映画・テレビ

2017年2月12日 (日)

この”ねほりんぱほりん”って動画に上がっとるのを観とるけどけっこうエグい現実やなあ。

コレ

ねほりんぱほりん

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%BB%E3%82%8A%E3%82%93%E3%81%B1%E3%81%BB%E3%82%8A%E3%82%93

パイロット版『ねほりんはほりん』[編集]
# ゲスト 初回放送日時
1 プロ彼女、没落社長 2015年7月1日 水曜23:25-23:55
2 芸能スクープ記者・カメラマン 2016年1月3日 日曜22:30-23:00

レギュラー放送[編集]
(これから放送予定のものも掲載する)
# ゲスト 初回放送日
1 偽装キラキラ女子 2016年10月5日
2 元国会議員秘書 2016年10月12日
3 元薬物中毒者 2016年10月19日
4 二次元しか本気で愛せない女たち 2016年10月26日
5 ハイスぺ婚の女 2016年11月2日
6 保育士 2016年11月9日
7 宝くじ1億円当せん者 2016年11月30日
8 痴漢えん罪経験者 2016年12月7日
9 占い師 2016年12月21日
10 養子 2016年12月28日
11 億り人(すご腕投資家) 2017年1月4日
12 ナンパ教室に通う男 2017年1月11日
13 地下アイドル 前編 2017年2月1日
14 地下アイドル 後編 2017年2月8日
15 整形する女 2017年3月1日

いま”2 元国会議員秘書”を観とるけど、リアルなハナシが入っているようで、けっこう参考になる。

選挙は公示の時点で既に決まっていて、日頃からの”人たらし”がカギ、とか当然やんなあ。
葬式で票を取るとか、そんなんでええんか!ってところもあるけど、とにかく、政策がいいとかじゃなくて、それを自分がどうやって人間として興味を持ってもらえるか?まで落とし込めな、政策の良さで人間はゼッタイに動かん。

「こうすべきだ」という声、暴力革命論では世界はカワランねん。
自分らでひたすら考えて、議員から目をかけてもらうよりも居心地のいい環境を自分らで作らな。

それはある意味、ヤマギシズム運動とも繋がる。
自分らがユートピアを作れることを実証できな、実態のない理想論だけでは、 みんなが「コッチのほうがいい」と言わんし、そうでないと権力には勝てん。

当然のように”13 地下アイドル 前編””14 地下アイドル 後編”もこれから観るぞ。

まあ今日はこれから劇場行くけど。

2017年1月22日 (日)

【ネタバレ】”本能寺ホテル”感想。まあなんかいろいろとフツーかなあ・・・

大げさな演出が、矢口史靖に繋がる感じで、個人的にはあんま好みではなかった。

とはいえ、歴史モノとするとこんなカンジにしかならんのかなあ、と思うし、5点満点で3点くらいか。

ただなんか違うかなあ・・・・織田信長も、最初の怖いカンジと、繭子を下町へ連れて行く気さくさが、なんか繋がらずに、ストーリーが練れてないと思う。

繭子を下町へ連れて行く気さくさが織田信長に本当にあれば、そもそも本能寺の変を明智光秀が起こそうとは思わんかったんちゃうん?

そもそも論になるけれども、やっぱそこはちゃんと描いてもらわな、なんか納得がいかん。

Wikipediaで信長の項を見ても、そのあたり、厳しい人であったとするのと、温厚であったとするのとがあって、判然としない。
もちろん両方あったのだろう、たとえば権力に対しては厳しく、部下に対しては温厚であった、というような違いがあったんちゃう?とも思うけれども、映画ではそんなに分かりやすい理由にはなってない。

例えば明智光秀に何かおかしな行動があると信長が思って、光秀に対してとりわけ厳しく対応していたとすると、そういうこともあるかもやけど、そうすると信長は光秀をマークしていて、謀反を起こすようだとすぐに気づいたとするしかない。

・・・・いや、この映画ではそれを否定するためか、謀反が為されたらそれまでと思って潔く死んでまう信長が描かれとるけれども、司令官たるもの、自分が死んだら世界の発展は何百年と遅れると覚悟しとるはずやし、この映画のように、潔く死ぬなんてことを信長は思わんかったと考える。

そのあたりはやはり、この映画は史実に則ってないんちゃうかと想像する。
いや死ぬときの心境はワカランとも思うけれども。

Wikipediaで調べたら、「人間五十年、下天の内を較ぶれば、夢幻の如く也。一度生を稟け、滅せぬ物の有る可き乎。」というのを、光秀の謀反の際、死に際して舞った事実はなくて、生前にもともとコレをよく舞っていたという事実しかないっぽいなあ。
まあ映画でも、それを舞うところは出てきてないけど。

やっぱそういうところ、信長とか光秀をどう整理するかは、もう少し掘り下げて欲しかったかな。

てか調べたらこの映画は、もともと万城目学が脚本をすることになっていたけれども、トラブルで降りたとか。
それで、ストーリーが大幅に改変になったとか。

そういうウラがあるならば、このイマイチ不透明なストーリーもわからなくはないけど、もっとストーリーがワカラン映画だってあるし、脚本家の変更がどこまで響いたのか、正直ワカラン。

てかこの映画の監督は、鈴木雅之で、あんま有名ちゃうけど、私は1999年のGTOで初監督したことを覚えとる。
さらに調べたら映画は今作で6本目なんやな。

まあサラリーマン監督で、自分が描きたいモノがあるカンジはせんけど。

そういやこの映画のストーリーがそもそも、自分が表現したいモノを見つけるということになっとるけれども、なんか信長の描き方が腑に落ちんから、あんま説得力がない。

信長よりも、光秀の迫真の演技のほうが気になったけど、光秀役は髙嶋政宏なんか。
なんかイメージ以上に太っていてゼンゼン気が付かんかった。

あと、風間杜夫もなんかヨウワカランよなあ。
なんかイマイチ立場がワカラン。
私は風間杜夫というと未だに教官というイメージがある。

それと、この映画はホリプロも製作に加わっとるんやな。

今回は、AKBの福岡聖菜ちゃんが観たと言うとるから、試しに観てみた。

映画的にそんなに観るところはないかなあ、とも思うけれども、それでも俳優は、コレに出て、大規模なセットの中で演技をする、と考えたら、震える思いがするやろ。

けど、震える思いをリアルに実感して、いやコレならば自分でも演じられる、そう、ヒトの映画や舞台などを観た後で思えて、自分ならばもっと上手くできると思える生意気な人間が、前に出ていける。

ヒトの映画や舞台などを観て、勉強になったというだけでなくて、まあ外に出したらマズイものもあるやろけど、コレならば自分のほうがもっと上手くできる、と思えるような想像をして欲しいと思う。

2017年1月14日 (土)

もう何回目かの”君の名は。”やったけど、改めていろいろと思った。

いっちゃん思ったのは、けっきょく”片割れ時”になるまで、三葉は瀧との入れ替わりの全体像を知ろうとしてなくて、瀧だけが全体像を追いかけとるねん。

そこが、三葉というか、女の子が、自分が生きられるために、まだ会ったこともないのに、人生をかけてくれるオトコがいる、というところが、女の子のココロを掴んだ、最大のヒット要因やと思う。

それは、以前挙げたけど、瀧がお互いの名前を憶えておこうとして書いた言葉 ”すきだ” にも、端的に現れとる。

やっぱ人間、学問とか言葉とか、仕組みとか、そういう外からのモノではココロは動かん。

アレが現実に”たき”と書いていたとしても、三葉はコケた後にもっぺん走り出そうとは思えんかったと思う。
というのも、”たき”という名前は知れても、瀧の思いには至らんかったと思うから。

瀧の思いに触れたからこそ、三葉は、自分のためだけではなくて、瀧が助けようとした糸守町の人々全員を救い出そうとして、行動をしたんや。



そうは言いつつ、髪を切る前に泣いてもた描写もあったけど、アレは、自分は瀧のことが好きやのに、現実の瀧は奥寺先輩と一緒になってしまうのか・・・・と思うと切なくなった、という涙やろなあ。

だから、その後でやっぱ決意して、東京に出て瀧を探し出したんや。
けど瀧は何故か知らんふりをした。
あのカンジやと、心理描写までは描かれてはないけど、三葉は自分が振られたと思うたんやろなあ。
(但し瀧はまだこのとき中学生で、制服が違うところは描かれとるけど、三葉はそこまでは理解してないことになっとる。
てか3年ぶん若いことを理解せんかったとは、リアルでは思いづらいけど、そこはアニメで曖昧にしとるところかもなあ)

アニメーション的にいうと、いまさらやけど、神前の舞踊、アレだけが、実写の動きをアニメにトレースしとったよなあ。

というのも、フツーアニメで2人の登場人物がいれば、同じセル(いまはそうは言わんのか。動画と言うたらええのか。)の上で描くんやから、動きも完全にシンクロしてまうねん。

けど、この動きは2人の動きが微妙にズレとった。
時間的にタイムラグがあるとかではなくて、2人の動きが違うかった。

だから、リアルに2人を演じたヒトが2人いて、その人々の動きをアニメでトレースしたと思うよなあ。

しかし、そうしても、なんでカンタンに修正できるいま、ヒトが走るとかいう単純な動きが、ヒョコヒョコとした動きになってまうねん?

たとえば、走る動きだって、右手を出してひっこめて左手を出してひっこめて・・・、脚はその逆で、左足を出してひっこめて右足を出してひっこめて・・・、の繰り返しを1回分ちゃんと描いたら、あとはそれを繰り返し再生しとったらええだけやん。

なんでそんな動きを誰も描けんのかフシギで仕方ない。

てか私はまた昔のハナシを書いてまうけど、1997年くらいかな、”母をたずねて三千里”のレーザーディスクを、7万円くらいの大金をはたいて買って(いま考えるとガチで大金やなあw)、1話で、マルコの走り方がなんか、フツーのアニメみたいにヒョコヒョコ走ってなくて、ちゃんと力強く走っていてすごいと思って、コレを描いたアニメーター誰かなあと思ってクレジットを見たら、宮崎駿とあった。

けど、ジブリの公式サイトの、宮崎駿の経歴には、”母をたずねて三千里”の1話の原画をしたことは書いてなかった。

いやそれは書いとかなマズイやろ!と、ジブリにめちゃくちゃ苦情のメールを書いたら(いやだって世界の宮崎駿なんやから、それくらいちゃんとしろよ)、逆にサイトに「この記載の正確性は保証しません」とかいう旨の注釈をつけてきやがった。

ジブリもしょせんはその程度かよ、と思った。

宮崎駿というと、私が明石映画サークルの岡本好和と一緒に行ったときに、宮崎駿と一緒に話す機会があって、やっぱうれしいやん。

けど宮崎駿は私に関しては全く意に介さんかったみたいで、せっかく記念写真を撮ってもどっか違うとこを向いとってん。

コイツは人間としてクズと思った。

宮崎駿自身、「石原慎太郎に会ったけどアイツクズ!」とか言うとったけど、目糞鼻糞を笑うというヤツやなあ。

私宮崎駿は、アニメーターとしては尊敬するけれども、人間としては全く尊敬してない。
アニメーションの発展にさほど寄与してないんやから。

いや、世界の多くのクリエイターは、宮崎駿の名前を出しとるのは事実や。

けどそれは、宮崎駿がかつて毛沢東を崇拝したのと同じように、世界のホンマの趨勢からすると違うんちゃうの?

宮崎駿は戦術は残したけれども、戦略を残せるほどの大志は抱いてなかったと思うなあ。

だからどこかで、政治的なことを問われて、「僕は文化人だから」としれっと逃げのコメントをしたんや。

いまガチで生きようとしたら、政治は避けて通れんよ。


まあ、それはどうでもいい。

RADWIMPSの曲、歌声で、おかしいと思うものはない。
やっぱさすがに売れた映画やから、音楽もちゃんとしとると思う。
それにしてもASKAにも負けんくらい高い歌声やなあ。
私もけっこう高音のほうやけど、私が歌っても裏声になるかもと思う。

めっちゃどうでもええかもやけど、瀧が乗るのはN700系(またはN700A。但し座席の向きは怪しい)で、三葉が乗るのは700系やなあ。
三葉の座席のモケットは見るの忘れたけど、ナントナク700系と思うし、少なくとも降りた後の車体は700系やった。

その後で三葉が乗っとる通勤電車の座席のモケットがE235系のもので、2013年時点であり得んとは思うんやけど、ほかにもシチュエーションなどいろいろとウソがあると思うし、そこだけ取り上げてもなあ。

あと新幹線から見る外の景色が、3DCGになっとって、いまはそうなんかと思うた。

ジブリの作品からだって、列車からの景色というと、魔女の宅急便くらいになってまうのかもやけど、いや千と千尋でもあったか、背景動画になってまうんやなあ。

まあ背景動画になる、というのが、宮崎駿の飛ぶ・・・・、いや正確には飛んだ自分が見るシーンの醍醐味であったともいえるけど、それを3DCGで難なく表現されて、宮崎駿は立つ瀬がなくなったともいえるかもなあ。

こんだけ私は宮崎駿をコテンパンに書いていてさえも、飛んだ自分のイメージを、3DCGの冷静な画像ではなくて、自分は空を飛びたいんだ!こんな景色が見たかったんだ!という意思として描くことは、やっぱ可能やし、アニメーターは3DCGに負けてまうのではなくて、そんな表現をイメージとして描いて欲しい。

ASKAだって、誤った道かもワカランけれども、違う意味で飛んでもたんやし、いま酒やタバコ、ギャンブルをたしなんでいる人々も、いつそれらが違法とされる世の中が来るかワカラン。(まあどれも政府が儲ける手段になっとるからないとは思うけど)

3DCGが伝えられるのは、あくまでも冷静な、定点的な画像やねん。たとえ動いているとしても、加速度ゼロで定速で動いているとかやろ。

そうではなくて、リアルに動的に、自分の気分も動的にイメージできたら、それはすごいと思う。

いま”VR”とかいわれとるけど、たぶん、外から来るモノがどうなるかを表示するだけで、自分の意思は表示できんと思う。

・・・・まあ、”VR”でそれを表示できるようになってさえ、そんな外からのモノに対して人間が受け身になっていいわけではないけどな。

2016年12月 9日 (金)

たぶん5度目くらいの”君の名は。”鑑賞をしてきた。からの、いろいろ考えたこと

14日のTOHOの日にでも、と思ったけれども、14日は公演もあるし、ある意味ふと今日行ってきた。

久々に観るから逆に新鮮やったけど、やっぱさすがに睡魔があって、クリアには観れんかった。
新作じゃないとキツいかな。

そこで、改めて思ったのは、三葉も瀧も、ようは2人とも引っ込み思案な性格で、異性に対して積極的になれん、イマドキの草食系やねん。

けどそれが、入れ替わった相手の立場で、友達とどう接するか?を地でやったら、それぞれにデートができたり告白されたりと、上手く行っとる。

元に戻った、友達関係もそれなりに進展しとるし。
だからこそそれぞれに友達を連れて、それぞれ2通りの冒険が成り立っとるんやな。

私がつねづね言うとることでもある。

自分のことを考えるのは難しい。悩んでまう。

けれども、相手のことを考える、これは難しくない。
だから、友達をつくって、お互いに相手のことを考え合ったらええねん。

あと、糸守に組紐が伝わったの、彗星の流れるさまが組紐の描写に繋がっとったけど、彗星の流れるさまを、目で見てもそうやし、歴史的に時代を繋げてきたという意味でも、組紐(結び)という文化は重要やったんちゃうか。

おばあちゃん(一葉)がことさらに”結び”について言うとるのは、そんなことが内的なイメージにあったんちゃうかと思う。

しかしそれにしても、そんな運命の片割れが、それぞれ東京と飛騨に住んでいるっていうのは、ビミョーかなあ。

イマドキの草食系の男女に対して、目の前の好きなヒトに向かって、さあ!というような主張を、ホンマはしたいとこなんやけど、それが東京と飛騨では難しい。

とくに女の子なんか、「近くのヒトではなくて、遠くに運命の王子様がいるのだろう」とか思うてまうんちゃうか?

そこの、観客の側が持つはずのギャップまでは吸収できてないんちゃう?

それを考えると、夢で入れ替わったのは実は幼馴染だった、みたいなほうがええかもやけどなあ。

そこまで考えたら、たとえば瀧も先祖は糸守出身だったことにしたらええのか。
けどそれでは、糸守に隕石が落ちた事件を、瀧が知らんはずはなくなるしなあ。

ヒトを説得する、というのと、恋愛と、実はほとんど違わない。

言い換えたら、恋愛上手の者がする説得には具体性があるけど、恋愛したことがない者の説得は抽象的理屈的で、ようは前者が上手で後者はヘタクソといえる。

活動家には一人身の者が多くて、それ自体は悪いことではないけど、恋愛の想像ができないところはマズいかなあ・・・ それよりも運動だ!とか言っている人々が結婚している場合もあるけど、理念で共闘できたから結婚するという単純なものではなくて、本気でお互いに恋に落ちた実感があるかどうか、というのは大事と思う。

まあ、それはええか。

あと、前にも指摘したかもやけど、ドアが閉まる描写って必要なんかなあ?

なんか意識的に描いてあったけど、私はウザいと思った。

あと、隕石が落ちるときの”ガーン”(みたいな)音、アレ必要?
いや、必要としても、なんかあの音は違う気がする。

ラストで、画面の真ん中に”君の名は。your name.”って出て来るのもなんかあざとらしくて、私の感覚とは違うと思った。

”千と千尋の神隠し”以外のすべての作品を上回る興行成績らしいけど、当然のようにこうしたほうがよかった、というところはある。

人物の走る描写とかヘナヘナやと思うし。

そういえば、作画監督の安藤雅司ってジブリでけっこうな地位やったなあと思って検索したら

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E9%9B%85%E5%8F%B8

”耳をすませば”ではなくて、併映の”On Your Mark”ではじめて作画監督になって、・・・・先日ASKAがまた覚せい剤使ったとかで再逮捕さたけど・・・・

私がなんで名前覚えとるかというと、”近藤喜文の仕事 動画で表現できること (スタジオジブリ) 責任編集:安藤雅司”という本を作ったからやな。

https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%84%E6%96%87%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%81%A7%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%84%E6%96%87/dp/B00Q9U2Q6G

コレ、近藤喜文さんが亡くなって、安藤雅司さんが責任持ってジブリが自費出版したんかな?
ISBNコードもなくて、書店にも出回ってないけど、私は通販で買った。

流山の家にそのままにして、私はドイツに亡命してそれっきりやから、どこにいったかワカランけど。

大西弘子信用にならんと思って、いっちゃん重要なもの


Mimi

は伊達娘にあげたけど、いまになって考えたら正解やなあ。

冊数出とる本は、少々高くなっていても、カネさえ出せば買えるからなあ。

こう書いたら、私も”君の名は。”と全く関係ないわけでもないように思えてくるよなあ。

しかし改めて考えると、”君の名は。”は、空前のブームになった”もののけ姫”さえをも超えたんやな。

現代人のココロをよく捉えたというしかない。

たとえば、瀧が就職に悩むところなんか、映画”何者”ともオーバーラップするけれども、コレはコレで若者のリアルやねん。

企業にどうやって入社して、さらにそこでどうやって媚びて、どうやって人生を、結婚して、家族をつくって、それなりに生きてくか?

それが若者のリアルな悩みやねん。

そこに繋げたからこそ、これだけヒットしたともいえるやろ。

私は、権力者に媚びてくだけでは、子孫の代がどんどん酷い生活になるだけやと言って、敢然と立ち向かっている。

私はきっと、そのへんの活動家よりも何倍も信念が強いと思う。
信念が強いのを知っているからこそ、権力は私を怖れている。

権力は私を怖れているけれども、味方のほうがまだまだ私を怖れてない。

「君達には分からないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」

というのは、スッラの言葉か。検索したらこういう経緯やな。


http://worldbiography.blog62.fc2.com/blog-entry-27.html

その処罰者名簿には若き日のガイウス・ユリウス・カエサルの名も連ねられていたが、周辺から助命の嘆願が相次ぎ、処罰者名簿からしぶしぶ外した。その時はスッラは周辺に「君達には分からないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」と言ったと伝えられる。カエサルの非凡さを最初に見抜いたのは皮肉にも政敵スッラだったのである。カエサルには民衆派指導者だったキンナの娘との離婚を条件に処罰対象から外す旨の条件が示されるが、カエサルはこれを拒否、小アジアへ逃亡する。

”民衆派指導者だったキンナの娘”と結婚していたカエサルは、その離婚を拒否した、その事実は、カエサルはすなわち民衆派やったんや。

そして、共産主義という言葉ができる以前であるとしても、民衆派であったということは、それはすなわち我々がいう共産主義となんも変わらんハズや。

あるとき誰かが発明したからといって、それ以後そいつの言うとることだけが正しいのではなくて、その発明者が発見できんかったことを、昔のヒトが発見しとることが往々にしてある。

ある学説を前の学説が覆す、というのは、人類史を均して見たとき、往々にして起こり得るハズやけど、どうも人類の大勢はそれが理解できず、近視眼的に、新しいもののほうが正しいとついつい思うてもとる。

なんかだいぶハナシが脱線したけど、新海誠がスッと宮崎駿に並べたのも、宮崎駿がさほど描こうとしなかった、現代の若者をスッと描いたところが大きいと思う。

そういう意味では、個人的に、熊徹はまるで私と思っている”バケモノの子”における細田守も、現代の若者への肉薄という意味ではちょっと劣っていたのかなあ。

私がもし作品を作るとすると、こだわるつもりはないけど、せっかくなのでアイドルのリアル、アイドルになりたい子のリアル、みたいなものにするかなあ。

けど、それだけやと地味やし、地味でも”がんばっていきまっしょい”みたいな佳作はできるけど、完全創作でひねりを加えたいなあ。

”君の名は。”も”バケモノの子”も、私の想像を超えるストーリー展開やったんやし、それを超えるにはどうするかなあ。

まあ、あんま考えずに、シンプルな物語にして、あとは俳優に考えてもらう、と開き直って、”がんばっていきまっしょい”レベルの脚本のほうがいいか。

てか、AKBがこんだけ隆盛やし、”がんばっていきまっしょい”もモー娘。の掛け声になったくらい知れ渡っとるのに、
”がんばっていきまっしょい”をアイドルに舞台でさせる!という企画は出てきてないねんな。

2016年12月 1日 (木)

【ネタバレ】"疾風ロンド"観た。大コケと聞いてはいるけど、俳優上手いし中学生のストーリーもできているし、コレは素直に言える佳作や。

"君の名は。""この世界の片隅に"みたいに、どうしても肩ひじ張って観てまう映画は採点厳しくなってまうけど、逆に肩ひじ張らずに観て採点甘くなる場合もある。

特に若手とか無名とかやと、頑張って欲しいと思ったりする。

監督の吉田照幸さんは2作目らしいし、こういう映画を作ればいいと思う。

しかしコレでコケるとすると、売り方、宣伝のしかたが悪いんちゃう?

てか"あまちゃん"の演出家でもあるのか。

ホンマは、"あまちゃん"の演出家待望作!みたいに売ったら良かったのに、能年玲奈を出さん締め出しの方針のとばっちり食うたんかなあ。

いや、能年玲奈が悪いのではなくて、社会が悪いんやけど。

そういう意味では、今日能年玲奈(のん)がヒロインの"この世界の片隅に"と対で観たのも、偶然でない気もするなあ。

まず優子は、"ロマンス"でも褒めたけど、アイドルとしてではなく女優として演技できとった。

まあヒロイン役をするにはちょっとトシ行き過ぎな感じもするから、そのへんの方向性はあるやろけど、今後三十路、30代のキャリアウーマン、とか、逆にそこから脱落してもがく女性を演じるとか、考えたら役なんていくらでもあるんやから、いろんな役に挑戦して欲しい。

私も原作知らんかったから、阿部寛が雪原で炭疽菌を探し求める、というくらいしか知らんかったけど、ゲレンデで中学生が淡い恋をして、女の子を思うココロの上で、「オヤジ、悪いことを隠すなよ」というカンジで言うとるのが、とてもいいカンジがした。

長野の男の子兄弟が、最後、「育美はオマエに気があるんだよ」とお互いに言っていて、それを東京に帰る、阿部寛の子が寂しそうに見とるのが印象的やった。

男の子兄弟の弟は、炭疽菌を使って同級生を殺そうと思っていたのに、阿部寛の子は、親に向かって、人殺しの菌を作ろうとしていたことを、ちゃんと世間に対して詫びるべき、と言って、阿部寛も研究所長を裏切って、事実を発表しようとした。

その男の子の強さを、女の子もちゃんと理解していると思うし、これから2人は恋人にはならんかもやけれども、その絆は永遠のものと思いたい。


吉田照幸さんは、こんな内容を映画にするんやから、ホンマは能年玲奈を起用すべきところできてない、という無念さがあって当然と思う。

それを、今回は娯楽作として描いてもたけど、その奥には、能年玲奈をまた使いたい!という意思として、ずっとココロに持ち続けて、できたら主張としても表現して欲しい。

誤解すんな。"宣伝という意味では、伊達娘のほうがいいと思う。"というのは、私が主体ではなくて、伊達娘のほうが八方手を尽くして宣伝しとるということ。そこからつらつらと。

そんなコメントがあったから、念のために書いとく。

私はべつに、接するという意味では、誰も差別する気はないけど、そりゃさまざまなことに対してヤル気があったり、あと私のことが好きやったりするのには、応えたいと思うとる。


そらフツー、こんだけ頑張って応援するんやから、私がAKB内で好かれてもおかしくないやろ。


自慢ちゃうけど、中核派内でもけっこう人気なんやぞ。
ホンマは権力に隙を与えてまうから、ブログも書かないということで本来は意思統一しとるとこなんやけど、そんな関係があることもあり、暗黙の了解みたいなトコある。

私のこれだけの主張を、討論できる場が用意できてない、という理由もある。

加えて、中核派に入っても、新興宗教とか、他の共産主義者らが陥った、言論統制にはならんということを、ちゃんと示したくて、敢えて書いとるとこもある。

そうして、国家権力が敢えて分断を作り出しているところに、自分らも乗っかってしまっているところがあって、やっぱそれを超えて、
「中核派でなんか悪いか!?」
ってヒト前で堂々としとれるヒトが、一人でも増えること、そんな連鎖が、リアルな革命であるとも思うし。


さて、「この世界の片隅に」再度観てきた。

丁寧に描いとるし、とりわけ背景がいい感じの絵になっていて、いいと思った。

すずさんは流産してもたん?想像妊娠?
そこは描いてないよなあ。

あと、ゆかるんにイメージ繋がるけど、ユーカリの木って、広島とか、フツーの家に植えてあったの?
コアラ育てるわけでもないのに?
また調べよう。

あと製作スタッフに"岩田圭介"ってあって、確か伊達娘のお父さんと同じ名前やけど、単に同姓同名やんなあ?


つけ麺 弐☆゛屋 (にぼしや) 
https://tabelog.com/saitama/A1101/A110103/11022056/


についてコメントあって、まずまず美味しそうやから、ゆかるんに関係あろうがなかろうが、どっちでもいいと思って来た。

2016年11月20日 (日)

”この世界の片隅に”がクラウドファンディングで作られたらしいけど、クラウドファンディングという仕組み自体はなんだかなあ・・・ いや、クラウドファンディングの発想を、リアルに持ち込めばいいのか。「安倍晋三の日本政府を打倒しましょう!そのための資金を調達します!」ってやったらどうなるか?

コレ

この世界の片隅に

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%AB

アニメ映画[編集]

同名の劇場アニメが、2016年11月12日に公開された[2]。片渕須直が監督・脚本を務める。
片渕自身がこの作品のアニメーション映画を企画し、こうのに許諾を請う手紙と自作『マイマイ新子と千年の魔法』のDVDを送った。こうのは1996年に放送された片渕のテレビアニメ『名犬ラッシー』にあこがれ、「こういう人になりたい、こういうものが作りたいと思う前途にともる灯」として捉えていたため、この手紙を喜び枕の下にしいて寝たという[3][4]。
2012年8月17日にtwitterにて制作発表、翌日より第一弾ポスターが広島県・山口県を中心に展開された[5]。アニメーション制作はMAPPA。ポスターの作画は浦谷千恵。制作状況は、監督によってWEBアニメスタイルのコラムで連載[6][7]されている。
2015年3月9日からはクラウドファンディングサイトMakuakeで2000万円を目標に[8]資金調達[9]が開始され、2015年3月18日午前2時50分に達成。集めた資金はスタッフの確保やパイロットフィルムの制作などに使われる予定と記載されている。最終的に5月29日までの延べ82日間で3622万4000円を調達し、支援者は3374人となった。支援者数は国内クラウドファンディングの過去最高人数で、支援金額も映画部門では国内最高記録[10]。これを受けて2015年6月3日に製作委員会が発足し映画制作が正式に決定。配給は東京テアトル。

クラウドファンディングに賛同してくれた人々を否定するつもりはないけれども、ホンマは、インターネットがない時代まで戻れば、労働組合があって、そこで賛同を募って・・・というカタチになる気がする。

・・・・いや、発想を転換して、クラウドファンディングのカタチを取って、正々堂々と「安倍晋三の日本政府を打倒しましょう!そのための資金を調達します!」ってやったらええんちゃうかなあ?

そして、正々堂々と募集して、正々堂々とどこかで有志の集会をするぞと書き込んだら、公安もあまりにも正面突破過ぎてなにもできんやろ。

正面突破過ぎるから、報道陣も隠蔽工作できんやろし。

仮に公安とか機動隊とかが出てきても、ツイートとかツイキャスとかか?で、リアルに人々が報道してまうしなあ。

技術が既に、権力の手中の範疇を超えとるんやから、権力の手中の範疇を超えとる技術を先に、労働者のチカラで、どのように利用できるか?を考えて、権力者よりも先を取ることは可能や。

権力者がやることに対して、守勢に回るだけが労働運動ではない。

【ネタばれ】現実を描いてはいるが現代に活きるかは疑問

字数制限で、タイトルに書ききれヒロシマの現実を描いてはいるが、現代に活きるかは疑問と思う。

呉に住むすずを中心として、結論的にはヒロシマの現実を描いてはいる。

原爆投下ですずの母親が亡くなった、というのもいい。
すごくリアルに受け止める。

けれども、3.11以降、いまの日本で起こっているのは、フクシマの事故の隠蔽による、放射能汚染の国家的隠蔽である。

そうすると、いくら3.11以前に描かれた原作であっても、3.11以降の事実も踏まえて検討すべきだったのではないか?

そう考えると、フクシマの事故でリアルに放射能汚染が起きて、そこで人々に起こるはずの事象について言及できず、あくまで”ピカ”による瞬間的な問題かのように、或いは呉の生活のように、本当に戦時中になってしまったときに人々がどうしたか?の問題にされてしまったところが、決定的に弱い。

この題材で、現状を踏まえれば、

1.ヒロシマの原爆の後遺症なり風説に、人々はどう悩み、どう耐えてきたか?(それはフクシマと繋がる)

2.太平洋戦争が起こる前に、人々はどう感じどう戦争情勢を回避しようと試みたか?(それはいまの戦争の抑止力となる)

この2つの、1つでも描けたと思うのであるが、残念ながらどちらも描いてはいない。

とはいえ、原爆を投下された人間がどうなるか?をリアルに描いたのはいいと思うし、すずが爆撃で右手損傷という障害を負ったことも、障害・・・・当然のように、フクシマの隠蔽の後に、さらには築地豊洲移転問題の後に、いつか噴き出す運命にある・・・・をリアルに描いたのもいいと思う。

あとそこで、いま問題を抱えている、のん=能年玲奈を用いたのは、正直どうだったのかと思ってしまう。

声優としては、さして上手くないと思う。

けれども、権力に反抗する、という態度で用いたとすると、それは正解だと思う。

けれどもさらに考えると、権力の側が、のん=能年玲奈を外す、という理屈で、この映画の宣伝を統制できてしまったのは、マイナスポイントだったのではないか?

私なんか、アキブータンをおだてて(ブタもおだてりゃ木に登るというし)、AKBでいまをときめくメンバーに声をアテさせたほうがよかったと思う。

けれどもそれはイヤミではなくて、一面ではAKBとしてどうしても宣伝せねばならないのだけれども、それでも中には田野のように、ちゃんと表現力を身に付けているメンバーもいる、と主張できる、そんな感じにできたらさらに良かったと思う。

あと、本来もっと動いていていい絵をわざと止めとったよね?

アレは、クラウドファンディングの弱さか、それとも”太陽の王子 ホルスの大冒険”に対するオマージュ(アテツケともいえるけど・・・)かの、どっちやねん?
どっちもかもやけど。

すずと周作が幼少期に会う、人さらいの熊の描写は、”バケモノの子”の熊徹のオマージュやなあ。

けど、私オマージュって嫌いやねん。
ボクその映画知ってます感が、なんか鼻につく。

誰かのモノマネなんて必要ない。

けれども、映画だけでも120年以上、世界でたくさんの作品が作られてきたんやから、自分の発想に似た作品が出てきていてもなんらおかしくはないけどなあ。

http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%AB/348641/review/%E7%8F%BE%E5%AE%9F%E3%82%92%E6%8F%8F%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AF%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8C%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AB%E6%B4%BB%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%8B%E3%81%AF%E7%96%91%E5%95%8F/1826/?c=1&sort=lrf

2016年11月19日 (土)

「この世界の片隅に」に関して、1個訂正。ヒロシマについても言及しとった。てかそれが主題なんやな。だからせいちゃんの記載は間違ってなくて、私が間違っていた。

「この世界の片隅に」を観に行こうとして、あらすじを調べたら

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E7%89%87%E9%9A%85%E3%81%AB

原爆に関する内容なんやな。

私は、「この世界の片隅に」の掲載時に、原作者のこうの史代さんは、戦争自体よりも、戦争の背景を記したいから、具体的な戦争の惨禍は描かないだろうと主張して、呉の爆撃のその日をどう描くか、みたいに近視眼的に見ている人々をめっちゃ醒めた目で見ていて、そのときに、ああこのファンの人々と分かり合えることはないなあと思って、それ以来読んでなかった。

だから、結末も知らんかった。

宮崎駿が、映画を観るのを途中でやめて、結末を勝手に想像しとるのと、たいして変わらんよなあ。

だからといって、こうの史代さんが原爆を描いたことはダメとは言えん。

やっぱそんだけ、リアルに人々がどう感じたかを描きたいのは当然やし、それは自分がヒロシマ出身でヒロシマの人々の思いを知っているからこそやるべき、とこうの史代さんは思うたんやろなあ。

まだ観てない状態で書くけど、リアルに被曝する描写は「はだしのゲン」とかにあるけど、そうするとどうしても日本人の記憶として、”ピカ”という記号、レッテルになってまう。

その”ピカ”ではなくて、被曝のリアルな実態を描いたという意味で、「この世界の片隅に」は必要やし、いまそれを描くのは、フクシマ問題も絡めて必要やわなあ。

その関係でいうと、A2-B-Cとも繋がる。

http://www.a2-b-c.com/

「この世界の片隅に」に関して、まったく報道されんというのは、表向きは、能年玲奈=のんが主人公になったことに対する広告代理店の圧力、やろけど、実際は、フクシマが置かれている問題をリアルに描いたから、政府からの圧力やろなあ。

そう思って、”この世界の片隅に”→”片渕須直”を検索したら、そういや片渕須直って”花は咲く”のアニメバージョンを作っとったよなあ。

”花は咲く”に関して、伊達娘がまだ中学1年か2年のときにソロで歌っているけれども、その歌詞がおかしいとめちゃくちゃ糾弾したこともあったなあ。

それは、ブログでも主張してきたけれども、どっかで改めて主張しよう。(と画面コピーを保存した)

2016年11月14日 (月)

【ネタバレあり 映画「何者」批評】 現代人の実像を描いているが、気分は晴れない

現代人の、たとえ100点満点で10点であろうとも、リアルになにかものごとを作り出すことを怖がり、逆に他人に対しては平気でこき下して、自分のほうが上と主張しまくっている、とりわけtwitterや2ちゃんねるに顕著な実像に触れられた。

たぶん私のことも、2ちゃんねる等々で有名になって、たまにネットニュースになって炎上したりしているので、参考にされているのではないか?と思ってしまう。

改めて思うに、ヒトに対して、たとえばなにかの主義・主張を書くときに、100点の書き方をしても10人しか理解してくれないならば、それは広まらない。
けれども、10点でいいから(おばちゃんの話題になるような軽い話でいいから)、100人に理解してもらったほうが、それだけ理解しやすいのだから、ウワサにもなって、伝播しやすいと考える。

それを何度も何度も繰り返せば、強力なメディアツールになれるはずである。

あらゆる主義・主張が、100点の書き方をして10人しか理解しない、いや1人さえも理解しないような・・・いや自分さえ、実は理解できていないような、難解なものに陥っているのは、いろんな意味で問題である。

やはり、10点でいいからおばちゃんのウワサになる、そんなことから伝えていけばいいと考える。
私は自慢ではないけど、おばちゃんのウワサになるのは得意だし。

ちなみに、演劇の要素が多分に入れてあったのは面白かった。
たとえ貧乏でも、表現を探求し続ける人々を、できるだけ応援したいと考える。

そう思って調べたら、監督の三浦大輔さんは・・・・あれ?ハマの番長?と思ったら、同姓同名の別人らしい。
劇団「ポツドール」主宰とかで、だから演劇の要素が多いのか。

気分が晴れないのは、なにかを生み出せない自分という切り口よりも、なにかを生み出す自分という切り口で描いて欲しかったと思うところである。

成功物語で終わるのも、必ずしも良くはないけれども、これもまた、低い点であっても伝播するという意味では、成功する者からの視点が欲しいと思ったからである。

演劇の要素を多めに取り入れているのだから、もう少し拓人が目覚めてさらにもう一歩踏み出すところがあったほうが、私も気分が良かったし、観客の評価も良くなり、もう少し話題にしてもらえたと思う。

そこを考えて、5点満点の4点とする。

あと私が1分面接を受けるとすると、もっとひねって違うことをすると考えた。

「私は人を観察し説明する能力があります。たとえば(面接官の)あなたは、こんな良いところがありますね。(別の面接官の)あなたは、こんな良いところがありますね。(さらに別の面接官の)あなたは、こんな良いところがありますね。この能力を貴社での事業に活かしたいです。」

と言ったらどうだろう。
もうそれだけで、瞬時の機転が利くという能力を示せて、興味を持ってくれる企業が必ずあると考える。

それはたとえば占い師みたいだけれども、やはり企業は占い師みたいに話術を持っている者を、基本的には採用したいと考えると思うし。

http://movies.yahoo.co.jp/movie/%E4%BD%95%E8%80%85/356332/review/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%83%8F%E3%82%92%E6%8F%8F%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%8C%E6%B0%97%E5%88%86%E3%81%AF%E6%99%B4%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84/3118/?c=1&sort=lrf

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