ジブリ

2017年3月10日 (金)

伊達娘がツイートしとる”ICE MONSTER”ってたぶん”冰館”のことやろと思うて検索したらそうやった。

https://twitter.com/karen0513_/status/840127946698379264

母が前から「東京で一度おいしいかき氷が食べたい」と言っていたので…
叶えてきました😇笑

今から稽古です!行ってきます💪🏻( ◠‿◠ )

#icemonster


この”ICE MONSTER”って、台北の”冰館”(ピングァンと読んだ)が使うとったなあ、と思って、”ピングァン”で検索したら、あった。

http://www.taipeinavi.com/food/776/

http://ice-monster.co.jp/

”冰館”が移転して”ICE MONSTER”に生まれ変わり、台湾だけでなく日本や北京にも出店しとるんやな。

私の記憶では、冰館は、小籠包で有名な鼎泰豊の台北の本店からちょこっと南側に行った裏手みたいなところにあったと思う。

小籠包も、わざわざ鼎泰豊に行くよりも、地元で美味しい店を見つけるほうがおいしいよなあ。


そういえばゆかるんはAKB観光大使で一昨日宇都宮の餃子店に行っとるけど、私も元旦とかその1週間後とか、2回宇都宮の餃子店に行ったなあ。

https://akbp48.com/archive/member/%E4%BD%90%E3%80%85%E6%9C%A8%E5%84%AA%E4%BD%B3%E9%87%8C


まあ私が行った店じゃないカンジやけど。

餃子のもっちり具合から見て、チェーンの宇都宮餃子館ではないと思う。

http://www.gyozakan.jp/contents/shop/center/


2回目に行ったお店も、あんな感じじゃなかったしなあ。

なっつんがE2系に乗っとったのも、このロケなんやな。
てかすさまじく貧乏な私から見ると、宇都宮に行くのに新幹線使うなんてもったいないと思うてまう。


伊達娘は原宿の店に母親を連れて行っとるけど、私ももう丁度10年前、博昭と弘子を連れて臺灣まで行って、鼎泰豊も冰館も行ったと記憶しとる。

私ひとりやともっとディープなとこに行くんやけど。


伊達娘のコメントで、今日もう一個興味持ったのはコレ。

https://twitter.com/karen0513_/status/840054431605383168

@karen0513_ RADWIMPSさんの曲で一番好きな曲。ちなみに私がこの曲を初めて聴いて衝撃を受けたのは11歳の時。当時から舞台をやっていてこの歌詞に共感を覚えた私。我ながら捻くれた小学生だったなあと思うw


この歌詞

http://j-lyric.net/artist/a04ac97/l02459b.html


を読めば、ひねくれすぎていて、私はあんま共感するところはないけれども、似た記憶はあるし、伊達娘へのファンレターで書いたこともきっとあると思う。

私が「おもひでぽろぽろ」という、高畑勲が監督した映画はけっこう好きで、あんま「おもひでぽろぽろ」を挙げる人間はおらんやろと思うけれども、その中でもとりわけ印象に残ったシーンが、

小学5年生のタエ子が、学芸会での”村の子1”という役を受けて、それをめちゃくちゃ考えて、それでセリフを変えてみたんやけど、先生から怒られた。

フツーそれでスネたりやめたり反抗してまうものやけど、タエ子はさらに考えて、セリフは変えずに、”村の子1”が見ている、夕暮れ時のカラスを想像して、カラスに向かって手を振るしぐさまでもつけて、”村の子1”にもかかわらずそれが話題になって、日大から子役にスカウトされた、というエピソードやねん。

子供の発想力のすごさを印象付けていて、大人のほうが約束事でがんじがらめでダメというのもわかるんやけど、とにかくこういう、ダメと言われてもくじけない発想というのは大事と思う。

てかいまこんな発想をAKBの子らが持ってないのがおかしいと思うよなあ。

RADWIMPSも、「おもひでぽろぽろ」くらいは知っていて書いていると思いたいけれども、高畑勲作品ってあんまメジャーじゃないしなあ。

まあそれでも、RADWIMPSは女心をけっこう汲んでいるとも思うし。

そういえば、また古いハナシやけど、高畑勲の丁度還暦の誕生日(1995/10/29)に、なんでかびわ湖だか大津だかの映画祭があって、高畑勲はそれに呼ばれて、・・・いや、映画祭が前日か、当日に石山寺に行くと言って、私もそれにちゃっかり同行させてもらった。

その映画祭の感想を言う場で、私が「おもひでぽろぽろ」を褒めて、その後に誰か女性が、「おもひでぽろぽろ」は女性にしかわからない!って強く主張して、

「いや、ココで私がいいと言っているのにねえ・・・」って、隣のおばさんと苦笑いしたんやけど、そのおばさんが実は高畑勲の奥さんやった。

私もいろんな経験しとるよなあ。


まあこんだけ経験しとるし、たとえば明日東日本大震災から6年やけど、私は日立製作所時代に、福島第一原発に2回見学に行って、1回は建屋の上から炉心を見下ろして、ちょこっと青く光るようなのも見えたような記憶がある。

そんな経験だってできとるんやから、あと20年くらいしたら、革命くらい起こせてまうと思う。

バカなヤツらにもいっぱい会うけど、それは仕方がない。

自分が革命を起こそうと思うとったら、バカなヤツらにたくさん会って裏切られるのだって、想定の範囲内や。


そこをどう乗り越えるかがカギでもあるけどなあ。

しかし、新しい職場に移されるということは、新しいチャンスがあるということでもある。
なんでも前向きに捉えよう。

2017年2月 3日 (金)

いま、ゆかるんとひらりーに伝えたくて、改めて”なんでもないや”を聴いて、私なりに歌うてみようと何回か聴いたけれども、私って聴いたらイロイロ思うてまう。

やっぱ私ってイロイロ言うてまうよなあ。

コレ

【ジブリ】 高畑勲、米林宏昌、宮崎吾朗の作品はなぜ評価が低いのか? ©2ch.net

http://shiba.2ch.net/test/read.cgi/akb/1485948998/l50


で、AKB板でさえ議論されとって、そこでさえ私は書き込めんけど、”ゲド戦記”は傑作と思う。

”ゲド戦記”を駄作と、みんなで大宣伝したから駄作になっとるねん。

だって、”ゲド戦記”と”太陽の王子 ホルスの大冒険”を比較したら、”ゲド戦記”のほうが明らかによくできとるよなあ。

いや、もちろん、”ゲド戦記”に未完成な部分はあると思うよ。

けど、若者が未完成なモノを作るってアタリマエやし、若者でなくても、未完成なモノができて怒ったらアカンねん。

未完成かどうかではなくて、完成していてもその目指すモノがいいかダメかで判断できなアカンねん。
・・・・・と、断定していいのか迷うところもあるけど、そんな観点から見る人間がいないことを考えたら、私はその観点でいていいと思う。

”なんでもないや”って、もしかしたら書いたことがあるかもワカランけど、面白い歌詞やなあ。

”君”ってずっと言いながら、”慣れないこともたまにはいいね 特にあなたが 隣にいたら”

と、”君”を”あなた”と言うとるねん。
これは同じ人物に対してやろ。

”慣れないこともたまにはいいね”というのを受けて、敢えて”君”ではなくて”あなた”と言うとるのかもやけど、コレはけっこう設計がええなあ。

ただ、じゃあ、”いつもは喋らないあの子に今日は 放課後「また明日」と声をかけた”

というのは、”君”=”あなた”以外の、”あの子”に声をかけたのであって、”君”=”あなた”はどうしてもイライラしてまうと思うねん。

”慣れないこともたまにはいいね”って、それはすなわち浮気やろ、と、私なんか思うてまうし。

まあそんな、方程式ではワカランようなほうが、ええとは思う。

ただ、作り手は、方程式ではワカランかもやけど、自分のココロでは答えを用意しておいてほしい。

2017年1月14日 (土)

もう何回目かの”君の名は。”やったけど、改めていろいろと思った。

いっちゃん思ったのは、けっきょく”片割れ時”になるまで、三葉は瀧との入れ替わりの全体像を知ろうとしてなくて、瀧だけが全体像を追いかけとるねん。

そこが、三葉というか、女の子が、自分が生きられるために、まだ会ったこともないのに、人生をかけてくれるオトコがいる、というところが、女の子のココロを掴んだ、最大のヒット要因やと思う。

それは、以前挙げたけど、瀧がお互いの名前を憶えておこうとして書いた言葉 ”すきだ” にも、端的に現れとる。

やっぱ人間、学問とか言葉とか、仕組みとか、そういう外からのモノではココロは動かん。

アレが現実に”たき”と書いていたとしても、三葉はコケた後にもっぺん走り出そうとは思えんかったと思う。
というのも、”たき”という名前は知れても、瀧の思いには至らんかったと思うから。

瀧の思いに触れたからこそ、三葉は、自分のためだけではなくて、瀧が助けようとした糸守町の人々全員を救い出そうとして、行動をしたんや。



そうは言いつつ、髪を切る前に泣いてもた描写もあったけど、アレは、自分は瀧のことが好きやのに、現実の瀧は奥寺先輩と一緒になってしまうのか・・・・と思うと切なくなった、という涙やろなあ。

だから、その後でやっぱ決意して、東京に出て瀧を探し出したんや。
けど瀧は何故か知らんふりをした。
あのカンジやと、心理描写までは描かれてはないけど、三葉は自分が振られたと思うたんやろなあ。
(但し瀧はまだこのとき中学生で、制服が違うところは描かれとるけど、三葉はそこまでは理解してないことになっとる。
てか3年ぶん若いことを理解せんかったとは、リアルでは思いづらいけど、そこはアニメで曖昧にしとるところかもなあ)

アニメーション的にいうと、いまさらやけど、神前の舞踊、アレだけが、実写の動きをアニメにトレースしとったよなあ。

というのも、フツーアニメで2人の登場人物がいれば、同じセル(いまはそうは言わんのか。動画と言うたらええのか。)の上で描くんやから、動きも完全にシンクロしてまうねん。

けど、この動きは2人の動きが微妙にズレとった。
時間的にタイムラグがあるとかではなくて、2人の動きが違うかった。

だから、リアルに2人を演じたヒトが2人いて、その人々の動きをアニメでトレースしたと思うよなあ。

しかし、そうしても、なんでカンタンに修正できるいま、ヒトが走るとかいう単純な動きが、ヒョコヒョコとした動きになってまうねん?

たとえば、走る動きだって、右手を出してひっこめて左手を出してひっこめて・・・、脚はその逆で、左足を出してひっこめて右足を出してひっこめて・・・、の繰り返しを1回分ちゃんと描いたら、あとはそれを繰り返し再生しとったらええだけやん。

なんでそんな動きを誰も描けんのかフシギで仕方ない。

てか私はまた昔のハナシを書いてまうけど、1997年くらいかな、”母をたずねて三千里”のレーザーディスクを、7万円くらいの大金をはたいて買って(いま考えるとガチで大金やなあw)、1話で、マルコの走り方がなんか、フツーのアニメみたいにヒョコヒョコ走ってなくて、ちゃんと力強く走っていてすごいと思って、コレを描いたアニメーター誰かなあと思ってクレジットを見たら、宮崎駿とあった。

けど、ジブリの公式サイトの、宮崎駿の経歴には、”母をたずねて三千里”の1話の原画をしたことは書いてなかった。

いやそれは書いとかなマズイやろ!と、ジブリにめちゃくちゃ苦情のメールを書いたら(いやだって世界の宮崎駿なんやから、それくらいちゃんとしろよ)、逆にサイトに「この記載の正確性は保証しません」とかいう旨の注釈をつけてきやがった。

ジブリもしょせんはその程度かよ、と思った。

宮崎駿というと、私が明石映画サークルの岡本好和と一緒に行ったときに、宮崎駿と一緒に話す機会があって、やっぱうれしいやん。

けど宮崎駿は私に関しては全く意に介さんかったみたいで、せっかく記念写真を撮ってもどっか違うとこを向いとってん。

コイツは人間としてクズと思った。

宮崎駿自身、「石原慎太郎に会ったけどアイツクズ!」とか言うとったけど、目糞鼻糞を笑うというヤツやなあ。

私宮崎駿は、アニメーターとしては尊敬するけれども、人間としては全く尊敬してない。
アニメーションの発展にさほど寄与してないんやから。

いや、世界の多くのクリエイターは、宮崎駿の名前を出しとるのは事実や。

けどそれは、宮崎駿がかつて毛沢東を崇拝したのと同じように、世界のホンマの趨勢からすると違うんちゃうの?

宮崎駿は戦術は残したけれども、戦略を残せるほどの大志は抱いてなかったと思うなあ。

だからどこかで、政治的なことを問われて、「僕は文化人だから」としれっと逃げのコメントをしたんや。

いまガチで生きようとしたら、政治は避けて通れんよ。


まあ、それはどうでもいい。

RADWIMPSの曲、歌声で、おかしいと思うものはない。
やっぱさすがに売れた映画やから、音楽もちゃんとしとると思う。
それにしてもASKAにも負けんくらい高い歌声やなあ。
私もけっこう高音のほうやけど、私が歌っても裏声になるかもと思う。

めっちゃどうでもええかもやけど、瀧が乗るのはN700系(またはN700A。但し座席の向きは怪しい)で、三葉が乗るのは700系やなあ。
三葉の座席のモケットは見るの忘れたけど、ナントナク700系と思うし、少なくとも降りた後の車体は700系やった。

その後で三葉が乗っとる通勤電車の座席のモケットがE235系のもので、2013年時点であり得んとは思うんやけど、ほかにもシチュエーションなどいろいろとウソがあると思うし、そこだけ取り上げてもなあ。

あと新幹線から見る外の景色が、3DCGになっとって、いまはそうなんかと思うた。

ジブリの作品からだって、列車からの景色というと、魔女の宅急便くらいになってまうのかもやけど、いや千と千尋でもあったか、背景動画になってまうんやなあ。

まあ背景動画になる、というのが、宮崎駿の飛ぶ・・・・、いや正確には飛んだ自分が見るシーンの醍醐味であったともいえるけど、それを3DCGで難なく表現されて、宮崎駿は立つ瀬がなくなったともいえるかもなあ。

こんだけ私は宮崎駿をコテンパンに書いていてさえも、飛んだ自分のイメージを、3DCGの冷静な画像ではなくて、自分は空を飛びたいんだ!こんな景色が見たかったんだ!という意思として描くことは、やっぱ可能やし、アニメーターは3DCGに負けてまうのではなくて、そんな表現をイメージとして描いて欲しい。

ASKAだって、誤った道かもワカランけれども、違う意味で飛んでもたんやし、いま酒やタバコ、ギャンブルをたしなんでいる人々も、いつそれらが違法とされる世の中が来るかワカラン。(まあどれも政府が儲ける手段になっとるからないとは思うけど)

3DCGが伝えられるのは、あくまでも冷静な、定点的な画像やねん。たとえ動いているとしても、加速度ゼロで定速で動いているとかやろ。

そうではなくて、リアルに動的に、自分の気分も動的にイメージできたら、それはすごいと思う。

いま”VR”とかいわれとるけど、たぶん、外から来るモノがどうなるかを表示するだけで、自分の意思は表示できんと思う。

・・・・まあ、”VR”でそれを表示できるようになってさえ、そんな外からのモノに対して人間が受け身になっていいわけではないけどな。

2016年12月 9日 (金)

たぶん5度目くらいの”君の名は。”鑑賞をしてきた。からの、いろいろ考えたこと

14日のTOHOの日にでも、と思ったけれども、14日は公演もあるし、ある意味ふと今日行ってきた。

久々に観るから逆に新鮮やったけど、やっぱさすがに睡魔があって、クリアには観れんかった。
新作じゃないとキツいかな。

そこで、改めて思ったのは、三葉も瀧も、ようは2人とも引っ込み思案な性格で、異性に対して積極的になれん、イマドキの草食系やねん。

けどそれが、入れ替わった相手の立場で、友達とどう接するか?を地でやったら、それぞれにデートができたり告白されたりと、上手く行っとる。

元に戻った、友達関係もそれなりに進展しとるし。
だからこそそれぞれに友達を連れて、それぞれ2通りの冒険が成り立っとるんやな。

私がつねづね言うとることでもある。

自分のことを考えるのは難しい。悩んでまう。

けれども、相手のことを考える、これは難しくない。
だから、友達をつくって、お互いに相手のことを考え合ったらええねん。

あと、糸守に組紐が伝わったの、彗星の流れるさまが組紐の描写に繋がっとったけど、彗星の流れるさまを、目で見てもそうやし、歴史的に時代を繋げてきたという意味でも、組紐(結び)という文化は重要やったんちゃうか。

おばあちゃん(一葉)がことさらに”結び”について言うとるのは、そんなことが内的なイメージにあったんちゃうかと思う。

しかしそれにしても、そんな運命の片割れが、それぞれ東京と飛騨に住んでいるっていうのは、ビミョーかなあ。

イマドキの草食系の男女に対して、目の前の好きなヒトに向かって、さあ!というような主張を、ホンマはしたいとこなんやけど、それが東京と飛騨では難しい。

とくに女の子なんか、「近くのヒトではなくて、遠くに運命の王子様がいるのだろう」とか思うてまうんちゃうか?

そこの、観客の側が持つはずのギャップまでは吸収できてないんちゃう?

それを考えると、夢で入れ替わったのは実は幼馴染だった、みたいなほうがええかもやけどなあ。

そこまで考えたら、たとえば瀧も先祖は糸守出身だったことにしたらええのか。
けどそれでは、糸守に隕石が落ちた事件を、瀧が知らんはずはなくなるしなあ。

ヒトを説得する、というのと、恋愛と、実はほとんど違わない。

言い換えたら、恋愛上手の者がする説得には具体性があるけど、恋愛したことがない者の説得は抽象的理屈的で、ようは前者が上手で後者はヘタクソといえる。

活動家には一人身の者が多くて、それ自体は悪いことではないけど、恋愛の想像ができないところはマズいかなあ・・・ それよりも運動だ!とか言っている人々が結婚している場合もあるけど、理念で共闘できたから結婚するという単純なものではなくて、本気でお互いに恋に落ちた実感があるかどうか、というのは大事と思う。

まあ、それはええか。

あと、前にも指摘したかもやけど、ドアが閉まる描写って必要なんかなあ?

なんか意識的に描いてあったけど、私はウザいと思った。

あと、隕石が落ちるときの”ガーン”(みたいな)音、アレ必要?
いや、必要としても、なんかあの音は違う気がする。

ラストで、画面の真ん中に”君の名は。your name.”って出て来るのもなんかあざとらしくて、私の感覚とは違うと思った。

”千と千尋の神隠し”以外のすべての作品を上回る興行成績らしいけど、当然のようにこうしたほうがよかった、というところはある。

人物の走る描写とかヘナヘナやと思うし。

そういえば、作画監督の安藤雅司ってジブリでけっこうな地位やったなあと思って検索したら

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E8%97%A4%E9%9B%85%E5%8F%B8

”耳をすませば”ではなくて、併映の”On Your Mark”ではじめて作画監督になって、・・・・先日ASKAがまた覚せい剤使ったとかで再逮捕さたけど・・・・

私がなんで名前覚えとるかというと、”近藤喜文の仕事 動画で表現できること (スタジオジブリ) 責任編集:安藤雅司”という本を作ったからやな。

https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%84%E6%96%87%E3%81%AE%E4%BB%95%E4%BA%8B-%E5%8B%95%E7%94%BB%E3%81%A7%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8-%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%84%E6%96%87/dp/B00Q9U2Q6G

コレ、近藤喜文さんが亡くなって、安藤雅司さんが責任持ってジブリが自費出版したんかな?
ISBNコードもなくて、書店にも出回ってないけど、私は通販で買った。

流山の家にそのままにして、私はドイツに亡命してそれっきりやから、どこにいったかワカランけど。

大西弘子信用にならんと思って、いっちゃん重要なもの


Mimi

は伊達娘にあげたけど、いまになって考えたら正解やなあ。

冊数出とる本は、少々高くなっていても、カネさえ出せば買えるからなあ。

こう書いたら、私も”君の名は。”と全く関係ないわけでもないように思えてくるよなあ。

しかし改めて考えると、”君の名は。”は、空前のブームになった”もののけ姫”さえをも超えたんやな。

現代人のココロをよく捉えたというしかない。

たとえば、瀧が就職に悩むところなんか、映画”何者”ともオーバーラップするけれども、コレはコレで若者のリアルやねん。

企業にどうやって入社して、さらにそこでどうやって媚びて、どうやって人生を、結婚して、家族をつくって、それなりに生きてくか?

それが若者のリアルな悩みやねん。

そこに繋げたからこそ、これだけヒットしたともいえるやろ。

私は、権力者に媚びてくだけでは、子孫の代がどんどん酷い生活になるだけやと言って、敢然と立ち向かっている。

私はきっと、そのへんの活動家よりも何倍も信念が強いと思う。
信念が強いのを知っているからこそ、権力は私を怖れている。

権力は私を怖れているけれども、味方のほうがまだまだ私を怖れてない。

「君達には分からないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」

というのは、スッラの言葉か。検索したらこういう経緯やな。


http://worldbiography.blog62.fc2.com/blog-entry-27.html

その処罰者名簿には若き日のガイウス・ユリウス・カエサルの名も連ねられていたが、周辺から助命の嘆願が相次ぎ、処罰者名簿からしぶしぶ外した。その時はスッラは周辺に「君達には分からないのかね。あの若者の中には100人のマリウスがいるということを」と言ったと伝えられる。カエサルの非凡さを最初に見抜いたのは皮肉にも政敵スッラだったのである。カエサルには民衆派指導者だったキンナの娘との離婚を条件に処罰対象から外す旨の条件が示されるが、カエサルはこれを拒否、小アジアへ逃亡する。

”民衆派指導者だったキンナの娘”と結婚していたカエサルは、その離婚を拒否した、その事実は、カエサルはすなわち民衆派やったんや。

そして、共産主義という言葉ができる以前であるとしても、民衆派であったということは、それはすなわち我々がいう共産主義となんも変わらんハズや。

あるとき誰かが発明したからといって、それ以後そいつの言うとることだけが正しいのではなくて、その発明者が発見できんかったことを、昔のヒトが発見しとることが往々にしてある。

ある学説を前の学説が覆す、というのは、人類史を均して見たとき、往々にして起こり得るハズやけど、どうも人類の大勢はそれが理解できず、近視眼的に、新しいもののほうが正しいとついつい思うてもとる。

なんかだいぶハナシが脱線したけど、新海誠がスッと宮崎駿に並べたのも、宮崎駿がさほど描こうとしなかった、現代の若者をスッと描いたところが大きいと思う。

そういう意味では、個人的に、熊徹はまるで私と思っている”バケモノの子”における細田守も、現代の若者への肉薄という意味ではちょっと劣っていたのかなあ。

私がもし作品を作るとすると、こだわるつもりはないけど、せっかくなのでアイドルのリアル、アイドルになりたい子のリアル、みたいなものにするかなあ。

けど、それだけやと地味やし、地味でも”がんばっていきまっしょい”みたいな佳作はできるけど、完全創作でひねりを加えたいなあ。

”君の名は。”も”バケモノの子”も、私の想像を超えるストーリー展開やったんやし、それを超えるにはどうするかなあ。

まあ、あんま考えずに、シンプルな物語にして、あとは俳優に考えてもらう、と開き直って、”がんばっていきまっしょい”レベルの脚本のほうがいいか。

てか、AKBがこんだけ隆盛やし、”がんばっていきまっしょい”もモー娘。の掛け声になったくらい知れ渡っとるのに、
”がんばっていきまっしょい”をアイドルに舞台でさせる!という企画は出てきてないねんな。

2016年11月20日 (日)

アニメの動きを語る上で、近藤喜文という名前は外せんと思うし、近藤喜文ってなんでか”国公労新聞”にインタビューされとるんやな。共産党員やったらしいしな。

コレ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%96%9C%E6%96%87

次回作では『天の瞳』のようなアニメーション作品を構想していたという(機関紙『国公労新聞』第943号のインタビュー)。

そんで、『天の瞳』ってどんな内容やねん?と思って検索したら、こんなのが出て来る。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E3%81%AE%E7%9E%B3

幼年編1[編集]

倫太郎は、倫叡保育園に行っている男の子。とんでもないいたずらをいつもいつもしていて、保育園の先生を困らせている。そんな倫太郎だが、実は鋭い感受性とやさしさを持った子だった。個性的な倫太郎たちは小学校の先生にはなかなか理解できず、先生たちは頭をかかえていた。2年生になってから、フランケンことミツルという転校生が倫太郎たちの仲間に入った。フランケンはいつも変な顔をし、みんなを笑わせていた。
だが、それを見た倫太郎のじいちゃんはなぞなぞを出した。「隣どうしにあるのに、絶対見えないものはなんや」じいちゃんはフランケンに何かを悟らせようとしていた。

私はこの回答は知らんけど、瞬時に、”瞳”という言葉からも、自分の瞳と思った。

自分に見えんもんは、実は自分やねん。

私はだからこそ、いつもこうやって執拗に、自分を見てくれる相手を探すことの重要性を説いている。

ちなみに私は、どうせ国家をめぐる大勢の監視の上なんやから、そんなの百どころか億千万の承知の上の、サディスティック・ジャパンや。

まあそんなんどうでもええか。

孤高の孤軍奮闘になることは、フツーのヒトにとってはないけれども、指揮官にとっては、あり得る。

指揮官が指揮官たるゆえんやな。

決断すべきときに、誰かから教えを乞う姿勢があれば、もうその時点で指揮官ではないねん。

2016年2月 7日 (日)

ジブリの新作についていまごろ知った。高畑勲が受賞したとかでリンクにようやくきづいた。

こんな記事とかある。
アニー賞功労賞に高畑勲監督喜び 有能な周囲の協力があってこそと感謝 2016年2月7日(日)17時20分配信
私はもういまとなっては高畑勲に学びたいとも思わんけど、しかし、第三者的に見て、高畑勲の功績って称えられるべきとは思う。
日本作品受賞ならず…『インサイド・ヘッド』が最多10部門受賞“アニメ界のアカデミー賞”アニー賞授賞結果 2016年2月7日 15時28分
私はそこまで『インサイド・ヘッド』を佳作とは思うてないけど、『インサイド・ヘッド』をいいと言うとったゆかるんなんかは、『インサイド・ヘッド』について改めていろいろ主張してもええんちゃう?
私はもう、自分がどう思うかというのと、相手がどう思うかというのと、世間がどう思うかというのと、全部別々に考えとる。
人々と話しとったら、この3つの区別をつけずに、全部一緒に考えとるヒトがほとんどやな。
『インサイド・ヘッド』についてやと、ゆかるんの思いを世間一般にアピールする意義はあると思うねん。
てか、ゆかるんが『インサイド・ヘッド』を推しとったことを世間一般にアピールしたら、「この子はもしかしたら作品を見る目があるんちゃう?」と世間から思われるかもやし。
私だってべつに、『インサイド・ヘッド』について自分なりに感じたものはあるけれども、ゆかるんがそれ以上のモノを得たというならば、私の考えを直すし。
だいたい、失敗を恐れてないのが、私が強いところやと思うねん。
まあ、それはそうとして。
関連でこんな情報も得た。私は今日はじめて知った。
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ジブリ最新作『レッド・タートル』がもっと楽しみになる! 「スタジオジブリ」の27年間を知るアニメーターしか知らないエピソード
2016年2月6日(土)9時0分配信 ダ・ヴィンチニュース
 と宮崎駿監督から注意された彼女。しかし、まぶたの線はもともとは描かれていたにもかかわらず 、作画担当の指示でわざわざ消したものであった。このような、各部門のアニメーターによって指示が矛盾していた際のトラブル対処も動画チェックの役回りなのだ。結局、そのときは監督の指示に従いまぶた線を入れて対応したそう。また、舘野氏 の席は宮崎監督の近くだったこともあり、息つく暇もないのは想像に難くなく、“エンピツ戦記”というタイトルもピッタリ。
 宮崎氏は2013年に行った引退会見で“僕は文化人にはなりたくない、町工場の親父だ”と述べていたが、舘野氏は彼のことを「監督である前に芸術家」だったと回顧録に記している。
 彼の感性が、ある意味“普通ではない”ことがよく分かる話を紹介しよう。ジブリの社員旅行に行った際、空から舞い降りてきて翼をたたんだ鳥に向かい、宮崎氏は「おまえ、飛び方間違ってるよ」と本物の鳥に向かって、自分の理想の飛び方を要求していたというのだ……! 「現実の向こうにある理想のリアル」を追求する宮崎氏ならではのエピソードだ。
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『レッド・タートル』なんて誰がどう考えても赤=共産主義との関連を考えてまう。
紅の豚とか、ピクサーでいうとカーズでもそうやろ。
なんか映画って赤色が多いねん。
けど私は、赤=共産主義、なんてのはやめてほしいと思う。
だってソ連だって中国だって、国旗がまっ赤っ赤やん。
・・・・そういえばアメリカも日本も、別の色を使うたらええのに敢えて赤色主体なんはなんでやねん?
韓国とかフランスみたいに、赤と青の比率を同率にする案だってあるのに。
しかしそう思えば、イギリスの、青色の中に”米”って赤色で書いたのは、日本人からするとイギリスのアメリカに対する怨念みたいに見えるよなあ。
・・・・・てか誰かコレ漫才のネタにでもしてよ。
それはそれとして。
スタジオジブリには「すべらない話」がいっぱい!? 天才達が自由すぎる! 2014.8.29
すべらないハナシとは思わんけど、ナウシカのときに高畑勲がノート1冊に、どうして自分はプロデューサーに向かないかを頑張って書いてきたエピソードは知っとる。
けど、心理学的にいえば、高畑勲はプロデューサー未経験者として「自分はプロデューサーの仕事についてこれだけ調べました。だからプロデューサーにさせて」と言うとるのと同じといえる。
それでプロデューサーを否定してくる高畑勲って、妙にお子ちゃまやんなあ。
自分からは一切ウンと言ってないのに、全体としてウンと言うとるのが丸分かりで、その上で相手にウンと言わせるって、用意周到で、さらにいえばめっちゃ官僚的ともいえるけどさあ。
鈴木敏夫はその心理を汲み取っただけや。
やりとりから、どう考えてもそう読み取れるやろ。
徳間康快が「金なんて紙だからな」と言うたというのは、私は「金は銀行にいっぱいある」と言うたと受けとっとる。
自分がカネを用意せんかっても、誰かをその気にさせたらええというのは、私の人生哲学になったといっていい。
AKBメンバーを応援しとるのも、握手にカネを使わんかっても、違う応援の方法があると思い至ったからこそや。
てか、宮崎駿が、鳥が飛んで止まるのを見て、自分のイメージと比較して「その飛び方は違う」と鳥に言うたというエピソードを見て、宮崎駿と私との差を思った。
私はべつに、鳥は飛べとったら、その飛び方におかしいもなんもないと思う。
そういう飛び方もアリと思うだけや。
11月に水族館に行って、いろんな動物の行動を興味深く観察したのを見ても、私は基本的に動物の行動を否定せん。
鳥が、自分の思う飛び方はこう!と言うとったり、現実にその飛び方で問題に直面しとる、と判断した場合は、それはちゃうんちゃう?とさすがに言うけど。
宮崎駿は万物を自分のイメージに合わせようとしとる。
そうではない。
万物は万物の思うままに動くほうがゼッタイにええねん。
それが、そいつの意図と違う場合だけ修正すべきやねん。
それと、上のほうの舘野さんのエピソードで、宮崎駿と作画(たぶん当時若手の佐藤好春作画監督やろなあ)との違いに舘野さんが宮崎駿に自分の苦労で合わせたとあるけど、それはアカンなあ。
ホンマは宮崎駿と作画と舘野さんで不都合について話せなアカン。
話せん雰囲気を作ったことは、監督である宮崎駿の失態な。
毛沢東好きであった共産主義者の宮崎駿が、イチ新人が意見も言えんほどの独裁を振るっていたというのは、いまとなってはいくら名作とされるトトロであっても、問題とすべきなんちゃう?
・・・まあ、私は上の人間のあらさがしをせよと言うとるワケではなくて、上から降ってくる言葉をそのニュアンスだけで取るな、と言いたいんや。

2016年1月23日 (土)

眠い!

非常に睡むい。

今日は書けるかなあ・・・

2015年11月 7日 (土)

公演前にネットカフェで”orange”読んでます。煮え切らないお話ですが、自分が10年後にどんな人生を送っているか?を考えたら、今日の一歩が変えられるのではと思います。

ネットカフェで、映画原作とある”orange”

https://ja.wikipedia.org/wiki/Orange_(%E6%BC%AB%E7%94%BB)

の原作本を、1巻分読みました。

正直、煮え切らないお話にイライラするのですが、一般の人間ってこうして、小さな一歩が踏み出せずに「やめておこう」と思ってしまうように思います。

「やめておこう、みんなと同じようにしよう」と思うのが”大人になる”ことだと思ってるのです。

私は違います。

小学2年生の時に既に、席替えで好きな女の子の隣になりたい!と言い出すくらいの問題児でしたので、おおむね小さな一歩は踏み出してきました。

とはいえ、たとえば日立製作所時代に仕事でインテリボンボン長井聡をはじめとした者から妨害を受け、能力の発表の機会、それどころか知るべき情報をも与えられず、結果を思うように出せない時代が長く続き、その間は負い目もあって一歩が踏み出せませんでした。

私がAKBの子らに、とにかくパフォーマンスを良くすることを口を酸っぱくして言うのも、AKBである時点で、いくらAKSから抑圧を受けようが、発表の機会や知るべき情報は与えられていると考えるからです。

そうすると、どうしても観てくれて、分かってくれる人はいると思うのです。

これは言い換えると、”orange”では10年前の自分に対して後悔の念を伝えて、自分の人生を変えていくストーリーになっていますが、私は20年ほど若い子らに対して、本当はこうなれるのだ、それにもかかわらず頑張らなければ。単なる主婦で終わってしまう、というのを、主張しているともいえます。

”orange”を私のように解釈する人間は、案外いないかも知れません。

原作者の高野苺さんも、私の考察を読んだらビックリするかも知れませんね。

まったく蛇足ですが、上のサイトで”能田達規の漫画『ORANGE』とは異なります。”とあって、能田達規って”がんばっていきまっしょい”の松山東高出身で、それこそ17年前に検索で探してブログか何かにコメントしたことあるよなあ・・・

と思ったらやはりでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%BD%E7%94%B0%E9%81%94%E8%A6%8F

私の場合、些細なことがどっかでひっかかっているます。

ただ、能田さんの作品は個人的に興味のある分野ではないのですが。

個人的にはもっと心理描写が多い、少女マンガっぽいほうが好きです。

”orange”は長野県松本市を舞台にして、松本市でロケをしているらしくて、そのあたりは見ものです。

原作も連載終了したところらしいですし、連載&映画をどのように纏めているのか、興味があります。

ちなみに私ならば、どういう終わらせ方にするかなあ・・・・ベタに菜穂と翔が結ばれるストーリーにしてしまうと、”いまの自分の考え方が変われば未来は変えられる”という、光る題材が霞んでしまいそうなので、上手く考えたいところですが。

”大人になる”という意味では、朝に書いた”おもひでぽろぽろ”とも繋がると思います。

私は”おもひでぽろぽろ”は高校1年生の頃に観たり原作を読んだりして、27歳のタエ子よりも小学5年生のタエ子に強く共感しました。

そして40歳になったいまも、小学5年生のタエ子の方により共感します。

どうして、飛んでいくカラスについてとことん考え、演技で表現できた溌剌としたタエ子が、パッとしないOLにデキ上がってしまったのか、私にはどうにも納得できません。

トシオのことが好きかどうかさえもわからずに、小学5年生のタエ子から背中を押されなければ、そのまま別れてしまうだなんて・・・

27歳になったときに、”私も大人になったわね、あの頃は幼かった”なんて思うようにはなって欲しくないと思います。

高畑勲はこの作品で、やはり人々に対して「田舎に帰れ、昔に帰れ」というメッセージを出していると思います。

しかしそれは間違いです。

大した理由もなく都会を選んでいる人間が多いのは問題とは思いますが、タエ子の才能を発揮できるのは都会しかなかったと考えています。

タエ子の才能を田舎に閉じ込めた高畑勲の主張は、明らかに誤りです。

私が好きなはずの”おもひでぽろぽろ”をここまでコテンパンに論評するようになったとは、自分でも驚きです。

せっかくのネットカフェからの接続なので、”俺物語!!”のロケ地を調べてみました。

https://www.google.co.jp/webhp?sourceid=chrome-instant&rlz=1C1JPGB_enJP630JP630&ion=1&espv=2&ie=UTF-8#q=%E4%BF%BA%E7%89%A9%E8%AA%9E+%E3%83%AD%E3%82%B1%E5%9C%B0

・仙台市定禅寺通り

・仙台市広瀬川

・仙台八木山ベニーランド

とか、伊達娘が馴染みのある場所のようです。

定禅寺通りは私も昨年行きましたが、ナントナクどっかで見た景色と思ったのはそれが繋がったのでしょうか。

今日も、なんかいろいろ想像の翼が広がりましたが、このへんで・・・

そういえば、「おもひでぽろぽろ」の小学5年生のタエ子の演技が素晴らしい、その考察について書いてないよなあ。

カラスが帰っていくところを、1回目はセリフで表現した。

それを先生は褒めるべきなんやけど、デモシカ教師に当たったんやろなあ、台本にあるセリフだけを言えと叱られた。

フツーはそこでヤル気なくしてまうんやけど、タエ子はさらに演技について考えて、リアルに飛び去るカラスを想像して、他の子とは別次元の演技をした。


そこまで考えつくならば、演劇の世界に飛び込んでも良かったのに、お父さんの反対でやめてもて、けっきょく27歳になってフツーのOLで、田舎のトシオと結婚するかどうかで悩むようなハナシになってまう。


小学5年生のタエ子のほうが、27歳のタエ子よりもハツラツとしとるのは、改めて考えると、"大人になる"って一体なんなのか?を考えるべき作品やと思う。

高畑勲はそこまで考えてなかったっぽいけど。

続きは改めて・・・

2015年9月28日 (月)

川上量生が、世の中のクリエイターはあまねく表現技術に収束する旨を言っているのは、単純にクリエイターが限界を悟っただけちゃうの?

クリエイターが、自分の求める"あるべき世界"を目指して表現し続けるならば、表現技術に収束してしまうはずがありません。


"あるべき世界"を目指して挫折するか、或いは最初から目指すものがないからこそ、表現技術をよりどころとするしかなくなるのでは、と私は思います。


何度同じ表現技術を使おうが、自分の思う"あるべき世界"に近づくのはなかなか難しいです。

端的なのが街頭演説ですよね。


街頭演説が単なる言葉の羅列ではなく、人々を惹きつけるパフォーマンスになればいいとは思います。

ナチスをはじめとしたアジ演説だって、パフォーマンスといえばパフォーマンスです。

しかし、もっと効果的なパフォーマンスってきっとあると思います。


私もいい例を思いつきませんが、だからたたき台として挙げると、たとえばAKBメンバーがAKBの衣装を着て街頭演説したら、相当多くの人間を惹きつけられると思います。


・・・いやしかし、やはり表現とは、自分を表現するのではなく、相手を理解することから始まるのです。

そうすると街頭演説で、目の前に現れた論客を相手に議論するのが、やはりいちばん手っ取り早いという結論になってしまいますよね。


論戦って人々は見てしまうもの。

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