映画・テレビ

2017年5月14日 (日)

"ラ・ラ・ランド"観てきたけど、やっぱ私アカデミー賞取る作品は大味で苦手や。2点ってとこかな。

どうして男と女が恋に落ち、どうして男と女が別れようとするのか、恋愛モノはそこが肝心と私は思うけれども、そこがゼンゼン描かれてなくて、なんかヨウワカランかった。

ナントナク出会ってナントナク嫌いになる、というのも、一般的に恋愛ではつきものかもやけど、この作品にひとつテーマがあるとすれば、たとえバカにされ、「オトナになれ」と言われようとも、夢を追うことの重要性を説いとるハズやねん。

そうすると、子供のように夢を追うならば、子供のように純粋に恋愛しないと、やっぱ一貫性がないと思う。

子供のように夢を追う代わりに、恋愛ではオトナになった、では、ツマランし、そのツマランストーリーになってもとる。

2人が別れて、女が別の男と結婚して、たまたま男の店に来て、そこでIFのハナシを入れるとか、あざといと思う。

そんな、IFのハナシで泣かせるやりかたは、ハッキリ言って私は気に食わん。

ところで、"ラ・ラ・ランド"という題名を知ったとき、昔サラ金のCMで「ラララ むじんくん、ラララむじんくん、ララララ♪」ってのが、私が大学生くらいのときに流行ったのを思い出した。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/チャント星人

だからナニ、と言われてもなんでもないけど、私も記憶力ええなあ。

2017年5月 1日 (月)

「美女と野獣」を観てきたけど、私的にはあのストーリーはないなあ。

みんな感動するやろけど、私的には無理や。

野獣は、美女ベルの父親が窮地と知って、ベルを帰してもた。

私が野獣ならば、どう思われようが、自分がベルの父親を助けに行く。


それと、紅の豚とかでも問題になったけど、キスされたくらいで野獣からイケメンになってまうならば、ブサメンが立つ瀬ないやろ。

野獣が野獣のままで受け入れられんことも問題や。


まあ、野獣にされた経緯も問題と思うけど。


とにかく、観ながらけっこうイライラした。

2017年4月 1日 (土)

【ネタバレあり】「モアナと伝説の海」を観てきた。モアナが海に守られるってどうしても違和感あるなあ。2.5点かなあ。

モアナが海に守られるシーンが何度も出てきたけど、現実の海は大勢を殺してきたんだし、ちょっと気になった。

たとえばたまたまとか、ここぞというときだけ、1,2回、助けてくれるというのならばアリかもと思うけれども、モアナがあたかも神の化身かのように何度も助けられては、じゃあモアナって、神がいなくなってしまっては生きられないのか、と、私なんか思ってしまう。

それはまた、アニメでどこまでウソを描くのか、という問題にも繋がるけれども、なんでもかんでもアリになってしまっては面白くない。

宮崎駿の作品が面白くなくなったのも、技術に凝りすぎてストーリーを軽視して、観客がナンデモアリな作風に飽きたから、というのもあると思う。


それと、モアナの島を"モトゥヌイ"と言っていたけど、イースター島に"モツヌイ"というのがある。

"ヌイ"はミクロネシアの言葉で"大きい"を意味する。

航空会社の"エアタヒチヌイ"の"ヌイ"と同じや。

また、"モツ"は、"島"という意味やったと思うなあ。
イースター島には、モツヌイとモツイティがあって、それぞれ大きな島と小さな島やったと思う。

だから、モアナの島の"モトゥヌイ"は、日本語で言うと"大島"やと思うなあ。

私も記憶力ええよなあ。

イースター島についてけっこう覚えたもんなあ。


しかしそう考えると、ミクロネシアにとって津波はどうしても怖い自然現象として伝えられとるハズと思う。

イースター島だって、海岸のモアイが全部倒れてもて、アフ・トンガリキのは立て直したんやから。

ハワイだって言い伝えあるやろ。

そう考えてもやっぱ、人類の記憶として、東日本大震災だってあったんやから、やっぱ津波の怖さなんかも伝えて欲しかったかなあ。


たとえば、モアナが調子こいて途中で失敗して、それは何かと思ったら津波だった、とか。

メジャーな作品だから、滅多に起きない津波を取り上げないのではなくて、逆に津波を大々的に取り上げて思ったるいイメージにしてしまうのでもなくて、自然ってそんな場合がある、というのも示して欲しかったと思う。

噴火して、溶岩が固まって島になるというのを描けていたから、なおさらや。

てかあの島自身が女性というイメージは、ディズニーだかピクサーだかで、前も短編で作っとったなあ。

今回の物語の元になったんやろなあ。

【ネタばれ】チア☆ダン 観てきた。もともとの内容がいいので4点、けど演出とか考えると2,3点かなあ。もっと物語のウラが知りたかった

チア☆ダン 、トータルではまずまず面白かった。

けどとりわけ導入のあたりの演出が今風で、凝りすぎていたのはどうかとも思った。

春休みの映画の日だし、小学生の女の子連れの家族がめっちゃ多かった。


内容は、福井県からいきなり全米のチアダンス制覇になっていて、どうしてそこまで行けてもたのか疑問やったけど、最後のほうで、天海祐希の先生が、バトン部を立て直すために、テレビを観て、日本人で全米3位になったということを知ったというので、ちょっとは謎が解けた。

けど、それでも、先生のヤル気だけで全米制覇は難しい。
チアダンスは素人という設定もウソなんちゃうかと思う。

私もAKBの公演をよく観ていて、まずダンスが揃ってないのがマズいと思うけれども、次に仲良すぎてなあなあになってまうのもわかるし、ダンスを揃えられても、そこに気持ちが乗ってないとか、あと他のメンバーのいいところ悪いところを言い合うというのもまだまだできてなくて、やっぱダンスの先生が考えることは同じやなあ、と思った。

しかし特に、仲良すぎてなあなあになってまうのをダメと叱れるという流れになっとったけれども、あんなのはリアルを知っていたらわかるけど、ダンスの素人とかワカランやろと思った。

天海祐希の先生は、実際は、もっと前からダンスの指導者とかやろ。


天海祐希が決勝だけ広瀬すずをセンターに変えたことについて、"勝つため"としか天海祐希は説明してなかった(笑顔がいいとかは言っていた)と思うけれども、最初のほうで「私、アメリカに行きます!」と校長室で言い切った、その意思の強さがあったと思う。

あと生徒も個性派が多いことになっとったけど、田舎の高校にあんなに個性派が多いとは考えづらい。

もっと物語のウラが知りたかったかなあ。

2017年2月12日 (日)

この”ねほりんぱほりん”って動画に上がっとるのを観とるけどけっこうエグい現実やなあ。

コレ

ねほりんぱほりん

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%BB%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%B1%E3%81%BB%E3%82%8A%E3%82%93

パイロット版『ねほりんはほりん』[編集]
# ゲスト 初回放送日時
1 プロ彼女、没落社長 2015年7月1日 水曜23:25-23:55
2 芸能スクープ記者・カメラマン 2016年1月3日 日曜22:30-23:00

レギュラー放送[編集]
(これから放送予定のものも掲載する)
# ゲスト 初回放送日
1 偽装キラキラ女子 2016年10月5日
2 元国会議員秘書 2016年10月12日
3 元薬物中毒者 2016年10月19日
4 二次元しか本気で愛せない女たち 2016年10月26日
5 ハイスぺ婚の女 2016年11月2日
6 保育士 2016年11月9日
7 宝くじ1億円当せん者 2016年11月30日
8 痴漢えん罪経験者 2016年12月7日
9 占い師 2016年12月21日
10 養子 2016年12月28日
11 億り人(すご腕投資家) 2017年1月4日
12 ナンパ教室に通う男 2017年1月11日
13 地下アイドル 前編 2017年2月1日
14 地下アイドル 後編 2017年2月8日
15 整形する女 2017年3月1日

いま”2 元国会議員秘書”を観とるけど、リアルなハナシが入っているようで、けっこう参考になる。

選挙は公示の時点で既に決まっていて、日頃からの”人たらし”がカギ、とか当然やんなあ。
葬式で票を取るとか、そんなんでええんか!ってところもあるけど、とにかく、政策がいいとかじゃなくて、それを自分がどうやって人間として興味を持ってもらえるか?まで落とし込めな、政策の良さで人間はゼッタイに動かん。

「こうすべきだ」という声、暴力革命論では世界はカワランねん。
自分らでひたすら考えて、議員から目をかけてもらうよりも居心地のいい環境を自分らで作らな。

それはある意味、ヤマギシズム運動とも繋がる。
自分らがユートピアを作れることを実証できな、実態のない理想論だけでは、 みんなが「コッチのほうがいい」と言わんし、そうでないと権力には勝てん。

当然のように”13 地下アイドル 前編””14 地下アイドル 後編”もこれから観るぞ。

まあ今日はこれから劇場行くけど。

2017年1月22日 (日)

【ネタバレ】”本能寺ホテル”感想。まあなんかいろいろとフツーかなあ・・・

大げさな演出が、矢口史靖に繋がる感じで、個人的にはあんま好みではなかった。

とはいえ、歴史モノとするとこんなカンジにしかならんのかなあ、と思うし、5点満点で3点くらいか。

ただなんか違うかなあ・・・・織田信長も、最初の怖いカンジと、繭子を下町へ連れて行く気さくさが、なんか繋がらずに、ストーリーが練れてないと思う。

繭子を下町へ連れて行く気さくさが織田信長に本当にあれば、そもそも本能寺の変を明智光秀が起こそうとは思わんかったんちゃうん?

そもそも論になるけれども、やっぱそこはちゃんと描いてもらわな、なんか納得がいかん。

Wikipediaで信長の項を見ても、そのあたり、厳しい人であったとするのと、温厚であったとするのとがあって、判然としない。
もちろん両方あったのだろう、たとえば権力に対しては厳しく、部下に対しては温厚であった、というような違いがあったんちゃう?とも思うけれども、映画ではそんなに分かりやすい理由にはなってない。

例えば明智光秀に何かおかしな行動があると信長が思って、光秀に対してとりわけ厳しく対応していたとすると、そういうこともあるかもやけど、そうすると信長は光秀をマークしていて、謀反を起こすようだとすぐに気づいたとするしかない。

・・・・いや、この映画ではそれを否定するためか、謀反が為されたらそれまでと思って潔く死んでまう信長が描かれとるけれども、司令官たるもの、自分が死んだら世界の発展は何百年と遅れると覚悟しとるはずやし、この映画のように、潔く死ぬなんてことを信長は思わんかったと考える。

そのあたりはやはり、この映画は史実に則ってないんちゃうかと想像する。
いや死ぬときの心境はワカランとも思うけれども。

Wikipediaで調べたら、「人間五十年、下天の内を較ぶれば、夢幻の如く也。一度生を稟け、滅せぬ物の有る可き乎。」というのを、光秀の謀反の際、死に際して舞った事実はなくて、生前にもともとコレをよく舞っていたという事実しかないっぽいなあ。
まあ映画でも、それを舞うところは出てきてないけど。

やっぱそういうところ、信長とか光秀をどう整理するかは、もう少し掘り下げて欲しかったかな。

てか調べたらこの映画は、もともと万城目学が脚本をすることになっていたけれども、トラブルで降りたとか。
それで、ストーリーが大幅に改変になったとか。

そういうウラがあるならば、このイマイチ不透明なストーリーもわからなくはないけど、もっとストーリーがワカラン映画だってあるし、脚本家の変更がどこまで響いたのか、正直ワカラン。

てかこの映画の監督は、鈴木雅之で、あんま有名ちゃうけど、私は1999年のGTOで初監督したことを覚えとる。
さらに調べたら映画は今作で6本目なんやな。

まあサラリーマン監督で、自分が描きたいモノがあるカンジはせんけど。

そういやこの映画のストーリーがそもそも、自分が表現したいモノを見つけるということになっとるけれども、なんか信長の描き方が腑に落ちんから、あんま説得力がない。

信長よりも、光秀の迫真の演技のほうが気になったけど、光秀役は髙嶋政宏なんか。
なんかイメージ以上に太っていてゼンゼン気が付かんかった。

あと、風間杜夫もなんかヨウワカランよなあ。
なんかイマイチ立場がワカラン。
私は風間杜夫というと未だに教官というイメージがある。

それと、この映画はホリプロも製作に加わっとるんやな。

今回は、AKBの福岡聖菜ちゃんが観たと言うとるから、試しに観てみた。

映画的にそんなに観るところはないかなあ、とも思うけれども、それでも俳優は、コレに出て、大規模なセットの中で演技をする、と考えたら、震える思いがするやろ。

けど、震える思いをリアルに実感して、いやコレならば自分でも演じられる、そう、ヒトの映画や舞台などを観た後で思えて、自分ならばもっと上手くできると思える生意気な人間が、前に出ていける。

ヒトの映画や舞台などを観て、勉強になったというだけでなくて、まあ外に出したらマズイものもあるやろけど、コレならば自分のほうがもっと上手くできる、と思えるような想像をして欲しいと思う。

2017年1月14日 (土)

もう何回目かの”君の名は。”やったけど、改めていろいろと思った。

いっちゃん思ったのは、けっきょく”片割れ時”になるまで、三葉は瀧との入れ替わりの全体像を知ろうとしてなくて、瀧だけが全体像を追いかけとるねん。

そこが、三葉というか、女の子が、自分が生きられるために、まだ会ったこともないのに、人生をかけてくれるオトコがいる、というところが、女の子のココロを掴んだ、最大のヒット要因やと思う。

それは、以前挙げたけど、瀧がお互いの名前を憶えておこうとして書いた言葉 ”すきだ” にも、端的に現れとる。

やっぱ人間、学問とか言葉とか、仕組みとか、そういう外からのモノではココロは動かん。

アレが現実に”たき”と書いていたとしても、三葉はコケた後にもっぺん走り出そうとは思えんかったと思う。
というのも、”たき”という名前は知れても、瀧の思いには至らんかったと思うから。

瀧の思いに触れたからこそ、三葉は、自分のためだけではなくて、瀧が助けようとした糸守町の人々全員を救い出そうとして、行動をしたんや。



そうは言いつつ、髪を切る前に泣いてもた描写もあったけど、アレは、自分は瀧のことが好きやのに、現実の瀧は奥寺先輩と一緒になってしまうのか・・・・と思うと切なくなった、という涙やろなあ。

だから、その後でやっぱ決意して、東京に出て瀧を探し出したんや。
けど瀧は何故か知らんふりをした。
あのカンジやと、心理描写までは描かれてはないけど、三葉は自分が振られたと思うたんやろなあ。
(但し瀧はまだこのとき中学生で、制服が違うところは描かれとるけど、三葉はそこまでは理解してないことになっとる。
てか3年ぶん若いことを理解せんかったとは、リアルでは思いづらいけど、そこはアニメで曖昧にしとるところかもなあ)

アニメーション的にいうと、いまさらやけど、神前の舞踊、アレだけが、実写の動きをアニメにトレースしとったよなあ。

というのも、フツーアニメで2人の登場人物がいれば、同じセル(いまはそうは言わんのか。動画と言うたらええのか。)の上で描くんやから、動きも完全にシンクロしてまうねん。

けど、この動きは2人の動きが微妙にズレとった。
時間的にタイムラグがあるとかではなくて、2人の動きが違うかった。

だから、リアルに2人を演じたヒトが2人いて、その人々の動きをアニメでトレースしたと思うよなあ。

しかし、そうしても、なんでカンタンに修正できるいま、ヒトが走るとかいう単純な動きが、ヒョコヒョコとした動きになってまうねん?

たとえば、走る動きだって、右手を出してひっこめて左手を出してひっこめて・・・、脚はその逆で、左足を出してひっこめて右足を出してひっこめて・・・、の繰り返しを1回分ちゃんと描いたら、あとはそれを繰り返し再生しとったらええだけやん。

なんでそんな動きを誰も描けんのかフシギで仕方ない。

てか私はまた昔のハナシを書いてまうけど、1997年くらいかな、”母をたずねて三千里”のレーザーディスクを、7万円くらいの大金をはたいて買って(いま考えるとガチで大金やなあw)、1話で、マルコの走り方がなんか、フツーのアニメみたいにヒョコヒョコ走ってなくて、ちゃんと力強く走っていてすごいと思って、コレを描いたアニメーター誰かなあと思ってクレジットを見たら、宮崎駿とあった。

けど、ジブリの公式サイトの、宮崎駿の経歴には、”母をたずねて三千里”の1話の原画をしたことは書いてなかった。

いやそれは書いとかなマズイやろ!と、ジブリにめちゃくちゃ苦情のメールを書いたら(いやだって世界の宮崎駿なんやから、それくらいちゃんとしろよ)、逆にサイトに「この記載の正確性は保証しません」とかいう旨の注釈をつけてきやがった。

ジブリもしょせんはその程度かよ、と思った。

宮崎駿というと、私が明石映画サークルの岡本好和と一緒に行ったときに、宮崎駿と一緒に話す機会があって、やっぱうれしいやん。

けど宮崎駿は私に関しては全く意に介さんかったみたいで、せっかく記念写真を撮ってもどっか違うとこを向いとってん。

コイツは人間としてクズと思った。

宮崎駿自身、「石原慎太郎に会ったけどアイツクズ!」とか言うとったけど、目糞鼻糞を笑うというヤツやなあ。

私宮崎駿は、アニメーターとしては尊敬するけれども、人間としては全く尊敬してない。
アニメーションの発展にさほど寄与してないんやから。

いや、世界の多くのクリエイターは、宮崎駿の名前を出しとるのは事実や。

けどそれは、宮崎駿がかつて毛沢東を崇拝したのと同じように、世界のホンマの趨勢からすると違うんちゃうの?

宮崎駿は戦術は残したけれども、戦略を残せるほどの大志は抱いてなかったと思うなあ。

だからどこかで、政治的なことを問われて、「僕は文化人だから」としれっと逃げのコメントをしたんや。

いまガチで生きようとしたら、政治は避けて通れんよ。


まあ、それはどうでもいい。

RADWIMPSの曲、歌声で、おかしいと思うものはない。
やっぱさすがに売れた映画やから、音楽もちゃんとしとると思う。
それにしてもASKAにも負けんくらい高い歌声やなあ。
私もけっこう高音のほうやけど、私が歌っても裏声になるかもと思う。

めっちゃどうでもええかもやけど、瀧が乗るのはN700系(またはN700A。但し座席の向きは怪しい)で、三葉が乗るのは700系やなあ。
三葉の座席のモケットは見るの忘れたけど、ナントナク700系と思うし、少なくとも降りた後の車体は700系やった。

その後で三葉が乗っとる通勤電車の座席のモケットがE235系のもので、2013年時点であり得んとは思うんやけど、ほかにもシチュエーションなどいろいろとウソがあると思うし、そこだけ取り上げてもなあ。

あと新幹線から見る外の景色が、3DCGになっとって、いまはそうなんかと思うた。

ジブリの作品からだって、列車からの景色というと、魔女の宅急便くらいになってまうのかもやけど、いや千と千尋でもあったか、背景動画になってまうんやなあ。

まあ背景動画になる、というのが、宮崎駿の飛ぶ・・・・、いや正確には飛んだ自分が見るシーンの醍醐味であったともいえるけど、それを3DCGで難なく表現されて、宮崎駿は立つ瀬がなくなったともいえるかもなあ。

こんだけ私は宮崎駿をコテンパンに書いていてさえも、飛んだ自分のイメージを、3DCGの冷静な画像ではなくて、自分は空を飛びたいんだ!こんな景色が見たかったんだ!という意思として描くことは、やっぱ可能やし、アニメーターは3DCGに負けてまうのではなくて、そんな表現をイメージとして描いて欲しい。

ASKAだって、誤った道かもワカランけれども、違う意味で飛んでもたんやし、いま酒やタバコ、ギャンブルをたしなんでいる人々も、いつそれらが違法とされる世の中が来るかワカラン。(まあどれも政府が儲ける手段になっとるからないとは思うけど)

3DCGが伝えられるのは、あくまでも冷静な、定点的な画像やねん。たとえ動いているとしても、加速度ゼロで定速で動いているとかやろ。

そうではなくて、リアルに動的に、自分の気分も動的にイメージできたら、それはすごいと思う。

いま”VR”とかいわれとるけど、たぶん、外から来るモノがどうなるかを表示するだけで、自分の意思は表示できんと思う。

・・・・まあ、”VR”でそれを表示できるようになってさえ、そんな外からのモノに対して人間が受け身になっていいわけではないけどな。

2016年12月 9日 (金)

たぶん5度目くらいの”君の名は。”鑑賞をしてきた。からの、いろいろ考えたこと

14日のTOHOの日にでも、と思ったけれども、14日は公演もあるし、ある意味ふと今日行ってきた。

久々に観るから逆に新鮮やったけど、やっぱさすがに睡魔があって、クリアには観れんかった。
新作じゃないとキツいかな。

そこで、改めて思ったのは、三葉も瀧も、ようは2人とも引っ込み思案な性格で、異性に対して積極的になれん、イマドキの草食系やねん。

けどそれが、入れ替わった相手の立場で、友達とどう接するか?を地でやったら、それぞれにデートができたり告白されたりと、上手く行っとる。

元に戻った、友達関係もそれなりに進展しとるし。
だからこそそれぞれに友達を連れて、それぞれ2通りの冒険が成り立っとるんやな。

私がつねづね言うとることでもある。

自分のことを考えるのは難しい。悩んでまう。

けれども、相手のことを考える、これは難しくない。
だから、友達をつくって、お互いに相手のことを考え合ったらええねん。

あと、糸守に組紐が伝わったの、彗星の流れるさまが組紐の描写に繋がっとったけど、彗星の流れるさまを、目で見てもそうやし、歴史的に時代を繋げてきたという意味でも、組紐(結び)という文化は重要やったんちゃうか。

おばあちゃん(一葉)がことさらに”結び”について言うとるのは、そんなことが内的なイメージにあったんちゃうかと思う。

しかしそれにしても、そんな運命の片割れが、それぞれ東京と飛騨に住んでいるっていうのは、ビミョーかなあ。

イマドキの草食系の男女に対して、目の前の好きなヒトに向かって、さあ!というような主張を、ホンマはしたいとこなんやけど、それが東京と飛騨では難しい。

とくに女の子なんか、「近くのヒトではなくて、遠くに運命の王子様がいるのだろう」とか思うてまうんちゃうか?

そこの、観客の側が持つはずのギャップまでは吸収できてないんちゃう?

それを考えると、夢で入れ替わったのは実は幼馴染だった、みたいなほうがええかもやけどなあ。

そこまで考えたら、たとえば瀧も先祖は糸守出身だったことにしたらええのか。
けどそれでは、糸守に隕石が落ちた事件を、瀧が知らんはずはなくなるしなあ。

ヒトを説得する、というのと、恋愛と、実はほとんど違わない。

言い換えたら、恋愛上手の者がする説得には具体性があるけど、恋愛したことがない者の説得は抽象的理屈的で、ようは前者が上手で後者はヘタクソといえる。

活動家には一人身の者が多くて、それ自体は悪いことではないけど、恋愛の想像ができないところはマズいかなあ・・・ それよりも運動だ!とか言っている人々が結婚している場合もあるけど、理念で共闘できたから結婚するという単純なものではなくて、本気でお互いに恋に落ちた実感があるかどうか、というのは大事と思う。

まあ、それはええか。

あと、前にも指摘したかもやけど、ドアが閉まる描写って必要なんかなあ?

なんか意識的に描いてあったけど、私はウザいと思った。

あと、隕石が落ちるときの”ガーン”(みたいな)音、アレ必要?
いや、必要としても、なんかあの音は違う気がする。

ラストで、画面の真ん中に”君の名は。your name.”って出て来るのもなんかあざとらしくて、私の感覚とは違うと思った。

”千と千尋の神隠し”以外のすべての作品を上回る興行成績らしいけど、当然のようにこうしたほうがよかった、というところはある。

人物の走る描写とかヘナヘナやと思うし。

そういえば、作画監督の安藤雅司ってジブリでけっこうな地位やったなあと思って検索したら

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E9%9B%85%E5%8F%B8

”耳をすませば”ではなくて、併映の”On Your Mark”ではじめて作画監督になって、・・・・先日ASKAがまた覚せい剤使ったとかで再逮捕さたけど・・・・

私がなんで名前覚えとるかというと、”近藤喜文の仕事 動画で表現できること (スタジオジブリ) 責任編集:安藤雅司”という本を作ったからやな。

https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%84%E6%96%87%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%81%A7%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%84%E6%96%87/dp/B00Q9U2Q6G

コレ、近藤喜文さんが亡くなって、安藤雅司さんが責任持ってジブリが自費出版したんかな?
ISBNコードもなくて、書店にも出回ってないけど、私は通販で買った。

流山の家にそのままにして、私はドイツに亡命してそれっきりやから、どこにいったかワカランけど。

大西弘子信用にならんと思って、いっちゃん重要なもの


Mimi

は伊達娘にあげたけど、いまになって考えたら正解やなあ。

冊数出とる本は、少々高くなっていても、カネさえ出せば買えるからなあ。

こう書いたら、私も”君の名は。”と全く関係ないわけでもないように思えてくるよなあ。

しかし改めて考えると、”君の名は。”は、空前のブームになった”もののけ姫”さえをも超えたんやな。

現代人のココロをよく捉えたというしかない。

たとえば、瀧が就職に悩むところなんか、映画”何者”ともオーバーラップするけれども、コレはコレで若者のリアルやねん。

企業にどうやって入社して、さらにそこでどうやって媚びて、どうやって人生を、結婚して、家族をつくって、それなりに生きてくか?

それが若者のリアルな悩みやねん。

そこに繋げたからこそ、これだけヒットしたともいえるやろ。

私は、権力者に媚びてくだけでは、子孫の代がどんどん酷い生活になるだけやと言って、敢然と立ち向かっている。

私はきっと、そのへんの活動家よりも何倍も信念が強いと思う。
信念が強いのを知っているからこそ、権力は私を怖れている。

権力は私を怖れているけれども、味方のほうがまだまだ私を怖れてない。

「君達には分からないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」

というのは、スッラの言葉か。検索したらこういう経緯やな。


http://worldbiography.blog62.fc2.com/blog-entry-27.html

その処罰者名簿には若き日のガイウス・ユリウス・カエサルの名も連ねられていたが、周辺から助命の嘆願が相次ぎ、処罰者名簿からしぶしぶ外した。その時はスッラは周辺に「君達には分からないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」と言ったと伝えられる。カエサルの非凡さを最初に見抜いたのは皮肉にも政敵スッラだったのである。カエサルには民衆派指導者だったキンナの娘との離婚を条件に処罰対象から外す旨の条件が示されるが、カエサルはこれを拒否、小アジアへ逃亡する。

”民衆派指導者だったキンナの娘”と結婚していたカエサルは、その離婚を拒否した、その事実は、カエサルはすなわち民衆派やったんや。

そして、共産主義という言葉ができる以前であるとしても、民衆派であったということは、それはすなわち我々がいう共産主義となんも変わらんハズや。

あるとき誰かが発明したからといって、それ以後そいつの言うとることだけが正しいのではなくて、その発明者が発見できんかったことを、昔のヒトが発見しとることが往々にしてある。

ある学説を前の学説が覆す、というのは、人類史を均して見たとき、往々にして起こり得るハズやけど、どうも人類の大勢はそれが理解できず、近視眼的に、新しいもののほうが正しいとついつい思うてもとる。

なんかだいぶハナシが脱線したけど、新海誠がスッと宮崎駿に並べたのも、宮崎駿がさほど描こうとしなかった、現代の若者をスッと描いたところが大きいと思う。

そういう意味では、個人的に、熊徹はまるで私と思っている”バケモノの子”における細田守も、現代の若者への肉薄という意味ではちょっと劣っていたのかなあ。

私がもし作品を作るとすると、こだわるつもりはないけど、せっかくなのでアイドルのリアル、アイドルになりたい子のリアル、みたいなものにするかなあ。

けど、それだけやと地味やし、地味でも”がんばっていきまっしょい”みたいな佳作はできるけど、完全創作でひねりを加えたいなあ。

”君の名は。”も”バケモノの子”も、私の想像を超えるストーリー展開やったんやし、それを超えるにはどうするかなあ。

まあ、あんま考えずに、シンプルな物語にして、あとは俳優に考えてもらう、と開き直って、”がんばっていきまっしょい”レベルの脚本のほうがいいか。

てか、AKBがこんだけ隆盛やし、”がんばっていきまっしょい”もモー娘。の掛け声になったくらい知れ渡っとるのに、
”がんばっていきまっしょい”をアイドルに舞台でさせる!という企画は出てきてないねんな。

2016年12月 1日 (木)

【ネタバレ】"疾風ロンド"観た。大コケと聞いてはいるけど、俳優上手いし中学生のストーリーもできているし、コレは素直に言える佳作や。

"君の名は。""この世界の片隅に"みたいに、どうしても肩ひじ張って観てまう映画は採点厳しくなってまうけど、逆に肩ひじ張らずに観て採点甘くなる場合もある。

特に若手とか無名とかやと、頑張って欲しいと思ったりする。

監督の吉田照幸さんは2作目らしいし、こういう映画を作ればいいと思う。

しかしコレでコケるとすると、売り方、宣伝のしかたが悪いんちゃう?

てか"あまちゃん"の演出家でもあるのか。

ホンマは、"あまちゃん"の演出家待望作!みたいに売ったら良かったのに、能年玲奈を出さん締め出しの方針のとばっちり食うたんかなあ。

いや、能年玲奈が悪いのではなくて、社会が悪いんやけど。

そういう意味では、今日能年玲奈(のん)がヒロインの"この世界の片隅に"と対で観たのも、偶然でない気もするなあ。

まず優子は、"ロマンス"でも褒めたけど、アイドルとしてではなく女優として演技できとった。

まあヒロイン役をするにはちょっとトシ行き過ぎな感じもするから、そのへんの方向性はあるやろけど、今後三十路、30代のキャリアウーマン、とか、逆にそこから脱落してもがく女性を演じるとか、考えたら役なんていくらでもあるんやから、いろんな役に挑戦して欲しい。

私も原作知らんかったから、阿部寛が雪原で炭疽菌を探し求める、というくらいしか知らんかったけど、ゲレンデで中学生が淡い恋をして、女の子を思うココロの上で、「オヤジ、悪いことを隠すなよ」というカンジで言うとるのが、とてもいいカンジがした。

長野の男の子兄弟が、最後、「育美はオマエに気があるんだよ」とお互いに言っていて、それを東京に帰る、阿部寛の子が寂しそうに見とるのが印象的やった。

男の子兄弟の弟は、炭疽菌を使って同級生を殺そうと思っていたのに、阿部寛の子は、親に向かって、人殺しの菌を作ろうとしていたことを、ちゃんと世間に対して詫びるべき、と言って、阿部寛も研究所長を裏切って、事実を発表しようとした。

その男の子の強さを、女の子もちゃんと理解していると思うし、これから2人は恋人にはならんかもやけれども、その絆は永遠のものと思いたい。


吉田照幸さんは、こんな内容を映画にするんやから、ホンマは能年玲奈を起用すべきところできてない、という無念さがあって当然と思う。

それを、今回は娯楽作として描いてもたけど、その奥には、能年玲奈をまた使いたい!という意思として、ずっとココロに持ち続けて、できたら主張としても表現して欲しい。

誤解すんな。"宣伝という意味では、伊達娘のほうがいいと思う。"というのは、私が主体ではなくて、伊達娘のほうが八方手を尽くして宣伝しとるということ。そこからつらつらと。

そんなコメントがあったから、念のために書いとく。

私はべつに、接するという意味では、誰も差別する気はないけど、そりゃさまざまなことに対してヤル気があったり、あと私のことが好きやったりするのには、応えたいと思うとる。


そらフツー、こんだけ頑張って応援するんやから、私がAKB内で好かれてもおかしくないやろ。


自慢ちゃうけど、中核派内でもけっこう人気なんやぞ。
ホンマは権力に隙を与えてまうから、ブログも書かないということで本来は意思統一しとるとこなんやけど、そんな関係があることもあり、暗黙の了解みたいなトコある。

私のこれだけの主張を、討論できる場が用意できてない、という理由もある。

加えて、中核派に入っても、新興宗教とか、他の共産主義者らが陥った、言論統制にはならんということを、ちゃんと示したくて、敢えて書いとるとこもある。

そうして、国家権力が敢えて分断を作り出しているところに、自分らも乗っかってしまっているところがあって、やっぱそれを超えて、
「中核派でなんか悪いか!?」
ってヒト前で堂々としとれるヒトが、一人でも増えること、そんな連鎖が、リアルな革命であるとも思うし。


さて、「この世界の片隅に」再度観てきた。

丁寧に描いとるし、とりわけ背景がいい感じの絵になっていて、いいと思った。

すずさんは流産してもたん?想像妊娠?
そこは描いてないよなあ。

あと、ゆかるんにイメージ繋がるけど、ユーカリの木って、広島とか、フツーの家に植えてあったの?
コアラ育てるわけでもないのに?
また調べよう。

あと製作スタッフに"岩田圭介"ってあって、確か伊達娘のお父さんと同じ名前やけど、単に同姓同名やんなあ?


つけ麺 弐☆゛屋 (にぼしや) 
https://tabelog.com/saitama/A1101/A110103/11022056/


についてコメントあって、まずまず美味しそうやから、ゆかるんに関係あろうがなかろうが、どっちでもいいと思って来た。

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