戦しているようだ。
こういう挑戦者を、私は非常に好きである。

しかし、今回残念なのは、誰もが陥りがちなことではあるが、全十九巻読破に挑んだあまり、十九巻分を紹介しようと欲張ってしまい、感想文というよりも紹介文になってしまった。

できるならば、十九巻の一巻一巻について感想文を書き、全部展示するなどしても良かったと思う。そうすればアピールもできたし。
私だってこれまで1ヶ月ほどで79人分書いたのだから、それに比べると十九巻分なんてチョロいもんである。
折角時間をかけたのだから、自分の勉強になった、で終わりではなく、それを人前に出して欲しい。

しかし、人前に出せないと思う気持ちもよくわかる。
私だってほんの数年前まで、自分は学ぶことばかりで、人に出せるものはないと思っていたのである。(と言いつつ、いろんなところに感想文を送りつけていたのであるが)

どうして、自分は学ぶことばかりだと思ったか?
なんのことはない、褒めてくれる人がいなかったのである。
褒めてくれる人がいれば、私ももっと早くデビューしていただろう。

やはり人間、能力があるだけでは自信がなくて、あちこち試行錯誤してしまう。
人から認められて、褒められて、賛意を示されてこそ、はじめて自信に繋がり、その道を極めようと思えるのだ。

ということは、まゆちだって意思はあるのだから、もっと大勢から認められて、褒められて、賛意を示されてもいい。

とはいえ、たとえば、まゆちのファンは賛意を示すだろうが、ファンの場合は盲目的に示している場合もある。家族も残念ながらそういう場合がある。
盲目的な賛意は、誤った道に進んだ場合に抑制が効かないから、あまりよくないと思う。日本だってかつて、多くの人が天皇陛下バンザーイ!と言って、旭日旗を振って、盲目的な賛意を示し、誤った方向へと進んだのである。

だから、お互いの頑張りも、いいところも悪いところも分かるメンバー同士で、お互いに褒め合うのがいちばんいいと思う。
まゆちだって書いている。

"夢に向かって協力し合い、失敗をすれば皆で補おうと一致団結し、"

コレをそのままこれからも実行すればよい。

もちろん私だってその助けをしたいのであるが、さすがに一人でそこまでは見られない。
・・・・私の助けが欲しけりゃ、まゆちからも秋元康に言ってよ。←


と、それだけ書いておきながら、まゆちは文章を書くのはそれほど得意ではないのかな?とも思った。

"国を良くしようと奮起し、戦友の死に泣き、愛する人の裏切りに嘆き、同志の温かさに思わず笑う漢ならば涙するも許されんのだとばかりに感情を抑えようとするのだが涙が溢れてしまうそんな姿を見ていると読んでいた私の頬までも涙が伝っていた。"

まゆちは、コレを改めて読んで欲しい。
読点がなくて私はさっぱりわからない。もちろん、ゆっくり読んだら分かったけど。
もしかしてコレは担当者の原稿用紙からの転記ミスかも、とも最初は思ったのだが、もう一箇所、

"そして多くの方にこの水滸伝を読んで頂き心の奥底で燃えている熱い気持ちを思い出し感情という涙をただそっと、流してほしい。"

を読んで、コレはまゆちが読点を打っていないのだと確信した。


まゆちは、ちょっと背伸びし過ぎのようである。
水滸伝もいいけど、もっと気負う必要のない軽い本で、かつ自分が必要とする本から読んで行ってもいいと思う。
たとえば、ラブストーリーを読み、オトコを研究するのなんか、軽いけれども身近に感じる問題である。
ファンはどうやったら喜んでくれるか?のヒントだってあるはずである。

そして、まゆちは読むものの難しさに比較して、書く能力がイマイチでアンバランスなので、書く能力も合わせて身に付けて欲しい。
英語だって、上達するにはリーディングだけでなくて、ヒアリングやライティング、スピーキングをしましょうと言われるのだから、日本語も同じはずだ。
ヒアリング、スピーキングは、MCなり握手会なりメンバーとの雑談でチカラがつくので、弱くなりがちなライティングを頑張って欲しい。

野球選手だって、野球をやっているだけでは身につかない筋肉があるから、さまざまなトレーニングをしてバランス良く筋肉を付けるのである。
国語力だってそれと同じである。


ところでまゆちの夢はなんだっけ?
と思って検索したら、エケペディアがけっこう古い情報で復活していた。
それによると、
「歌って踊って演技も出来る人」
・・・ウーム、そんな芸能人なかなか見たことないぞ?たとえば美空ひばりは、歌って踊って演技まで全部できとったか?

まあ、40歳くらいまでに全部できるというストーリーでもいいのであるが、たとえばタカラヅカに出たければ、宝塚音楽学校の入試にはハタチだともう遅いとか、年齢に制限があることを考えて欲しい。また、結婚や出産だってあるだろう。

人生には、通る道筋があるはずなのである。たとえば、富士山に登りたければ3つだかの登山道のどれかを使うというふうに。
登山道も決めてない人間が、富士山の頂上に登りたいと言っても、誰も本気にしないのである。

だからこそ、自分の進む道を、しっかりと決めて欲しい。


ーーーーーー

涙とは・・・ 内田眞由美
http://kansoubun.shueisha.co.jp/uchida_mayumi/

 涙とは弱いものが流すものではない。ただそっと流れる人の感情である。
しかし、この物語の中で登場人物たちが涙する場面がそう多くあるわけではない。それはみんなが漢であるからだ。
 この物語の舞台は中国の宗の時代、現代とはかけ離れた生活環境であった。戦や役人の横領が常に行われており刃向えばその場で処罰され、民の意見を聞くことなどない。
人は絶望していた。
 そこで立ち上がったのが梁山泊軍となる漢たちだ。彼らは感情を持っていた。国を良くしようと奮起し、戦友の死に泣き、愛する人の裏切りに嘆き、同志の温かさに思わず笑う漢ならば涙するも許されんのだとばかりに感情を抑えようとするのだが涙が溢れてしまうそんな姿を見ていると読んでいた私の頬までも涙が伝っていた。
 始め、この長い物語を読みきれるのか、と不安もあったが心配はいらなかった。読めば読むほどに夢中になり、気づけば登場人物たちの志に心が動いていた。
 全十九巻にも及ぶこの水滸伝はただの歴史物語ではなく、人の奥底の感情を揺さぶり読む者を思わず涙させる。そんな熱い物語だと感じた。
 そして、仕事や通勤の合間に読んでいて気づいた事が、梁山泊の人々と私たちAKB48には通ずるところがあった。人数が多いことはもちろん、夢に向かって協力し合い、失敗をすれば皆で補おうと一致団結し、成功した時には宴を開き喜びを分かち合う。そんな同志がいる事を私は今まで以上に尊く思いたい。
 そして多くの方にこの水滸伝を読んで頂き心の奥底で燃えている熱い気持ちを思い出し感情という涙をただそっと、流してほしい。

「水滸伝(一) 曙光の章」
著者:北方謙三

2013年8月25日 (日)

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その78 シャーロック・ホームズ 傑作選を読んで 橋本耀

ひかり、昇格おめでとう。
パフォーマンスでは大勢にまみれてなかなか目立てる場面がなくて、気にはしていたが、昇格が決まってホッとした。
MCのおかしネタが定番となって、笑いが取れたのも良かったのだろう。
やはり芸能人を目指すならば、あれくらい言いまくるべきと思った。

・・・私も見習って、伊達娘大好きキャラで一生押していこう←

ちなみに、ひかりはヲタからは "ぴっかりん" と呼ばれてはいるが、なんかハゲ頭を想像させるし、せっかくひかり号のひかりなので、私はひかりと書くことにしている。

そう書くと、"こだまはるか" はどう呼ぶんだ、こだま号もはるか号(関空アクセス特急)もあるじゃないか、とツッ込まれそうであるが・・・


私はホームズといえば、本も何冊か読んだとはいえ、小学生の頃に見た宮崎駿らの "名探偵ホームズ" の記憶があまりにも強く、ホームズといえば犬のキャラに、広川太一郎だか(声優さんがそういう名前だったと思う。)の飄々とした語り口ばかりが思い出される。同様に、ルパンといえばルパン三世しかいない。かくも幼少期の刷り込みは絶大なのである。


さて、ひかりの感想文は、もう少し書いて欲しいとも思うが、まずまず自分の意見が出せていると思う。

"この本を読んで実生活にも役立てたいと思ったのは、何事にも観察する姿勢です。私はホームズみたいに推理は出来ませんが、観察する事でその人の事を思い、考え、少しでもその人との距離が縮まればささやかでも気遣いが出来ると思います。"

これはその通りで、まずは頑張って観察して欲しい。
しかしそこから、

"そして今の仕事に生かして行けばきっとそれは私をとても成長させてくれるものでもあるとも思いました。"

と、いきなり結論になっているのは残念で、ではどういうふうに観察力を活かしていくのかを掘り下げて欲しかったと思う。

ひかりには出したことがなくて申し訳ないが、私が伊達娘らへのファンレターで何度も書いていることには、自分が歌やダンスの練習をして、上手にできたと思ったらそれで終わりではなく、ヒトの歌やダンスを観察して、いいところはどんどん盗むべきと思うのである。
逆に、どうもイマイチだと思うことがあれば、アドバイスしてあげて欲しい。

同輩とばかり練習するだけでなく、先輩といれば気づくことはたくさんあろうし、逆に後輩といればいろいろ教えられるところを見つけられるだろう。

大先輩だって、臆することはない。
大先輩となるほど忙しく、自分の歌やダンスをチェックしてもらえる機会は少なくなるはずである。
後輩の面倒を見られる時間も少ないだろう。

だからそういう先輩を捕まえて、歌やダンスの見学をさせてください!と言えば、断る先輩なんていないと思う。
そして、いいと思うところ、イマイチと思うところ、その他疑問点などをぶつければ、だいたい聞いてくれるし、可愛い後輩と思うと思うのである。
(あら探しするがごとく、たくさんダメ出しをしたら嫌われるだろうが・・・)

そうやって、ヒトの歌やダンスを毎日のように見ていくと、この人はいつもよりパフォーマンスが違うと思う時があるだろう。
そうすると、どうして違うのかアレコレ想像してみるようになるはずである。
自分も同じ歌やダンスを知っていればなおさらである。
昨日遅かったからなのか?どこか怪我をしているのか?お腹の具合が悪いのか?単に怠けているのか?

そして、ズーッと観察していて、その調子の悪さが、特定のポーズのときだけに見られるならば怪我を疑うし、調子のいい時と悪い時があるならば単に怠けているだけかも知れないと思うだろう。

観察して、いろいろな可能性を思い、その思ったことを検証する。
実はそれが推理そのものなのである。
しっかり観察していれば、そのうち推理はできるようになる。


最後の一文は、ひかりは面白かったのだろうが、ひかりの文章を観察して推理しようとする我々には、ひかりがどう面白かったかが分からない。

"そして今の仕事に生かして行けばきっとそれは私をとても成長させてくれるものでもあるとも思いました。"
と、せっかく決意を述べているのだから、ひかり自身も、ヒトが観察しても分からない文章は書かないか、観察して分かるまで説明を加えるべきと思う。

ひかりもまだまだ自分で言っていることが理解できていない。そこは減点である。


先輩や後輩の観察、ぜひやってみて欲しい。
あと宣伝だが、私をブログで観察しても面白いと思うよ。


ーーーーーー

シャーロック・ホームズ 傑作選を読んで 橋本耀
http://kansoubun.shueisha.co.jp/hashimoto_hikari/

 私はシャーロック・ホームズの名前は知っていましたが原作は今回初めて読みました。
 六話からなる短編推理小説で、本を開くと古いロンドンの街並みや人々が描かれている挿絵があり、自然にホームズの世界観に入り込むことができました。
 推理小説は苦手でしたが、ホームズの出会った瞬間に相手の服のシミや汚れ。身につけている物、服の着方から性格や少し前の行動すら見抜いてしまう洞察力と行動力。相方のワトスンがその謎を解く敏速な過程をわくわくしている様子が少し可笑しいのですが、同時に私もホームズの直感から推理への流れに、ぐいぐい引き込まれていきました。
 私はこの中で「ゆがんだ唇の男」が好きです。この話は犯罪にはならないのですが最後まで謎が解けませんでした。しかしホームズの謎解きを聞いて、人にとって大切なものは何かを考えさせられました。ホームズが薬漬けだったことも人としての弱さみたいなものを感じ、まっすぐな性格のワトスンとの違う二人が最強なコンビでいられることは素敵で、ホームズが実存したように感じられました。そしてそれがもしかしたらこの作品が長年人を魅了し続けた理由かもしれません。
 この本を読んで実生活にも役立てたいと思ったのは、何事にも観察する姿勢です。私はホームズみたいに推理は出来ませんが、観察する事でその人の事を思い、考え、少しでもその人との距離が縮まればささやかでも気遣いが出来ると思います。そして今の仕事に生かして行けばきっとそれは私をとても成長させてくれるものでもあるとも思いました。
 最後に探偵とは変わった人が多いと思いました。二作目の「赤毛同盟」にホームズの「じつにおもしろい」という言葉をみつけてある人を思い出し笑ってしまいました。

「シャーロック・ホームズ傑作選」
著者:アーサー・コナン・ドイル
訳:中田耕治

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その77 「十七歳」という輝き 内山奈月

なっきー、まずは昇格おめでとう。
十七歳の1年はとっても輝いていたよ。たぶん。(題名にかけてみたけれども、それほど見れてないので、断定するのも気が引けるし。。。)

なっきーは、"!" "(笑)" "・・・" や、カタカナを多用していることなどから、目の前で話しかけられているような印象を受ける。好ましい。
やはり、アイドルは親近感が命みたいなところがあり、感想文だからと言ってかしこまる必要なんてないと思うのである。

なっきーの真似をすれば、
明るく爽快に描かれている点もこの感想文の魅力だと思います。
である。

ただ、大勢に指摘している通り、
"十七歳だった「ハラダ君」は、十七歳だけが持つ多くのときめきや楽しみを私に教えてくれました。"
コレがどうも弱い。

その説明を、
"親や学校に反抗しようと、様々な試みをします。煙草を吸ってみたり、バイクに乗ってみたり、学校をサボッてみたり・・・。"
ココでやっているつもりなのだろうが、ではどうしてこのような行為が "十七歳だけが持つ多くのときめきや楽しみ" になると、なっきーが思ったのかが見えないのである。

どうして、親や学校に反抗しようと思ったのか?
そして、その試みは結果的に失敗してしまうが、親や学校の方が正しかったのだろうか?


私は経験上恐らく、ハラダ君の目のつけどころは良かったのだが、親や学校に対して感じた理不尽を、正当な方法ではなく、みんなが一度はやってみたい「不良」という手段で解決しようとしたのがいけなかったのだろうと思う。

本当に理不尽を感じたならば、仲間を集めて、おこづかいやお年玉を持ち寄り、場合に依ればバイトなどして、その費用で弁護士を雇い、親や学校に対して徹底的に戦うという、およそ高校生離れしているが、そういう方法だってあっただろう。

そうはせずに、誤った方法、法に反した方法で反抗し、そしてそれが当然のように失敗し、それを素直に認め、自分の過ちとし、"若気の至り" などと言って振り返ってしまうのであれば、ハラダ君もなっきーも、実は反抗したはずの親や学校に言いくるめられてしまっているのである。

いやそれどころか、最初から負けると思って、親の庇護を期待して、甘えの発露として反抗してみたとさえ言える。
その通過儀礼を経て、大人サイドになってしまったのである。
なんのことはない、"制服レジスタンス" そのものではないか。

「青春とは大きな誤解だッ!」とハラダ君が言うのも気に食わない。
恐らく、自分の十七歳を振り返っての言葉と想像する。
それもまた、自分の過ちを "誤解" として認めてしまっている。
しかし、本当に誤解しているのは青春時代の自分ではなく、青春時代に同じ思いをしたはずなのに大人サイドでしか考えられない、親や学校なのである。
生きていくためにはそうせねばならない、と、いつの間にか思い込んでいるだけなのである。

そう書いていくと、なっきーの最後の段落は完全に大人サイドに立ってしまっており、なっきーの出した結論は、私には気に食わない。
そんな理不尽な経験を、甘酸っぱい宝物になんかされてたまるか。


なっきーも、芸能人としてひとり立ちしたければ、一般大衆の常識を打破せねばならないはずだ。
文章は明るく面白かったが、大人の常識におもねった内容には賛同し兼ねる。

正規メンバーとなり、芸能人に一歩近づいたのだから、打破せねばならない常識(それは大勢のピュアな若者が疑問に思うことである)について、もう一度考え直して欲しい。


ーーーーーー

「十七歳」という輝き 内山奈月
http://kansoubun.shueisha.co.jp/uchiyama_natsuki/

 「青春とは大きな誤解だッ!」主人公であり、筆者である「ハラダ君」はこう言いきっています。私は今、彼と同じ十七歳です。
 私は、この本を読みながら、まるで同級生の「ハラダ君」が隣に座って悶々と考え事をしているかのような、不思議なリアル感を持ちました。「ハラダ君」の青い春は、私の十七歳とは全く違っていてとても驚き、でも似ている部分もいくつもあって何度も吹き出し、いつの間にか、
「十七歳ってこんなことするの!?」と彼に何度も突っ込みを入れる自分がいました。
 「ハラダ君」は「不良」に憧れる少年です。親や学校に反抗しようと、様々な試みをします。煙草を吸ってみたり、バイクに乗ってみたり、学校をサボッてみたり・・・。でも、いつもどこかで失敗してしまいます。「不良になりたい」と思ったことのない私でも共感しやすかったのは、根は小心者で不良になりきれない「ハラダ君」に親しみを覚えたからだと思います。
 そして彼の十七歳は、私には無い、ちょっぴりエッチな男の子の一面もありました。
「どんな風に読書感想文を書こう・・・。」と不安に思うシーンもありましたが、そこは敢えて触れずにおきたいと思います(笑)そんなエピソードも明るく爽快に描かれている点もこの本の魅力だと思います。
 この夏、私はたった一度しかない十七歳の夏を迎えます。そんな今、この作品に出会えたことは本当にラッキーだと思います。十七歳だった「ハラダ君」は、十七歳だけが持つ多くのときめきや楽しみを私に教えてくれました。もちろん、大人の方が読んでも、忘れかけているかもしれない甘酸っぱい宝物だった十七歳を思い出せるような素敵な作品です。ぜひ、私と一緒に「十七歳だった!」を読んでハッピーになって下さい!

「十七歳だった!」
著者:原田宗典

ナツイチ メンバー一人ずつ講評 その76『狼王ロボ』を読んで 北澤早紀

さっきー、昇格おめでとう。
最近どうも加入当時の輝きがないように思えて、気にかかってはいた。
昇格を機に心機一転、頑張って欲しい。

さっきーは、(こんなこと書かなくてもいいかも知れないが、)2chの情報によると、トップヲタであるいなぷぅが近頃AKBを出入り禁止になったとのことで、思うところがあろうと思う。
2chではいなぷぅは厄介ヲタとされているが、2chでなにかと多く書かれている私は、火のないところに煙を立たせたいヤツとか、江戸の仇をブエノスアイレスで討ちたいようなヤツが多く、2chの情報は憶測であり事実でないことの方が圧倒的に多いことを知っている。だから、どこまで事実か、全く事実じゃないのかも分からない。

さっきーとしては、仮に厄介ヲタでも、自分に来てくれ自分を一生懸命に応援してくれる大切なお客さんであり、無碍に嫌いとは言えないだろう。また、他人は嫌悪しようが自分は好きということだってある。
いなぷぅがいなくなったことが、さっきーのヤル気を削いでいないか気になっている。


さて、本題。
"狼王ロボ" なんて題名であるが、"ゲッターロボ" とか "仮面ライダー電王" とかいうのもあったし、そのノリで "狼王ロボ" という名の合体ロボットでもあるのかなあ、さっきーはそんな男の子用の本を読まされたのだなあ、と勝手に想像していたのであるが、さっきーの感想文を読み、全く見当違いの想像をしていたことが判明した。

・・・いや、私がおっちょこちょいなだけであるが。


で、さっきーもまた、他のメンバーと同様、掘り下げが足りない。
"そんなロボのブランカに対する優しさ、潔い最期に心を打たれて、思わず涙が溢れてきました。そしてこの作品は、私にとって忘れられない物語になりました。"

さっきーの感想の主だったものはこれくらいである。
ロボのような立場に自分が立ったら、と思って、もっといろいろ考えられると思う。

私が書くと、たとえば・・・
日本がかつてのように軍国主義へと進み、私は政治犯として追われる身になった。しかし、なんとか警察や自衛隊の目をかいくぐっていた。

そこに、日本政府が目を付けたのは、美しい妻の伊達娘であった。
伊達娘が用心しながらも出歩いているところを、警察が襲撃して捕まえてしまったのだ。
私は潜伏先でその報を、地下組織の人物から聞かされた。

私はどうするのか?

なにもしなければ、伊達娘の命が危ない。
しかしそのまま助けに行っては、政府の目論見通り私が捕らえられて、ロボと同じ運命となってしまう。
仕方がない、中国を味方につけ、そこの工作員と一緒に警察署を襲撃するか。
そう思い、私は工作活動へととりかかった。愛する伊達娘のために。


・・・そんなカンジで、自分の身に置き換えて、自分にロボと同じことができるかどうか、空想を巡らせても良かったんちゃうん?
え?自分で物語を想像するのはさすがに難しい?そうか?www


それにしても、
"牧場の牛や羊を襲うため、毒を仕組まれたり、罠を仕掛けられたりしても決して引っ掛からず、必ず自分の目的を達成しました。"

という描写から、ロボは本当に頭が良かったと思う。というか、世の中の人間のアタマが悪すぎるのか。

振り込め詐欺という罠を仕掛けられる可能性があると再三注意されているにもかかわらず、息子のフリをした電話がかかってきたら、引っかかってホイホイと大金を用意して、それでさえも気づかない人間が、日本には大勢いるのである。

人間は気づけないものだ、と言ってしまえば、そのように思えるかも知れないが、狼という明らかに人間よりも劣るはずの動物が、人間よりも考えている様子を読み、人間の本来持っている考える力、生きる力が、日本人という種族全体的に劣化してしまっていると考えざるを得ないように思う。

言い換えれば、世の中の人々は、人類が編み出した技術や法律などのさまざまな仕組みの上であぐらをかき、自分で考えることをやめてしまっているのである。

さっきーも、本を読んだり、なにかを経験すれば、自分とアレコレ比較して考えてみて欲しい。
そうすることで、"私にとって忘れられない物語" が、自分の人生を変える物語になると思う。


ーーーーーー

『狼王ロボ』を読んで 北澤早紀
http://kansoubun.shueisha.co.jp/kitazawa_saki/

 この物語の驚くべきことは、この内容すべてが実話だということです。本にはロボと妻のブランカの写真が載っています。罠に掛かったところを撮ったものですが、私にはとてもかわいらしく見えます。そしてこの二頭を仕留めたのが、作者であるシートンなのです。
 シートンは赤ちゃんの頃からの動物好きで、自然の中で絶えず動物を観察しました。画家であり、博物学者であり、さらに探検家でもありました。
 ロボはとても魅力的な狼です。体が大きく、非常に頭が良い、群れの堂々たるリーダーでした。牧場の牛や羊を襲うため、毒を仕組まれたり、罠を仕掛けられたりしても決して引っ掛からず、必ず自分の目的を達成しました。ロボの首には多額の賞金がかけられ、何人ものハンターが挑戦しましたが、ことごとく失敗しました。ハンター達の毒や罠を避けて牛や羊を襲い続ける様子は勇ましく、格好いいとさえ思えました。
 でもロボはただ単に残忍なだけではありませんでした。妻の美しい白い狼、ブランカが罠に掛かった時、号泣のような声で吠えながら昼も夜も彼女を探し続け、ついには罠に掛かってしまったのです。常に冷静であったロボがブランカを囮に作った計略にはまってしまったことは、彼をさらに魅力的にしていると思います。
 捕えられてから、人間に差し出された食べ物には見向きもしなかった誇り高いロボの姿がとても印象的です。そんなロボのブランカに対する優しさ、潔い最期に心を打たれて、思わず涙が溢れてきました。そしてこの作品は、私にとって忘れられない物語になりました。

「狼王ロボ シートン動物記」
著者:シートン
訳:藤原英司

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